延喜式神名帳
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守山八幡宮(伊豆の国市寺家)
守山八幡宮(もりやまはちまんぐう)は 1180年(治承4年)源頼朝公が 源氏再興を祈願して挙兵した時に本陣を張った北條郷の地で 辺りには北条氏の屋敷があり 源頼朝公は 襲い討った山木判官平兼隆の屋敷から火の手が上がるのをこの辺りから見たとされます
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聖神社(伊豆市月ヶ瀬)
聖神社(ひじりじんじゃ)は 聖ヶ森に鎮座していた聖宮大明神を明治9年(1876)この社殿に合祀し主神として祀ったものです 最古の上梁文に永正9年(1512)のものがあり 村名に「槻瀬村」とあり 現在の地名『月ヶ瀬』の由来を示す者とされています
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小坂神社(伊豆の国市)
小坂神社(おさかじんじゃ)は 明治6年(1873) に 地区内各所に祀られていた17の神社が合祀されました その中の一祠は 古来から葛城山の山頂に鎮座し 合祀当時は 山麓の寺に遷されて小祠として祀られていた「葛城神社」〈式内社「倭文神社(しとりの かみのやしろ)」の論社〉です
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鍬戸神社(三島市長伏)
鍬戸神社(くわとじんじゃ)は 江戸期には 鍬手明神と云われていました 同じ境内地の中に 同じく延喜式内社の高橋神社〈東北東向き〉と背中合わせに 鍬戸神社の本殿〈南南東向き〉が並び建てらけて お祀りされています
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倭文神社(伊豆市大野)
倭文神社(しどりじんじゃ)は 伊豆市大野にある倭文山の山頂に鎮座する『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載 式内社゛倭文神社(しとりの かみのやしろ)゛の論社です 縄文遺跡もあり この地が古くから 渡来文化(機織技術など)で開けていたことを示すものとされています
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葛見神社(伊東市馬場町)
葛見神社(くずみじんじゃ)は 葛見の庄の初代地頭 工藤祐高公〈伊東家次・・・伊東家の祖〉が社殿を造営し 守護神として京都伏見稲荷を勧進合祀して 伊東家の厚い保護と崇敬を受けて神威を高めてきました 境内の大クスは 樹齢約千年 目通り20mに及び全国でも有数な老樟として有名です
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湯前神社(熱海市上宿町)
湯前神社(ゆぜんじんじゃ)は 熱海温泉の守り神として 少彦名命が祀られる 式内社「久豆弥神社(くつみの かみのやしろ)」の論社です 創建は 今から1200年程前 天平勝寶元年(749)と伝わり 伝説では その頃 熱海の海中に沸いていた熱湯を 高僧の萬巻上人が山腹に移し その近くに祠を祀ったのが始まりと伝わります
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飽波神社(藤枝市藤枝)
飽波神社(あくなみじんじゃ)は 社伝によれば 第16代 仁徳天皇6年(318)10月の創建と伝わり 志太平野で最古の神社で 飽波郷一円の鎮守とされています かつて岡出山の山裾の小石の周りから清水が湧き出て諸病に霊験があったと伝えられて 川関大明神と称せられています
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子安神社〈奈疑知命神社〉(河津町縄地)
子安神社(こやすじんじゃ)は 里人には「乳の神様」と呼ばれています 式内社「 奈疑知命神社(なきちのみことの かみのやしろ)」は かつては 縄地川(なわじ)上流の「なぎの森」に鎮座していたと伝わり 後に子安社の地に遷座したと考えられています
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石室神社(南伊豆町石廊崎)
石室神社(いろうじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載「伊波例命神社(いはれのみことの かみのやしろ)」とされます 石廊崎の先端 絶壁の岩肌に鎮座します 神社の土台には 千石船の帆柱が使われていて 伊豆七不思議の一つとなっています
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八幡宮来宮神社(伊東市八幡野)
八幡宮来宮神社(はちまんぐうきのみやじんじゃ)は 八幡宮と来宮神社の合殿です 社伝によれば 八幡宮は 正八幡宮を一国一社と定めて勧請〈神護景雲3年(769年)〉した際の伊豆国の代表八幡宮です 来宮神社は 伊波久良和気命を祀り 古来から 来宮大明神と崇められた延喜式神名帳所載の式内社です
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八幡神社(南伊豆町子浦)
八幡神社(はちまんじんじゃ)は 南伊豆町子浦の小高い斜面にあり 本殿の覆い屋の中に〈八幡宮〉と〈天満宮〉の2つの本殿が鎮座しています 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の式内社「伊波久良和氣命神社(いはくらわけのみことの かみのやしろ)」の論社です
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川津来宮神社〈杉桙別命神社〉(河津町田中)
杉桙別命神社(すぎほこわけのみことじんじゃ) は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載の式内社「杉桙別命神社」です 本殿横の「大クス」は 昭和11年 国天然記念物に指定された目通り周14m高さ24m樹齢1000年以上といわれる巨木のご神木です
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来宮神社(伊豆市八幡)
来宮神社(きのみやじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の式内社「杉桙別命神社」の論社です 別説には 藤原朝臣祐義公により貞和年中(1345~49)荒廃していた社殿に 来宮大明神を祀って新建とも伝わります 鳥居杉が見事です
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姫宮神社(河津町笹原)
姫宮神社(ひめみやじんじゃ)は 奥伊豆最古ともいわれ『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の「佐々原比咩命神社(ささはらひめのみことのかみのやしろ)」の比定社です しかし 河津川に面した湿地帯に在って 昔から洪水で流され再建することを繰り返し大社殿になれず 最後の庁屋も洪水で流失したといわれ 代々来宮神社の法印に祭祀されていたと伝わります 平成14年(2002)現在地に再建
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三島神社(河津町川津筏場)
三島神社(みしまじんじゃ)は もと筏場小川に鎮座した「小川三島大明神」を元亀年間(1570〜73)に現在地に遷座されたと伝わります 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の式内社「布佐乎宜神社(ふさをきの かみのやしろ)」の論社です
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三嶋神社(河津町逆川)
三嶋神社(みしまじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の式内社「布佐乎宜神社(ふさをきの かみのやしろ)」の論社です 配祀の若宮〈三島神の御子神 布佐乎宜命〉がそうではないかとも云われています
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夷子神社(伊東市川奈)
夷子神社(えびすじんじゃ)は 川奈の漁師の信仰が厚い祠であったようです 『豆州志稿』に「ことに古い祠で 神ノ主〈御神体〉は 自然石」と記され 古老の口伝に「此の祠は 殊に古く 御神体は崇厳な自然石で 本殿真下の空井戸に鎮座している」と伝わります 一説に式内社 伊波氐別命神社の論社とされています
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諏訪神社(南伊豆町岩殿)
諏訪神社(南伊豆町岩殿)は 『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載の式内社「伊波氐別命神社」の論社で 「数十丈削立たる如き巌石上に鎮座す」と伝わります 現地も急斜面の上ですが この地は岩山なのでしょうか
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八幡神社(下田市河内)
八幡神社(はちまんじんじゃ)は 『南豆神祇誌 1928年』著者の足立鍬太郎氏によれば 大正6年(1917)の棟札には「八幡神社 旧称王子神社」と記されていて 第三王子 則ち 多祁美加々命を祭った社と記しています