若久住吉神社(わかひさすみよしじんじゃ)は 「御鎮座は 遠い遠い神代のことで年代を定めることは出来ませんが 全国的にも九州でも最も古いお宮様の一つです」と由緒にあり 式内社 住吉神社 三座(並 名神大)(すみよしの かみのやしろ みくら)とする説 筑前国福岡藩初代藩主 黒田長政によって江戸期前期頃の創建造営とする説もあります
目次
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
住吉神社(Sumiyoshi shrine)
【通称名(Common name)】
若久住吉神社(Wakahisa sumiyoshi shrine)
【鎮座地 (Location) 】
福岡県福岡市大字若久小字住吉(福岡市南区若久1-20-28)
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》底筒男命(そこつつをのみこと)
中筒男命(なかつつをのみこと)
表筒男命(うわつつをのみこと)
《合》神功皇后(じんぐうこうごう)
菅原神(すがわらしん)〈大正十三年合祀 菅原神社〉
《配》天照皇大神(あまてらすおほみかみ)
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
若久住吉神社
鎮座地 福岡市大字若久小字住吉
(南区若久一丁目二十番十四号)
- 御祭神
当若久住吉神社は底筒男神、中筒男神、表筒男神の住吉三神を祭神とし、相殿に神功皇后 菅原神社(菅原道真)を合祀します。
- 御由緒
住吉三神は遠い神代の昔に、伊弉諾大神が筑紫の日向の橘の小戸の阿波伎原でミソギハラヘ、(禊祓)をされた時に、志賀神社の御祭神、ワタツミ三神と警固神社の御祭神・直毘の神と共に御出現になりました。
したがって当社の御鎮座は遠い遠い神代のことで、年代を定めることは出来ませんが、全国的にも九州でも最も古いお宮様の一つです。
祭神 菅原神は大字若久字天神に無格社天神社として祭祀してありましたが、大正十三年十月十四日許可を受け、明細帳編入と同時に合祀されました。
- 社殿
約千八百年前、第十四代目仲哀天皇の皇后となられた神功皇后が熊襲叛するに及び、天皇とともに西征途中、天皇が香椎で崩御のあと新羅を征して凱旋され、誉田別皇子(後の応神天皇)を筑紫で出産されましたが、新羅から帰国されたとき、ここに立ち寄られ、ここに神社を建てようとされたということに起源しております。
一説には、約三百八十年前に、この附近のお金持ちの人たちがこの地をならして当時の国主、黒田長政によって、住吉三神と神功皇后、天神様となった菅原道真公のご神徳を奉賽して造営されたものと伝えられています。
その後老朽化したため、現在の社殿は昭和三十九年、地元の金子市作、大野惣次郎、国武英太氏らの篤志家によって改築されたものであります。
- 境内平地
境内平地には天保六年四月の鳥居、つづいて注縄掛石に左に(神光長明)右に(松寿千古)とあり昇格記念として大正十五年十月の建立と刻まれています。
- こまいぬ(狛犬)
社殿の前に据え置かれた一対の獅子に似た狛犬の像は昭和六十年三年十月、地元の三浦久・三浦千代子ご夫妻同じく三浦郁夫・三浦美春ご夫妻のご寄進によるものであります。
- 神殿
神殿内には明治時代より、絵馬が掲げられています。
- 境内地
総面積約二千坪で周囲は竹林と鬱蒼とした樹木に圍まれ神々とした神域を醸しています。
社殿の正面左手には、黒田長政公の植樹と伝えられる山桃の木が亭亭とそびえ、御祭神の禊祓に房わしい御神木として大切に保存されています。
- 神事
毎年恒例として 一月一日 五月三日 十月十六日
いづれも午前十一時から禊祓の神事のあと直会が行われます。現地案内板より
【由 緒 (History)】
由緒
住吉三神は、遠い神代の昔に、伊弉諾大神が筑紫の日向の橘の小戸の阿波伎原でミソギハラヘ(禊祓)をされたときに、志賀海神社の御祭神、ワタツミ三神と警固神社の御祭神・直毘の神と共に御出現になりました。
したがって、当社の御鎮座は、遠い遠い神代のことで年代を定めることは出来ませんが、全国的にも九州でも最も古いお宮様の一つです。
別称、住吉大明神とも呼ばれていますが、それは年代も古く、由緒も正しく、崇敬の顕著な神として選ばれた延喜式の明神祭にあずかる社格として認められたものと思われます。※「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から参照
【境内社 (Other deities within the precincts)】
【境外社 (Related shrines outside the precincts)】
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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『日本三代実録(Nihon Sandai Jitsuroku)〈延喜元年(901年)成立〉』に記される伝承
京畿七道諸神とともに 神階の奉授が記されています
【抜粋意訳】
巻二 貞觀元年(八五九)正月廿七日〈甲申〉の条
○廿七日甲申
京畿七道諸神 進階及新叙 惣二百六十七社 奉授
淡路國无品勳八等伊佐奈岐命一品 備中國三品吉備都彦命二品
・・・・
中略
・・・・
筑前國
正三位勳八等 田心姫神 湍津姫神 市杵嶋姫神 並從二位
正五位下 竈門神 從五位下 筑紫神 並從四位下
從五位下 織幡神 志賀海神 美奈宜神 並從五位上
无位 住吉神 從五位下・・・
・・・
【原文参照】
『延喜式(Engishiki)』巻3「臨時祭」中の「名神祭(Meijin sai)」の条 285座
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
延喜式巻第3は『臨時祭』〈・遷宮・天皇の即位や行幸・国家的危機の時などに実施される祭祀〉です
その中で『名神祭(Meijin sai)』の条には 国家的事変が起こり またはその発生が予想される際に その解決を祈願するための臨時の国家祭祀「285座」が記されています
名神祭における幣物は 名神一座に対して 量目が定められています
名神祭 二百八十五座
・・・
・・・
住吉神社 三座 筑前國
・・・座別に
絁(アシギヌ)〈絹織物〉5尺
綿(ワタ)1屯
絲(イト)1絇
五色の薄絁(ウスアシギヌ)〈絹織物〉各1尺
木綿(ユウ)2兩
麻(オ)5兩
嚢(フクロ)料の薦(コモ)20枚若有り(幣物を包むための薦)
祷(ダイトウ)者〈祈願の内容が重大である場合〉
加えるに
絁(アシギヌ)〈絹織物〉5丈5尺
絲(イト)1絇を 布1端に代える
【原文参照】
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載
(Engishiki Jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)西海道 107座…大38・小69
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)筑前国 19座(大16座・小3座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)那珂郡 4座(並大)
[名神大 大 小] 式内名神大社
[旧 神社 名称 ] 住吉神社 三座(並 名神大)
[ふ り が な ](すみよしの かみのやしろ みくら)
[Old Shrine name](Sumiyoshi no kamino yashiro)
【原文参照】
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【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
”住吉神社”(すみよしじんじゃ)と住吉三神〈底筒男命・中筒男命・表筒男命〉について
住吉神社は 主に住吉三神を祀る神社で 日本全国に約2300社以上あると云われます
住吉三神とは 次の三柱神の総称 古来 航海の守護神として篤く信仰されてきている
・底筒男命〈底筒之男命〉(そこつつのをのみこと)
・中筒男命〈中筒之男命〉(なかつつのをのみこと)
・表筒男命〈上筒之男命〉(うわつつのをのみこと)
住吉大神と号する場合は
住吉三神と息長帯姫命〈神功皇后〉を併せ祀ります
住吉三神は 日本神話に登場する航海の神
伊奘諾尊が 黄泉の国の穢れを清めるために 筑紫の日向の橘の小戸の檍原で禊をしたとき 水底で身をすすぐと底筒男命 水中では中筒男命 水上では表筒男命が このとき顕われたとされる
『古事記』では 水の底にもぐって 身を洗い清められる時に成った底筒之男命 水の中程で洗い清められる時に成った中筒之男命 水の表面で洗い清められる時に成った上筒之男命が それぞれ生まれます
その後『日本書紀』には 神功皇后の段に新羅征討の際に 神託・守護・先導などに深くかかわったと記されています
三柱〈底筒男命・中筒男命・表筒男命〉が 住吉三神と云われる理由について
福岡の現人神社〈博多 住吉神社と大阪 住吉大社の元宮とされる〉には 三神〈底筒男命・中筒男命・表筒男命〉が 住吉三神と云われるようになった理由を社伝で伝えています
「元々は 現人神〈筒男三神〉であったが 神功皇后が三韓征伐の時 神告により神田を定め 天神地祇に禱祈して 那珂川の水を引いた所が現人神社である
神功皇后が 大和への御帰還に際し 霊験な現人神〈筒男三神〉をご奉持され 眞住吉之国(住よい国)〈摂津(大阪)〉に祀らた為に住吉三神と称され始めます 筑前国一之宮 福岡の住吉宮も後にここより御分霊された 故に 全国津々浦々にある住吉三神の本津宮とされます」
住吉三神〈底筒男命・中筒男命・表筒男命〉の「筒男(ツツノヲ)」の字義についての諸説
「筒男(ツツノヲ)」の字義についての諸説
①航海の神 ツツは夕月(ゆうづつ)のツツに通じ 夕方の月 宵の明星 星を指し 星は航海の指針に用いられることから
②海神を示す説
➂「津の男」に見る説
④「ツツ」を船の呪杖に見る説
➄船霊を納める筒に見る説
⑥対馬の豆酘(つつ)に関連し「豆酘の男」に見る説
➆航海に従った持衰の身を「ツツシム」に見る説
住吉神社の発祥について
現在 住吉神社の総本社は 一般的には 大阪府大阪市住吉区の住吉大社とされますが
下関の住吉神社は 住吉三神の荒魂(あらみたま)
大坂の住吉大社は 住吉三神の和魂(にぎみたま)は 神功皇后が三韓征伐の帰途に祀られた事が『日本書紀』に記されています
実際には 神功皇后の「三韓征伐」伝承とともに 西から順に 壱岐・対馬〈長崎県〉から博多・下関・瀬戸内海を渡り 大坂の住吉大社へと分祀されたものとおもわれます
このため・壱岐の住吉神社・博多の住吉神社 や現人神社などは 住吉神社の発祥の地と称しています
『日本書紀』には 神功皇后の新羅征討の段に 次のように記されています
仲哀天皇の御代 熊襲 隼人など大和朝廷に反乱蜂起した時 神功皇后が神がかりして「まず三韓を征討せよ」との神託を得た しかし 仲哀天皇はこの神託に従わず 翌年崩御された
その翌月 再び神託を得た神功皇后は 自ら兵を率いて三韓へ征伐に向かう このとき 住吉大神の和魂が神功皇后の身辺を守り 荒魂は突風となり 神功皇后の船団を守護し 三韓をおおいに苦しめた
神功皇后は 三韓を平定し 凱旋の折 住吉三神の神託を得て 大神の荒魂(あらみたま)を穴門(山口県)山田邑(下関市)に奉斎します また 和魂(にぎみたま)を大津〈大きな港〉の渟中名倉の長峡〈現 大阪・住吉大社のある場所〉で 行き交う船を見守ると鎮めて 住吉大神を祀った
『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載される”住吉神社 七社”(すみよしのかみのやしろ ななやしろ)について
『延喜式神名帳』所載の七国〈対馬・壱岐・筑前・長門・播磨・摂津・陸奥〉各々に七社の住吉神社が鎮座します
これを住吉七社(すみよしななしゃ/すみよししちしゃ)とも総称します
格式の高さが際立つ 住吉七社
内訳は次の通り
住吉七社の内 一之宮が三国〈筑前・長門・摂津〉
住吉七社の内 五社が名神大社〈対馬・壱岐・筑前・長門・摂津〉
『古事記』では「墨江之三前大神(すみのえのみまえのおほかみ)」と総称され
住吉の地名については 古くはスミノエと呼ばれ「住吉」「墨江」「清江」などと表記されましたが 平安時代以降は スミヨシとも呼ばれるようになったとされます
外交にまつわる航海の守護神として国家的な祭祀をうけていて 大和朝廷にとって特別な意義を有する神社でした
遣唐使時奉幣の祝詞や六国史には 遣唐使出発の際にこの神を祭ったことが見えています
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』〈927年12月編纂〉に記される 住吉七社と その論社について
①對馬嶋 下縣郡
住吉神社(名神大)(すみよしの かみのやしろ)
・住吉神社(対馬 鴨居瀬)
・鷄知住吉神社(対馬 鶏知)
➁壹岐嶋 壹岐郡
住吉神社(名神大)(すみよしの かみのやしろ)
・住吉神社(壱岐市芦辺町住吉東触)
➂筑前国 那珂郡
住吉神社 三座(並名神大)(すみよしの かみのやしろ みくら)
・住吉神社(博多区住吉)
・若久住吉神社(福岡市南区)
・現人神社(那珂川市)
④長門国 豊浦郡
住吉坐荒御魂神社三座(並名神大)(すみよしのあらみたまの かみのやしろ みくら)
・住吉神社(下関市)長門国一之宮
➄播磨国 賀茂郡
住吉神社(すみよしの かみのやしろ)
・上鴨川住吉神社(加東市上鴨川)
・住吉神社(加東市下久米)
・小野住吉神社(小野市垂井町)
・秋津住吉神社(加東市秋津)
⑥摂津国 住吉郡
住吉坐神社四座(並 名神大 月次 相嘗 新嘗)(すみよしの かみのやしろ)(すみのえにます かみのやしろ)
・住吉大社(大阪市住吉区)摂津国一之宮
➆陸奥国 磐城郡
住吉神社(すみよし かみのやしろ)
・住吉神社(いわき市小名浜住吉)
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【神社にお詣り】(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
高宮駅から 県道602号〈若久通り〉を南下 約1.8km 車8分程度
若久通り沿いに鳥居が建ちますが 運転中につき 社頭の写真がありませんので Google ストリートビュー
鳥居の横の坂道を上がると社殿の裏側に駐車場があります
正面の鳥居からは この石畳みの参道を上がってくることになります
若久住吉神社(福岡市南区若久)に参着
参道を歩みませんでしたので 鳥居と注連縄柱に一礼をしてくぐります
拝殿にすすみます
鳥居の扁額には 住吉神社とあります
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
本殿の裏側の駐車場からは 立派な社殿を拝せます
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【神社の伝承】(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『福岡県神社誌(Fukuokaken Jinjashi)〈昭和20年(1945)〉』に記される伝承
若久住吉神社(福岡市南区若久)について 由緒不詳と記しています
【抜粋意訳】
村社 住吉神社
福岡市大字若久字スミヨシ大明神
祭 神 表筒男命、中筒男命、底筒男命、菅原神
由 緒 不詳、明治五年十一月三日村社に定めらる。
祭神菅原神は大字若久字天神に無格社天神社として祭祀ありしも大正十三年十月十四日許可を受け明細帳編入と同時に合祀せり。例祭日 十月十六日
神饌幣帛料供進指定 大正十五年七月一日
主なる建造物 神殿、拝殿、渡殿
境内坪数 三千百五十七坪
氏子区域及戸数 三十ニ戸
【原文参照】
若久住吉神社(福岡市南区若久)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)