走湯神社は 「(そうとうじんじゃ)or(すとうじんじゃ)」と呼ばれます 『南国伊豆の昔話』によれば 蓮台寺の神様と お湯の取り合いをして 走り戦いましたので「走湯」というと云われています 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載の由緒(格式ある歴史)を持っています
目次
- 1 1.ご紹介(Introduction)
- 2 この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
- 3 【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
- 4 神社にお詣り(Pray at the shrine)
- 5 神社の伝承(Old tales handed down to shrines)
- 6 各々の神社の記事をご覧ください
- 7 伊豆国 式内社 92座(大5座・小87座)について に戻る
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
走湯神社(Soto Shrine)or(Suto Shrine)
(そうとうじんじゃ)or(すとうじんじゃ)
[通称名(Common name)]
いつな姫の明神
【鎮座地 (Location) 】
静岡県下田市大賀茂495
[地 図 (Google Map)]
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》伊豆奈比咩命(Itsunahime no mikoto)
【御神格 (God's great power)】
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
不詳
【由 緒 (history)】
不詳
【境内社 (Other deities within the precincts)】
・小さな石祠(祭神など不明)
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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』(927年12月編纂)といって 平安時代中期に朝廷が作成した全50巻の律令格式の巻物の中でも重要視されている2巻です 内容は 今から約1100年前の全国の官社(式内社)一覧表で「2861社」の名称とそこに鎮座する神の数 天神地祇=「3132座」が所載されています
【延喜式神名帳】(engishiki jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
伊豆国(izu no kuni) 賀茂郡(kamo no kori) 46座の内 2つの式内社の比定社となっています
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊豆国 92座(大5座・小87座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)賀茂郡 46座(大4座・小44座)
[名神大 大 小] 式内小社
①
[旧 神社名 ] 伊豆奈比咩命神社
[ふ り が な ](いつなひめのみことの かみのやしろ)
[How to read ](Itsunahime no mikoto no kamino yashiro)
➁
[旧 神社名 ] 波夜志命神社
[ふ り が な ](はやしのみことの かみのやしろ)
[How to read ](Hayashi no mikoto no kamino yashiro)
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【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』(927年12月編纂)所載社の論社について
伊豆國(izu no kuni)賀茂郡(kamo no kori)
波夜志命神社(Hayashino mikoto no kamino yashiro)の論社
各々の神社の記事をご覧ください
・峯指神社(Hoshi no kamino yashiro)御笏神社の本殿に合祀
-
御笏神社(三宅島 神着)
御笏神社(おしゃくじんじゃ)は ご神託に基づき永正13年(1516)現社地(三宅島 神着(かみつき)に ご遷座になりました 元々は「神着の東郷(ひがしごう)」三宅島の北東に鎮座していました 旧社地は明治7年(1874)の火山噴火で溶岩流の下になってしまいました 格式は高く『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載される「佐伎多麻比咩命神社(Sakitamahime no mikoto no kamino yashiro)」に比定され その他に4つの式内社の論社を合祀している由緒ある古社です
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・峯指神社(Hoshi no kamino yashiro) 旧鎮座地
-
峯指神社〔 旧鎮座地 〕(三宅島 神着)
峯指神社(ほうしじんじゃ)〔 旧鎮座地 〕は 風速山を祀っていたと伝わります 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載された格式高い由緒を持ちますが 明治7年(1874)の噴火で 旧鎮座地は 溶岩流の台地の中にあります 現在は御笏神社(おしゃくじんじゃ)に合祀されています
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・走湯神社(下田市大賀茂)〈論社〉
-
走湯神社(下田市大賀茂)
走湯神社は 「(そうとうじんじゃ)or(すとうじんじゃ)」と呼ばれます 『南国伊豆の昔話』によれば 蓮台寺の神様と お湯の取り合いをして 走り戦いましたので「走湯」というと云われています 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載の由緒(格式ある歴史)を持っています
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「伊豆奈比咩命(Itsunahime no mikoto)」を祀る その他の式内社
『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』(927年12月編纂)所載社
伊豆那姫命(Itsunahime no mikoto)を祀る式内社「伊豆田神社(Izuta Shrine)」(高知県土佐清水市)が鎮座します
「伊豆奈比咩命(Itsunahime no mikoto)」と同じ発音ですが 同神かどうか 関係性は不明です
双方の神社の鎮座する地理的な状況は似ていて どちらも太平洋の黒潮が流れる地域から 河川に入り 山間に鎮座しています
境内社として「三島社」もあります
伊豆那姫命(Itsunahime no mikoto)を祀る
土佐国 幡多郡 伊豆田神社(Izuta Shrine)の記事をご覧ください
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伊豆田神社(土佐清水市)
伊豆田神社(いつたじんじゃ)は 『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載される由緒(格式ある歴史)を持っています 土佐国に鎮座しますが 伊豆の名を持つ 不思議な古社です
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神社にお詣り(Pray at the shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
伊豆急下田駅から 県道119号経由 西へ約4.7km 車10分程度
県道119号の北側の丘陵に鎮座します
走湯神社(Soto Shrine)に参着
鬱蒼とした鎮守の杜へと続く階段を上がり 参道を進みます
朱色の両部鳥居には「走湯神社」と彫られた扁額が掲げられています
一礼をして くぐります
鳥居が建っている位置から 境内へはさらに階段を上がります
境内は 見た目以上に平らで広く 一段上に「手水舎」と「拝殿」が建っていて その上の檀に本殿が覆屋の中にあります
社殿を包み込むように 古木が生えていて 古社の風情を出しています
拝殿にすすみます
拝殿は締まっています 上の檀にある本殿にまわってみます
拝殿と並行して「手水舎」がある訳がわかりました
どうやら本殿の覆屋から 本殿に直接お詣りが出来るようです
賽銭をおさめ お祈りです
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
小さな石祠があり お詣りをします
境内は 手入れが行き届います
社殿に一礼をして階段を下り 振り返り一礼をします
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神社の伝承(Old tales handed down to shrines)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『豆州志稿(zushu shiko)』〈江戸時代 寛政12年(1800)編集〉に記される伝承
走湯権現と表記されて 式内社の「波夜志命神社(Hayashi no mikoto no kamino yashiro)」とされています
走湯権現
大加茂村 上條近所に ハヤシと伝たわる地名がある故(ゆえ)或(ある)いは それを以て 式内社「波夜志命神社(Hayashi no mikoto no kamino yashiro)」と審(つまびらか)にした末とする
伊豆納符 鑰取り 外岡氏
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス 選者:秋山章/校訂者:秋山善政[数量]15冊[書誌事項]写本 弘化04年[旧蔵者]内務省
『南国伊豆の昔話』[( 昭和60年10月19日)企画 南国伊豆観光推進協議会/発行者 社団法人 下田青年会議所 P72~74抜粋]より
走湯神社(Soto Shrine)の名前の由来が話されています
もともと「大賀茂(ogamo)の神様」の元にお湯があり これを「蓮台寺の神様」が盗んで 互いの神様が走りながら お湯の取り合いとなります
これで「走湯」と名前がついて 勝負の末に 蓮台寺に温泉はあるが 大賀茂には 湯が出ないという昔話になっています
走(はしり)り湯(ゆ)
むかし、大賀茂(おおがも)と大平山(おおひらやま)をはさんだところにある蓮台寺(れんだいじ)の神様(かみさま)がお湯(ゆ)の取りあいをして戦いました。
大賀茂(おおがも)の神様(かみさま)は、ずいぶんのん気きな神様でした。小春日和(こはるびより)のうららかな天気が続き のんびりと木(こ)かげで昼寝(ひるね)をしていました。足もとには大きな赤(あか)いつぼにいっぱいのお湯がおいてありました。
蓮台寺(れんだいじ)の神様(かみさま)は、かねがね大賀茂(おおがも)のお湯をほしいと思っていましたので、いつもすきをうかがっていました。
「しめた。しめた。のん気(き)に昼寝(ひるね)している。」
蓮台寺(れんだいじ)の神様(かみさま)は、白い雲の上から見下ろしてよろこびました。そして、赤いつぼごとお湯を盗(ぬす)んでいこうとおりてきました。
お湯のこぼれる音(おと)で目をさました大賀茂(おおがも)の神様(かみさま)は、 お湯ゆが盗(ぬす)まれたのに気づいて、
「こら、お湯を返(かえ)せ、こら、待(ま)てえ。」
と大声(おおごえ)をはりあげて蓮台寺(れんだいじ)の神様(かみさま)の後(あと)を追いかけました。
「こらあ、お湯どろぼうめ、なんてことをする。それは、だいじな大賀茂(おおがも)のお湯(ゆ)だぞ。」
顔(かお)を真っ赤(か)にしてどなり立(た)ててどんどん追(お)いついていきます。
「せっかく盗(ぬす)んだお湯だ。返(かえ)すものか。」
重(おも)いつぼをかかえて、はあはあ言(い)いながら いちもくさんににげていきます。そのうちに、二人(ふたり)の神様(かみさま)はへとへとにつかれてきました。
「よいしょ、よいしょ、ぜったいに負まけないぞ」
「だれが、おまえになんかに、わたすもんか。」
手(て)をからませ合あって、ハァハァとあらい息(いき)をはずませながら お湯のとり合あいを続つづけました。
一時間(いちじかん)くらいは、とり合(あ)いが続(つづ)きました。二人(ふたり)の神様(かみさま)のあらあらしい声(こえ)を聞(き)きつけて、大賀茂(おおがも)の方(ほう)からも、蓮台寺(れんだいじ)の方(ほう)からも、応援(おおえん)のためにおおぜいの神様(かみさま)がかけつけました。はじめのうちは、地元(じもと)の大賀茂(おおがも)の神様(かみさま)の方が勝(か)っていました。しかし、息(いき)せき切(き)ってかけつけた蓮台寺(れんだいじ)の神様(かみさま)も、あとへは引(ひ)けません。
「それ、がんばれ、がんばれ。」
「負まけるな、大賀茂(おおがも)のお湯(ゆ)がなくなるぞ。」
たがいにはげしいとり合(あ)いの戦(たたか)いが続(つづ)きました。
大平山(おおひらやま)のふもとがむらさき色いろにかわるころ とうとう大賀茂(おおがも)の神様(かみさま)は力(ちから)がつきてしまいました。
「勝(か)ったぞ。お湯(ゆ)をとったぞ。」
意気(いき)ようようと勝(かち)どきをあげて蓮台寺(れんだいじ)の神様(かみさま)は、夕(ゆう)やみせまる山(やま)あいを元気(げんき)よく帰かえっていきました。赤(あか)いつぼの中(なか)には、湯(ゆ)けむりを立たてるお湯(ゆ)が入(はい)っています。
こんなことがあってから、大賀茂(おおがも)はお湯(ゆ)が出でなくなってしまいました。そして、蓮台寺(れんだいじ)には熱(あつ)いお湯(ゆ)がたくさん出でています。
お湯(ゆ)が走(はし)ったということで、大賀茂(おおがも)には「走湯神社(はしりゆじんじゃ)」となづけられた神社(じんじゃ)があります。
『南国伊豆の昔話』( 昭和60年10月19日)企画 南国伊豆観光推進協議会/発行者 社団法人 下田青年会議所 P72~74抜粋より
走湯神社(Soto Shrine)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
各々の神社の記事をご覧ください
母神 三島大明神の第三の后神
(佐岐多麻比咩命(sakitamahime no mikoto)を祀る神社
・御笏神社(Oshaku Shrine)
・祖師堂(Soshido)御笏神社の旧鎮座地
・椎取神社(三宅島神着)〈古社地〉
・両神社(下田市須崎)
・波夜多麻和氣神社(下田市相玉)
1番「ナコ」(南子命)を祀る神社
・南子神社(三宅島 神着)
・御笏神社(Oshaku Shrine)に合祀 三ノ朔幣神社(南子神社の遥拝所)
御笏神社の記事をご覧ください
・三ノ朔幣神社(san no sakuheino Shrine)旧鎮座地(三宅島 神着)
三ノ朔幣神社 旧鎮座地の記事をご覧ください
・后神社(Kisaki Shrine)境内社の南子神社
后神社(境内社の南子神社)の記事をご覧ください
・南子神社(下田市 神子元島)
※式内社調査報告には記されていますが 現在 神子元島には神社や祠は見あたりません
波風が強く 何度も消失したとも伝わります
https://www.google.com/maps/place/%E7%A5%9E%E5%AD%90%E5%85%83%E5%B3%B6/@34.5745212,138.9420112,18z/data=!4m12!1m6!3m5!1s0x0:0x237eb1d45e96afc7!2z5Lih56We56S-!8m2!3d34.6576!4d138.966645!3m4!1s0x60175b74a0a70383:0x2858da0c91ac6c3e!8m2!3d34.5745212!4d138.9420112
2番「カネ」(加彌命)を祀る神社
・カミイノ宮 御笏神社の本殿に合祀
・カミイノ宮 旧鎮座地(三宅島 神着 首山)※原生林の奥の為 未参拝です
・二宮神社【旧地】山ノ神(三宅島 神着 東郷)〈当社〉
・二宮神社(三宅島 坪田)(合祀先)〈論社〉
3番「ヤス」(夜須命)を祀る神社
・御嶽神社跡(三宅島 坪田)〈当社〉
・二宮神社(三宅島 坪田)〈合祀〉
・嶽比良神社(三宅島 伊豆) ※掟により入山禁止の為 未参拝
・子安宮(三宅島 神着)
4番「テイ」(氐良命)を祀る神社
・神澤神社(三宅島 伊豆)
・湯船神社(三宅島 神着)〈論社〉
湯船神社の記事をご覧ください
・八王子社(下田市中)
八王子社の記事をご覧ください
5番「イタヒ」(志理太宜命)を祀る神社
・椎取神社(三宅島神着)
・志理太乎宜神社(片瀬白田)
6番「クライ」(久良惠命)を祀る神社
・久良濱神社【出張(でばり)】
・久良濱神社(三宅島 坪田)
※未参拝 島民は「高山さん」は非常にこわい神様だとして恐れ足を踏み入れない
・二宮神社(三宅島 坪田)〈合祀〉
7番「カタスケ」(片菅命)を祀る神社
・片菅神社(三宅島 神着美茂井)
片菅神社の記事をご覧ください
・御笏神社 に合祀された境内神社の勝祖神社
御笏神社の記事をご覧ください
・若宮神社(三宅島 伊ヶ谷)后神社の境内社 もしくは 后神社の本殿に合祀
后神社(三宅島 伊ヶ谷)の記事をご覧ください
・若宮神社(三宅島 伊豆)后神社の境外社
若宮神社(三宅島 伊豆)の記事をご覧ください
・片菅神社(東伊豆町片瀬)
8番「ヒンスケ」(波夜志命)を祀る神社
・峯指神社(Hoshino kamino yashiro)御笏神社の本殿に合祀
・峯指神社(Hoshino kamino yashiro)旧鎮座地
・走湯神社(下田市大賀茂)