御釜神社(おかまじんじゃ)は 鹽竈神社の末社とされますが 一説には元宮とも言われています 御祭神は 鹽竈神社と同じ 塩土老翁神(しおつちのおぢのかみ)です 境内地は 往古「甫出の浜(ほでのはま)」と称された浜辺で 我が国で最初に塩を作った場所と伝わり 例年7月4~6日は「藻塩焼神事」が行われ 古代の製塩方法を今に伝えています 境内には 日本三奇の一つ「四口の神釜」があり「変事が起こる前には御釜を満たす水の色が変わる」と云われます
目次
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(shrine name)】
御釜神社(Okama Shrine)
(おかまじんじゃ)
[通称名(Common name)]
【鎮座地 (location) 】
宮城県塩竈市本町6-1
[地 図 (Google Map)]
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》塩土老翁神(shiotsuchi no oji no kami)
【御神格 (God's great power)】
【格 式 (Rules of dignity) 】
・鹽竈神社 境外末社 or 元宮
【創 建 (Beginning of history)】
御釜神社(鹽竈神社末社)
祭 神 鹽土老翁神
月次祭 毎月6日
特殊神事
藻 刈 7月4日
御水替 7月5日
藻塩焼例祭 7月6日
藤鞭社祭典 7月7日由 緒 塩釜市名発祥の地 日本製塩起源の地
恭しく顧みるに、神代の昔 武甕槌神・経津主神の二神 鹽土老翁神の教導によって東北経営の功を畢へられたが、鹽土老翁神はこの地に留まり給ふて人々に海草を焼き製塩の法を教へ給ふたので 其の神恩に感謝して 三神を斎き奉り 鹽竈神社を創祀するに至ったと云ふ。
当 御釜神社は鹽竈神社の末社に坐し、鹽土老翁神製塩の旧址で 境内の牛石、藤鞭社等何れもこれに有縁のものと伝へられ
例年7月4日藻刈、5日水替、6日藻塩焼、7日藤鞭社と古式床しい特殊神事を経て製せられた神塩を以て10日本社例祭の神饌を調進する慣例である。
蓋し塩釜の地名は 鹽土老翁神製塩の伝説に由来し、元禄2年5月8日芭蕉は御釜神社に詣、「未ノ尅、塩釜ニ着、(中略)出初ニ塩釜ノかまヲ見ル云々」とあり、神竃を拝し古来製塩の由来に思いを馳せ、鹽土老翁神の偉大さに賛仰のことばを惜しまなかったのである。(曽良旅日記より)
更に此処は 市名発祥の聖地で実に本邦製塩の濫をなす記念すべき所である。社務所
社頭の案内板より
【由 緒 (history)】
鹽竈神社の末社であり、鹽竈神社と同じ鹽土翁神を御祭神としてお祀りしております。
現在の御釜神社境内地周辺は、古来「甫出の浜」と呼ばれた浜辺で、御祭神により伝えられた製塩が行われた所と伝わっております。
芭蕉は塩竈に訪れた際、この御釜神社にも訪れ、神釜を拝したことが奥の細道に記されております。
塩竈の地名の由来は、こちらの御釜神社に伝わる神話によるものです。鹽竈神社公式HPより
【境内社 (Other deities within the precincts)】
・牛石藤鞭社(ushiishi fujimuchi sha)
《主》牛石藤鞭大神(ushiishifujimuchi no okami)
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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
現在の御釜神社境内地周辺は 往古「甫出の浜(hode no hama)」と称された浜辺
境内地は 神代にご祭神の塩土老翁神(shiotsuchi no oji no kami)によって伝えられた製塩が行われた所と伝わっていて 我が国で最初に塩を作った場所と云われています
四口の神釜は 御釜神社の御神体とされ 鹽土老翁神が人々に製塩を伝えた釜に模して鎌倉時代と南北朝時代に造られたとされる鉄製(円形)の4つの浅い釜で 日本三奇の一つとされています
四口の神釜
御釜神社には神釜と呼ばれる四口の鉄製の釜が祀られております。
この四口の釜は「日本三奇」の一つに数えられ、釜の中の水は溢れることも枯れることも無いとされ、江戸時代には変事ある時その前触れとして御釜の水が変わると言われました。神社公式HP
通常は扉が閉っていて 社務所で申し出る(有料100円)と 扉を開けて中を見せてもらえます 撮影は許可制です
この釜の水の変色について
生石神社(兵庫県高砂市)では 日本三奇と称しています
・生石神社の石の宝殿
・霧島神宮(鹿児島県霧島市)の天逆鉾
・御釜神社の神竈
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【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
藻塩焼神事(moshioyaki shinji)
例年7月4~6日 宮城県の無形民俗文化財でもある伝統の「藻塩焼神事」があり 古式ゆかしい塩作りが再現されています
「藻塩焼神事」は 3日間で一連の神事です
7月4日「藻刈り神事」七ケ浜沖で海藻のホンダワラを刈り取る
7月5日「水替え神事」塩釜港沖で汲んだ海水を御釜神社の4口の神釜に入替える
7月6日「藻塩焼き神事」御釜神社境内
「藻塩焼き」は 神職らが 石の竈(kamado)に組み込んだ鉄製平釜の上にホンダワラを敷いた竹棚を乗せて その上から海水を注ぎます
燧石(hikiri ishi)で点火した忌火で 釜の海水を煮詰めます 木製器具でゆっくりとかき回し 丁寧にあくを取りながら「藻塩(moshio)=荒塩(ara shio)」を作ります
約2時間程で 約20kgの「藻塩(moshio)」が出来て 御釜神社に奉納され 7月10日の鹽竈神社例祭にも供えられます 参列者にも縁起物として配られます
「藻塩焼き神事」に使用される石の竈(kamado)
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神社にお詣り(Pray at the shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
JR仙石線「本塩釜駅」から徒歩約8分程度
本町通り沿いに鳥居が建ちます
御釜神社(Okama Shrine)に到着
一礼して 鳥居をくぐります 鳥居の扁額には金文字で「御釜神社」とあります
参道の左手に手水鉢があり 清めます
すぐ隣に「四口の神釜」があります
石鳥居が建ち 奥に社殿が鎮座します
社殿にすすみます
賽銭をおさめ お祈りです
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
向かって左手横には「藻塩焼き神事」に使用される石の竈(kamado)
境内が左に延びていて 一番奥に境内社にお詣りします
・牛石藤鞭社(ushiishi fujimuchi sha)
《主》牛石藤鞭大神(ushiishifujimuchi no okami)
向かって左側から社殿を見ると
社務所に立ち寄り 境内を後にします
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神社の伝承(Old tales handed down to shrines)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
御釜神社の史跡と伝説について
御釜神社の史跡と伝説
御釜
御釜神社(おかまじんじゃ)には、御釜(おかま)とか神釜(しんかま)と呼ばれる四口(く)の鉄製の釜 が祀(まつ)られています。塩竈の地名はこの釜に由来するものとされています。
塩竈では古くから製塩が行われていました。近辺の貝塚遺跡からは、海水を煮詰めた土器の破片も数多く発見されています。土器製塩が鉄釜による製塩 へと変わるのは、一般的には平安時代とされています。鉄釜の使用によって、塩の生産は飛躍的に発展したことでしょう。
西暦一三〇〇年頃に描かれた塩竈津の風景画には、二基の釜が描かれており、この頃すでに塩焼きの釜が塩竈のシンボルになっていたらしいことが知られます。これら四口の鉄釜が、いつ頃のものかは不明ですが、江戸時代初期の塩竈の絵図にはすでにこれらが描かれております。御釜の伝説
四口の神釜には屋根がありませんが、ここに湛えられている水は、常に溢れることも涸れることもないとされ、江戸時代には、世に変事のある時、その前触れとして御釜の水の色が変わるといわれていました。また塩竈の地誌「奥鹽地名集(おうえんちめいしゅう)」には、釜はかつては七口あり、そのうち三口は盗賊に持ち去られたという伝説が記されています。それによると一口は、釜ヶ淵(かまがふち)(新浜町の東北区水産研究所の先の淵)の海底に沈み、別の一口は、野田の釜田(かまた)(塩竈陸橋下あたり)の田の中に埋まり、さらにもう一口は、黒川郡志戸田村の塩竈殿(しおがまでん)(富谷町(とみやまち)志戸田の行神社(ゆきじんじゃ))と称される所の池に沈んでいると記されています。これらの現地には、それぞれ今もなおそうした言い伝えが残されています。
藻塩焼神事
古代の製塩法を今に伝える「藻塩焼神事(もしおやきしんじ)」は、ここ御釜神社で毎年七月四日から六日にかけて行われています。まず初日(七月四日)は、花渕(はなぶち)沖(七ヶ浜町)で海藻のホンダワラを刈り取ります。これが藻刈(もがり)神事です。
二日目(七月五日)は、釜ヶ淵で満潮時の海水を汲み、木の樽に入れて担いで運び、これを御釜に注ぎ入れます。これが水替(みずがえ)神事です。
三日目(七月六日)は、竈に鉄釜をのせ、竹棚の上にホンダワラを広げ、海水を注ぎかけ、燧石(ひきりいし)で点火して釜の海水を煮詰め、荒塩(あらしお)を作ります。
古式に則ったその製塩法は、宮城県の無形民俗文化財に指定されています。藤鞭社と牛石
ここにある藤鞭社(ふじむちしゃ)と牛石(うしいし)について「奥鹽地名集」は、次のような伝説を伝えています。
昔、和賀佐彦(わがさひこ)という神様が七歳の子どもの姿となって、塩を載せた牛を曳(ひ)かれました。その牛が石になったとされるのが牛石です。そこの池の中には、今もなお牛の背を思わせる石が沈んでおり、一年に一度の水替え神事の際、その姿を見ることができます。またこの池の水は海と繋がっているとも言われています。また神様が立てかけ置いた藤の鞭に枝葉が茂り、藤の花が咲いたのをお祀りしたのが藤鞭社(藤鞭の祠(ほこら))といわれています。
藤鞭社と牛石。神釜とともに、塩造りとの深い関わりを今日に伝えています。NPOみなとしほがま
境内案内板より
御釜神社(Okama Shrine)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)