子安宮(こやすのみや)は 三宅島の神着 字 門ノ原に 通称「バンバ山」という小丘があり ここに母体を像どる石神の側に陰陽を表わす二個の石が祀られています 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載「夜須命神社(Yasu no Mikoto Shrine)」の旧鎮座地とも 遥拝所ともされています
目次
- 1 1.ご紹介(Introduction)
- 2 この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
- 3 【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
- 4 神社にお詣り(Pray at the shrine)
- 5 神社の伝承(Old tales handed down to shrines)
- 6 各々の神社の記事をご覧ください
- 7 伊豆国 式内社 92座(大5座・小87座)について に戻る
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
子安宮(Koyasu Shrine)
(こやすのみや)
[通称名(Common name)]
バンバ様
【鎮座地 (Location) 】
東京都三宅島 三宅村 神着
[地 図 (Google Map)]
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》木花開耶姫命(Konohanasakuyahime no mikoto)
or
《主》夜須命(Yasu no Mikoto)
【御神格 (God's great power)】
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』所載社〈参考論社〉
【創 建 (Beginning of history)】
昌泰元年(898)創建
文化文政の頃(1804年 - 1830年)に祠を建立
子安宮の由来
子安宮は全国各地に鎮座するが、三宅島の子安宮の御神体も母体を像どる石祭神であって側に陰陽を表わす二個の石が祭られている。三宅島の子安宮は 明治4年足柄縣庁に提出された 伊豆国府 三宅島神社調べに依れば、御神体 石祭神 不明と神社籍から除かれ爾後 同社は 禰宜 井上家に護持されて来た。
三宅島の子安宮 創建の時代は 文化文政の頃 井上治五左ヱ門が8名の子女の夭折を悲しみ、社祠を建立し、祭礼を行って 井上家の護持と村人の尊崇に依って護持されて来たものである。
子安宮の祭神は 木花開耶姫命が奉祭されている。
子安宮は安産、子育、子孫繁栄の神で 此の宮の俗名については、バンバ様とも呼ばれている。
三 宅 村
社頭の案内板より
【由 緒 (history)】
子安神社 祭神名 子安宮
三宅島史考(廣瀬進吾著、1987年) P256
神着字門ノ原に通称「バンバ山」という小丘がある。この中に「故易神社」という溶岩を神体とする小祠がある。「子楢山故易神社」・「小橋明神」などとも呼ばれ沢に架かる橋を小橋と呼ぶことが関係していると思われる。この神社は現在安産神「子安神社」になっている。
『図説 三宅島の神々を訪ねて』 島崎広光 著より
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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』(927年12月編纂)といって 平安時代中期に朝廷が作成した全50巻の律令格式の巻物の中でも重要視されている2巻です 内容は 今から約1100年前の全国の官社(式内社)一覧表で「2861社」の名称とそこに鎮座する神の数 天神地祇=「3132座」が所載されています
【延喜式神名帳】(engishiki jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊豆国 92座(大5座・小87座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)賀茂郡 46座(大4座・小44座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社名 ] 夜須命神社
[ふ り が な ](やすのみことの かみのやしろ)
[How to read ](Yasuno mikoto no kamino yashiro)
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【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』(927年12月編纂)所載社の論社について
各々の神社の記事をご覧ください
伊豆國(izu no kuni) 賀茂郡(kamo no kori)
夜須命神社(Yasuno mikoto no kamino yashiro)
・御嶽神社跡(三宅島 坪田)
-
御嶽神社 跡(三宅島 坪田)
御嶽神社 跡(みたけじんじゃあと)は 由緒(格式ある歴史)を持っ『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載されている「夜須命神社(やすのみことの かみのやしろ)」の元の鎮座地とされています 昭和29年(1954)に「二宮神社(にのみやじんじゃ)」に合祀されていて 現在は旧鎮座地となり 鳥居が残ります
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・二宮神社(三宅島 坪田)〈御嶽神社跡合祀〉
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二宮神社(三宅島 坪田)
二宮神社(にのみやじんじゃ)は 現在の鎮座地には 元は「管原神社」がありました 昭和29年(1954)に「二宮神社跡(伊波乃比咩命神社 旧鎮座地)」を合祀して神社名が「二宮神社」と改称され 同じく 昭和29年(1954)には 坪田集落周辺の「4つの式内社の論社」が合祀され 現在に到っています
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・嶽比良神社(三宅島 伊豆)※掟により入山禁止の為 未参拝
・子安神社(三宅島 神着)〈当社〉
-
子安宮(三宅島 神着)
子安宮(こやすのみや)は 三宅島の神着 字 門ノ原に 通称「バンバ山」という小丘があり ここに母体を像どる石神の側に陰陽を表わす二個の石が祀られています 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載「夜須命神社(Yasu no Mikoto Shrine)」の旧鎮座地とも 遥拝所ともされています
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神社にお詣り(Pray at the shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
神着の御笏神社から西へ170m 徒歩2分程度
三宅一周道路に面して 案内板と参道階段があります
子安宮(Koyasu Shrine)に参着
入り口階段の 右手には 玉石を積み上げた上に石塔が3つ
中央は「庚申塚」と刻まれています
階段の左手には 案内板があります
鳥居はありませんが 階段の下で 一礼をしてから 進みます
境内に入ると 真正面には大きな石碑が建っています
石碑には「日露戦役紀念碑」と刻まれています
階段の横には 2つの大きな石碑が 土台から倒れています
石碑の奥に参道が続いています
右手の上方に 社殿らしいものが見えてきます
右手上には コンクリートブロック製の 覆屋 or 祠 が建っていました
祠にすすみます
賽銭をおさめ お祈りです
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
参道を戻ります
階段を下りて 振り返り一礼をします
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神社の伝承(Old tales handed down to shrines)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『三宅記(miyakeki)』に記される伝承
三島大明神が 箱根の翁の娘3人を三宅島に迎え 后として3人を置きました
長女が 后神社(Kisaki Shrine)
《主》伊賀牟比賣命(Ikamuhime no mikoto)
次女が二宮神社(Ninomiya Shrine)
《主》伊波乃比咩命(Iwanohime no mikoto)
三女が御笏神社(Oshaku Shrine)
《主》佐伎多麻比咩命(Sakitamahime no mikoto)
とされています
この三女が御笏神社(Oshaku Shrine)のご祭神です
三宅島の三女〈三島大明神の第三の后神(佐岐多麻比咩命(sakitamahime no mikoto)〉は かまつけ(神着)という所に置かれ その腹から8人の王子が 一度にお産まれになったと記されています
3番目の王子が「ヤス」と呼ばれて
当社の御祭神「夜須命(Yasu no Mikoto)」とされています
意訳
三女〈三島大明神の第三の后神(佐岐多麻比咩命(sakitamahime no mikoto)〉は 三宅島の丑寅(うしとら)〈北東〉の方に置かれました
かまつけ(神着)という所です
その腹から8人の王子が 一度にお産まれになりました
1番は「ナコ」
(南子命)〈南子神社or后神社境内社〉
2番は「カネ」
(加彌命)〈カミイノ宮〉
3番は「ヤス」
(夜須命)〈御嶽神社〉
4番は「テイ」
(氐良命)〈神澤神社or湯船神社〉
5番は「イタヒ」
(志理太宜命)〈椎取神社or志理太乎宜神社(片瀬白田)〉
6番は「クライ」
(久良惠命)〈久良浜神社【出張(でばり)】〉
7番は「カタスケ」
(片菅命)〈片菅神社or若宮神社or片菅神社(片瀬白田)〉
8番は「ヒンスケ」
(波夜志命)〈峯指神社or走湯神社(下田市大賀茂)〉
と申します又「ななはしら」と言うところでお育てになられました
ところどころに宮々を置かれました
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ 『三宅記』鎌倉時代末期 [書誌事項]写本 ,明治04年[旧蔵者]教部省
子安宮(Koyasu Shrine)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
各々の神社の記事をご覧ください
母神 三島大明神の第三の后神
(佐岐多麻比咩命(sakitamahime no mikoto)を祀る神社
・御笏神社(Oshaku Shrine)
・祖師堂(Soshido)御笏神社の旧鎮座地
・椎取神社(三宅島神着)〈古社地〉
・両神社(下田市須崎)
・波夜多麻和氣神社(下田市相玉)
1番「ナコ」(南子命)を祀る神社
・南子神社(三宅島 神着)
・御笏神社(Oshaku Shrine)に合祀 三ノ朔幣神社(南子神社の遥拝所)
御笏神社の記事をご覧ください
・三ノ朔幣神社(san no sakuheino Shrine)旧鎮座地(三宅島 神着)
三ノ朔幣神社 旧鎮座地の記事をご覧ください
・后神社(Kisaki Shrine)境内社の南子神社
后神社(境内社の南子神社)の記事をご覧ください
・南子神社(下田市 神子元島)
※式内社調査報告には記されていますが 現在 神子元島には神社や祠は見あたりません
波風が強く 何度も消失したとも伝わります
2番「カネ」(加彌命)を祀る神社
・カミイノ宮 御笏神社の本殿に合祀
・カミイノ宮 旧鎮座地(三宅島 神着 首山)※原生林の奥の為 未参拝です
・二宮神社【旧地】山ノ神(三宅島 神着 東郷)〈当社〉
・二宮神社(三宅島 坪田)(合祀先)〈論社〉
3番「ヤス」(夜須命)を祀る神社
・御嶽神社跡(三宅島 坪田)〈当社〉
・二宮神社(三宅島 坪田)〈合祀〉
・嶽比良神社(三宅島 伊豆) ※掟により入山禁止の為 未参拝
・子安宮(三宅島 神着)
4番「テイ」(氐良命)を祀る神社
・神澤神社(三宅島 伊豆)
・湯船神社(三宅島 神着)〈論社〉
湯船神社の記事をご覧ください
・八王子社(下田市中)
八王子社の記事をご覧ください
5番「イタヒ」(志理太宜命)を祀る神社
・椎取神社(三宅島神着)
・志理太乎宜神社(片瀬白田)
6番「クライ」(久良惠命)を祀る神社
・久良濱神社【出張(でばり)】
・久良濱神社(三宅島 坪田)
※未参拝 島民は「高山さん」は非常にこわい神様だとして恐れ足を踏み入れない
・二宮神社(三宅島 坪田)〈合祀〉
7番「カタスケ」(片菅命)を祀る神社
・片菅神社(三宅島 神着美茂井)
片菅神社の記事をご覧ください
・御笏神社 に合祀された境内神社の勝祖神社
御笏神社の記事をご覧ください
・若宮神社(三宅島 伊ヶ谷)后神社の境内社 もしくは 后神社の本殿に合祀
后神社(三宅島 伊ヶ谷)の記事をご覧ください
・若宮神社(三宅島 伊豆)后神社の境外社
若宮神社(三宅島 伊豆)の記事をご覧ください
・片菅神社(東伊豆町片瀬)
8番「ヒンスケ」(波夜志命)を祀る神社
・峯指神社(Hoshino kamino yashiro)御笏神社の本殿に合祀
・峯指神社(Hoshino kamino yashiro)旧鎮座地
・走湯神社(下田市大賀茂)