鹿島神社(いわき市常磐上矢田町)

鹿嶋神社(かしまじんじゃ)は 神護景雲二年(七六八年)創建と伝わり 古より鬼人が出没し 人畜に被害を及ぼし 庶民は大いに苦しんでいた時 武甕槌命が天より現れ 鏑矢で悪鬼を退治し 国家安泰となり 以来 鹿島明神として この山上に鎮座と伝わる 延喜式神名帳927 AD.所載 磐城郡 鹿嶋神社(かしまの かみのやしろ)とされます

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目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

鹿嶋神社(Kashima shrine)

 [通称名(Common name)]

【鎮座地 (Location) 

福島県いわき市常磐上矢田町花木下34

 [  (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》武甕槌(たけみかづちのみこと)

【御神格 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity)

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

延喜式(えんぎしきない) 鹿島神社

奈良時代・神護景雲(じんごけいうん)二年(七六八年)創建。

祭神は武甕槌(たけみかづちのみこと)。

 古(いにしえ)より各所に鬼人(きじん)が出没し、人畜に被害を及ぼし、庶民は大いに苦しんでいました。そうした時、武甕槌命が天より現れ鏑矢(かぶらや)で悪鬼(あっき)を退治し、その後、国家安泰となりました。爾来(じらい)、武甕槌命霊鹿島明神として、この山上に祭神として鎮座されています。

 武甕槌命は武勇のとして尊崇(そんすう)され、平安時代初期、坂上田村麻呂(さかのうえたむらまろ)将軍が東征(とうせい)を命じられた際には、当社に立ち寄り、武運長久(ぶうんちょうきゅう)を祈願し、矢の根(やじり)四本を献上され、現在も宝物として納められていると伝えられています。

 拝殿入口に掲げられた、御神号「鹿島大明神」は、元禄十年(一六九八年)、平城主 内藤義孝公が記し、寄進したものとされています。

 当社は延喜式神名帳(えんきしきしんみょうちょう)(平安時代に編纂)に掲載された磐城七座(しちざ)の一つで、由緒と格式ある神社です。

現地案内板より

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【由  (History)】

鹿嶋神社 かしまじんじゃ

延喜式内磐城七社の一つ

延喜式内磐城七社の一つ。鹿島神宮の分社で祭神は武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)。
日本神話の「国譲り」に登場する神で、出雲の建御名方命(たけみなかたのみこと=諏訪大社の祭神)を下したことから、古来、武神として信仰される。磐城でも古代より信仰され、「日本三代実録」によると菊多郡に一社、磐城郡に十一社の分社が認められます。
本社はそのなかから「只其一社のみ」磐城七社に加えられています。
見事なまでにまっすぐと立つ本殿脇の杉は、昭和58年12月14日に市指定保存樹木に指定されています。

●延喜式内磐城七社
●スギ (市指定保存樹木NO.86 昭和58年12月14日)
< 樹高 31.6m、幹周 3.5m>
【御朱印】有(立鉾鹿島神社にて授与)

いわき観光サイトHPより抜粋
https://kankou-iwaki.or.jp/spot/51225

【境内社 (Other deities within the precincts)】

〈参拝時は祠倒壊 手水鉢・石碑あり〉

八坂神社《主》素盞嗚命
御塚権現《主》祭神不詳

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大山祇神社《主》大山祇大神

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【境外社 (Related shrines outside the precincts)】

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
(Engishiki JimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東山道 382座…大42(うち預月次新嘗5)・小340

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)陸奥国 100座(大15座・小85座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)磐城郡 7座(並小)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 鹿神社
[ふ り が な ]かしまの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Kashima no kamino yashiro)

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

香取・鹿島の御子神(みこがみ)苗裔神(びょうえいしん)〉について

古代の日本は 尾張より東は東国で蝦夷の住む処でした 東へ拡大する大和朝廷の歴史は 東国の蝦夷との軋轢の歴史でもあります
関東地方まで勢力を伸ばした大和朝廷は 奈良時代頃~平安初期頃までには 奥州の制圧を目指し 蝦夷(えみし)征伐や移民政策を推し進め 古代日本の中央集権体制を目指しました

このことから東北地方平定には軍神」として 御神威のある香取・鹿島の神を奉じて 蝦夷征討軍が派遣されました

香取・鹿島の地は 東国〈関東〉の水上交通の拠点とされ 霞ヶ浦〈鹿島・香取の海〉から奥州〈東北地方〉開拓へ 太平洋海上を北へと遡っていったもの考えられています

こうして 香取神宮・鹿島神宮の苗裔神(びょうえいしん)御子神(みこがみ)〉が 奥州開拓の拠点として 太平洋沿岸地域および阿武隈川・旧北上川などの大河川の流域各地に祀られていきました

平安時代中期の延喜式神名帳927 AD.記載 奥州〈東北地方〉の 香取神宮・鹿島神宮の分祀と考えられる神社

大和国の東の涯(はて)に鎮座した香取・鹿島の2神宮は 古来より大和王権との繋がりが深く 平安時代中期の延喜式神名帳927 AD.には 伊勢・香取・鹿島の3神のみが“神宮”と記載されるほどの高い威を誇りました

その御神威を背景として 奥州〈東北地方制圧が行なわれていったのでしょう 香取神宮・鹿島神宮の分祀苗裔神を祀るこれらの分社 蝦夷征討軍によって分祀されたものと考えられています

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『延喜式神名帳927 AD.』所載 陸奥国香取苗裔神式内社2社の論社

〈本宮〉 香取神宮(名神大 月次 新嘗)(かとりの かむのみや) 

・香取神宮(香取市)下総国一之宮 

 

牡鹿郡(をしかの こおり)香取伊豆乃御子神社(かとりいつのみこ かみのやしろ)

・香取伊豆乃御子神社(石巻市折浜竹沢)

・和渕神社(石巻市和渕町)

栗原郡(くりはらの こおり)香取御兒神社(かとりみこ かみのやしろ)

・香取御児神社〈旧鎮座地〉(栗原市築館久伝)

・香取御児神社〈鹿島神社に合祀〉(栗原市築館黒瀬後畑)

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『延喜式神名帳927 AD.』所載 陸奥国鹿島苗裔神式内社8の論社

〈本宮〉 鹿島神宮(名神大 月次 新嘗)(かしまの かむのみや) 

・鹿島神宮(鹿嶋市)常陸国一之宮 

黒川郡 鹿島天足別神社(貞)(かしまあまたりわけの かみのやしろ)

・鹿島天足別神社(富谷市大亀)

曰理郡 鹿嶋伊都乃比氣神社(かしまいつのひけの かみのやしろ)

・鹿島緒名太神社(亘理町逢隈小山) 

・鹿島天足和気神社(亘理町逢隈鹿島) 

・月山神社(亘理町吉田作田)
〈亘理町吉田字作田に鎮座の鹿島社を合祀〉

曰理郡 鹿嶋緒名太神社(かしまをなたの かみのやしろ)

・鹿島緒名太神社(亘理町逢隈小山) 

・鹿島天足和気神社(亘理町逢隈鹿島) 

曰理郡 鹿嶋天足和氣神社(かしまあまたりわけの かみのやしろ)

・鹿島天足和気神社(亘理町逢隈鹿島) 

・八雲神社(亘理町)
〈鹿島天足和気神社の旧鎮座地三門山に祀られていた石祠が境内に祀られている〉 

信夫郡 鹿嶋神社(かしまの かみのやしろ)

・鹿島神社(福島市鳥谷野宮畑) 

・鹿島神社(福島市小田鹿島山) 

・鹿島神社(福島市岡島竹ノ内) 

・鹿島神社(伊達郡国見町藤田町尻二)

磐城郡 鹿嶋神社(かしまの かみのやしろ)

・鹿島神社(いわき市常磐上矢田町)

牡鹿郡 鹿嶋御神社(かしまのみこの かみのやしろ)

・鹿島御児神社(石巻市日和が丘)

行方郡 鹿嶋御子神社(かしまみこの かみのやしろ)

・鹿島御子神社(南相馬市鹿島区鹿島町) 

一緒に読む
鹿島御子神社(南相馬市鹿島区鹿島町)

鹿島御子神社(かしまみこじんじゃ)は 鹿島神宮(茨城県鹿嶋市)祭神 武甕槌命の御子神 天足別命(あめのたらしわけのみこと)を祀ります 奥州の地を統御する為 この地で〈鹿島の稚児沼に仮宮された時〉賊徒が ...

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・鹿島御子神社旧蹟碑(南相馬市鹿島区鹿島町)

『悪路王考』伊能嘉矩 著 · 1922国立研究開発法人 科学技術振興機構〉に 記される 苗裔神(びょうえいしん)について

悪路王(あくろおう) 鎌倉時代に記された東国社会の伝承に登場する陸奥国の〈実在とも伝説上とも〉人物とされます
別名として 悪来王 悪毒王 阿久留王などとも記されています

鎌倉時代以降の 鹿島神宮や鎌倉幕府など東国社会の文献に 名前が登場し『鹿島神宮文書』では「悪来王」が藤原頼経によって討たれたと記され
『吾妻鏡』では「悪路王」は蝦夷(えみし)の賊首で 赤頭とともに坂上田村麻呂と藤原利仁によって征伐されたと記されます

文中に「常陸の鹿島郡 鹿島大神の威霊を発顕する一なる祭頭祭の故實と 下総香取大神と並び 苗裔の諸多く奥州に祀らるる〈38社〉」と 三代実録 貞観八年正月の条を紹介し 現在〈1922〉は その陸奥三十八社の神名 所在 悉く明らかならず と記されています

【抜粋意訳】

常陸の鹿島郡に鎮まります鹿島大神の威霊を発顕する一なる祭頭祭の故實なりとす。言ふを要せず、神代の時 荒振神たちをことむけたまひし 縁由ある鹿島大神は中古 征夷の陸奥に邁進せらるるに伴ひて 其の神威を此方面に被及し 其の同功 一體の徳を伝ふる
下総香取大神と並び、苗裔の諸多く奥州に祀らるるに至り「貞観八年正月 鹿島神宮宮司の奏詞に大神苗裔の神 陸奥に在る者三十八社 弘仁以来幣を奉らざるを以て神崇大に著はる」との事、三代実録に見ゆ。
(所謂 陸奥三十八社の神名 所在 悉く明らかならず。延喜式神名帳に見ゆる 黒川郡 鹿島天足別(カシマアマタラシワケノ)神社・亘理郡 鹿島伊都乃比氣(カシマイツノヒケノ)神社・同郡 鹿島緒名太(カシマヲナタノ)神社・同郡 鹿島天足和氣(カシマアマタラシワケノ)神社・信夫郡 鹿島神社・磐城郡 鹿島神社・牡鹿郡 鹿島御兒(カシマミコノ)神社・行方郡 鹿島御子(カシマミコノ)神社は正さしく其の一部なるべく
又 香取大神の苗裔と認むべきは 牡鹿郡 香取伊豆乃御子(カトリイツノミコノ)神社・栗原郡 香取御兒(カトリミコノ)神社とす

祭頭祭に就きて新編常陸國志補に曰く・・・・・・・・

【原文参照】

『悪路王考』伊能嘉矩 著 · 1922国立研究開発法人 科学技術振興機構〉より

神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

JR常磐線 いわきから 県道26号を南下約5.8km 車15分程度

県道26号沿いに鳥居が建ちます

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道路沿いに建つのは 社務所か集会場だと思います

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鳥居の横に立つ社号標には 鹿嶋神社

鹿嶋神社(いわき市常磐上矢田町)に参着

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鳥居のすぐ脇には「鹿島小学校発祥の地」の石碑があります

明治維新 神仏分離別当 神宮寺が廃寺となった建物を利用した 成徳小学校〈鹿島小学校の前身〉が この地あったとのこと

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一礼をして鳥居をくぐります

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すぐに コンクリート台座上に古い狛犬が構えます 

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狛犬の間 石段参道を上がります

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上ると突き当りは踊り場になっていて 手水舎があり 石段は90度折れて 上の境内へと続いています

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境内は広く 手前に神楽殿が建てられています

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神楽殿の格子天井板には 家紋だろうか? 名前と紋があるので 御寄進された氏子名とその家紋なのだろうか 始めて見るものなのでわかりませんが そうだとしたら 中々粋な計らいだと感じます

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神楽殿の脇には 敬神崇祖 と刻された石碑

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神楽殿を振り返ると ちょうど 神楽を舞う姿を眺めながら 参拝に来たであろう里人の姿を想像します

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神楽殿から先は コンクリートの細い参道が社殿迄続いています

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この参道の脇には 杉の大木聳えています

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拝殿にすすみます
拝殿は南を向いていて その天井には 日の丸日章旗が描かれ 扁額には 鹿嶋神社記されています

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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拝殿の奥には 幣殿と 本殿の覆屋が建てられています

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境内社は 参拝時は祠が倒壊していました 現在は建て直されています

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社殿に一礼をして 参道を戻ります

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神楽殿の脇を抜けて 石段を下ります

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鳥居を抜けて 振り返り一礼をします

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神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神名帳考証土代(Jimmyocho kosho dodai)』〈文化10年(1813年)成稿〉に記される伝承

式内社 磐城郡 鹿嶋神社について 所在は上矢田村〈現 鹿嶋神社(いわき市常磐上矢田町)〉として 三代実録に記される 常陸鹿島大神の苗裔神 磐城十一社のなり と記しています

【抜粋意訳】

鹿島(カシマノ)神社

磐名 在 城南一里廿四丁 上矢田村 祭神
三代実録 所載 常陸鹿島大神 之 苗裔神 磐城十一社之一也 其余 鹿島小社難在 諸村今而難辨弥矣

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブ『神名帳考証土代』(文化10年(1813年)成稿)選者:伴信友/補訂者:黒川春村 写本 [旧蔵者]元老院https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000039328&ID=M2018051416303534854&TYPE=&NO=画像利用

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 磐城郡 鹿嶋神社について 所在は上矢田村〈現 鹿嶋神社(いわき市常磐上矢田町)〉として 三代実録に記される 常陸鹿島大神の苗裔神 磐城十一社のなり と記しています

【抜粋意訳】

鹿嶋神社

鹿嶋は 加志麻と訓べし
〇祭神 武甕槌
矢田村に在す 磐城名勝畧記 参拝
 例祭 九月十日

磐城名勝畧記に云 三代実録所載 常陸鹿島大神 之 苗裔神 磐城十一社之一也 其余 鹿島小社難在 諸村今而難辨弥矣

【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 磐城郡 鹿嶋神社について 所在は上矢田村〈現 鹿嶋神社(いわき市常磐上矢田町)〉と記しています

【抜粋意訳】

鹿島神社

祭神 武甕槌

祭日 四月八日 九月九日
社格 郷社
所在 上矢田村 字イハサク
   〇今属 磐城國磐前郡(石城郡鹿島村大字上矢田)

【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155

『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)〈明治45年(1912)〉』に記される伝承

【抜粋意訳】

福島縣 磐城國 石城郡 鹿島村大字上矢田

郷社 鹿島(カシマノ)神社

祭神 武甕槌(タケミカヅチノ)命

創建年代詳ならず、相傳ふ、往古 神護景雲の頃、奥州諸處に鬼人現はれ人畜を悩まし庶民大いに苦む、武甕槌鬼人退治ため当所出現せられしに、偶鏑矢 天降りしに由り、命 其の矢を象りて遂に悪鬼を退治し国土安穏に帰す、仍て武甕槌命の尊霊を鹿島明神と現はして鎮祭すと、
即ち三代実録に鹿島大神の苗裔神祀る云ふもの是なり、
磐城名勝畧記に、三代実録所載 常陸鹿島大神 之 苗裔神 磐城十一社之一也 其余 鹿島小社難在 諸村今而難辨弥矣」とあるに拘はらず、
神名帳考証 並 神社覈録には、共に磐城郡七座の一として本社を存するのみ、
社記によれば、「其の後 延暦年中 田村将軍 東征の砌、怨敵退散武運長久を祈り、御供田として矢田二ヶ村 今上下 を寄進し、小田河内記に命じ、神事祭禮を謹めしむ、
降って天慶元年 屋根を葺替へ、寛平二年社殿を改築し、・・・・・・
本社は由緒正しき式社なれども、中世仏教の盛なるに及び、別当神宮寺をして都て神事を掌らしめしが、明治維新と共に全く之と分離す、明治二年官社となり、同九年十一月二十三ヶ村の郷社に列せらる。
・・・・

境内社 八坂神社

【原文参照】

国立国会図書館デジタルコレクション『明治神社誌料』明治45年(1912)著者 明治神社誌料編纂所 編https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1088244映像利用

国立国会図書館デジタルコレクション『明治神社誌料』明治45年(1912)著者 明治神社誌料編纂所 編https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1088244映像利用

鹿嶋神社(いわき市常磐上矢田町)に (hai)」(90度のお辞儀)

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陸奥国 式内社 100座(大15座・小85座)について に戻る

・香取・鹿島の苗裔神(びょうえいしん)について

 

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行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

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對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています

-延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)
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