神部神社(甲州市塩山上萩原)〈『延喜式』神部神社〉

神部神社(かんべじんじゃ)は 貞観二年(860)の創建とされ 古くから岩間を湯山に作る霊泉があり 温泉湧出の霊験から岩間明神とも湯山明神とも称されたと伝わります 延喜式内社 甲斐國 山梨郡 神部神社(かむへの かみのやしろ)の論社です 往古は 当地は 神戸神社鎮座により神戸荘と云われたそうです

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目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

神部神社(Kanbe shrine

通称名(Common name)

岩間大明神(いわまだいみょうじん)

【鎮座地 (Location) 

山梨県甲州市塩山上萩原1415

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》神直日神(かむなおひのかみ)
   大直日神(おなおびのかみ)
   八十枉津日神(やそまがつひのかみ)

   表津少童命(うわつわたつみのみこと)
   中津少童命(なかつわたつみのみこと)
   底津少童命(そこつわたつみのみこと)

   表筒男命(うわつつののみこと)
   中筒男命(なかつつののみこと)
   底筒男命(そこつつののみこと)

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

神部神社

塩山市上萩原 麦行田(むぎおおた)

 祭神は伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が黄泉の国から戻って 禊祓(みそぎはらい)をした時 化生した「祓戸ノ九神」を祀る。
古くから温泉湧出の霊験があったので岩間明神とも湯山明神とも称された。
貞観二年(八六〇)の草創と伝える延喜式内社に数えられ、往古は 当地は神戸神社鎮座により神戸荘といわれた。
祭礼は三月三十日、本殿は寛永二十一年(一六四四)に建立、江戸初期の特徴をよく示す。
昭和四十八年に改体修理をおこなった。
随神門は棟札の示すごとく元亀二年(一五七一年)室町後期のものである。
また当社には神仏混淆期に山宮に安置されていた本地仏の十一面観音菩薩が祀られており、明治維新の神仏分離令の影響もなく今日に伝わっている貴重な文化財である。

山梨県指定文化財

 神部神社本殿 昭和五十八年三月十日指定
  附金銅十一面観音菩薩像一躯、棟札三枚

 神部神社随身門 平成八年二月十九日指定
  附棟札三枚

平成十四年二月 塩山市教育委員会

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【由  (History)】

由緒沿革:

 当社は延喜式所載の古社なり。
一に岩間大明神と称す。永禄四年の番帳元亀二年の棟札には、岩間を湯山に作る霊泉あればなり。又此れより東の山腹に矢立石、天狗祠等あり。古岩間の山宮なりと云ふ。

昭和二十四年、本殿並随神門二宇、棟札四枚重要美術品として文部省より指定。
昭和四十八年、本殿解体復元工事竣工。
昭和五十八年、本殿、付金銅十一面観音坐像一躯、棟札二枚山梨県有形文化財に指定。
平成二十四年随神門解体復元工事竣工、
平成八年二月十九日随神門、付棟札三枚、県有形文化財指定。

山梨県神社庁HPより
https://www.yamanashi-jinjacho.or.jp/intro/search/detail/2025

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神社の境内 (Precincts of the shrine)】

神部神社 本殿

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神部神社 拝殿

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・〈拝殿の額〉山梨百名山(標高順)

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・参道石段

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・隋神門

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・白山姫大神

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・社務所

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・社頭

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神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称

〇『延喜式(えんぎしき)』
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)

〇『風土記(ふどき)』
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本

『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)甲斐國 20座(大1座・小19座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)山梨郡 9座(並小)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 神部神社
[ふ り が な ]かむへの かみのやしろ
[Old Shrine name]Kamuhe no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

『延喜式』に所載されている神部神社(かむへの かみのやしろ)について

 『延喜式』には 駿河國に一か所 甲斐國二ヶ所が 所載されています

延喜式内社 駿河國 安倍郡 神部神社(かむへの かみのやしろ)の論社

・静岡浅間神社(静岡市)

延喜式内社 甲斐國 山梨郡 神部神社(かむへの かみのやしろ)の論社

・神部神社(甲州市塩山)

・神部神社(山梨市上神内川)

・賀茂春日神社(笛吹市春日居町)

・神明神社(笛吹市石和町窪中島)

延喜式内社 甲斐國 巨麻郡 神部神社(かむへの かみのやしろ)の論社

・〈旧 三輪神社の山宮〉八幡神社(南アルプス市上宮地)

・〈旧 三輪神社の里宮〉神部神社(南アルプス市下宮地)

・白山神社(明野町上神取)

・神部神社(須玉町小尾)

・熱那神社(北杜市高根町)

・南宮大神社(韮崎市大草町)

・神部社(南アルプス市寺部)

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【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

JR中央本線 塩山駅から北東方向へ県道201号経由で約5.7km 車で12分程度

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社頭には社号標が建ち゛延喜式内 神部神社゛と刻字されています
参道には社務所の隣に゛岩間温泉゛の看板があり
神社の案内にも゛古くから温泉湧出の霊験があったので岩間明神とも湯山明神とも称された゛と記されています

神部神社(甲州市塩山上萩原に参着

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社号標の横には 二枚の立札

建造物

 神部神社本殿棟札二枚
 神部神社随身門並びに棟札二枚
昭和四十八年二十七日指定 塩山市教育委員会

彫刻

 金銅十一面観音菩薩

昭和四十九年八月十日指定 塩山市教育委員会
現地立札より

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狛犬が構えた先 左手に手水舎があり清めます

神仏習合の名残だろうか山門のような隋神門が正面に構えています

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岩間を湯山に作る霊泉あれば 岩間大明神と称した とあるように隋神門の扁額には゛正一位 岩間大明神゛と記されています

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隋神門をくぐり抜けると 石段の参道となっています

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参道石段の途中は踊場の境内となっていて もう一回 石段を上がると社殿があります

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拝殿にすすみます
拝殿には奉献の額〈和歌の額・山梨百名山の額〉が掲げられています

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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拝殿の奥には 透塀に囲まれて本殿が鎮座します

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社殿に一礼をして参道石段を下ります

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 神部神社について 祭神 在所等は不明と記されています

又『甲斐名勝志』に゛加茂村加茂明神、祭神 別雷神也、相殿春日明神を祀れり゛〈現 賀茂春日神社(笛吹市春日居町)〉との説
萩原郷神戸村 岩間明神、祭神九座、゛〈現 神部神社(甲州市塩山)〉との説
゛『甲斐叢記云、神部山は玉井郷にあり、都留郡の界なり〈現 神部神社(甲州市塩山)を挙げています

【抜粋意訳】

神部神社

神部は加牟倍と読り

○祭神 在所等詳ならず

○当國 巨摩郡 神部神社あり

 甲斐名勝志云、加茂村加茂明神、祭神 別雷神也、相殿春日明神を祀れり、云々、延喜式所載 神部神社なり、
又云、萩原郷神戸村 岩間明神、祭神九座、云々、相伝 延喜式所載 神部神社也、
神戸  ガウトと唱ふ、前に云 加茂神社も神部の説あれば、何れか是なる事を考分ちがたし、』
甲斐叢記云、神部山は玉井郷にあり、都留郡の界なりといへり、

類社
 駿河國 安倍郡 神部神社の條見合すべし

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 神部神社について 所在は゛今 上荻原村にあり、岩間明神と云、゛〈現 神部神社(甲州市塩山)〉と記しています

【抜粋意訳】

神部(カンベノ)神社

今 上荻原村にあり、岩間明神と云、〔甲斐名勝志、甲斐國志、山梨縣取調書〕〔〇按 社の東方に神戸山あり、岩間奥御殿と云しとぞ

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第12−14巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815496

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 神部神社について 所在は゛上萩原村〔字麦行田〕(東山梨郡神金村大事萩原)゛〈現 神部神社(甲州市塩山)〉と記しています

又 別の説として
゛一説 加茂村加茂明神を木社なりと云ひ゛〈現 賀茂春日神社(笛吹市春日居町)
上神内川村山王社なり〈現 神部神社(山梨市上神内川)〉を挙げています

【抜粋意訳】

神部神社 稱 岩間明神

祭神
 今按 社傳 祭神 神直日神 八十柱津日神に三柱筒男神 三柱少童神とあれど こは何れも後人の附會と聞ゆれば信がたし

祭日 三月二十九日
社格 村社

所在 上萩原村〔字麦行田〕(東山梨郡神金村大事萩原)

 今按 一説 加茂村加茂明神を木社なりと云ひ 又 上神内川村山王社なりと云へど 神部と云ふ證なし 唯 萩原村なるは往古 上中下萩原郷を神部庄と號すと云ひ 又 神戸神田等の地名あり 又 當社の東方に神部山と云ありと云ふもの證とするに足れり 故今定めて記しつ

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

神部神社(甲州市塩山上萩原 (hai)」(90度のお辞儀)

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