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千栗八幡宮(みやき町)
千栗八幡宮(ちりくはちまんぐう)は 1200年以上前から続くとても不思議な祭り「お粥だめし」(日本三大粥(かゆ)祭)が毎年3月15日にあり その年の吉凶を占います 大きな鍋でおかゆを炊いて 銅製の鉢に盛り 肥前・肥後・筑前・筑後の4カ国に国分けをするように 東西南北を定めて箸を十文字に渡します 2月26日に本殿に納め3月15日そのおかゆの表面のカビの生え具合によって 4カ国の天候や農作物のでき具合・台風・洪水・干ばつ・地震・火災などを占います
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筥崎宮(福岡市東区箱崎)
筥崎宮(はこざきぐう)は 筑前国一之宮で『延喜式神名帳』所載の名神大社であり 別称を「筥崎八幡宮(hakozaki hachimangu)」とも呼ばれます 宇佐神宮(大分県宇佐市)・石清水八幡宮(京都府八幡市)の2社に鶴岡八幡宮(神奈川県鎌倉市)or筥崎八幡宮(当社)のいずれかを合わせて三大八幡宮とも呼ばれます
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「宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)」(九州 五所別宮(kyushu gosho betsugu)について
宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います
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「宇佐八幡(Usahachiman) 行幸会(gyokoe)」について
行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています
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宇佐神宮 境内外社(摂社・末社)&関連社について
全国4万社余りの八幡社の総本宮 宇佐神宮(usa jingu)の 境内外社(摂社・末社)&関連社についてご紹介します
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宇佐神宮(宇佐市南宇佐)
宇佐神宮(うさじんぐう)は 全国4万社余りの八幡社の総本宮です 豊前国一之宮でもあります 神亀2年(725)創建以来 皇室から「伊勢神宮」につぐ「第二の宗廟(sobyo)」としての崇敬を受けています 信仰の地となってから約1300年 境内に足を踏み入れれば 日本の息吹が伝わります
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度津神社(佐渡市)
度津神社(わたつじんじゃ)は 御祭神に 五十猛命を祀り 陸上海上の守護神として 島民から篤く信仰されています 佐渡国の一之宮と格式高い神社です ただし 1470年に大洪水があり 社地や由緒や縁起など古文書等が悉く流失したため 現在地に遷座したと伝わり その為 創立年月 その他詳かではありません
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玉祖神社(周防国一之宮)
玉祖神社(たまのおやじんじゃ)は 『延喜式神名帳』に「玉祖神社二座」と所載されています 三種の神器の一つ 八坂瓊曲玉(yasakanino magatama)を造られた「玉祖命(tamanoya no mikoto)」が御祭神 他一座は不詳です また 社伝では『日本神話』でも有名な「天照大神の天の岩戸隠」の時に 集めて鳴かせた「常世 長鳴鶏」を 玉祖命が この地に この鶏をつれて留まられたとして「黒柏 発祥の地」としています 黒柏は 天然記念物に指定されて境内で飼育されています
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三嶋大社(三島市)
三嶋大社(みしまたいしゃ)は 古くから伊豆諸島の噴火・造島活動を司る神として 朝廷の尊崇を受けていました もともとは伊豆国賀茂郡にあり 平安中期以降に現在の場所に移ったと考えられています 平安末期には源頼朝が 源氏の再興を願い参詣祈願し 治承4年(1180)旗挙げを果たして武家政権を樹立したことから 鎌倉時代を通じて幕府崇敬の神社となりました 現在でも 伊豆国一之宮として 伊豆半島の信仰の中心となっています
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一之宮 貫前神社(富岡市一ノ宮)
一之宮 貫前神社(いちのみや ぬきさきじんじゃ)は 菖蒲(綾女・あやめ)谷といわれる渓間に南面して鎮座しますが ご参拝には 一度 南の参道をのぼって大鳥居をくぐります 平坦な参道が弧を描くように総門に至ります するとそこからは 急な下りの石段となっていて 真下に社殿が建っています 上って 平らになって 今度は下りになる 全国でも珍しい「下り参道」でお詣りする神社です 古くからの由緒格式を持つ 上野国一之宮として崇敬を集めています
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粟鹿神社(但馬国一之宮)
粟鹿神社(あわがじんじゃ)は 社伝によれば 粟鹿の名の由来として 鹿が粟をくわえて 粟鹿山から現れて 人々に農耕を教えたと伝えます その鹿が祀られているとも伝わる但馬国随一の古社です 2000年以上の歴史とも云われます
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都農神社(日向国一之宮)
都農神社(つのじんじゃ)は 初代天皇「神武天皇」が 宮崎の宮を発して 東征に向かう際〈即位の6年前〉に 此の地に立ち寄り 国土平安、海上平穏、武運長久を祈念し 御祭神を鎮祭したことに始まると伝わります 日向国一之宮として 格式高く 由緒ある神社です
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小野神社(府中市住吉町)
小野神社(おのじんじゃ)は 社伝によれば 第3代天皇「安寧天皇」18年の創建とされていますので 2000余年の由緒を持つ古社となります 御祭神「天下春命(ameno shitaharu no mikoto)」は 思金神の御子神で武蔵秩父国造の先祖とされています 境内にある「小野宮廟碑」に詳しく語られています 古くは武蔵国一之宮とされています
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駒形神社 里宮(陸中国一之宮)
駒形神社 里宮(こまがたじんじゃ さとみや)は 江戸時代(1603年 ~1700年頃)に仙台藩側から駒ヶ岳山頂の奥宮に向かう参拝路口にあたる「金ヶ崎の里宮」になります 明治4年(1871)に 山頂の「奥宮」が 国幣小社に列する際に 奥宮・里宮とも参拝時の交通が不便であるので 当時の水沢県県庁に近い水沢の鹽竈神社の本殿が仮遥拝所とされました それが現在の駒形神社「本社」となります この「奥宮」と「本社」の中間なので「中宮」とも呼ばれています
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駒形神社 本社(陸中一宮)
駒形神社 本社(こまがたじんじゃ ほんしゃ)は 「陸中国一之宮」とされていて 駒ヶ岳山頂に「奥宮」が鎮座します 古代には 付近一帯が軍馬の産地であったと考えられていて 御祭神「駒形神」は「馬の守護神」ともされています 馬頭観音や大日如来と神仏習合して 東日本の各地に勧請されて 広く信仰されていきます
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坐摩神社行宮(御旅所) (坐摩神社 旧鎮座地)
坐摩神社行宮(御旅所)(いかすりじんじゃ あんぐう)(おたびところ)は 摂津国一之宮「坐摩神社」の旧鎮座地です 神功皇后(応神天皇の御生母)が 新羅より御帰還の折 淀川南岸の大江 田蓑島のちの渡辺の地「現 行宮の地」に奉祀されたのが始まりとされています 全国の渡辺・渡部等の姓の発祥の地でもあります
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興神社(壱岐市芦辺町)
興神社(ko shrine)は 壱岐国が王制の時代であった頃の 一支国(壱岐国)の王都の跡「原の辻遺跡」のすぐ傍に鎮座します 官庫の鑰(かぎ)や国府政所の印かんを納める所として「印鑰大明神」の社号で呼ばれ 格式高い由緒を伝えます 里人の通称名は「一の宮」です 現在では 本来の式内名神大社「天手長男神社」で「壱岐国一之宮」は当社「興神社」とする説が有力です
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坐摩神社(ざまさん)
坐摩神社(いかすりじんじゃ)は 摂津国一之宮として格式高く 大阪では最も古い神社の一つです 神功皇后が三韓征伐の帰途 淀川の河口に神託により神社を造営されたと伝わります 旧鎮座地は 天満橋南詰の「坐摩神社行宮」にありましたが 太閤秀吉の大阪城築城にともない遷座して 現在地 大阪商人の町「船場」に鎮座します
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砥鹿神社 里宮(豊川市一宮町)
砥鹿神社 里宮(とがじんじゃ さとみや)は 約1300年前 大宝年中(701~704年)に本宮山の奥宮より分霊し 御祭神「大己貴命(onamuchi no mikoto)」を里宮として お祀りしたのが始まりと伝わります 社殿は荘厳な檜造りです また 摂社「三河えびす社」が並び建ち こちらには 本社の御子神「智徳の神・事代主命(kotoshironushi no mikoto)」と「体徳の神・建御名方命(takeminakata no mikoto)」を祀ります
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砥鹿神社 奧宮(豊川市上長山町)
砥鹿神社 奧宮(とがじんじゃ おくみや)は 愛知県豊川市にあり 古くから「霊山」とされている海抜789mの本宮山の山頂近くに鎮座しています 1300年以上前には 麓にも社殿が造営されたと伝わり 山頂の社(yashiro)を奥宮 里の社殿を里宮(砥鹿神社)と称しています どちらも 三河国一之宮として 二所一体の崇敬をあつめています