坐摩神社行宮(御旅所) (坐摩神社 旧鎮座地)

坐摩神社行宮(御旅所)(いかすりじんじゃ あんぐう)(おたびところ)は 摂津国一之宮「坐摩神社」の旧鎮座地です 神功皇后(応神天皇の御生母)が 新羅より御帰還の折 淀川南岸の大江 田蓑島のちの渡辺の地「現 行宮の地」に奉祀されたのが始まりとされています 全国の渡辺・渡部等の姓の発祥の地でもあります

目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(shrine name)】

  坐摩神社行宮(御旅所)(ikasuri jinja angu)(otabitokoro)
  (坐摩神社 旧鎮座地)(いかすりじんじゃ あんぐう)(おたびところ)

 【鎮座地 (location) 】

 大阪府大阪市中央区石町2-2

 [地 図 (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》豊磐間戸神(toyo ihamado no kami)
   奇磐間戸神(keshi ihamado no kami)

【御神格 (God's great power)】

“門の守護神”

【格 式 (Rules of dignity) 】

・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』所載社(旧鎮座地)
・ 摂津国一之宮(旧鎮座地)

【創 建 (Beginning of history)】

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坐摩神社 行宮
(ゐかすり)

豊磐間戸・奇磐間戸神社      由緒
(とよいはまど・けしいはまど)

御祭神 豊磐間戸神
    奇磐間戸神

是地は坐摩神社の旧鎮座地であって、天正十一年(1583)豊臣秀吉大阪築城に際し城域に当る為、現在の大阪市中央区久太郎町四丁目に遷座される迄 当地に鎮座し給うた。

社傳によると神功皇后が新羅よりご帰途の折 この地に坐摩神を始めて奉斎され、また石上に御休息されたと伝えている。 

今も境内に御鎮座石が残り、故にこの地を石町と称すともいう。

平安期、熊野詣が盛んとなり、京都から摂津・和泉をへて 熊野本宮に至る熊野古道沿いに熊野王子社が数多く設けられたが、淀川を船で下り最初に参詣する第一王子ともよばれる渡辺王子(別名窪津王子)社のもとの鎮座地と云う。

主な年中祭儀

  例祭  4月22日
  夏祭  7月22日
  秋祭 10月22日
 月次祭 毎月1・15・22日

お問い合わせは坐摩神社まで 現地 案内板より

【由 緒 (history)】

当社の創祀には諸説がありますが、神功皇后が新羅より御帰還の折、淀川南岸の大江、田蓑島のちの渡辺の地(現在の天満橋の西方、石町附近)に奉祀されたのが始まりとされています。

平安時代の「延喜式」には攝津國西成郡の唯一の大社と記され、産土神として今日に至っています。また朱雀天皇の御代、天慶2年(939)以来祈雨11社中に列し、以後たびたび祈雨〔雨乞い〕のご祈請・奉幣に預かりました。

坐摩神社行宮 <坐摩神社行宮>

天正10年(1582)豊臣秀吉の大坂築城に当たり替地を命ぜられ、寛永年間現在地に遷座されました。現在の鎮座地名を渡辺と称するのも、元の地名が移されたもので、全国の渡辺・渡部等の姓の発祥の地でもあります。旧社地と伝えられる石町には現在も当社の行宮(御旅所)が鎮座されています。

公式HPより抜粋

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 この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています 

『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』(927年12月編纂)といって 平安時代中期に朝廷が作成した全50巻の律令格式の巻物の中でも重要視されている2巻です 内容は 今から約1100年前の全国の官社(式内社)一覧表で「2861社」の名称とそこに鎮座する神の数 天神地祇=「3132座」が所載されています

【延喜式神名帳】(engishiki jimmeicho)The shrine record was completed in December 927 AD.

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)畿内 658座…大(預月次新嘗)231(うち預相嘗71)・小427
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)摂津国 75座(大26座(並月次新嘗・就中15座相嘗祭)・小49座(並官幣))
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)西成郡 1座(大)

[名神大 大 小] 式内大社

[旧 神社名 ] 坐摩神社(大月次新嘗)
[ふ り が な  ](いかすりの かみのやしろ)
[How to read ](ikasuri no kamino yashiro) 

https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用 国立国会図書館デジタルコレクション 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫

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【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

坐摩神社行宮(御旅所)(ikasuri jinja angu)の御祭神について

現在 坐摩神社行宮(ikasuri jinja angu)には 坐摩大神(ikasuri no okami)は祀らていません
なぜなら 現在の坐摩神社の鎮座地「久太郎町渡辺」に遷座されたからです

現在
坐摩神社行宮(ikasuri jinja angu)の御祭神は
・豊磐間戸神(toyo ihamado no kami)
・奇磐間戸神(keshi ihamado no kami)の二柱の神です

この2柱の神は 天太玉命(天照大御神が隠れた天岩戸の時 勾玉や鏡を祭壇に飾り付けた神)の御子とされています 

天照大神が お隠れの岩戸の神であるともいわれて 宮殿の門番の神・御門(みかど)の神として 宮中の神祇官 西院において祀られていました

今では 神社の参道や隋神門の両サイドに「随神」“門の守護神”として祀られれています

寺院では仁王像にもなっています

坐摩大神(ikasuri no okami)を祀っていた旧鎮座地に 宮殿の門を守る磐間戸神(ihamado no kami)の2柱を祀るのは いずれも宮地を守る神々ということからなのでしょうか

太古は 海に囲まれた半島だった「上町台地」の先端に行宮は鎮座しています 想像図(海進4mで作成)です

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「上町台地」は 海進があったとされる太古(約7000~6000年前)縄文時代には 東側に「河内湾」西側に「大阪湾」その中央に飛び出た半島であったろうと云われています

その後 砂州は 北側へと形成されて「河内湾」を締め切って「河内湖」を形成します 更に 「淀川」「大和川」等の河川からの土砂堆積があり 陸地化が進むと 現在の「河内低地」となっていきます

そうした意味から「上町台地」の先端にあたるこの地は 大和(奈良)への海からの入口として「大和朝廷」にとっては 非常に重要な拠点となっています

この地「上町台地」の先端部には
初代 神武天皇の即位時に 御神勅により宮中に奉斎された「八神殿の神々」と同じ起源と記されている「生嶋の神」「坐摩の神」が鎮座していました

この神々は 後に宮中の神祇官 西院において祀られた 国家安泰の最も重要な神々となります

・「御門の神」は「現在の御祭神」2柱が この行宮に祀られています
・「坐摩の神」は「坐摩神社 旧鎮座地」の この行宮に祀られていました
・「生嶋の神」は「生島神・足島神」2柱が 現在の大阪城の場所に祀られていました これが「生國魂神社」の始まりとされいます

これらの事は 河内王朝とか河内政権の始まりとも云われる大和王朝の第15代「応神天皇」の大隅宮(祝津宮)が「上町台地」の先端部にあったとの説ならば納得できます この行宮の地が 大隅宮(祝津宮)であったとする説もあります 

行宮の創建は すなわち 坐摩神社の創建となります

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社伝は 神功皇后(応神天皇の御生母)が 新羅より御帰還の折 淀川南岸の大江 田蓑島のちの渡辺の地(現在の天満橋の西方 石町附近)の「現 行宮」に奉祀されたのが始まりとされています

その後 この行宮の地は「聖地」として崇められます

平安時代中期から鎌倉時代初めにかけては 「蟻の熊野詣」と呼ばれるように熊野詣する人が蟻の行列のように続いた云われていて 王侯貫族から庶民に至るまで「熊野信仰」が盛んになります

紀州熊野詣への人々の行程は 平安京の南の鎮守「城南宮」で旅の安全を祈願すると 熊野詣へ旅立ちます
淀川を船に乗って下り まず この地「渡辺津(窪津)」に上陸します
目的は 熊野詣の最初のお詣りとして 第一王子の「窪津王子(渡辺王子)」にお詣りをします これが紀州熊野詣の始まりとなります

現在の窪津王子は 四天王寺七宮の一つ「堀越神社」境内に遷座しています

この地「行宮」は「窪津王子(渡辺王子)」があった旧跡地と伝わります
平安時代の人々には まさしく聖地として 認識されていたようです

この聖地「上町台地」は 神功皇后の神話にもあるように 先端に「坐摩神社」が祀られ 南端には「住吉大社」が創建されていきました 

現在も摂津一之宮として「住吉大社」と「坐摩神社」が鎮座していることも偶然ではありません

「行宮」が鎮座するこの地の すぐ北側を流れる「大川」=「旧 淀川」の左岸側(南側)は 「大江の岸」「渡辺津」「窪津」「八軒家」と呼ばれた古くからの港になっていて この地から渡辺党が出て 全国の渡辺姓の元になっていきます これも神々のなせる業なのでしょう

渡辺姓については 「坐摩神社」の記事をご覧ください

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神社にお詣り(Pray at the shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

京阪電車「天満橋」駅 地下鉄谷町線「天満橋」下車 西へ徒歩約7分程度
北大江公園の西側で 探しにくいですが 坐摩神社行宮の社号標が建ち 小さな祠があります

坐摩神社行宮(御旅所)(ikasuri jinja angu)に到着

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冠木門に近い形の貫1本を通した簡単な鳥居らしきものが建ち
その左には社号標「坐摩神社行宮」とあります

一礼して鳥居をくぐります 

境内は ビルの谷間にあって 広くはありませんが 落ち着いています
奥には 拝殿が建ち その奥に本殿である小祠が鎮座しています

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左手には 小さな手水舎があり 清めます

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まっすぐに参道を進み拝殿へ

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正面奥には 本殿祠が鎮座しますが

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拝殿の中 目の前には 神功皇后が腰かけられたと伝わる「鎮座石」があります

アルミ製の保護柵が設けられて 覗き込まなければ中の石は ほとんど見えませんが 神社移転の時に この石が大きくて動かせず残っているのではないかともいわれ 古資料によれば“方五丈(約1.5m)許りの大きさ”であったと伝わります

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拝殿にすすみます
賽銭と記された金属の筒に賽銭をおさめ お祈りです
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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境内を後にします
鳥居をくぐり 振り返り一礼

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神社の伝承(Old tales handed down to shrines)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

坐摩神社行宮(御旅所)(ikasuri jinja angu)の御祭神
・豊磐間戸神(toyo ihamado no kami)
・奇磐間戸神(keshi ihamado no kami)の二柱の神の伝承について

『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)に “門の守護神” として記される伝承について

『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』(927年12月編纂)には
「磐間戸神(ihamado no kami)」の2柱は “門の守護神” として 

「坐摩大神(ikasuri no okami)」と同じ宮中神26座の「御門巫祭神八座 並大 月次新嘗 四面門に各1座」と記されています

「八座」とあるのは 宮殿の東西南北の門(四面門)にそれぞれ「2柱の神」を祀り 合計で8座という意味です

延喜式・祈年祭祝詞にも 四方の宮門に立ち塞がって御門の開閉を掌り 侵入する邪なるものを遮る神 と記されています

https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
国立国会図書館デジタルコレクション 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫

 

『古語拾遺(kogojui)』天の岩戸 に記される伝承

『古語拾遺(kogojui)』には 天照大神が 天の岩屋から出て 新殿に移られたあと 
豊磐間戸神(toyo ihamado no kami)
奇磐間戸神(keshi ihamado no kami)の二柱の神が 新殿の殿門を守衛すると記されています

意訳

 天照大神は心の中で「このごろ、私が籠もって天下が真っ暗で有ると言うのに、群神(かみがみ)は 何故このように歌楽を楽しんでいるのだろう」
 と一人想われまして 戸を開けて覗き見されたとき

天手力雄神(ameno tachikarawo no kami)にその扉を引き明けさせて 新殿(新嘗の神殿)に遷坐いたしました

すぐに 天児屋命(ameno koyane no mikoto)と太玉命(ameno futodama no mikoto)は
日御綱(hi no mitsuna)を[今の斯利久迷縄(shirikume nawa) これは日影の像(katachi)です]

その殿(miya)に懸け廻らし 大宮賣神(omiyame no kami)を御前(mi mae)に侍わせ [これは太玉命が 久志備(kushibi)に生ませた神です

今の世の内侍(naishi)(天皇のお世話をする女官)で善言(yoki kotoba)や美詞(uruwashiki kotoba)で君臣の間を和ららげて 宸襟(mi kokoro)(天皇のお心)を喜ばせる様な事です]

豊磐間戸命(toyo iwamado no mikoto)と櫛磐間戸命(kushi iwamado no mikoto)の二神に殿の門を守衛させました [これらは 両方とも太玉命の子です]  」

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ 『訂正古語拾遺』選者:斎部広成 大同2年(807年)編纂/校訂者:猿渡容盛 刊本 ,明治02年 , 木村正辞
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047473&ID=&TYPE=&NO=画像利用

摂津国一之宮「坐摩神社」の旧鎮座地です 神功皇后(応神天皇の御生母)が 新羅より御帰還の折 淀川南岸の大江 田蓑島のちの渡辺の地「現 行宮の地」に奉祀されたのが始まりとされています

坐摩神社行宮(御旅所)(ikasuri jinja angu)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)

同じ宮中神26座の「八神殿(宮中 神殿に鎮座)」の記事をご覧ください

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摂津国 式内社 75座(大26座(並月次新嘗・就中15座相嘗祭)・小49座(並官幣)について に戻る    

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