延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)

式内社 努能太比賣命神社 社跡(大阪市住吉区杉本)

式内社 努能太比賣命神社 社跡(しきないしゃ ぬのたひめのみことじんじゃ やしろあと)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載 摂津国 住吉郡 努能太比賣命神社(ぬのたひめのみことの かみのやしろ)の社跡とされます 明治40年(1907)大依羅神社に合祀されました

式内 草津大歳神社趾(大阪市住吉区苅田)

式内 草津大歳神社趾(しきない くさつおおとしじんじゃあと)は 明治40年(1907)大依羅神社に合祀された 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載  摂津国 住吉郡 草津大歳神社(鍬靫)(くさつをほとしの かみのやしろ)の旧鎮座地です 創建・由緒など不明ですが 跡地に残る大楠が御神木であったことを彷彿させます

大依羅神社(大阪市住吉区庭井)〈『延喜式』大依羅神社 四座並名神大 月次相嘗新嘗〉

大依羅神社(おおよさみじんじゃ)は 『日本書紀』には神功皇后が新羅征討の際 住吉三神〈底筒男命・中筒男命・表筒男命〉の神託により戦勝と航海の無事を祈り「依羅吾彦男垂見」が住吉三神を祭る祭主を務めたと記載 これが起源とされる 式内社 大依羅神社 四座(おほよさみの かみのやしろ しくら)(並名神大月次相嘗新嘗)です

神須牟地神社(大阪市住吉区長居西)

神須牟地神社(かみすむちじんじゃ)は 式内社 摂津国 住吉郡 神須牟地神社(鍬靫)(かむすむちの かみのやしろ)とされます 慶長年間〈1596~1615〉兵火に罹り 元和四年(1618)八月二十一日再建されました その後 衰頽し廃絶に瀕していたが 元文元年(1736)九月 徳川幕府の命により神須牟地社と多米社の鎮座地に社号を刻した石碑が建てられ 復興して現在に至ります

延喜式内 多米神社之址(大阪市住吉区長居)

多米神社之址(ためじんじゃ のあと)は 延喜式内社 摂津国 住吉郡 多米神社(貞)(ための かみのやしろ)の旧鎮座地の跡です 多米連(ためのむらじ)〈朝廷に供する米作りに関わり 成務天皇の御代「大炊寮御飯を作りて香美なりし」と賞されて多米連の姓を賜わった〉が 創建した神社とされます 多米連の氏人は 住吉大社の神饌に深く関わっていたと伝わります

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