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鹿島神社(福島市小田鹿島山)
鹿島神社(かしまじんじゃ)は 社伝に その昔篠生(信夫)郷が湖沼であった時わずかに水上に出ていた鹿島の丘上に常陸国の鹿島神宮より蝦夷地経営の為分祀勧請されたと伝えられ 『延喜式神名帳927 AD.』所載 陸奥国 信夫郡 鹿嶋神社(かしまの かみのやしろ)の論社でもあります
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鹿島神社(福島市鳥谷野宮畑)
鹿島神社(かしまじんじゃ)は 『延喜式神名帳927 AD.』所載 陸奥国 信夫郡 鹿嶋神社(かしまの かみのやしろ)の論社です 社伝には 天明元年(1781)4月火災により 同2年鳥谷野羽田喜三郎氏が拝殿を建立し 同年7月光格天皇の御世 勅宣奉授し「正一位」を授けられたとあり この時古記録は焼失したとのこと
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石神山精神社(大和町吉田麓)
石神山精神社(いわかみやますみじんじゃ)は 七ツ森(ななつもり)山裾に鎮座します おそらくは 太古 蝦夷(えみし)が この大岩を石神として祀ったであろう聖地で その後に 蝦夷征伐 坂上田村麻呂将軍が植えた御手植え杉とともに 大和朝廷が崇める式内社 石神山精神社(いはかむやまつみの かみのやしろ)として この地を祀り治めてきたのでしょう
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鹿島天足別神社(富谷市大亀字和合田)〈『延喜式』鹿嶋天足別神社・石神山精神社〉
鹿島天足別神社(かしまあまたりわけじんじゃ)は 二つの式内社〈・鹿嶋天足別神社・石神山精神社〉の論社となっています これは 明治42年(1909)同じ敷地内に鎮座していた吹上社を合祀しましたが この吹上社が 式内社〈鹿島天足別神社〉であり 本社は式内社〈石神山精神社〉であるとする説がある為です
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鹿島神社〈香取御兒社を合祀〉(栗原市築館黒瀬後畑)
鹿島神社(かしまじんじゃ)は 東夷征伐後の入植者により 常陸国鹿島より黒瀬向山(三峯山)に勧請 江戸初期に現在地に遷座 この時 香取御兒社(かとりみこしゃ)を相殿に合祀 香取御兒社は『延喜式神名帳927 AD.』所載 栗原郡 香取御兒神社(かとりみこかみのやしろ)の論社で 勧請は 第12代景行天皇の時とも 神護景雲元年(767)城生野 伊治城の造営時とも伝わります
