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大尾神社(宇佐市)

大尾神社(おおおじんじゃ)は 天平神護元年(765)から約15年間 宇佐神宮の「上宮」として鎮座していました この時「弓削道鏡の事件」が起きましたので 八幡大神が 国体擁護の御神教を授けた霊地とされています 宇佐神宮からは 東に位置し 朝陽を迎えるかの如く 真っ直ぐに延びる参道の先 宇佐三山の一つさされる大尾山の頂上に鎮座しています 奥宮の「御許山(大元神社)」への古道の出発点とされる霊地でもあります 

小山田神社(宇佐市)

小山田神社(おやまだじんしゃ)は 養老4年(720)小山田に鎮座していた八幡大神が 隼人征伐の神託を下し 御進発した時の 宇佐神宮の前宮とされています 現在の社殿が建つ鎮座地は 明治6年 神社合祀施策によって 貴布祢神社の境内西にあった小山田神社を 貴布祢神社の境内に遷座し 合祀し 社名を小山田神社として祀られています

一宮神社(徳島市一宮町西丁)〈阿波国一之宮〉

一宮神社(いちのみやじんじゃ)は 元々は阿波国一之宮であった上一宮大粟神社(名西郡神山町)の分祠として 平安時代後期に国府の近くであったこの地に下一宮として祀られて 阿波国一之宮とされていました しかし 室町時代以降は 細川氏の台頭とともに 大麻比古神社が阿波国一之宮となっていきます

金富神社(築上町湊)

金富神社(きんとみじんじゃ)は 当初は「矢幡(ヤハタ)」と呼ばれ 大分県宇佐市に鎮座する「宇佐神宮」の元宮とされています 宇佐神宮は 全国にある八幡宮の総本社ですので その元宮にあたる金富神社は 八幡神(ヤハタノカミ・ヤワタノカミ・ハチマンノカミ)の元宮となり 「八幡神顕現の霊地」と呼ばれていて 原始八幡神創祀遺跡(学説)もあります

妻垣神社(安心院町)

妻垣神社(つまがきじんしゃ)は 宇佐大神(八幡大神)の神託により 天平神護元年(765)閏十月八日 社殿が造営されたのが始まりと伝わります 神武天皇の東征記にある「足一騰宮」との伝承を持つ磐座もあります

大根川神社〈矢立宮〉(宇佐市佐野)

大根川神社(おおねがわじんじゃ)〈矢立宮〉は 昔 八幡大神が この地で大根を食したので「大根河(おおねがわ)」と呼ぶと伝わります 養老4年(720)大隅・日向の隼人反乱の征伐のために 朝廷から任命された大友旅人が この地で矢を立てて必勝祈願をしたことから 矢立宮とも呼ばれています

乙咩神社(宇佐市下乙女)

乙咩神社(おとめじんじゃ)は 昔 八幡大神が 辛島の酒井泉社から この地に移られました この時 辛島勝乙目(からしまのすぐりおとめ)が 浜辺で泉を掘って 八幡大神の洗浴に関する奉仕をされました その泉水を「乙咩水(おとめのみず)」と呼び 現在も境内入口の南側に御霊水の井戸が 八幡大神の御霊幸の跡として残っています

泉神社(宇佐市辛島泉)

泉神社(いずみじんじゃ)は 大化4年(649)に社殿が建立されました 天平宝字3年(763)に神奈志津比咩(かむなしつひめ)が 御酒を八幡大神に奉られた時 御指で地面を窪めて 残り酒を傾けると 水が湧き出したという この酒井泉に由来して「酒井泉社」と称するようになったと伝わります

郡瀬神社(宇佐市)

郡瀬神社(こおりせじんじゃ)は かつて 宇佐神宮の大事な祭儀 行幸会(ぎょうこうえ)に深く関係する由緒正しい神社です 伝承では 和銅3年(710)に顕われた「八幡大神」が祀られた元神社で 宇佐神宮の先の宮ともされています  霊亀2年(716)に八幡大神の神託があり 新たに小山田の森に神殿を造営し 八幡大神は ここ「鷹居瀬社」から「小山田社」(小山田神社 )に遷宮され 第45代聖武天皇の時代〈神亀2年(725)〉には 現在の宇佐神宮に遷座しています

鷹居神社(宇佐市上田)

鷹居神社(たかいじんじゃ)は 和銅3年(710)に八幡神〈応神天皇〉の御神霊を祀る祠が 初めて造営された地です 八幡神の御神霊は 欽明天皇29年(571)宇佐の亀山(小椋山)に出現されてから 当地「鷹居山」に鎮座されて その後 「小山田」を経て 現在の「小倉山(宇佐神宮)」に遷座されて 現在に至ると伝わっています

田笛神社(豊後高田市)

田笛神社(たぶえじんじゃ)は 古老の傳へ云うに「大御神〈八幡大神〉が 御修行の昔 この所で 田笛を吹き 田飯を得ました それで田布江(田笛)と云うなり」と伝わり 宇佐神宮  行幸会(ぎょうこうえ)の 境外8摂社とされていて 行幸会の巡幸地の一つとしての由緒を持ちます

薦神社(中津市大字大貞)

薦神社(こもじんじゃ)は 日向・大隅の隼人が 養老4年(720)三度目の反乱を起こした 対し中央政府の征討軍は 豊前軍と共に 本殿の背後にある三角池に自生している真薦(まこも)で造った枕状の八幡神の御験「薦枕(こもまくら)」を神輿に乗せて奉じ鎮圧に向かい 日向まで行幸し 乱を鎮めたと伝わります このため神社のご神体を「三角池」として 内宮と呼びます 神社別称を大貞八幡とも云い 全国八幡宮の総本社である宇佐神宮の祖宮ともされます 

稲積六神社(宇佐市大字中字宮間)

稲積六神社(いなづみろくじんじゃ)は 原始八幡信仰に関わりの深い「辛島氏」が信仰の対象として 西暦706年に稲積山の山頂に祀られたのが始まりです 宇佐には 2つの神奈備山があり その一つ「西の稲積山(inazumi san)」を神体山として祭祀したものと伝わります

三女神社(宇佐市安心院町)

三女神社(さんみょじんじゃ)は 遠く神代に 天照大神(あまてらすおほみかみ)が この三女神を宇佐嶋に天降らせるときに 天安河原の石を手に取り「この石が落ち留まる所に鎮座せよ」といわれて お投げになられた石が 安心院(あじむ)の地に突き刺さった そのあとから三女神も降りてこられて三女神社が祀られた その刺さった石「三柱石」が境内にあります

大元神社(宇佐神宮 奥宮)

大元神社(おおもとじんじゃ)は 宇佐神宮の奥宮といわれ 神代の昔に 三柱女神の比賣大神が降臨された神山「御許山(omoto san)」の9合目に鎮座します 山頂近くには3つの巨石を祀る神籬岩があるらしく 古代の磐座信仰が当初の形態ともいわれています

藤崎八旛宮(熊本市中央区井川淵町)

藤崎八旛宮(ふじさきはちまんぐう)は 承平5年(935)第61代 朱雀天皇の勅願によって 藤原純友の乱の追討と九州鎮護として 石清水八幡宮から勧請され創建されました 肥後一国の宗廟 熊本大鎮守と公称されて 九州五所別宮(kyushu gosho betsugu)の第三の別宮とされています

石體神社(鹿児島神宮の元宮)

石體神社(しゃくたいじんじゃ)は 遠く神代の頃 天津日高彦穂穂出見尊が 築かれた都「高千穂宮」の正殿跡と伝わります 皇后の豊玉比売命のお産の故事にあやかり 古くから安産の神として 篤い信仰があります 飛鳥時代 和同元年(708)に この地から遷座したのが 現在の鹿児島神宮と云われていて その元宮であるとされます 

大分八幡宮(飯塚市大分)

大分八幡宮(だいぶはちまんぐう)は 古代に神功皇后が三韓征伐から帰国して 当地で引率していた軍士を解隊し それぞれの故郷に返した時 その大分(オオワカレ)から大分(ダイブ)と称されるようになったと伝わります 筑前国一之宮の「筥崎宮(福岡市)」の元宮とされています

新田神社(薩摩川内市)

新田神社(にったじんじゃ)は 薩摩国の総鎮守(薩摩国一之宮)として 古くから人々の篤い信仰があります 薩摩川内市街から322段の石段を登ると「亀の形をした神亀山(高さ70m)」の山頂に鎮座します 川内で崩御されたと伝わる御祭神の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の御陵「可愛山陵」が本殿の裏に坐ます 

鹿児島神宮(霧島市隼人町)

鹿児島神宮(かごしまじんぐう)は 社伝によると 創始は 遠く神代とも「神武天皇の御代に天津日高彦穗穗出見尊の宮殿であった高千穂宮」ともされます 和銅元年(708)現在地に遷座されて 高千穂宮跡の旧鎮座社地には 現在は 摂社 石体宮(石體神社)が鎮座しています

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