出雲大神宮(亀岡市千歳町出雲無番地)〈丹波國一之宮〉

出雲大神宮(いずもだいじんぐう)は 社伝によれば「元出雲の社」〈出雲大社の元宮〉とされています『丹波国風土記』逸文に「奈良朝のはじめ元明天皇 和銅年中 大国主命 御一柱のみを島根の杵築の地に遷す すなわち今の出雲大社これなり」 記紀神話の「国譲り神事」は 丹波国出雲・大和の両勢力の接点にあり 国譲りの所由によって祀られたのが当宮古来より元出雲の信仰があり と記されています 

目次

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1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

出雲大神宮(Izumo Daijingu)
(いずもだいじんぐう)

 [通称名(Common name)]

【鎮座地 (Location) 

京都府亀岡市千歳町出雲無番地

 [  (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

御神体山 御陰山禁足の地
「御神座 磐座」国常立尊(Kunitokotachi no mikoto)

本殿
《主》大国主命(Okuninushi no mikoto)
   三穂津姫命(Mihotsuhime no mikoto)

【御神格 (God's great power)】(ご利益)

・長寿の神 God of wishes for longevity
縁結びの神 God who deepens the connection and intimacy with others
・金運の神 God to improve financial luck
・等 etc

【格  (Rules of dignity)

『延喜式神名帳Engishiki jimmeicho)所載社(名神大)
・ 丹波國一之宮Tanba no kuni ichinomiya)
・ 単立神社

【創  (Beginning of history)】

出雲大神宮 由緒

当宮には大国主命とその后神 三穂津姫命 御二柱の御神格を併せて主宰神と称し祀り 他に 天津彦根命 天夷鳥命を祀る

殊に 三穂津姫命は 天祖 高産霊尊の御女で 大国主命国譲りの砌 天祖の命により后神となり給う 天地結びの神 即ち縁結びの由緒 亦ここに発するもので俗称元出雲の所以である

日本建国は 国譲りの神事に拠るところであるが 丹波の国は 恰も出雲大和両勢力の接点にあり 此処に 国譲りの所由に依り祀られたのが当宮である

古来 大平和の御神意に依り 国と国人と人総ての結びの大神を祀るとして 上下の尊崇極めて篤かった 

崇神天皇 再興の後 元明天皇 和銅二年に始めて社殿を造営
現社殿は 鎌倉時代の建立にして(重要文化財)
それ以前は 御神体山の御陰山を奉斎し 古来より 今尚 禁足の地である 御陰山は 元々 国常立尊の鎮まり給ひし聖地と傳えられている

(式内)名神大社、丹波国総社一之宮
(御階)正一位
(社名)正しくは出雲大神宮、千年宮、出雲神社
(摂末社)古は36ヶ所あったが兵火に失われ 現在は上の社、黒太夫社、笑殿社、春日社、稲荷社、崇神天皇社あり

一、神宮寺 明治4年出雲極楽寺に借地移転す
      現在の十一面観音菩薩像は重要文化財
一、例大祭 1021
一、私大祭 418日 当日 無形文化財 風流花踊 奉納
一、古  横穴式 五世紀~六世紀前
      前方後円墳 車塚古墳は当宮の口碑あり 推定は成務天皇代
一、古代の神域は 愛宕山を含み飛地境内が所々にあり 京都大原野神社は飛地領なり

境内案内板より

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【由  (History)】

宮司のごあいさつ

出雲大神宮は、元明天皇の、和銅二年十月二十一日、御神体山である御影山のふもと麓に御社殿が創建されました。それ以前は本殿背後にそびえる神奈備山、御神体山の御影山が信仰の対象とされ、その起源は一万年以上、神代の鎮座と申し伝えられる、日本有数の古社であります。御祭神大国主命は、国譲りまた幽世を司る神様として有名でございます。

大国主命の后神であられる三穂津姫命も当宮の御祭神でございます。三穂津姫命は天祖高皇産霊神の娘神で、大国主命が国譲りの砌、天祖の命により后神となられました。それ故に、天地結びの神、すなわち縁結びの由来はここに発するもので、俗称「元出雲」の所以ございます。

 宮司 岩田 昌憲

公式HP 宮司のごあいさつ より抜粋
http://izumo-d.org/guji.htm

【境内社 (Other deities within the precincts)】

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御蔭山(ミカゲヤマ)
《主》国常立尊 (クニノトコタチノミコト)

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「御神座」磐座群
この磐座群は、御神体山「御影山」に鎮まる國常立尊(クニノトコタチノミコト)の象徴として皇祖より一万年以前からこの地に鎮まっております。
伝承によりますと、國常立尊は丹波国の桑田の宮に天の御舎を立て、ここにお遷りになられたことが述べられております。
今尚、禁足の地であるこの磐座は、まさに國常立尊の聖蹟であると伝えられます。

案内立札より

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・磐座(イワクラ)

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御蔭の滝(ミカゲノタキ)
《主》竜神乃神(タツノカミ)

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上の社(カミノヤシロ)
《主》素盞嗚尊(スサノオノミコト)奇稲田姫尊(クシイナダヒメノミコト)

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下の社〈黒太夫社〉
《主》猿田彦尊(サルタヒコノミコト)大山祇尊(オオヤマツミノミコト)

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・祖霊社(ソレイノヤシロ)〈黒太夫社の隣に鎮座〉
《主》出雲大神宮 歴代の神職・役員総代氏子などの霊

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稲荷社(イナリシャ)
《主》豊受大神大宮能霊芽神宇迦御魂神佐田彦神大地主神白玉大明神

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・春日社(カスガシャ)
《主》建御雷之男神(タケミカヅチノオノカミ)天兒屋命(アメノコヤネノミコト)

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笑殿社(ワラヘドノシャ)
《主》事代主尊(コトシロヌシノミコト)少那毘古名尊(スクナヒコナノミコト)

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崇神天皇社(スジンテンノウシャ)
《主》御真木入日子印恵命(ミマキイリヒコイニエノミコト)崇神天皇

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弁財天社(ベンザイテンシャ)
《主》市岐島姫命多岐津姫命多岐理姫宗像大社の三女神

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【境外社 (Related shrines outside the precincts)】

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『延喜式Engishiki)』巻3「臨時祭」中の「名神祭」の条 285座

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂

延喜式巻第3は『臨時祭〈・遷宮天皇の即位や行幸国家的危機の時などに実施される祭祀〉です
その中で名神祭Myojin sai)』の条に 国家的事変が起こり またはその発生が予想される際に その解決を祈願するための臨時の国家祭祀「285座」が記されています

名神祭における幣物は 名神一座に対して 量目が定められています

座別に
絁(アシギヌ)〈絹織物〉5尺
綿(ワタ)1屯
絲(イト)1絇
五色の薄絁(ウスアシギヌ)〈絹織物〉各1尺
木綿(ユウ)2兩
麻(オ)5兩

嚢(フクロ)料の薦(コモ)20枚若有り(幣物を包むための薦) 

大祷(ダイトウ)者〈祈願の内容が重大である場合

加えるに 
絁(アシギヌ)〈絹織物〉5丈5尺 
絲(イト)1絇を 布1端に代える

出雲神社(イヅモノカミノヤシロ)一座(イチザ)
小川月神社一座
麻気神社一座
櫛石窓神社二座
已上(イジョウ) 丹波国(タンバノクニ)

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス『延喜式巻3-4』臨時祭 名神祭 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫

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『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
(Engishiki JimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)山陰道 560座…大37(うち預月次新嘗1)・小523
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)丹波国 71座(大5座・小66座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)桑田郡 19座(大2座・小17座)
[名神大 大 小] 式内名神大社

[旧 神社 名称 ] 出雲神社(名神大)
[ふ り が な ]いつもの かみのやしろ)(みょうじんだい)
[Old Shrine name]Itsumo no kamino yashiro) 

https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫

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【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載 式内社 出雲神社(イツモノカミノヤシロ)とその論社について

①『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載 出雲國(イツモノクニ)出雲郡(イツモノコオリ)出雲神社(イツモノカミノヤシロ)の論社

・素鵞社〈出雲大社の本殿奥〉

・富神社(出雲市斐川町富村)

・長浜神社(出雲市西園町)

・諏訪神社(出雲市別所町)

『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載 「丹波國 桑田郡 出雲神社 名神大」の論社

どちらも磐座(イワクラ)を信仰の拠所としています

・出雲大神宮(亀岡市千歳町出雲後田無)

・出雲神社(亀岡市本梅町井手西山)

➁『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載 「周防國(スオウノクニ)佐波郡(サハノコオリ)出雲神社二座(イツモノカミノヤシロ フタクラの論社

・出雲神社(山口市徳地堀) 

 

・出雲社〈熊野神社境内〉(防府市上右田) 

➂『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載 「信濃國(シナノノクニ)水内郡(ミノチノコオリ) 伊豆毛神社(イツモノミノヤシロ)の論社

・伊豆毛神社(長野市豊野町) 

因みに 出雲大社(出雲市)

『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載 「出雲國(イツモノクニ)出雲郡(イツモノコオリ)杵築大社 名神大(きづきの やしろ)

・出雲大社(出雲市)

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神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

亀岡駅から府道25号経由 北へ約6km 車12分程度

社頭には 鳥居と社号標石碑には 「出雲大神宮」とあり 石灯篭が並ぶ石畳みの参道は 神池の脇を 南向きの境内へ進みます
出雲大神宮(Izumo Daijingu)に参着

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参道右手には 社名石碑「丹波之国一ノ宮 名神大社 出雲大神宮」と立札「旧国宝 重要文化財 丹波國 一之宮 出雲大神宮 社殿創建和銅二年(西暦709年)」とあります

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境内の入口には 一の鳥居が建ち その手前には なでウサギと 國幣中社と銘記された社号標が建っています

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一礼をして 一の鳥居をくぐります 参道の先には社殿が建っています 平日は神が懸るような静けさと威容をみせています 祭りの日には 多くの人々を迎え入れている肝要な社です

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鳥居をくぐると 左手に社務所 右手には 手水舎があり清めます その横に夫婦岩〈縁結びの祈願所〉と 真名井の泉〈奇跡の水〉が坐ます

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社殿に向かって右手奥には 御神体山 御陰山禁足の地〉が聳えています
境内には 白い社号の幟旗と立札が立てられていて 三穂津姫命は生前

出雲姫と呼ばれていたと記されています

皇祖より壱萬年以前
大八洲國 國祖神社(おおやしまのくに くにのみおやのじんじゃ)
又の名 而して御神体山 御影山は 國常立尊の神蹟なり 出雲姫 年久しく奉仕する 出雲姫
じて 三穂津姫と号される

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数段高い社地の入口に狛犬が座して 神楽殿のような拝殿が建ちます
拝殿にすすみます 

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節分の時には 豆まきの場となっていました

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境内の中央にある拝殿には 拝所は設けられておらず 参道は 奥の本殿の方へ 拝殿を回り込むように続いています 本殿は檜皮屋根の透かし弊で覆われていて 直接は拝めません 塀際に奉献の樽酒があり 中央には神門が設けられていて こちらが拝所となっています

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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御神体山 御陰山禁足の地〉の麓には 鎮守の杜の入口から 境内社へとお詣りができます 少し高い位置からは 本殿を拝めます

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各境内社には参道がついて自由にお詣りができます
ただし
御神体山 御陰山禁足の地
「御神座 磐座」国常立尊(Kunitokotachi no mikoto)の拝所に立ち入る時は 必ず社務所で受付をしてから たすきを受けなければなりません

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西の鳥居から境内を出て 深く一礼をします

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神社の南面には なだらかな田園が広がっています かつて亀岡の地は 大きな湖であった この湖の水を抜いて 干拓した土地であると神話は伝えています
その水を抜いた神こそ 大国主命です 神話の時代に想いを馳せるように かつて湖底であったろう盆地を見渡してしまいました

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神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『日本書紀(Nihon Shoki)』〈養老4年(720)編纂〉に記される伝承

第10代 崇神天皇〈即位 BC97~BC30年頃〉即位60年の条に 出雲大神(イモノオオカミ)の宮 その神宝に関するものがあり 舞台となっている場所は 出雲(イズモ)ではなく 丹波(タンバ)の「現在の出雲大神宮」である可能性が はっきりと読み取れます

【意訳】

崇神天皇(スジンテンノウ)即位60年の条

崇神天皇 即位60 714 崇神天皇は 群臣(クンシン)に詔(ミコトノリ)をしました
「武日照命(タケヒナテルノミコト)が 天より持って来られた神宝(カムタカラ)が 出雲大神(イモノオオカミ)の宮 その蔵に治められている 是非 これを見たいものだ

ある書によると 武夷鳥(タケヒナトリ) または 天夷鳥(アメヒナトリ)といいます

すぐに 矢田部造(ヤタベノミヤツコ)の遠祖 武諸隅(タケロスミ)を派遣して献上ようとされました

ある書によると 別名を大母隅(オオモロミ)といいます

のとき 出雲臣(イモノオミ)の遠祖 出雲振根(イモノフルネ)は神宝(カムタカラ)を管理していました しかし 筑紫国(ツクシノクニ)に行っていたので(武諸隅は)会いませんでした

その弟 飯入根(イイイリネ)は 天皇の命を受けて 神宝を弟の甘美韓日狹(ウマシカラヒサ)と子の鸕濡渟(ウカヅクネ)に託して 奉りました

して 出雲振根(イモノフルネ)が 筑紫から帰って来て 神宝を朝廷に献上したと聞いて 弟の飯入根(イイイリネ)を責めて言いました
「数日(シバシ)待つべきであった 何を恐れたか たやすく神宝を手放したのか

それから年月を経ました なお恨みと怒りは消えず 弟を殺そうと考えるようになり
それで弟を欺
「このごろ 止屋(ヤムヤ)の淵に 菨(モ)〈水草〉 沢山生えている 願うので 一緒に見に行って欲しい」
それで兄に従って行きました

それ以前に 兄は 密かに木刀を造っていた 形は 刀〈マタチ〉〈真剣〉似ていた その木刀を自分が帯刀しました 弟は 真剣を帯刀しました
二人が淵のそばに到着し 兄は弟に言った
「淵の水は 清冷(イサギヨシ)だ 一緒に游沐(カアミ)〈水浴〉をしようか」

弟は 兄の言葉に従って それぞれが 帯刀してた刀を抜き 淵のそばに置き 水中で沐(カハアム)〈清め〉をしました
兄は 先に陸に上がり 弟の真刀〈マタチ〉〈真剣〉を取って 帯刀しました
その後にあがった弟は き 兄の木刀を手に取りました
共に 刀を撃ち込もうとしました
しかし 弟は 木刀なので抜く事も出来ず 兄は 弟の飯入根(イイイリネ)を撃ち殺しました

それで 世の人は 歌詠み
ヤクモタツ イヅモタケルガ ハケルタチ ツヅラ サハマキ サミナシニ アハレ
歌詠み意訳
モタケルが (ハ)いていた太刀は 黒いツタを巻いているだけで 刀身が無いくて かわいそう

ここに 甘美韓日狹(ウマシカラヒサ)・鸕濡渟(ウカヅクネ)は 朝廷に参上し 詳細に状況を報告した
すぐに 吉備津彦(キビツヒコ)と武渟河別(タケヌナカワワケ)を派遣し 雲振根(イモノフルネ)を殺しました

出雲臣(イモノオミ)たちは このことを恐れるあまり 大神(オオクニヌシノオオカミ)を祀るのを しばらく怠りました

丹波(タンバ)の氷上(ヒカミ)〈兵庫県氷上郡氷上町 氷香戸邊(ヒカトベ)という人がいました
氷香戸邊(ヒカトベ)は 皇太子の活目尊(イクメノミコト)〈垂仁天皇〉申し上げるのに
「わたしには 小さな子があります 自然(何も伝えないのに)こう言いました
玉菨鎭石(タマモノズシシ)出雲人の祭る真種(マタネ)の甘美鏡(ウマシカガミ)
押し羽振(ハフ)る甘美御神(ウマシカミ)底宝御宝主(ソコタカラミタカラヌシ)山河(ヤマカワ)の水泳(ミククル)御魂(オンタマ)静かかる甘美御神(ウマシミカミ)底宝御宝主(ソコタカラミタカラヌシ)
菨は 毛(モ)と読みます

歌詠み意訳
玉藻の中に静かに眠っている 出雲の人が祈り祭る 立派な大事な鏡が すばらしい神が 水の底に宝が眠って
神霊が 山河の水に沈んでいる 静かに掛けて祭るべき立派な鏡が 水の底に沈んでい

これは小児(ワクゴ)の言葉ではないのでしょう もしくは(神が)託(ツ)いて言っているのでしょう

そこで 皇太子は 天皇に報告差し上げました
天皇は詔(ミコトノリ)を発し 祭らせました

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『日本書紀』(720年)選者 舎人親王/刊本 文政13年 [旧蔵者]内務省
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047528&ID=M2017042515415226619&TYPE=&NO=画像利用

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『日本紀略(nihonki ryaku)』〈11世紀後半~12世紀頃 編纂と伝わる〉に記される伝承

国史の初見として 弘仁9年(818)「名神に預る」とあり この時代〈延喜式よりも100年以上前〉には すでに有力な神社であことが記されています

【意訳】

弘仁9年(818)12月16日(乙丑)

丹波国(タンバノクニ)桑田郡(クハタノコオリ)
出雲社(イツモノヤシロ) (アズク)に (ミョウジン)

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『日本紀略』写本 延暦01年- 長元09年[旧蔵者]太政官正院地志課・地理寮地誌課・内務省地理局
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047774&ID=M2019041909454036553&TYPE=&NO=画像利用

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『続日本後紀(Shoku nihon koki)』〈貞観11年(869)完成〉に記される伝承

出雲神(イツモノカミ)として 神階の奉授が記されています

【意訳】

承和12年(845)7月16日(辛酉)

丹波国(タンバノクニ)桑田郡(クハタノコオリ)
無位(ムイ)出雲神(イツモノカミ)

但馬国(タジマノクニ)
出石郡 無位 出石神
養父郡 無位 養父神
朝来郡 無位 粟鹿神
美濃国
厚見郡 無位 伊奈波神
 
(ナド)に (ナラビ)に(タテマツレ)(サズク)に 5位下
(ヨリ)てなを 国司(クニノツカサ)解状(ゲジョウ)に(ナリ)

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス『続日本後紀』(869)貞観11年完成 選者:藤原良房/校訂者:立野春節 刊本 寛政07年[旧蔵者]内務省
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047680&ID=&TYPE=&NO=

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『日本三代実録(Nihon Sandai Jitsuroku)』〈延喜元年(901年)成立〉に記される伝承

出雲神(イツモノカミ)として 神階の奉授が記されています

【意訳】

貞観14年(872)11月29日 乙未

(サズク)に
丹波国(タンバノクニ)
4位下 出雲神(イツモノカミ)に 4位上

5位下 阿当護神 5位上
6位上 奄我神 5位下

阿波国
6位上 伊比良咩神 船尽比咩神
 5位下

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【意訳】

元慶4年(880)6月21日 癸卯

(サズク)に
丹波国(タンバノクニ)
4位上 出雲神(イツモノカミ)に 4位下

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=画像利用

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『徒然草(Tsurezuregusa)』〈鎌倉時代末期1330~1340年代頃〉に記される伝承

この条の解釈として 一般には 出雲大社から分霊を移して造営したとされていますが 原文は「大社(おおやしろ)を移して、めでたく造れり」とあり 出雲大神宮の社伝の云う「丹波の地より出雲の杵築宮にお遷し申し上げたも読める記述が記されています

【意訳】

第236段 丹波に出雲と云ふ所あり

丹波国〈京都府亀岡市にも出雲がある 大社(オオヤシロ)を移して立派に造営した
しだの某という人の領有する所で の頃 聖海上人や沢山の人を誘ってみなさま出雲にお参り下さい そばがきをご馳走します」と言って めいめい拝み 皆の信仰心が篤くなった

本殿の前にある獅子と狛犬が 後ろを向いて背中合わせに立っていたので 聖海上人は 只ならぬと感じ
「何と素晴らしいお姿でしょう この獅子の立ち方は大変不思議だ 何か深い由縁があるのでしょう」と涙ぐみました

「皆さん この他に類を見ない見事なものとしてご覧になるとよいのに 何も分からないのは 仕方のない方々ですね」と言うので 
珍しいものだと思い
「本当に 他とは異なっていて 珍しい」とか「都への土産話にしよう」などと言っている内に 上人は もっと詳しく知りたくなり 年配の何でも詳しく知っていそうな神を呼
「この神社の獅子の立ち方は 由縁があることなのでしょう 是非 教え願いたい」と言われた

その事ですが 近所のいたずら者の子供がしたのですよ 困ったことだ」と言いながら もとの向きに戻して立ち去った
上人の涙は 意味のないものになってしまった

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『徒然草』著者:吉田兼好 鎌倉時代末期 刊本 慶長[旧蔵者]紅葉山文庫
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047473&ID=&TYPE=&NO=画像利用

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『神名帳考証土代(Jimmyocho kosho dodai)』〈文化10年(1813年)成稿〉に記される伝承

日本書紀の崇神天皇(スジンテンノウ)即位60年の条で語られる出雲社は 丹波ではないかと推論し 又 出雲の雲の字について「芋」を古書では「ウモ」と云う古言があり 芋によりたる地名ではないだろうかとも記しています

【意訳】

出雲神社 名神大

神階
続日本後紀 承和12年(845)7月16日(辛酉)・・5位下
三代実録 貞観14年(872)11月29日 乙未・・4位上
三代実録 元慶4年(880)6月21日 癸卯・・4位下
日本紀略 延喜10年(910)8月23日・・4

日本書紀
崇神天皇(スジンテンノウ)即位60年の条
丹波(タンバ)の氷上(ヒカミ)〈兵庫県氷上郡氷上町 氷香戸邊(ヒカトベ)という人がいました 云々

考証 出雲社者 元明天皇 御宇 和銅元年 被立社檀神領所の御影山一条入道太政大臣 被下知 天福2年3月23日 御教書有之

令義解 地祇者 大汝神(オオナムジノカミ)を累これなり
一宮記 出雲神 大己貴命 妻 三穂津姫なり
徒然草 下一百段 丹波に出雲と云う云々
〇山城国愛宕郡 出雲井於神社
〇信友云う 出雲の雲の字一本 又 拾芥抄に芋とあり芋は ウモと云うか古言なり 芋によりたる地名にやあらん 多紀郡 櫛石窓神社を古本の書入に大芋社と云うとあり 芋に由あるにや考えん

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『神名帳考証土代』(文化10年(1813年)成稿)選者:伴信友/補訂者:黒川春村 写本 [旧蔵者]元老院
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000039328&ID=M2018051416303534854&TYPE=&NO=画像利用

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『神社覈録(Jinja Kakuroku)』〈明治3年(1870年)〉に記される伝承

日本書紀の崇神天皇(スジンテンノウ)即位60年の条で語られる出雲社は 丹波ではないかと推論し 所在地は出雲村であると記しています

【意訳】

出雲神社 名神大

出雲は 伊都毛と訓ずべし
〇祭神 三穂津姫 頭注
〇出雲村に在す
〇当国 一之宮なり 一宮記
〇延喜式三巻 臨時祭 名神祭285座 中略 丹波国 出雲神社一座
〇日本紀 崇神天皇(スジンテンノウ)即位60年の条
丹波(タンバ)の氷上(ヒカミ)〈兵庫県氷上郡氷上町 氷香戸邊(ヒカトベ)という人がいました 云々

〇徒然草云う 丹波に出雲と云う地有り 大社を移して目出たく造り

考証云う
出雲社者 元明天皇 御宇 和銅元年 被立社檀神領所の御影山一条入道太政大臣 被下知 天福2年3月23日 御教書有之

類社
出雲国 出雲郡 出雲神社
周防国 佐婆郡 出雲神社二座
信濃国 水内郡 伊豆毛神社

神位 名神
続日本後紀 承和12年(845)7月16日(辛酉)・・5位下
三代実録 貞観14年(872)11月29日 乙未・・4位上
三代実録 元慶4年(880)6月21日 癸卯・・4位下
日本紀略 延喜10年(910)8月23日・・4

雑事
東鑑云う 嘉永3年9月20日 丙午 丹波国一之宮 出雲社者 蓮華王院御領なり 預に 給わる能盛法師 年来令に知行 何有 称す地頭の輩哉 年来 又 不に聞食及 而して号に彼御下文 玉井四郎資重 恣押領 その理可然哉 有限御領不可有に異義事なり 早可停止件濫行の由 令下知給可宣の由 院御気色候なり 仍て執達如件 8月30日 右衛門権左 謹上兵衛佐殿 

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015『神社覈録』1 『神社覈録』2

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)』〈明治9年(1876)完成〉に記される内容

祭神について 延喜式には一座となっているが 社伝などでは己貴 三穂津姫命の二座なっていると 記しています
所在については 出雲大神宮ではなく 現在の亀岡市本梅町井手西山に鎮座する「出雲神社 」ではないかと記しています

【意訳】

出雲(イヅモノ)神社 名神大

祭神 己貴(オホナムチノミコト)
   三穂津姫命(ミホツヒメノミコト)

今 按〈考えるに〉
一宮記に 出雲社 己貴 妻 三穂津姫命なり父は高皇産霊尊(タカミムスヒノミコト)丹波の桑田郡とみえ
神名帳頭注には 天津彦根一座 三穂津姫一座とあり 頭注 天津彦根云々は誤りなるべし さて 上の二書による時は 主神 三穂津姫命を祭りて 出雲神社とするが如し 
されど 本社の縁起に ちとせの社は 出雲村に鎮座ましまして 当国の第一宮なり御本社に 二柱 素戔嗚尊(スサノヲノミコト)奇稲田姫命(クシイナダヒメノミコト)上御前の御やしろにも ふたはしら己貴 三穂津姫命とあるによるときは 己貴 三穂津姫命二座を合わせて出雲神社と申せしものとみえたり
式に 一座なるは 己貴にや三穂津姫命にや詳らかならず
故に縁起に従いて二座を記せり

神位
嵯峨天皇 弘仁9年(818)12月16日(乙丑)・・名神に預く
仁明天皇 承和12年(845)7月16日(辛酉)・・5位下
清和天皇 貞観14年(872)11月29日 乙未・・4位上
陽成天皇 元慶4年(880)6月21日 癸卯・・4位下
醍醐天皇 延喜10年(910)8月23日・・4
伏見天皇 正慶5年12月2日の条・・正1位 伏見己下後西園寺兼寶日記

祭日 10月末 子牛日 3月18日
社格 (明細帳出雲村はなし 井出村に出雲神社あり村社)(村社)國幣中社
所在 出雲村(南桑田郡本梅村大字井出 ? )

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155『特選神名牒』

『官國幣社府縣郷社大観(Kan Kouheisha FuKenKyousha Tikan)』〈大正4(1915)〉に記される伝承

出雲神社〈出雲大神宮〉が 京都府の國幣社の欄に記されています

【意訳】

京都府 國幣中社 出雲神社

国主 三穂津姫命 二座

南桑田郡千歳村

【原文参照】国立国会図書館デジタルコレクション『官國幣社府縣郷社大観』大正4(1915)著者 長坂金雄 編
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/943566映像利用『官國幣社府縣郷社大観』

出雲大神宮(Izumo Daijingu) (hai)」(90度のお辞儀)

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