井関三神社(たつの市揖西町中垣内)〈『延喜式』粒坐天照神社〔名神大〕〉

井関三神社(いせきさんじんじゃ)は 社伝に第十代 崇神天皇二年(BC88年)播磨国揖保郡 亀の山に天照国照彦火明櫛玉饒速日命が勅命により鎮座されたと云う 仁安元年(1166)祭神を揖保郡 亀の山の奥宮から現在の井関山へ遷座 延喜式内社 播磨国 揖保郡 粒坐天照神社〔名神大〕(いいほにます あまてらすかみのやしろ)の論社

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目次

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1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

井関三神社(Isekisan shrine

通称名(Common name)

・いせきさん

【鎮座地 (Location) 

兵庫県たつの市揖西町中垣内甲799-1

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

本殿三柱〈井関三神社〉

《井関大明神》
 天照照彦火明櫛玉饒速日大神
 (あまてるくにてるひこほあかりくしだまにぎはやひのおほかみ)

《八瀬大明神》
 瀬織津比咩大神(せおりつひめのおほかみ)

《諏訪大明神》
 建御名方大神(たけみなかたのおほかみ)

〈奥宮太神社〉(本社より遥拝)

《主》武甕槌大神(たけみかづちのおほかみ)

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【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

天照照彦火明櫛玉饒速日大神〕
五穀豊穣・病気平癒・鎮護安全・航空宇宙・家族長久

瀬織津比咩大神〕
災厄祓除・治水・女性守護・安産・育児

建御名方大神〕
農耕・狩猟・必勝・闘魂・協力一致・危機回避・開発・安全・繁栄

武甕槌大神〕
心願成就・武運長久・安全・正義

【格  (Rules of dignity) 

・ 国史に記載される神社
 〈六国史(『日本書紀』『続日本紀』『日本後紀』『続日本後紀』『日本文徳天皇録』『日本三代録』)に記載されている神社〉

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

井関三神社由緒記
一、御祭神

 天照国照彦火明櫛玉饒速日命
 (アマテルクニテルヒコ ホアカリクシダマ ニギハヤヒノミコト

 瀬織津比咩命(セオリツヒメノミコト)

 建御名方命(タケミナカタノミコト)

 武甕鎚命(タケミカヅチノミコト)(奥宮神社に斎祀)

二、由緒

 当社の創建は 今から凡そ二千有余年の悠久の昔にさかのぼる。社伝によれば人皇第十代 崇神天皇二年(皇紀五六五年)播磨国揖保郡 亀の山に天照国照彦火明櫛玉饒速日命が勅命により鎮座されたのが創まりである。その後 時代の推移により 本社が亀の山より今の井関の地に遷座された 年代と経緯については諸説があり判明しない。他方 亀の山の社地には当時より武甕鎚命を祀り、奥宮神社と称し 殊に足利時代には亀の山城に築城の赤松領主の篤い尊崇を受け、その後幾多の歳月を経過して現在に及んでいる。

 瀬織津比咩命は中垣内の庄屋八瀬氏により、弘治元年山城国京都より勧請合祀。

 建御名方命は寛文十二年 脇坂安政公が龍野城主として入城の際、信州飯田の諏訪神社より勧請合祀。

 これより井関三神社と称し 前記三神と奥宮神社の一神を斎祀して 幾星霜、平成の御代の今日に至る迄 連綿として御神威の広大無辺なる事を仰ぎみるのである。

 

三、特殊祭礼

・十年祭(開帳式)

 十年毎に執行する式年祭で、開帳式も同時に執り行う。神仏習合期の習俗を現在に伝えたもので 神宮寺 創建当時の三尊仏を開帳し、参詣者の拝観に供する。

・さいれん坊主

 毎年八月十四日には当神社境内で、又翌十五日には恩徳寺境内で執り行う。嘉吉元年の戦乱により亀の山落城の際 滅亡した赤松領主をはじめ一族の霊を弔うための盆供養である。現在この行事は龍野市の無形文化財に指定されており、さいれん坊主保存会により祭礼の伝承がなされている。

現地案内板より

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【由  (History)】

由 緒

 当社の創建は今から凡そ二千有余年の悠久の昔に遡る。社伝によれば人皇第10代崇神天皇2年(BC96)播磨国揖保郡亀の山に天照国照彦火明櫛玉饒早日命が勅命により鎮座されたのが始まりである。

 その後時代の推移により当社が亀の山より現在の井関の地に遷座された年代と経緯については諸説があり判然としない。他方亀の山の社地には当時より武甕槌命を祀り奥宮神社と称し殊に足利時代には亀の山に築城の赤松領主の篤い崇敬を受け、その後幾多の年月を経過して現在に至っている。

 瀬織津姫命は中垣内の庄屋八瀬氏により弘治元年(1555)山城の国京都より勧請合祀される。

 建御名方命は寛文12年(1672)脇坂安政公が龍野城主として入城の際、信州の飯田に鎮座の諏訪神社により勧請合祀されて之より井関三神社と称し、前記三神と奥宮神社の一神を斎祀して幾星霜、平成の御代の今日に至る迄連綿として御神威の広大無辺なる事を仰ぎみるのである。

2008 兵庫県神社庁HPより
https://www.hyogo-jinjacho.com/data/6318017.html

由緒

 社伝には 崇神天皇2年内待所の上に玉光あり、播磨国にも玉光照す所あり、之に天照国照彦大明奇魂饒早日命を祀れとの神教の随々に時の西道将軍 道主命に勅して其の境に社を立て給うと云う。
 白鳳2年神宮寺を建立追々隆盛になりしが 人皇七十九代六条院仁安元年 仝祭神を揖保郡亀の山の社地から現在の井関山へ遷座したが 九十七代光明院 延元2年頃迄に神社・神宮寺共に破損し御神体御仏像等も大宮司家の倉に保管する状態であったが 貞和五年に再建したが小規模な神社であったらしい。
永享12年4月氏子から神宮寺再建の議が起ったが社、寺共に再建せよと将軍の下知により沙汰止みとなり現在も寺はない。本社の改築は 寛永5年寛文3年等に行われている。

 他方 亀の山の社地には 奥宮神社として武甕槌命を祀り 赤松氏の崇敬も厚かったが嘉吉元年の乱に焼失し村中から小社を再建した。
 瀬織津姫命は弘治元年八瀬氏が勧請。
井関に饒速日命、瀬織津姫命、亀の山に武甕槌命を祀り三社大明神と唱えて来たが、寛文12年脇坂竜野城主より諏訪神社の祭神を合祀したがやはり三社大明神と唱えた。
 代々領主の崇敬を受け再建修理を得て今日に至っている。

※「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から参照

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神社の境内 (Precincts of the shrine)】

井関三神社 本殿

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井関三神社 社殿

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井関三神社 拝殿

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井関三神社 割拝殿

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・〈割拝殿前〉狛犬

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・〈割拝殿前〉注連柱

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・〈社殿向かって右 境内社〉三社

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向って左より順に

・〈境内社〉稲荷神社《主》宇気持神

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・〈境内社〉荒神社《主》須盞之男命

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・〈境内社〉天満神社《主》菅原道真公

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・〈社殿向かって左 境内社〉金刀比羅宮《主》大物主命 崇徳院

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・手水舎・井戸

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・境内

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・社頭

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・社号標・中垣内川

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・神橋

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・〈神橋前〉石燈籠

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・一の鳥居

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・参道入口

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神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

・奥宮太神社《主》武甕槌大神(たけみかづちのおほかみ)

奥宮の由緒について

御祭神 武甕槌神たけみかづちのかみ

最初 この亀(き)に崇神天皇二年勅命より 天照国照彦火明玉饒速日神が御鎮座になられたのが始まで 室町時代に赤松氏の勧請により 武甕槌神を合祀したのである。

れ以後 徳川時代の初期 武甕槌神をこのころに従前どおり奉斎して 最初に祀られた御祭神を現在の揖西町中垣内字井関が奉遷して井関神社と称し 一方この地に祭の御祭神を奥宮大神と崇め奉って今日に至っている。

現地立札より

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称

〇『延喜式(えんぎしき)』
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)

〇『風土記(ふどき)』
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本

『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

『播磨國風土記(Harimanokuni Fudoki)〈和銅6年(713年)〉』に記される「粒丘(いひほのをか)」の伝承

中臣印達神社 鎮座地の丘(中臣山)は『播磨国風土記』揖保郡「粒丘(いひほのをか)」に比定されています

【抜粋意訳】

揖保里(いひほのさと)

粒(いひほ)と称される所以は 粒山(いひほやま)があった故に 山の名を この里名とした

粒丘(いひほのをか)と名付けた所以は 粒丘に天日槍命(あめのひぼこのみこと)が 韓国から渡来して宇頭川の辺に到り ここで宿を乞うた

葦原志舉乎命(あしはらのしこをのみこと)は「汝は国主である 我が宿を与えよう」と云い 海中に案内した

この時 客神(まらひとのかみ)〈天日槍命〉は 剣で海水をかき回して宿とした
すると 客神〈天日槍命〉の行いを見た主神(あるじのかみ)〈葦原志舉乎命〉は畏れ 先に国を占拠しようと欲して 国を巡り粒丘に到り ここで湌(みをし)〈食事〉をした その時 口から米粒が落ち 粒丘と名付けられた
その丘には小石があり 皆 米粒によく似ている また 杖を刺した地から冷水が湧き出て 遂に南北に流れた泉は 北は寒く 南は温い
ここには 白朮(おけら)が生える

【原文参照】

『播磨国風土記』,写. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2538170

『日本三代實録(Nihon Sandai Jitsuroku)〈延喜元年(901年)成立〉』に記される伝承

粒坐天照神と表記され 神階の奉授が記されています

【抜粋意訳】

卷二貞觀元年(八五九)正月廿七日甲申

廿七日甲申

京畿七道諸神 進階及新叙 惣二百六十七社

奉授

淡路國 无品勳八等伊佐奈岐命一品
備中國 三品吉備都彦命二品

・・・
・・・

播磨國 從五位下勳八等 粒坐天照神 伊和坐大名持御魂神 並從四位下 從五位下 海神從五位上

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫 https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブス『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫 https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=画像利用

『延喜式Engishiki)』巻3「臨時祭」中の「名神祭Meijin sai)」の条 285座

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂

延喜式巻第3は『臨時祭〈・遷宮天皇の即位や行幸国家的危機の時などに実施される祭祀〉です
その中で名神祭Meijin sai)』の条に 国家的事変が起こり またはその発生が予想される際に その解決を祈願するための臨時の国家祭祀「285座」が記されています

名神祭における幣物は 名神一座に対して 量目が定められています

【抜粋意訳】

巻3神祇 臨時祭 名神祭二百八十五座

園神社一座 韓神社二座〈已上坐宮内省〉

・・・
・・・〈中略〉
・・・

海神社三座 粒坐天照神社一座 中臣印達神社一座 家嶋神社一座 伊和神社一座〈已上播磨国〉

・・・〈中略〉

座別に
絁(アシギヌ)〈絹織物〉5尺
綿(ワタ)1屯
絲(イト)1絇
五色の薄絁(ウスアシギヌ)〈絹織物〉各1尺
木綿(ユウ)2兩
麻(オ)5兩

嚢(フクロ)料の薦(コモ)20枚若有り(幣物を包むための薦)
大祷(ダイトウ)者〈祈願の内容が重大である場合

加えるに
絁(アシギヌ)〈絹織物〉5丈5尺
絲(イト)1絇を 布1端に代える

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス『延喜式 巻3-4』臨時祭 名神祭 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブス『延喜式 巻3-4』臨時祭 名神祭 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブス『延喜式 巻3-4』臨時祭 名神祭 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)山陽道140座…大16(うち預月次新嘗4)・小124

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)播磨國 50座(大7座・小43座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)揖保郡 7座(大3座・小4座)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 粒坐天照神社名神大
[ふ り が な ]いいぼにます あまてらすかみやしろ
[Old Shrine name]Iibonimasu amaterasu kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

延喜式内社 播磨国 揖保郡 粒坐天照神社名神大(いいほにます あまてらすかみのやしろ)の論社

・粒坐天照神社(たつの市龍野町日山)

・天祇神社(たつの市揖西町小神)
粒坐天照神社(たつの市龍野町日山)の奥宮(ご祭神の降臨の地)〉

・古宮神社(たつの市揖西町小神)
粒坐天照神社(たつの市龍野町日山)の中宮(旧鎮座地)〉

・粒坐天照神社(たつの市揖保町中臣)
〈中臣印達神社の境内〉

・梛神社(姫路市林田町下伊勢)

・梛八幡神社(たつの市神岡町沢田)

・井関三神社(たつの市揖西町中垣内)

・多賀八幡神社(姫路市林田町上伊勢)

【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

JR姫新線 本竜野駅から北西方向へ約6.5km 車での所要時間は15~16分程度

東方向の山(的場山)へと石燈籠が並ぶ参道があります

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西方向に参道の入口の鳥居が建てられています

井関三神社(たつの市揖西町中垣内)に参着

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立札があり 車両の通行を規制しています

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一礼をして鳥居をくぐり抜けて 参道を進みます

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神橋の手前に大きな石燈籠があります

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神橋を渡ります

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この神橋の下には 中垣内川が流れています

『播磨国風土記』にする水争いの説話か載せられていますが この説話にある「美奈志(ミナシ)川」は 社前を流れる中垣内川とされています

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神橋を渡ると社頭です

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石段を上がり境内に進みます

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拝殿にすすみます

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注連柱があり 割拝殿へ入ると 沢山の絵馬が奉納されています

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割拝殿内に鈴尾と賽銭箱があり

賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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さらに石段を上がると 拝殿があり 賽銭箱も置かれています

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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社殿は拝殿の奥に本殿が鎮座します

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社殿に一礼をして 割拝殿へと下がります

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境内を戻ります

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神橋を渡り 一の鳥居へと戻ります

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一の鳥居の先 東方向の山(的場山)へと石燈籠が並ぶ参道が続いています

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 粒坐天照神社(名神大)について 表記は゛揖保坐天照神社(名神大)゛と記し 所在は゛揖東郡岡野郷上伊勢村に在す、今伊勢宮と稱す、゛〈現 多賀八幡神社(姫路市林田町上伊勢)〉と記しています

【抜粋意訳】

揖保坐天照神社(名神大)

揖保は 郡名に同じ、和名鈔、〔郷名部〕揖保、〔伊比奉〕

天照は 阿麻弖留と訓べし、

〇祭神 伊勢都比古命歟

〇揖東郡岡野郷上伊勢村に在す、今伊勢宮と稱す、〔古跡便覧〕

〇式三、〔臨時祭〕名神祭二百八十五座、〔中略〕播磨國粒坐天照神社一座

〇播磨國風土記云、〔揖保郡〕

伊勢野(いせの) 伊勢野と名付けられた所以は この野に毎(ごと)有る人は 静けさを得ず そこで 衣縫猪手(きぬぬひのゐて)・漢人刀良(あやひととら)らの祖が 此処に住し山の麓に社を建て 峯の神を敬い祀った その神は 伊和大神の御子神 伊勢都比古命(いせつひこのみこと)と伊勢都比賣いせつひめのみこと)です これより後は 家々は静かで安らかになり 遂に里を成 よって伊勢と号した

 考證云、天照國照彦火明饒速日尊、
 比保古云、天照大神也と非也、

連胤〕按るに、風土記に據て見れば、此古跡なる事疑ひなきを、彼伊勢とだにいへば、天照大神の事に泥みて此故事を忘れ、はやく貞観の頃より、天照神社と唱へ來りしを、其ままに注進したるにこそあらめ、是を以て見れば、伊勢村伊勢宮の名のみ、千載を經てさやかなるぞ、いともいとめでたかりける、河内國 高安郡 天照大神高座神社も、伊勢都比古命といふによく符合ひて證とするに足れり、〔前にも、天照大神にはあらず、必ず山城國 葛野郡 木島坐天照御魂神社と同じく、天日神命なるべしと思へるも、今にて見れば臆断にして恐るるにたれり、返す返すも神號などは、穿ちて説をたつる事なかれ、つつしむべし〕

〇式社記云、下伊勢村八幡宮也、一説に上伊勢村伊勢宮といふ

播磨鑑には、伊勢村の地に社跡あり、大門の跡存すと云り、さては今廃亡ときこえたり、猶國人に尋ねて改むべし、

類社
 山城國 葛野郡 木島坐天照御魂神社の條見合すべし

神位
 三代實錄、貞観元年正月廿七日甲申、奉 播磨國 從五位下動八等 粒坐天照神從四位下、

 比保古に、續日本後紀、嘉祥二年十二月甲午、奉授に伴馬立(はりまいほ)天照神 從五位下、と云るは、社撰なる事、摂津國 島下郡 新屋坐天照御魂神社の條に辨へり、

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 粒坐天照神社(名神大)について 表記は゛揖保坐天照神社(名神大)゛と記し 所在は゛ 揖東郡上伊勢村に在り、伊勢宮と云ふ、゛〈現 多賀八幡神社(姫路市林田町上伊勢)〉と記しています

【抜粋意訳】

揖保坐天照神(イホニマスアマテルカミノ)

〔〇按 三代実録、延喜式臨時祭式、揖保を粒に作る、並に同じ〕

 揖東郡上伊勢村に在り、伊勢宮と云ふ、〔伊保庄 日山村 天神山にあり飾麻縣神社調、播磨事始、古跡便覧、〕

盖 天照國照天火明命を祀る、五百木連の祖神也、〔参酌日本書紀、舊事本紀、新撰姓氏録、三代実録、延喜式〕〔〇按 三代実録、貞観四年、揖保郡人 伊福貞に本姓 五百木連を賜ふ、實に火明命の裔也〕

清和天皇 貞観元年正月甲申、從五位下勳八等 粒坐天照神に從四位下を授け、〔三代実録〕

醍醐天皇 延喜の制、名神大社に列らしむ、〔延喜式〕

凡 毎年九月廿二日祭を行ふ、〔神社明細帳〕

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第18−21巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815498

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 粒坐天照神社(名神大)について 祭神は゛天照國照彦天火明命゛

所在は゛伊保庄日山村〔天神山〕 (揖保郡東栗栖村大字日山 )、゛〈現 粒坐天照神社(たつの市龍野町日山)〉と記しています

その他に所在地の考証を重ねていて゛伊勢村八幡宮゛〈現 多賀八幡神社(姫路市林田町上伊勢)〉゛下伊勢村 梛神社是なり゛〈現 梛神社(姫路市林田町下伊勢)〉゛粒坐とある粒の地゛〈現 粒坐天照神社(たつの市揖保町中臣)〈中臣印達神社の境内〉〉を挙げています

【抜粋意訳】

粒坐天照神社(名神大)

祭神 天照國照彦天火明命

 今按 社傳 祭神 天照皇大神とあるは 天照神社とあるより云出たるものにて取かたし 古書の例 皇大御神を天照神とは云べからさる理なる事を思ふへし 神名式に大和城上郡 鏡作坐天照御魂神社 他田坐天照御魂神社 山城久世郡 水主神社十座の内 水主坐天照御魂神 葛野郡 木島坐天照御魂神社 攝津島下郡 新屋坐天照御魂神社の類 みな尾張連の支別の氏人の祭れる社にて 其祖神 天照國照天火明命なる事著きを 此國にも揖保郡人雅樂笛生無位 伊福部貞 復本社五百木部連火明命之後也と三代實錄に見えたれば 此 粒坐天照神社も其祖神 天火明命なるを 土人は大御神と思混へたるものなり 而るを神社覈録に伊勢村の伊勢宮を式社とし 播磨風土記伊勢野の條によりて 祭神 伊勢津彦命なりと定めて 天照御魂神と思へるは非なる由云れは却てあやまれり

神位
 清和天皇 貞親元年正月廿七日甲申 奉授 播磨國從五位下勳八等 粒坐天照神 從四位下

祭日
社格 縣社

所在 伊保庄日山村〔天神山〕 (揖保郡東栗栖村大字日山 )

 今按 神社覈録に 式社記云 伊勢村八幡宮也 一説に上伊勢村伊勢宮と云 播磨鑑には伊勢村の地に社跡あり 大門の跡存すと云り さてやは廃止すと聞えたりとみえ
 注進狀に揖東郡下伊勢村 梛神社是なりとあれど確誰なし 思ふに村名伊勢と云より 天照神に附會したるなるべし

播磨鑑に伊勢村の社をのせて 式社とし粒坐天照大神神社 上揖保庄樋山村にありとする從ふべし 日山村なるは伊保庄内にて天神山と云ふにあり 又 其社説に椎古天皇の御世 神ありて一つの稲種を牧田彦に授け玉ふ 其四至の中 一夜に千頃の水田となるとみえたるは 粒坐とある粒の地の故事をかく誤り傳へしものならん
播磨風土記 揖保郡揖保里所
粒(いひほ)と称される所以は 粒山(いひほやま)があった故に 山の名をこの里名とした

粒丘(いひほのをか)と名付けた所以は 粒丘に天日槍命(あめのひぼこのみこと)が 韓国から渡来して宇頭川の辺に到り ここで宿を乞うた 葦原志舉乎命(あしはらのしこをのみこと)は「汝は国主である 我が宿を与えよう」と云い 海中に案内した この時 客神(まらひとのかみ)〈天日槍命〉は 剣で海水をかき回して宿とした
すると 客神〈天日槍命〉の行いを見た主神(あるじのかみ)〈葦原志舉乎命〉は畏れ 先に国を占拠しようと欲して 国を巡り粒丘に到り ここで湌(みをし)〈食事〉をした その時 口から米粒が落ち 粒丘と名付けられた
その丘には小石があり 皆 米粒によく似ている

とあるに由あり

又 此村の伊保庄にある伊保は 粒にて揖保に同じ 又 社記に文明三年本社を小神村より今の地に移して齋き祭ると云り 此地に粒山など云山ありや猶よく考ふべし

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

井関三神社(たつの市揖西町中垣内) (hai)」(90度のお辞儀)

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