石船神社(いしふねじんじゃ)は 鳥石楠船命(とりいしくすぶねのみこと)〈別名を天鳥船神〉を祀ります 『古事記』では 天照大御神の詔により 葦原中国(あしはらのなかつくに)への使者として 天鳥船神(あめのとりふねのかみ)を建御雷神(たけみかづちのかみ)に添えて 遣(つかわ)したとあります
目次
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
石船神社(Ishifune shrine)
[通称名(Common name)]
【鎮座地 (Location) 】
茨城県東茨城郡城里町岩船606
[地 図 (Google Map)]
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》鳥石楠船命(とりいしくすぶねのみこと)〈別名を天鳥船神〉
【御神格 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
創建年代不詳
【由 緒 (History)】
城里町 指定文化財(天然記念物) 藤の群生
石船神社の創建は、清和天皇の御代貞観元年(八五九年)で、祭神は「鳥石楠船命(とりいしくすぶねのみこと)」又の名を「天鳥船命」という。
太古建御雷命に従って東征し海運の神といわれている。
この境内にある藤の群生は、地方まれに見るもので、最も大きいものは目通り周囲1.3メートル、開花期は壮観をきわめ森閑とした境内にひときわ参拝者の目を楽しませてくれる。
城里町教育委員会境内案内板より
【境内社 (Other deities within the precincts)】
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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載
(Engishiki Jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)常陸国 38座(大7座・小31座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)那賀郡 7座(大2座・小5座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 石舩神社
[ふ り が な ](いはふねの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Ihafune no kamino yashiro)
【原文参照】
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【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載の類社として 越後國 磐舩郡(いはふねの こおり) 石舩神社(いはふねの かみのやしろ)
・石船神社(村上市岩船三日市)
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神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
R123号の大桂大橋入口信号を西へ折れ約2km程走ると 神社の案内看板があり 右折して1km程進むと岩舟地区へ
道路沿いに社号標「延喜式内 常陸 二八社 石船神社」があります
参道を進むと鳥居が建ちます
石船神社(東茨城郡城里町)に参着
石燈籠の横にある大石は 源義家の伝承を持つ「矢の根石」
さらに参道を進みます
すると 拝殿の前には 清流〈岩船川〉が流れていて 石橋が架かっています
この石橋を渡って参拝するようです
石橋を渡ろうとした時 只ならぬ雰囲気を感じました
明らかに結界を越えるような 御神威のような厳格な気配を感じました
後で ここから先の写真を見ると霧のような光のようなものが社を覆っています
拝殿にすすみます
扁額には「石船神社」
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
拝殿の奥には 本殿はありませんが 神門を備えた瑞垣があります
瑞垣に囲まれた中には 御神体として「兜石」と云われる大岩が祀られています 「兜石」の上あたりは 空気が歪んで見えます
「兜石」は 悪神は この岩に恐れるとの事で 瑞垣の隙間から覗いてみました
境内の奥へと続く道は もう異次元の様でした
振り返ると清流〈岩船川〉と社殿の中間に大きな船形の石があります
この石が 旱(ひでり)の時 この巨石の上にある窪みに溜まっている水を汲み祈願すると 雨が降ると伝わる「石船」なのでしょう
社殿の向かって右側には 御神木 杉の大木があり 境内社の祠が幾つか祀られています やはり空間の感覚が違います
大石に一礼をして 石橋を戻ります
橋を渡り 参道に戻ると 何メートルも離れてはいないのに 先程迄感じていた御神威は不思議とスーと消えていきました
しかし 見た目には社殿の周りの空間は揺らいでいます
参道を何歩か進みますが 気になって仕方がありません 何度か振り返っては一礼をして 戻ります
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神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
石燈籠の横にある大石は「矢の根石」
源義家が 怪物に向かって射た矢が この石に刺さっていたという伝承
矢の根石
石船神社の小さな鳥居をくぐると、すぐ右側に石柵で囲ってあるところがあります。その中に半分土の中に埋まった長さ二メートルくらいの石が一つ。この石は「矢の根石」と呼ばれ、八幡太郎義家の伝説に関係しています。
義家が東国遠征の折、この地方にさしかかると、村人が 「恐ろしい怪獣がいます。退治して下さい」と願い出ました。義家は聞き入れて、怪獣に向かって矢を放ち、見事命中。倒れた怪獣に近づいてみると、正体は石で、矢の根が深く食い込んでいました。これが矢の根石と伝えられ、矢の傷跡らしきものが残っています。城里町商工会公式Webサイト観光案内(旧桂地区)より
https://www.shirosato.biz/sightseeing_katsura/
『日本三代実録(Nihon Sandai Jitsuroku)〈延喜元年(901年)成立〉』に記される伝承
常陸国の神に 神階の奉授が記されています
【抜粋意訳】
貞観元年(859)四月二十六日(辛亥)の条
常陸国 正六位上
石船神 (いはふねのかみ)
佐波神(さはのかみ)
並びに 授(さずく)に 従五位下を
【原文参照】
『新編常陸国誌(しんぺんひたちこくし)』〈天正2年(1574)~寛永20年(1643)〉に記される伝承
祠の側に 船状の大石と舟形の小石がある と記されています
【抜粋意訳】
石船神社
那珂郡岩船村にあり 鳥石楠船神を祭る
縁起 三代実録に云 貞観元年四月二十六日 辛亥 常陸国 正六位上 石船神 授に従五位下
祠傍に 一に大石あり、船の状の如く長さ二丈許り、前に清流あり、呼て岩船川と云、小石数十あり、悉く船形をなすと云
【原文参照】
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
石船は「いはふね」と読むべしと記しています
【抜粋意訳】
石船神社
石船は 伊波布禰と訓べし
〇祭神 鳥石楠船神
〇石船村に在す、今 茨城郡に属す、鎮座に、在に石船山上 祠傍に大石有り、その形船の如し、長さ一丈八尺余り、幅一丈許、その傍に有る 小石四十有り ことごとく小船の形を作り と云り
類社 越後国 磐船郡 石船神社
神位 三代実録 貞観元年四月二十六日 辛亥 常陸国 正六位上 石船神 授に従五位下
【原文参照】
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
鎮座地は 茨城郡石舟村と記しています
【抜粋意訳】
石船神社
祭神 鳥石楠船神
神位 清和天皇 貞観元年四月二十六日 辛亥 常陸国 正六位上 石船神 授に従五位下
祭日 三月三日 九月二十九日
社格 村社
所在 茨城郡石舟村(東茨城郡岩船村大字岩船)
【原文参照】