『古事記』に登場する神話の舞台

⑱国譲り(くにゆずり)伊那佐之小浜(いなさのおはま)と多芸志之小浜(たぎしのおはま)

天照大神(あまてらすおほみかみ)の使いとして 天鳥船神(あめのとりふねのかみ)と建御雷神(たけみかづちのかみ)が 出雲国の 伊那佐の小浜(いなさのおはま)に降り立ち 大国主神(おおくにぬしのかみ)に 国譲り(くにゆずり)を迫ります

⑰天鳥船神(あめのとりふねのかみ)建御雷神(たけみかづちのかみ)

天照大御神(あまてらすおほみかみ)は 次なる 葦原中国(あしはらのなかつくに)への使者として 天鳥船神(あめのとりふねのかみ)を 建御雷神(たけみかづちのかみ)に添えて 遣(つかわ)しました

出雲〈北島〉國造家鎮守社(大社町杵築東)

出雲〈北島〉國造家鎮守 御三社(こくぞうけちんじゅ ごさんしゃ)は 出雲大社の東隣 出雲大社宮司〈北島〉家の祖先神をお祀りした鎮守社として〈天穂日命社・荒神社 稲荷社〉が 並んで鎮座されています 

喪山天神社(美濃市大矢田)

喪山天神社(もやまてんじんしゃ)は 『古事記』『日本書紀』に記された国譲り神話(大国主命が天照大神に葦原中国を譲る神話)の中に出てくる「美濃国の喪山(もやま)」とされ 天若日子(あめのわかひこ)を祀り鎮座されます

喪山古墳(不破郡垂井町)

喪山古墳(もやまこふん)は 『日本書紀』『古事記』に記された国譲り神話(大国主命が天照大神に葦原中国を譲る神話)の中に出てくる「美濃国の喪山(もやま)」〈天稚彦(あめのわかひこ)の御陵〉であると古くから言われてきました

石船神社(東茨城郡城里町)

石船神社(いしふねじんじゃ)は 鳥石楠船命(とりいしくすぶねのみこと)〈別名を天鳥船神〉を祀ります 『古事記』では 天照大御神の詔により 葦原中国(あしはらのなかつくに)への使者として 天鳥船神(あめ ...

⑯阿遅志貴高日子根神(あじしきたかひこねのかみ)高比賣命(たかひめのみこと)

天にいる 天若日子(あめのわかひこ)の父親と その妻子が 八日八夜の間 踊り食べて飲み遊び 死者を弔いをしている時 阿遅志貴高日子根神(あじしきたかひこねのかみ)が 弔問においでにならた すると 天若日子の父親と その妻子が 阿遅志貴高日子根神を天若日子と間違えます この二柱がとても似ていたからです

⑮天若日子(あめのわかひこ)・雉鳴女(きじのなきめ)・天佐具売(あめのさぐめ)

〈葦原中国(あしはらのなかつくに)への使者として 天菩比神(あめのほひのかみ)を 遣(つかわ)しましたが すぐに大国主神(おほくにぬしのかみ)に 媚付(こびへつらい)三年経っても返事をしませんでした〉新たに 天若日子(あめのわかひこ)を 遣(つかわ)せましたが 大国主神の娘 下照比売(したてるひめ)を娶り その国を獲(え)ようと企(たくら)み これも八年経っても 返事することもありませんでしたので 雉(きじ)の鳴女(なきめ)を使いとして 差し向けます しかし 天若日子は これを矢で射殺してしまい 天からの返し矢によって命を落とします

出雲〈千家〉國造家鎮守社(大社町杵築東)

出雲〈千家〉國造家鎮守社(こくぞうけちんじゅのやしろ)〈天穂日命社 天夷鳥命社・荒神社 稲荷社〉は 出雲大社の神楽殿の後方に 出雲大社宮司家〈千家家〉の祖先神などをお祀りした鎮守社が 並んで鎮座されます

出雲国造(いつものくにのみやつこ)とは

出雲国造(いつものくにのみやつこ)は その始祖を 天照大御神の御子神〈天穂日命(あめのほひのみこと)〉としていて 同じく 天照大御神の御子神〈天忍穂耳命(あめのほひのみこと)〉を始祖とする天皇家と同様の始祖ルーツを持ってる神代より続く家柄です 出雲の地で 大国主命(おほくにぬしのみこと)の御魂を代々に渡り 守り続けています

日吉神社(鳥取市布勢)&天穂日命社〈境内摂社〉

日吉神社(ひえじんじゃ)は 国の史跡「布勢古墳」と同じ丘陵地にあり 俗に「布勢の山王さん」と呼ばれ親しまれています 境内摂社の天穂日命社〈あめのほひのみことのやしろ〉は 山王社地宝筐印塔(さんのうしゃじほうきょういんとう)を御神体とする式内社 因幡國 高草郡 天穗日命神社の論社です

天穂日命神社(鳥取市福井)

天穂日命神社(あめのほひのみことじんじゃ)は 古代 稲葉国造(いなばのくにのみやつこ)の氏神として天穂日命が祀られたものであったと伝わります 『延喜式神名帳(927年編纂)』所載の因幡國 高草郡 天穗日命神社の論社です

⑭豊葦原之千秋長五百秋之水穂国(とよあしはらのちあきながいほあきのみずほのくに)

天照大御神(あまてらすおほみかみ)は この 葦原中国(あしはらのなかつくに)は 我が子 正勝吾勝勝速日天忍穂耳命(まさかつあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと)が 治める所の国であると定めた と命を下された 天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)が 天浮橋(あまのうきはし)に立たれて 下界を眺めると「豊葦原之千秋長五百秋之水穂国(とよあしはらのちあきながいほあきのみずほのくに)は ひどく騒がしく有るな」と言われた

英彦山神宮(福岡県 英彦山)〈奉幣殿・下津宮〉

英彦山神宮(ひこさんじんぐう)は 社伝によれば 鎮座する英彦山は 御祭神が天照大神の御子 天忍穂〈根〉耳命 故に「日の子の山」即ち「日子山」と呼ばれたする この縁起から『延喜式神名帳927 AD.』所載の豊前国 田川郡 忍骨命神社(をしほねのみことの かみのやしろ)の論社ともされます

鹿島神宮(鹿嶋市宮中)

鹿島神宮(かしまじんぐう)は 武甕槌大神(たけみかづちのおほかみ)を祀る鹿島神社〈全国に約600社〉の総本宮です 『常陸国風土記713AD.』には 香島天之大神(かしまのあめのおほかみ)・『延喜式神名帳927 AD.』には 鹿島神宮(かしまの かむのみや)と記されています

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