若宮神社(わかみやじんじゃ)は 三島大明神の随神四神の一柱「若宮(Wakamiya)」が祀られています 島では この随神4柱を祀る神社を通称「四社の宮」と云います 鎮座地は 阿古地区にあるスコリア丘〈噴石丘〉頂上の火口跡にあり おそらく 噴火前に「若宮」の元宮が鎮座していた場所(噴火の為不明)なのだろうと思います
目次
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
若宮神社(Wakamiya Shrine)
(わかみやじんじゃ)
[通称名(Common name)]
【鎮座地 (Location) 】
東京都三宅島 三宅村阿古
[地 図 (Google Map)]
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》物忌奈命(Monoimina no mikoto)
【御神格 (God's great power)】
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『三宅記(miyakeki)』に記載される神を祀る神社
・「四社の宮」の「若宮(Wakamiya)」元宮か?
【創 建 (Beginning of history)】
不詳
【由 緒 (history)】
不詳
若宮(わかみや)神社
この神社には、物忌奈命(ものいみなのみこと)が祀られている。
物忌奈命は、三島大明神が考安天皇の頃、天竺から伊豆に来る途中の筑紫で三人の兄弟(妹)を家来にした。この三人の家来が中心になって伊豆の島々を噴火造成し、また、芦ノ湖から追ってきた大蛇を退治し村人を救ったといわれている。この三人兄弟(妹)の長兄が物忌奈命であり、伝説上では伊豆諸島の神話時代最も活躍した神である。三宅島は火山の島であり、度重なる噴火に住民の生活は極度に脅かされ続けていた。
島の全域に散在している火口付近には必ず神社があるが、それは村人が火の神を祀り噴火を鎮めようとしたものである。特に阿古方面の噴火は激しく、古代神社も阿古を中心に数多く祀られている。
この若宮神社の境内も側火口の跡にあり、古くは噴火神の一つであったと思われる。
三宅村現地案内板より
【境内社 (Other deities within the precincts)】
スポンサーリンク
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
御祭神「物忌奈命(Monoimina no mikoto)」について
『三宅記(miyakeki)』には 三島大明神の御子「物忌奈命(Monoimina no mikoto)」ではなく「三随神(sanzuijin)」の1柱として「若宮(Wakamiya)」とされています
しかし 案内板にあるように「若宮(Wakamiya)」は「物忌奈命(Monoimina no mikoto)」とする説もあります
「物忌奈命(Monoimina no mikoto)」は
『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』(927年12月編纂)には所載されていますが 鎌倉時代末期の『三宅記(miyakeki)』には登場しません
一方「若宮(Wakamiya)」は
『三宅記(miyakeki)』には登場しますが『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』(927年12月編纂)には記されません
「若宮(Wakamiya)」は『三宅記(miyakeki)』では 三島大明神の家系ではなく 家来神(属神)として記されていて 「島焼(伊豆諸島の造成)」の伝承など各所で「若宮(Wakamiya)」として重要な働きが記されています
スポンサーリンク
【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
祠は 西北の方向「神津島(Kozu Island)」を向いています
若宮神社(Wakamiya Shrine)の鎮座するスコリア丘〈噴石丘〉の参道を上がると 若宮神社(Wakamiya Shrine)は「神津島(Kozu Island)」を向いていることがわかります
おそらく
「神津島(Kozu Island)」には「物忌奈命(Monoimina no mikoto)」を祀る
名神大社「物忌奈命神社」が鎮座しますので こちらを遥拝する形をしているものと推測します
https://www.google.com/maps/d/u/0/edit?hl=ja&hl=ja&mid=1NM1TgcP1ZE-AeLffwtVu3AcqJDgPO-rl&ll=34.13895433868869%2C139.27290286423334&z=12
スポンサーリンク
神社にお詣り(Pray at the shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
錆ヶ浜港から南下 約1.2km 徒歩17分程度
三宅一周道路からスコリア丘を廻るように海よりの道へと入ります
案内板が設置されていて 鳥居が建ちます
若宮神社(Wakamiya Shrine)に参着
金属製の新しい鳥居の扁額には「若宮神社」と記されています
一礼をして 鳥居をくぐり抜けます
スコリア丘の急斜面の参道を上がります
石段が出てきましたので かつては石段の参道だったようです
木製の柱が2本あり おそらく鳥居の跡です いよいよご神域 一礼をして進みます
少し草深くなりましたが 足元には石段があります
覆屋の中に鎮座する 祠にすすみます
賽銭をおさめ お祈りです
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
下りの参道を戻り 木製の鳥居がたっていた辺りは 視界が開けていました
眼下にかつて溶岩流が流れ込んだ阿古の海
その先の洋上には「物忌奈命(Monoimina no mikoto)」を祀る「物忌奈命神社」が鎮座する「神津島(Kozu Island)」が見えます
樹木のトンネルのような参道を下ります
参道入口の鳥居をくぐり 振り返り一礼をします
スポンサーリンク
神社の伝承(Old tales handed down to shrines)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『三宅記(miyakeki)』に記される「三随神(sanzuijin)」の伝承
天竺の王子が 日本に到着後 丹波の国(tambanokuni)で翁と出逢い やがて三島大明神(Mishima daimyojin)となるであろうこと 正体は「薬師如来(Yakushi nyorai)」であることを告げられて 翁の御子3人が「三随神(sanzuijin)」となって 三島大明神に付き添う様子が 記されています
「四社の宮」の 御祭神は「三随神(sanzuijin)」の3社が含まれていて それぞれ 2人は男 1人は女です
1人を「若宮(wakamiya)」と名付けました
正体は「普賢菩薩(fugembosatsu)」です
1人は「剣(tsurugi)」と名付けました
「不動明王(fudomyoo)」です
1人の女子は「見目(mime)」と名付けました
正体は「大弁財天(daibenzaiten)」です
海龍王(kairyuo)とも申します
と記されています
当社では この「若宮(wakamiya)」を「物忌奈命(Monoimina no mikoto)」として祀っています
意訳
日本に渡る中間で 海中に荒れた風がたったので 船頭と舵取りは港へ戻そうとしました
王子は「この船は 左や右を向くのではなく 日本に向けなさい」と命令をされましたが 船頭は進んでお従いを差し上げず 舵取りは あれやこれや やみくもに走らせようとして帆を引きました
王子は立ち上がられて 御扇で 扇ぎ扇がれましたので たちまち順風になって 瞬く間に 御船は日本に着きましたしかし 王子は船の中ではお供もお連れになりませんでしたので お疲れになり 人家を探されたところ 神寂びた社の前に 柴の庵があるのをご覧になり 立ち寄られると 年を取り寿命もつきそうな姥と翁がおりました
王子は 近寄って
「旅のものですが 疲れてきたので何でも良いから 頂けないでしょうか」と頼まれましたが
「ここには 少しの食べ物の蓄えもございません 他へ行ってお求めください」
と答えましたが 重ねておしゃいますには
「他に行って求める方が良いが わざわざここを目指して参りました 何でも良いのです 何でもあるものでけっこうですから」と重ねて御言葉がありました姥は翁に向かって
「普通の人とは思えないお方が 疲れてやって来て 食べ物を乞われています ✊出て見てください」と言うと 翁は立って出て 見て差し上げると 姥に云うには
「このお方は ただの人ではいらっしゃいません 薬師の化身でいらっしゃいますぞ 急いでお入りいただきなさい とはいえ 只今差し上げる食べ物も思い出しません」と申し上げると「あそこに見えるものを 木の葉に入れてお授けください」と御言葉があったので ご希望通りに木の葉に載せて差し上げました
それを取って賞味され
「これの名前は何んというのでしょうか」と尋ねられましたので
タミという木の実であると申し上げますと
「美味しいものだから 私が住むところに植えよう」と七粒お持ちになりましたさて その夜の晩 翁は
「今宵の夢枕に 殿は天竺の王子でいらっしゃるのですが 東の海 伊豆の国の海の沖合いに 土地を焼きだしてお住まいになられるでしょう
殿のお名前は 三島大明神(Mishima daimyojin)と申し奉られるでしょう
本当のお姿は 薬師如来(Yakushi nyorai)でいらっしゃるとのお告げを頂きました」
と話されました翁は 地神の5代「ウノハフキアワセズノミコト」の御代にこの国に渡ってきました
「私は 百済国では「アマノコヤネノミコト」と呼ばれていましたが 年令が320歳になりましたので 昔や今の様子もだいたい覚えています
何処に居られても 姥と翁をお忘れにならないでください私には 3人の子供がおります 2人は男 1人は女です
1人を「若宮(wakamiya)」と名付けました
正体は「普賢菩薩(fugembosatsu)」です1人は「剣(tsurugi)」と名付けました
「不動明王(fudomyoo)」です1人の女子は「見目(mime)」と名付けました
正体は「大弁財天(daibenzaiten)」です
海龍王(kairyuo)とも申します海中に住まわれるのであれば また衆生(shujo)に功徳を授けるためにも 人の知力を超越した者達でございますので 王子にさしあげましょう」
と言って付き添わされました「あそこに見えている船こそ幸いにも富士の裾野の方角へ行く船です お乗りください」と4人を御船に乗せて
「この場所を 後には丹波の国(tambanokuni)と呼ぶでしょう」と言って 翁は柴の庵に帰りました
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ 『三宅記』鎌倉時代末期 [書誌事項]写本 ,明治04年[旧蔵者]教部省
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?BID=F1000000000000040542&ID=&LANG=default&GID=&NO=&TYPE=JPEG&DL_TYPE=pdf&CN=1画像利用
若宮神社(Wakamiya Shrine)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)