月読神社(京都市西京区松室山添町)

月読神社(つきよみじんじゃ)は 『日本書紀』顕宗天皇の段 三年(487)に 壱岐島から月神(つきのかみ)を勧請したと 創建について記されます 延喜式神名帳927 AD.所載 山城國 葛野郡 葛野坐月讀神社(名神大 月次 新嘗)かとのにます つきよみの かみのやしろ)比定され 現在は 松尾大社の境外摂社となっています

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目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

月読神社(Tsukiyomi shrine)

 [通称名(Common name)]

【鎮座地(Location)

京都府京都市西京区松室山添町15

 [(Google Map)]

【御祭神(God's name to pray)】

《主》月読尊(つきよみのみこと)

相殿
《配》高皇産霊尊(たかみむすひのみこと)

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

・授福の神・安産の神

【格(Rules of dignity)

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho927 AD.所載社
・ 松尾大社摂社

【創(Beginning of history)】

鎮座の由来
日本書紀の顕宗天皇三年二月(487)の条に、阿閉臣事代(あへのおみことしろ)という者が勅命を奉じて任那に派遣されることになったが、月神が或る人に憑依して…
… 「我が祖、高皇産霊(たかみむすび)、天地を熔造(ようぞう)するの功に預かる。宜しく民地を以って奉れ。我は月神なり。若し請に依り、我に奉らば、当(まさ)に福慶(ふくけい)おらむ」…
との託宣があった。

事代は都に還り、このことを奏上した。
朝廷では月神の請をいれて山背国葛野郡の「歌荒樔田(うたあらすだ)」の地を奉られた。

そして月神の裔と称する壱岐の押見宿祢(おしみのすくね)が神社を造営し、祠官として奉仕した。
これが月読神社の創祀である。

その後、押見宿祢の子孫は世襲祠官として永く神社に仕え、本貫地の壹岐(伊岐)を氏の名とした。
この伊岐氏は、後に壱岐国の県主(島造)となった名族で、押見はその祖に当たる人である。

壱岐は地理的に大陸に近い関係で、壱岐氏は早くから中国の亀卜の術を我が国に伝え、これを中央に伝播んした氏族の一つで、神祇官にあって卜占の事に関与し卜部氏を名乗っていた。
卜占という聖職に携わるこの氏族が、その本貫地で自分等の祖神と仰ぐ「月神」に、氏族の安泰と繁栄を祈念すべく奉斎したのが、そもそも当月読神社の創始ではなかったろうか。

荒樔田について
当初の鎮座地、については、現在も月読の地名が残っている桂川左岸に在ったとも、右岸の桂上野の辺とも言われているが定かではない。

現在地に移ったのは、文徳天皇斉衝三年(856)で、度重なる桂川の氾濫を避けて安全地帯の松尾山麓を選ばれたものであろう。以後この地も、祠官の家名も松室と呼ばせるようになったと言われる。
以後この地も、祠官の家名も松室と呼ばせるようになったと言われる。

秦氏との関係
葛野郡一帯は早くから、帰化族の秦氏の勢力圏であったから、当然当神社も松室氏も秦氏の厚い庇護を受け親密な関係にあった。
このことは、当社の世襲祠官であった松室氏が、秦氏の支配を受けて松尾大社に代々奉仕していたことでも明らかである。

信仰の変化
信仰も元来の天文・暦数・卜占・航海の神から転じて、疱瘡の神として崇められることもあり、近世以降はむしろ農耕の神として地元農民の崇敬を受けて今日に及んでいる。

月読神社公式HPより

【由(History)】

京都市指定史跡

月読神社境内

 月読(つきよみ)神社は延喜式では名神大社の一つに数えられる神社で、元は壱岐氏によって壱岐島において海上の神として奉斎されたものです。
 文献によれば、顕宗(けんぞう)三年(四八七)阿閉臣事代(あへのおみことしろ)が朝鮮半島に遣わされる際に、壱岐で月読尊がよりついて託宣をしたので、これを天皇に奏上して山城国葛野郡歌荒樔田(うたあらすだ)の地に社を創建したとされ、斎衡(さいう)三年(八五六)に松尾山南麓の現在の地に移ったと伝えます。
 境内は、江戸時代に建てられた本殿、拝殿を中心に、御船社、聖徳太子社などから構成されています。
 月読神社が京都へもたらされるにあたっては渡来系氏族、なかでも山城国と深く関係する秦氏が関わった可能性が強く、古代京都の神祇信仰やまた渡来文化を考える上で重要な意味をもつ神社であるといえます。

平成五年四月一日 指定 京都市

現地案内立札より

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松尾大社摂社 式内社 月読神社(つきよみじんじゃ)

ご祭神 月読尊(つきよみのみこと)

約千五百年前に鎮座された古社で古来 授福の神・安産の神として人々の崇敬が厚い。

境内には

聖徳太子社(しょうとくたいししゃ)
古老たちは「学問の神」と伝う

御舟社おふねしゃ
「航海安全」「交通安全」の神

月延石つきのべいし
安産石で妊婦の守り神とされている

解穢の水かいわいのみず
四時絶えることないお山からの霊水などがある。

現地案内板より

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【境内社(Other deities within the precincts)】

聖徳太子社

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御舟社

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月延石・むすびの木

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願掛け陰陽石

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【境外社 (Related shrines outside the precincts)】

月読神社(京都市西京区松室山添町)は 松尾大社の摂社です

松尾神社二座(並 名神大 月次 相嘗 新嘗)(まつのをの かみのやしろ ふたくら)

・松尾大社(京都市西京区嵐山宮町)

月読神社(京都市西京区松室山添町)は 壱岐島 月讀神社分霊とされます

壱岐島(いきのしま)に祀られる 式内社 月讀神社(名神大)(つきよみの かみのやしろ)

・月讀神社(壱岐市芦辺町国分東触)

・箱崎八幡神社(壱岐市芦辺町箱崎釘ノ尾触)〈月讀宮〉

・男嶽神社(壱岐市芦辺町箱崎本村触)箱崎八幡神社の旧鎮座地〉

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『續日本紀(Shoku Nihongi)』〈延暦16年(797)完成〉に記される伝承

山背国の諸神々の神稲について中臣氏が給わると記しています

【抜粋意訳】

大宝元年(七〇一)四月丙午日〉の条

○丙午
勅。山背国葛野郡月読神。樺井神。木嶋神。波都賀志神等神稲。自今以後。給中臣氏。

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブ『続日本紀』延暦16年(797)選者:菅野真道 写本 慶長19年[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000045548&ID=M2014100619504988793&TYPE=&NO=画像利用

『日本文徳天皇実録(Nihon MontokuTenno Jitsuroku)〈元慶3年(879年)完成〉』に記される伝承

壱岐国式内社月読神社から分祠された「歌荒樔田(うたあらすだ)」の地は 河近くあったが 水害の為 松尾之南山遷座したとの記録が記されています

【抜粋意訳】

齊衡三年(八五六)三月戊午十五日〉の条

○戊午
山城國葛野郡月讀社。置松尾之南山。社近河濱。爲水所囓。故移之。

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 『日本文徳天皇実録』元慶3年(879年)完成 選者:藤原基経/校訂者:松下見林 刊本 ,寛政08年 10冊[旧蔵者]農商務省https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047714&ID=M2018040912122716848&TYPE=&NO=

『日本三代実録(Nihon Sandai Jitsuroku)〈延喜元年(901年)成立〉』に記される伝承

神階の奉授 風雨祈祷の記録が記されています

【抜粋意訳】

貞觀元年(八五九)正月廿七日甲申〉の条

廿七日甲申
京畿七道諸神進階及新叙惣二百六十七社

奉授 淡路國无品勳八等伊佐奈岐命一品備中國三品吉備都彦命二品
・・・・
・・・・

山城國
正二位勳二等 松尾神從一位
葛野月讀神 平野今木神 正二位
正四位下 稻荷神三前正四位上
正四位下 大若子神。小若子神。酒解神。酒解子神正四位上
平野從四位 下久度古開神從四位上。
正五位上 貴布禰神。正五位下乙訓火雷神。從五位上水主神等從四位下。
正五位下 合殿比咩神正五位上。從五位下樺井月讀神。木嶋天照御魂神。和攴神並正五位下。
從五位下 祝園神。天野夫攴賣神。岡田鴨神。岡田園神。樺井月神。棚倉孫神。許波多神。出雲井於神。片山神。鴨川合神等並從五位上。
正六位上 與度神。石作神。向神。簀原神。鴨山口神。小野神。久 我神。高橋神。雙栗神。水度神。伊勢田神。无位小社神並從五位下
・・・
・・・
・・・

【抜粋意訳】

貞觀元年(八五九)九月八日庚申〉の条

○八日庚申

山城國
月讀神
。木嶋神。羽束志神。水主神。樺井神。和岐神。

大和國
大和神。石上神。大神神。一言主神。片岡神。廣瀬神。龍田神。巨勢山口神。葛木水分神。賀茂山口神。當麻山口神。大坂山口神。膽駒山口神。石村山口神。耳成山口神。養父山口神。都祁山口神。都祁水分神。長谷山口神。忍坂山口神。宇陀水分神。飛鳥神。飛鳥山口神。畝火山口神。吉野山口神。吉野水分神。丹生川上神。

河内國
枚岡神。恩智神。

和泉國
大鳥神。攝津國住吉神。大依羅神。難波大社神。廣田神。生田神。長田神。新屋神。垂水神。名次神等遣使奉幣。爲風雨祈焉

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブス『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブス『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=画像利用

『延喜式Engishiki)』巻1 四時祭上 六月祭十二月准 月次

月次祭つきなみのまつり)『広辞苑』(1983)
「古代から毎年陰暦六月・十二月の十一日に神祇官で行われた年中行事。伊勢神宮を初め〇四座の祭神に幣帛を奉り、天皇の福祉と国家の静謐とを祈請した」

大社の神304座に幣帛を奉り 場所は198ヶ所と記しています

【抜粋意訳】

月次祭つきなみのまつり

奉(たてまつる)幣(みてぐら)を案上に 三百四座 並大 社 一百九十八所

座別に絁五尺、五色の薄絁各一尺、倭文一尺、木綿二両、麻五両、倭文纏刀形(まきかたなかた)、絁の纏刀形、布の纏刀形各一口、四座置一束、八座置一束、弓一張、靫(ゆき)一口、楯一枚、槍鋒(ほこのさき)一竿、鹿角一隻、鍬一口、庸布一丈四尺、酒四升、鰒、堅魚各五両、腊二升、海藻、滑海藻、雑の海菜各六両、堅塩一升、酒坩(かめ)一口、裹葉薦五尺、祝詞(のとこと)座料短畳一枚、

前一百六座
座別絁五尺、五色薄絁各一尺、倭文一尺、木綿二両、麻五両、四座置一束、八座置一束、楯一枚、槍鋒一口、裹葉薦五尺、
 右所祭之神、並同祈年、其太神宮(かむのみや)、度会宮(わたらひのみや)、高御魂神(たかむすひのかみ)、大宮女神(おほみやめのかみ)には各加ふ馬一疋、〈但太神宮、度会宮各加籠(おもつを)頭料庸布一段、〉
前祭五日、充忌部九人、木工一人を、令造供神調度を、〈其監造并潔衣食料、各准祈年、〉祭畢即中臣の官一人率て宮主及卜部等を、向て宮内省に、卜の定供奉神今食に之小斎人(みのひと)を、
供神今食料
 紵一丈二尺、〈御巾料、〉絹二丈二尺、〈篩(ふるい)の料、〉絲四両、〈縫篩等料、〉布三端一丈、〈膳部巾料、〉曝布一丈二尺、〈覆水甕料、〉細布三丈二尺、〈戸座襅(へさたまき)并褠料、〉木綿一斤五両、〈結ふ御食(みけ)料、〉刻柄(きさたるつか)の刀子二枚、長刀子十枚、短刀子十枚、筥六合、麁(あら)筥二合、明櫃三合、御飯、粥料米各二斗、粟二斗、陶瓼(すえのさかけ)[如硯瓶以上作之]瓶【瓦+并】(かめ)各五口、都婆波、匜(はふさ)、酒垂各四口、洗盤、短女杯(さらけ)各六口、高盤廿口、多志良加[似尼瓶]四口、陶鉢八口、叩盆四口、臼二口、土片椀(もひ)廿口、水椀八口、筥代盤(しろのさら)八口、手洗二口、盤八口、土の手湯盆(ほん)[似叩戸采女洗]二口、盆(ほとき)四口、堝十口、火爐二口、案(つくえ)十脚、切机二脚、槌二枚、砧二枚、槲四俵、匏廿柄、蚡鰭(えひのはた)槽[供御手水所]二隻、油三升、橡の帛三丈、〈戸の座服の料、冬絁一疋、綿六屯、履一両、〉
右供御の雑物は、各付内膳主水等の司に、神祇官の官人率神部等を、夕暁(よひあかつき)両般参入内裏に、供奉其の事に、所供雑物、祭訖て即給中臣忌部宮主等に、一同し大甞会の例に、

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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『延喜式Engishiki)』巻2 四時祭下 新嘗祭

嘗祭(にいなめのまつり)は
「新」は新穀を「嘗」はお召し上がりいただくを意味する 収穫された新穀を神に奉りその恵みに感謝し国家安泰国民の繁栄を祈る祭り

大社の神304座で 月次祭(つきなみのまつり)に准じて行われる
春には祈年祭で豊作を祈り秋には新嘗祭で収穫に感謝する

【抜粋意訳】

新嘗祭(にいなめのまつり)

奉(たてまつる)幣(みてぐら)を案上に 神三百四座 並 大社 一百九十八所

座別に 絹5尺 五色の薄絹 各1尺 倭文1尺 木綿2両 麻5両四座置1束 八座(やくら)置1束 盾(たて)1枚 槍鉾(やりほこ)1竿
社別に庸布1丈4尺 裏葉薦(つつむはこも)5尺

前一百六座
座別に 幣物准社の法に伹 除く 庸布を
右中 卯の日に於いて この官(つかさ)の斎院に官人 行事を諸司不に供奉る
伹 頒幣 及 造 供神物を料度 中臣祝詞(なかとみののりと)は 准に月次祭(つきなみのまつり)に

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

『延喜式Engishiki)』巻3「臨時祭」中の「名神祭Meijin sai)」の条 285座

延喜式Engishiki)律令の施行細則全50巻』〈平安時代中期朝廷編纂

延喜式巻第3は『臨時祭〈・遷宮天皇の即位や行幸国家的危機の時などに実施される祭祀〉です
その中で名神祭Meijin sai)』の条に国家的事変が起こりまたはその発生が予想される際にその解決を祈願するための臨時の国家祭祀「285座」が記されています

名神祭における幣物は名神一座に対して 量目が定められています

【抜粋意訳】

名神祭 二百八十五座

・・・
・・・
葛野月讀(かとのつきよみの)神社一座
・・・

座別に
絁(アシギヌ)〈絹織物〉5尺
綿(ワタ)1屯
絲(イト)1絇
五色の薄絁(ウスアシギヌ)〈絹織物〉各1尺
木綿(ユウ)2兩
麻(オ)5兩
嚢(フクロ)料の薦(コモ)20枚若有り(幣物を包むための薦)
大祷(ダイトウ)者〈祈願の内容が重大である場合
加えるに
絁(アシギヌ)〈絹織物〉5丈5尺
絲(イト)1絇を 布1端に代える

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス『延喜式 巻3-4』臨時祭 名神祭 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブス『延喜式 巻3-4』臨時祭 名神祭 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブス『延喜式 巻3-4』臨時祭 名神祭 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
(Engishiki JimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

延喜式Engishiki)律令の施行細則全50巻』〈平安時代中期朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)畿内 658座…大(預月次新嘗)231(うち預相嘗71)・小427

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)山城国 122座(大53座(並月次新嘗・就中11座預相嘗祭)・小69座(並官幣))

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)葛野郡 20座(大14座・小6座)

[名神大 大 小] 式内名神大社

[旧 神社 名称 ] 葛野坐月神社(名神大月次新嘗)
[ふ り が な ]かとのにます つきよみの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Katononimasu Tsukiyomi no kamino yashiro)

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

壱岐島(いきのしま)に祀られる 式内社 月讀神社(名神大)(つきよみの かみのやしろ)

神社考に曰、顯宗天皇三年二月、天月神命ノ神託に依り壹岐縣主先祖押見宿禰の祭る所にして 月讀神社には高皇産靈尊の裔 天月神命を祀り 高御祖神社には天月神命の祖 高皇産靈尊を祀る云々

延寶4年(1676)延寶の調〈平戸藩の国学者橘三喜の式内社調査〉では 月讀神社(壱岐市芦辺町国分東触)式内社と比定ました これ里人が鎮座地「清月(きよつき)」「ふかつき」とも呼んでいたことに因ります
しかし「ふかつき」の語源深淵 ふかふち」橘三喜比定は誤りで 式内社の月読神社は箱崎八幡神社とされています

・月讀神社(壱岐市芦辺町国分東触)

・箱崎八幡神社(壱岐市芦辺町箱崎釘ノ尾触)〈月讀宮〉

・男嶽神社(壱岐市芦辺町箱崎本村触)箱崎八幡神社の旧鎮座地〉

『日本書紀』顕宗天皇紀にある 山背国葛野郡歌荒樔田(ウタアラスダ)られた〈月の神〉〈現 月読神社京都市西京区

葛野坐月讀神社(名神大 月次 新嘗)(かとのにます つきよみの かみのやしろ)

・月読神社(京都市左京区)

壱岐島(いきのしま)に祀られる 式内社 髙御祖神社(たかみおやの かみのやしろ)

神社考に曰、顯宗天皇三年二月、天月神命ノ神託に依り壹岐縣主先祖押見宿禰の祭る所にして 月讀神社には高皇産靈尊の裔 天月神命を祀り 高御祖神社には天月神命の祖 高皇産靈尊を祀る云々

・高御祖神社(壱岐市芦辺町諸吉仲触)

・箱崎八幡神社(壱岐市芦辺町箱崎釘ノ尾触)

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『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載の内 高御魂と号した式内社は 合わせて五座〈厳密には 六座 大和の目原は二座〉

・大和の宇奈多奢(うなたり)・大和の目原(めはら)・山城の羽束師(はつかし)と対馬の豆酘(つつ)にあり それを宮中の高御産日神を合わせて五座〈厳密には 六座 大和の目原は二座〉となります

①「宮中神 御巫等祭神八座 並大 月次新嘗 中宮 東宮御巫亦同」

御祭神 (八座) 
神産日神高御産日神玉積日神生産日神足産日神大宮賣神御食津神事代主神

②「大和國添上郡 宇奈太理坐高御魂神社 大月次新嘗」の論社は3つ

・宇奈多理坐高御魂神社(奈良市) 

・井栗神社(春日大社 境内) 

・穴栗神社(奈良市) 

➂「大和国十市郡 目原坐高御魂神社二座並大月次新嘗」の論社は3つ

・天満神社(橿原市) 

・耳成山口神社(橿原市) 

・山之坊山口神社(橿原市) 

④「山城国乙訓郡 羽束師坐高御産日神社大月次新嘗」の論社は1つ

・羽束師坐高御産日神社(京都市伏見区)

➄「対馬島下県郡高御魂神社 名神大」の論社は1つ

・高御魂神社(対馬 豆酘) 

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神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

松尾大社から南へ350m 徒歩4分程度

山裾道を進むと案内板と鳥居が建っています

月読神社(京都市西京区松室山添町)に参着

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鳥居の扁額には 月讀大神 と記されています
一礼をして くぐり 石段を上がります

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境内には透塀が廻り 神門が設けられています

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境内の中央には神楽殿

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本殿にすすみます

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扁額には 月讀大神

賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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本殿左右の境内社にお参りをして参道を戻ります

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神門を出て一の鳥居くぐり出ます

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神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『日本書紀(Nihon Shoki)〈養老4年(720)編纂〉』に記される伝承

顕宗天皇三年の段に 任那と高麗との通交に関して 壱岐の「月神」と対馬の「日神」が「高皇産霊命(タカミムスビノミコト)を祀れ」と憑依し神勅が記されます

この「月神」は箱崎八幡神社(壱岐市芦辺町箱崎釘ノ尾触)に祀られる「天月神命であると伝わります

歌荒樔田(ウタアラスダ)に〈月の神られたのは山背国の葛野郡にあり〈現 月読神社京都市西京区〉です

【抜粋意訳】

顕宗天皇三年の段 春二月丁巳朔の条

顕宗天皇3年2月1日
阿閉臣事代(アヘノオミコトシロ)は命を受け日本から任那に使者として出た
すると月神(ツキノカミ)が人に神掛かって云うには
我が祖先の高皇産霊命(タカミムスビノミコト)最初に鎔けあっていた天地を創造した功績がある民地(カキトコロ)我が月神に奉れこの請うままに献上するならば福慶(サイヨロコビ)があるだろう

事代(コトシロ)はそれで京大和に帰詳細に申し上げました
それで歌荒樔田(ウタアラスダ)に〈月の神られた 歌荒樔田は山背国の葛野郡にあり〈現 月読神社京都市西京区
壱岐県主(イキノアガタヌシ)の先祖押見宿禰(オシミノスクネ)が祠(マツリ)仕えました

顕宗天皇三年)3月上巳

後苑(ミソノ)に出られて 曲水宴(メグリミズノトヨノアカリ)を催された

(顕宗天皇三年)夏4月5日

日神(ヒノカミ)人に神掛かって阿閉臣事代(アヘノオミコトシロ)に語って云うには
「磐余(イワレ)の田を我が祖先高皇産霊(タカミムスヒ)に奉れ

事代はすぐに天皇に奏上神が乞(コワシ)請うままに田14町を献上した
対馬下直(ツシマシモノアガタノアタイ)を祠(マツリ)に侍らせた

(顕宗天皇三年)夏4月 13日

福草部(サキクサベ)を置かれた

(顕宗天皇三年)夏4月 25日

天皇は八釣宮(ヤツリノミヤ)で崩御された

顕宗天皇三年)この年

紀生磐宿禰(キノオイワノスクネ)は任那(ミマナ)を経由して高麗と交通(カヨイ)ました
西の三韓(ミツノカラクニ)の王にならんとし官府(ミヤツカサ)を整え治め神聖(カミ)と自称した任那の左魯(サル)那奇他甲背(ナカタカフハイ)たちは 策謀し百済の適莫爾解(チャクマクニゲ)を爾林(ニリム)で殺した爾林は高麗の土地
帯山城(シトロモロノサシ)を築き 東道を防った 粮(カ食料を運ぶ津〉を遮断した 軍隊は飢え苦しみ百済の王はとても怒り領軍(イクサ)の古爾解(コニゲ)と内頭莫古解(ナイトウマクコゲ)たちを派遣した 軍隊を率いて帯山に行き攻めた生磐宿禰(オイワノスクネ)は軍隊を進め逆に迎え撃ちた胆気益壮(イキオイマスマスサカリ)で向かうところで敵を皆破り一人で敵100人に当たしばらくして武器は尽き枯れたそれで事が成らないと分か任那へと帰
これにより百済国は佐魯(サル)那奇他甲背(ナカタカフハイ)たち300人あまりを殺した

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブ『日本書紀』(720年)選者 舎人親王/刊本 文政13年 [旧蔵者]内務省https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047528&ID=M2017042515415226619&TYPE=&NO=画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブ『日本書紀』(720年)選者 舎人親王/刊本 文政13年 [旧蔵者]内務省https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047528&ID=M2017042515415226619&TYPE=&NO=画像利用

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社葛野坐月神社は 現在の松尾大社の攝社あり創建については壱岐島から月神を勧請したと 日本書紀顕宗天皇三年記されている

【抜粋意訳】

葛野坐月神社 名神大月次新嘗

葛野は郡名に同じ、は都岐興美と訓べし、(宣長は都久用美と訓べしと云り、然れども日本紀、古事記、万葉集、等みな月読とありて、歌に都久用とは詠たれど、都久用美と仮字にて書たる所なければ、今古点の儘を用ふ、)
○祭神尊(社説)
〇松尾郷松室村に在す(山城志)松尾摂社也、例祭松尾同日、
○式三、(臨時祭)名神祭二百八十五座、山城國葛野月読神社一座、
○日本紀、顯宗天皇三年二月丁巳朔、阿閉臣事代、銜命出使于任那於是月神著人謂之曰、宜以民地奉我、月神若依晴献我当福慶、事代山是還京具奉奏、以歌荒巣田、(歌荒巣田在山城國葛野郡)壹岐縣主先祖、押児宿禰侍祀」

旧事紀、(天神本紀)天月神命、壹岐縣主等祖、
旧事紀頭に、紀伊国淡島社司紀如尚云、天月神命非月読命、高皇産令裔神也、顕宗紀云々、壹岐島壹岐郡月読神社、高御祖神社、又山城國葛野坐月読神社、右所謂月神月読神社共是天月神命也乎といへる考は、いかにとも謂がたし、
類社
常國綴喜郡月読神社、(大月次新嘗)壹岐島壹岐郡月詠神社、(名神大)当國綴喜郡樺井月神社、(大月次新嘗)丹波国桑田郡小川月神社(名神大)伊勢國渡会郡月夜見神社、
連胤按るに、此五社は恐らく同神なるべし、但し伊勢国渡会郡月読宮は、此例に入れず、

鎮坐
文徳実録、斉衡三年三月戊午、移山城国葛野郡月読社、置尾之南山、社近河濱為水所噛、故移之、
連胤按るに、当社旧地未考へ定めず、(日本紀通証に注せるも、実地は志れず、)歌荒巣田は、神社考云、在大堰河之西南、即今松尾之東南地是也、(比保古同じ)

神位
三代実録、貞観元年正月27日甲申、奉授山城国葛野月読神正二位、

官幣
三代實録、貞観元年9月8日庚申、山城國月読神、遣使奉幣、為風雨祈焉、

雑事
続日本紀、大宝元年4月丙午、山背國葛野郡月続神神稻、自今以後給中臣氏、

【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015

国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社葛野坐月神社は 現在の松尾大社の攝社あり創建については壱岐島から月神を勧請したと 日本書紀顕宗天皇三年記されている

【抜粋意訳】

葛野坐月讀(かとのにます つきよみの)神社(名神大 月次 新嘗)

祭神月讀

今按〈今考えるに〉

日本書紀
顕宗天皇三年の段 春二月丁巳朔の条 顕宗天皇3年2月1日
阿閉臣事代(アヘノオミコトシロ)は命を受け日本から任那に使者として出た
すると月神(ツキノカミ)が人に神掛かって云うには
我が祖先の高皇産霊命(タカミムスビノミコト)最初に鎔けあっていた天地を創造した功績がある民地(カキトコロ)我が月神に奉れこの請うままに献上するならば福慶(サイヨロコビ)があるだろう

事代(コトシロ)はそれで京大和に帰詳細に申し上げました
それで歌荒樔田(ウタアラスダ)に〈月の神られた 歌荒樔田は山背国の葛野郡にあり〈現 月読神社京都市西京区
壱岐県主(イキノアガタヌシ)の先祖押見宿禰(オシミノスクネ)が祠(マツリ)仕えました

とある時の御縁由によりて祭られ玉へる神なり 又 松尾社家系図に押見宿禰始自壱岐島遷居 山背國 葛野歌荒樔田宿祢神社在 松室里とみえ 此忍見の子孫世々松尾月讀両社祝禰宜に補せられるるも此故によれり姑附て考に備ふ

神位
三代実録、貞観元年正月27日甲申、奉授山城国葛野月読神正二位、

官幣
三代實録、貞観元年9月8日庚申、山城國月読神、遣使奉幣、為風雨祈焉

祭日 四月上酉日 十月三日

社格(松尾神社境外摂社)

所在 松室(葛野郡松尾村大字松室)
今按〈今考えるに〉
文徳天皇 斉衡三年三月戊午、移山城国葛野郡月読社、置尾之南山、社近河濱為水所噛、故移之
とあるは社地みえたり神社考に在大堰川之西南即今松尾之東南地 是也とみゆ尚よく考べし

【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155

月読神社(京都市西京区松室山添町)に (hai)」(90度のお辞儀)

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山城国 式内社 122座(大53座(並月次新嘗 就中11座預相嘗祭)・小69座(並官幣)について に戻る 

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