穴栗神社(奈良市横井)

穴栗神社(あなぐりじんじゃ)は 元々は 横井村の北西に鎮座していたが 江戸時代初期の寛文年間〈1661~1673年〉に現在地古市村に遷座したと伝わります 二つの式内社「宇奈太理坐高御魂神社(うなたりにますたかみむすひの かみのやしろ)」「穴次神社あなつきかみのやしろ)」の論社とされています

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目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

穴栗神社(Anaguri shrine

 [通称名(Common name)]

【鎮座地 (Location) 

奈良県奈良市横井1丁目

 [  (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

《主祭神》
伊栗社いぐりしゃ)  天太玉命 (伊栗大神)
穴栗社あなぐりしゃ) 高皇産靈神(穴栗大神)
青榊社あおさかきしゃ青和幣(あおにぎて)
辛榊社からさかきしゃ白和幣(しらにぎて)

【御神格 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity)

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

当社は 元々は 横井村の北西に鎮座していたが 江戸時代初期の寛文年間〈1661~1673年〉に現在地古市村に遷座したと伝わります 当時 現在地は 古市村に所在していたが 横井村の氏神とされたと伝

【由  (History)】

穴栗神社(伊久理の杜 いくりのもり)

奈良市横井一丁目六七七番地

御祭神
伊栗(いぐり)社  (太玉命 ふとだまのみこと)
穴栗(あなぐり)社 (高御産霊尊 たかみむすびのみこと)
青榊(あおさかき)社(青和幣 あおにぎて)
辛榊(からさかき)社(白和幣 しらにぎて)

この神社の鎮座する地は、古く「日本書紀」景行天皇(第十二代)の条に「春日穴咋邑(かすかあなくひのむら)」と出ているところです。神社の名を穴吹・穴次と書くものもありますが、春日大社の記録によると、平安時代に、この地から穴栗・井栗の神が春日大社に勧請(かんじょう)(分霊)されたと書かれています。
境内にある元禄四(一六九一)年建立の社号標石にも「穴栗四社大明神」とあり、穴栗は古くからの呼び名です。
 現在、穴栗神社は、横井東町の氏子がお祀りしています。

「萬葉集」に
妹(いも)が家に 伊久里の杜(いくりのもり)の 藤の花 今来(こ)む春も 常(つね)かくし見む
-高安王-(巻一七 - 三九五二)
と詠まれている「伊久里の杜」は、井栗の神を祀っていた、この地です。
 歌は、天平十八(七四六)年八月七日に、越中守(えっちゅうのかみ)大伴家持(おほとものやかもち)の舘(やかた)での宴(うたげ)の場で、玄勝というお坊さんが伝誦(でんしょう)したものです。作者の高安 王(大原高安)は、天武天皇の皇子 長(なが)親王の孫にあたり、奈良の都の人です。
「恋しい人の家に通(かよ)っていく伊久里の杜に咲く藤の花よ、まためぐってくる春にも、いつもこのように眺めていたいものだ」と詠んでいる作者は、藤の花の咲くころ、このあたりを通って、恋しい人のもとを訪ねたのでしょう。
 境内の萬葉歌碑は、平成十年五月に、平城(なら)萬葉教室と横井東町自治会の協力によって建立されました。

「伊久里の杜」萬葉歌碑建立実行委員会

現地案内板より

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【境内社 (Other deities within the precincts)】

春日
・稲荷
・神武天皇

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【境外社 (Related shrines outside the precincts)】

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『延喜式Engishiki)』巻1 四時祭上 六月祭十二月准 月次

月次祭つきなみのまつり)『広辞苑』(1983)
「古代から毎年陰暦六月・十二月の十一日に神祇官で行われた年中行事。伊勢神宮を初め〇四座の祭神に幣帛を奉り、天皇の福祉と国家の静謐とを祈請した」

大社の神304座に幣帛を奉り 場所は198ヶ所と記しています

【抜粋意訳】

月次祭つきなみのまつり

奉(たてまつる)幣(みてぐら)を案上に 三百四座 並大 社 一百九十八所

座別に絁五尺、五色の薄絁各一尺、倭文一尺、木綿二両、麻五両、倭文纏刀形(まきかたなかた)、絁の纏刀形、布の纏刀形各一口、四座置一束、八座置一束、弓一張、靫(ゆき)一口、楯一枚、槍鋒(ほこのさき)一竿、鹿角一隻、鍬一口、庸布一丈四尺、酒四升、鰒、堅魚各五両、腊二升、海藻、滑海藻、雑の海菜各六両、堅塩一升、酒坩(かめ)一口、裹葉薦五尺、祝詞(のとこと)座料短畳一枚、

前一百六座
座別絁五尺、五色薄絁各一尺、倭文一尺、木綿二両、麻五両、四座置一束、八座置一束、楯一枚、槍鋒一口、裹葉薦五尺、
 右所祭之神、並同祈年、其太神宮(かむのみや)、度会宮(わたらひのみや)、高御魂神(たかむすひのかみ)、大宮女神(おほみやめのかみ)には各加ふ馬一疋、〈但太神宮、度会宮各加籠(おもつを)頭料庸布一段、〉
前祭五日、充忌部九人、木工一人を、令造供神調度を、〈其監造并潔衣食料、各准祈年、〉祭畢即中臣の官一人率て宮主及卜部等を、向て宮内省に、卜の定供奉神今食に之小斎人(みのひと)を、
供神今食料
 紵一丈二尺、〈御巾料、〉絹二丈二尺、〈篩(ふるい)の料、〉絲四両、〈縫篩等料、〉布三端一丈、〈膳部巾料、〉曝布一丈二尺、〈覆水甕料、〉細布三丈二尺、〈戸座襅(へさたまき)并褠料、〉木綿一斤五両、〈結ふ御食(みけ)料、〉刻柄(きさたるつか)の刀子二枚、長刀子十枚、短刀子十枚、筥六合、麁(あら)筥二合、明櫃三合、御飯、粥料米各二斗、粟二斗、陶瓼(すえのさかけ)[如硯瓶以上作之]瓶【瓦+并】(かめ)各五口、都婆波、匜(はふさ)、酒垂各四口、洗盤、短女杯(さらけ)各六口、高盤廿口、多志良加[似尼瓶]四口、陶鉢八口、叩盆四口、臼二口、土片椀(もひ)廿口、水椀八口、筥代盤(しろのさら)八口、手洗二口、盤八口、土の手湯盆(ほん)[似叩戸采女洗]二口、盆(ほとき)四口、堝十口、火爐二口、案(つくえ)十脚、切机二脚、槌二枚、砧二枚、槲四俵、匏廿柄、蚡鰭(えひのはた)槽[供御手水所]二隻、油三升、橡の帛三丈、〈戸の座服の料、冬絁一疋、綿六屯、履一両、〉
右供御の雑物は、各付内膳主水等の司に、神祇官の官人率神部等を、夕暁(よひあかつき)両般参入内裏に、供奉其の事に、所供雑物、祭訖て即給中臣忌部宮主等に、一同し大甞会の例に

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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『延喜式Engishiki)』巻2四時祭下中の相嘗祭神七十一座

【抜粋意訳】

巻2 神祇2 四時祭下 十一月祭
相甞祭神七十一座相嘗祭神(あひむへのまつりのかみ)七十一座

宇奈(うなたりのやしろ)一座

絹二疋、絲一絇一両三分二銖、調布三端四尺、庸布一段一丈四尺、木綿十三両、海藻二斤十両、鮑十両、堅魚(カツヲ)二斤十両、腊四斤、塩一升、筥一合、瓼、缶(ホトキ)、水瓫、山都婆波、小都婆波、筥瓶、酒垂、匜、等呂須伎、高盤、片盤、短女坏、筥坏、小坏、陶臼各二口、酒稲五十束、〈神税〉

【原文参照】

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『延喜式Engishiki)』巻2 四時祭下 新嘗祭

嘗祭(にいなめのまつり)は
「新」は新穀を「嘗」はお召し上がりいただくを意味する 収穫された新穀を神に奉り その恵みに感謝し 国家安泰 国民の繁栄を祈る祭り

大社の神304座で 月次祭(つきなみのまつり)に准じて行われる
春には祈年祭で豊作を祈り 秋には新嘗祭で収穫に感謝する

【抜粋意訳】

新嘗祭(にいなめのまつり)

奉(たてまつる)幣(みてぐら)を案上に 神三百四座 並 大社 一百九十八所

座別に 絹5尺 五色の薄絹 各1尺 倭文1尺 木綿2両 麻5両四座置1束 八座(やくら)置1束 盾(たて)1枚 槍鉾(やりほこ)1竿
社別に庸布1丈4尺 裏葉薦(つつむはこも)5尺

前一百六座
座別に 幣物准社の法に伹 除く 庸布を
右中 卯の日に於いて この官(つかさ)の斎院に官人 行事を諸司不に供奉る
伹 頒幣 及 造 供神物を料度 中臣祝詞(なかとみののりと)は 准に月次祭(つきなみのまつり)に  

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
(Engishiki JimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

二つの式内社「宇奈太理坐高御魂神社(うなたりにますたかみむすひの かみのやしろ)」「穴次神社あなつきかみのやしろ)」の論社とされています

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)畿内 658座…大(預月次新嘗)231(うち預相嘗71)・小427
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)大和国 286座(大128座(並月次新嘗・就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣))
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)添上郡 37座(大9座・小28座)
[名神大 大 小] 式内大社

[旧 神社 名称 ] 宇奈太理坐高御魂神社(大 月次 相嘗 新嘗)
[ふ り が な ]うなたりにますたかみむすひの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Unatarinimasu Takamimusuhi no kamino yashiro)

[旧 神社 名称 ] 穴次神社
[ふ り が な ]あなつきかみのやしろ)
[Old Shrine name]Anatsuki no kamino yashiro)

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

式内社 宇奈太理坐高御魂神社(大 月次 相嘗 新嘗)(うなたりにます たかみむすひの かみのやしろ)の論社

・宇奈多理坐高御魂神社(奈良市法華寺町) 

・井栗神社〈春日大社境内社〉(奈良市春日野町) 

・穴栗神社(奈良市) 

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神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

JR桜井線 京終駅と帯解駅の中間辺り R169から少し東に入った辺りに鎮守の杜が見えてきます

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境内は 東を向き 表参道は東にあります
穴栗神社(奈良市横井)に参着

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西側にも参道口があり 脇に社号標「穴栗四社大明神」があります

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拝殿の手前にも 境内社の赤鳥居が建ち 祠が祀られています

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拝殿にすすみます
通路に柵が設けられ 奥へ立入りはできません

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賽銭をおさめ お祈りをします 
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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拝殿奥 正面基壇上に鳥居が建ち 周囲に瑞垣が廻されていて 中央には本殿が鎮座します

四柱の神を祀る本殿は 四棟の流造りが横に連結一体化て それぞれの社殿の屋根に千鳥破風が設けられている珍しい造りです 

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社殿に一礼をして 参道を戻ります

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神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

式内社 宇奈太理坐高御魂神社についての伝承

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 宇奈太理坐高御魂神社について 現 宇奈多理坐高御魂神社(奈良市法華寺町を論社として記しています

又 宇奈多理坐高御魂神社(奈良市法華寺町は 三代実録に記されている「法華寺 薦枕高御産栖日神」の可能性もあるがは 別の神社で式外社として 取り扱いたいとも記しています

【抜粋意訳】

宇奈太理坐高御魂神社(大 月次 相嘗 新嘗)

宇奈太理は假字なり 高御魂は多加美武須毘と訓べし
〇祭神明らかなり
〇法華寺村に在す 今 楊梅天神と称す 大和志
〇式二 四時祭下 相嘗祭神七十一座 中略 宇奈足一座
比保古に 三代実録 貞観八年三月二日 大和國 神皇産霊神 授位を当社に配て 此 神皇産霊神なり 神代巻曰 神皇産霊尊 此録落高字歟 と云るは社撰なり 故に今祭事記に従うて 爰に出さず 式外の所に参す

類社
山城國 乙訓郡 羽束束師坐髙御日神社の下見合すべし

神寶
日本紀 持統天皇六年十二月甲申 遣 大夫等奉新羅於莵名足社

神位
三代実録
貞観元年(八五九)四月十日乙未 授法華寺從三位薦枕高御産栖日神 正三位

元慶三年(八七九)六月庚申朔 授法華寺薦枕高御産栖日神從二位
比保古 祭事記 別社として式外に収む 古事記傳 古史傳等 当社の事といへり 按るに 現在 法華寺村に在すといへば 伝の説可ならんかと爰に収む

【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 宇奈太理坐高御魂神社について 法華寺村の佐保殿村と法華寺村との間の田地の字に雨多利とかけるが見え待るは 宇奈太利社の旧跡にて とあり
宇奈多理坐高御魂神社(奈良市法華寺町に遷座したと記しています

【抜粋意訳】

宇奈太理坐高御魂(ウナタリニマスタカミムスビノ)神社
(大 月次 相嘗 新嘗)
〇称 楊梅天神

祭神 髙皇産霊(タカミムスビノ)尊

神位
三代実録
貞観元年(八五九)四月十日乙未 授法華寺從三位薦枕高御産栖日神 正三位

元慶三年(八七九)六月八日庚申朔 授法華寺薦枕高御産栖日神從二位

祭日 九月一日
社格 村社

所在 法華寺村字楊梅谷(添上郡佐保村大字法華寺)
今按 繭笠ノ滴に古き検地帳を見待るに法華寺村の佐保殿村と法華寺村との間の田地の字に雨多利とかけるが見え待るは 宇奈太利社の旧跡にて待るべきを社は廃して 今は字のみ残れりとあるに因りて考るに 古へ神社 この地にありし時 宇奈太理坐高御魂神社と云けんを 後に今の地に移したりしにやあらん
さて 清和天皇の御世頃は既に法華寺域内にてありし 故に三代実録には法華寺云々と申せしにて別に神社ありしには在べからず 姑附て後考を俟つ

【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155

式内社 穴次神社伝承について

『日本書紀(Nihon Shoki)〈養老4年(720)編纂〉』に記される伝承

第十代 崇神天皇の皇子 彦狭島王ひこさしまのきみ 病に伏し亡くられた地「春日穴咋邑(かすかあなくいむら)」は当地であると云われます

【抜粋意訳】

景行天皇 五十五年 二月〈五日〉の条

彦狹嶋王(ひこさしまのみこ)に東山道(やまのみち)の十五国の都督(かみ)が拝(まけたまふ)
これは 豊城命(とよきのみこと第10代崇神天皇皇子の孫なり

春日の穴咋村(あなくひむら)に到って 病に伏し亡くなられました
この時 東国の百姓は かの(きみ) 到着しないことを悲しみ 密かに王の尸(かばね)を盗んで 上野国(かみつけのくに)に葬りました

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブ『日本書紀』(720年)選者 舎人親王/刊本 文政13年 [旧蔵者]内務省https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047528&ID=M2017042515415226619&TYPE=&NO=画像利用

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 穴次神社は 古市村在している と記しています

【抜粋意訳】

穴次神社

穴次は阿那都と読り
〇祭神 猿田彦命(頭注)
○古市村に在す、(大和志、同名所図会)今 穴栗明神と称す、
上田百木云、旧訓アナツキ アナフキ フエフキなどあり、共に誤なり、穴咋是なり、延暦7年8月対馬守正六位上 穴咋皆麻呂 賜姓秦忌寸、』伴信友云、頓阿自華神明帳に、笛吹大明神とあるは当社か、旧事紀 建多乎利命笛連祖の條劈頭に、神名帳云 大和国添上郡笛吹神社とせるは拠志れず、当社 穴吹にフエフキなど、假字つける本もあるよりの疎漏なり、連胤按るに、日本紀、景行天皇55年2月壬辰、以彦狡島王邦東山道十五國都督、豊城命之孫也、然到春日穴咋邑、臥病而薨之、とあるを思へば穴咋なるべく、かつ穴栗(アナクリ)明神と称(マウ)すも、穴咋(アナクヒ)と語近けれど、諸本 穴咋と書しを見ざれば改め難し、猶後勘をまつのみ、景行紀の穴咋邑は、奈良豆比古神社に由縁あり、
又一説に、春日の末社 穴栗社を、社記に穴次神也とあるを以て、当社の事と思へるは違へり、こは古市村なるぞ正しかりける、
当社を穴栗明神といふは、春日の末社に祀りて後、其号の移りたるならん、亦云、旧事紀の劈頭は論なく誤也、笛吹明神の事は忍海郡葛木坐火雷神社の條見るべし、

【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015

国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 穴次神社は 古市村あると記しています

【抜粋意訳】

穴次(アナツキノ)神社 (穴吹とあり)

祭神 猿田彦命

今按
社伝 祭神 天ノ太玉ノ命 高皇産霊ノ神 大日霊ノ命 月夜見ノ命とあれど信じかたし
神名帳考に兼俱本に穴吹神社は猿田彦命なりとある由を記し 神名帳頭注にも之に同じきは古伝ありて記せしものならと思はるれば故れ 今之に従て社伝を改正せり 又 古史傳に本社を以て笛吹社とせるは非説なればとらす

祭日 十月二十日
社格 村社
所在 古市村字井栗森(添上郡東市村大字古市)

【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155

穴栗神社(奈良市横井)ついて

『大和志料(Yamato shiryo)』〈大正3年(1914)〉に記される伝承

穴栗神社(奈良市横井)ついて 記しています

【抜粋意訳】

穴栗(アナクリ)神社

市村大字古市 穴栗にあり 穴栗四社明神称す
本朝神社内閣文庫蔵に 伊栗社 穴栗社 青榊社 辛榊社 右四社相殿に而惣名 穴栗神社と唱来候と 即ち是なり 今 村社たり
按ずるに春日の末社に伊栗 穴栗 青榊 辛榊の四社あり
中臣祐房注進状に「小神目録・・・青榊一前 実名 天乃石立命 辛榊一前 穴栗一前 又 実名 宇奈太理坐高御魂神社」と見ゆ
彼の穴栗社は 当社より勧請せしか また春日の末社よりこの所に合祭せしかを知らず 但し 中臣祐房記に「保延元年八月三日依 左衛門佐宗光奉に小神十七社 毎日可備進之旨被仰下其十七社 内 穴栗丼粟神社は若宮神主 祐房自らに横井村奉渡干中院備進之」と
これに依れば 穴栗・井栗の二神はもと本郡横井村にありしを 若宮神主祐房 春日社境内に移祭せるものの如し 姑く記して後考を俟つ

 延喜式神名帳に添上郡 穴次神社あり 上田百樹云ふ『穴次舊訓「アナツキ」「アナフキ」「フエフキ」とあり共に誤れり穴咋これなり』と 然らばもと穴咋神社と称せしを咋次相似たるを以て穴吹と誤り 更に穴次と誤れるならん 今これを「アナクリ」と称するも「アナクヒ」の転訛なるべし
咋は 景行天皇紀に「五十五年春二月戊子朔壬辰、以彥狹嶋王、拜東山道十五國都督、是豐城命之孫也。然、到春日穴咋邑、臥病而薨之とあるなれば
疑らくは王の霊を祀りて咋社と称せしか 亦後考を俟つ 近地に宅布世社・大和日向社あり 参考にすべし

【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『大和志料』著者 奈良県 編 出版年月日 大正3年 出版者 奈良県教育会https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/950813

穴栗神社(奈良市横井) (hai)」(90度のお辞儀)

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大和国 式内社 286座(大128座(並月次新嘗 就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣)について に戻る

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大国主神(おほくにぬしのかみ)が 坐(ましま)す 古代出雲の神代の舞台へ行ってみたい 降積った時を振り払うように 神話をリアルに感じたい そんな私たちの願いは ”時の架け橋” があれば 叶うでしょう 『古事記(こじき)』〈和銅5年(712)編纂〉に登場する神話の舞台は 現在の神社などに埋もれています それでは ご一緒に 神話を掘り起こしましょう

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出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)は 律令体制下での大和朝廷で 出雲国造が その任に就いた時や遷都など国家の慶事にあたって朝廷で 奏上する寿詞(ほぎごと・よごと)とされ 天皇(すめらみこと)も行幸されたと伝わっています

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出雲国造(いつものくにのみやつこ)は その始祖を 天照大御神の御子神〈天穂日命(あめのほひのみこと)〉としていて 同じく 天照大御神の御子神〈天忍穂耳命(あめのほひのみこと)〉を始祖とする天皇家と同様の始祖ルーツを持ってる神代より続く家柄です 出雲の地で 大国主命(おほくにぬしのみこと)の御魂を代々に渡り 守り続けています

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宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

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行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

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對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています

-延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)
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