千葉県

下立松原神社(南房総市千倉町)

下立松原神社(しもたてまつばらじんじゃ)は 『古語拾遺』〈大同2年(807年)〉に記される神武天皇元年の安房開拓に纏わる忌部氏の伝承が残る古社です 鎌倉幕府を開いた源頼朝公が自らが書写した大般若経600巻を奉納しています 又 同名の下立松原神社が千倉町と白浜町にそれぞれ鎮座していて 双方ともに式内社の論社となっています

下立松原神社(南房総市白浜町滝口)

下立松原神社(しもたてまつばらじんじゃ)は 『古語拾遺〈大同2年(807年)〉』に記される神武天皇元年の安房開拓に纏わる忌部氏の伝承が残る古社ですが 同名の下立松原神社が 白浜町と千倉町にそれぞれ鎮座していて 双方ともに『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の式内社の論社となっています

莫越山神社(南房総市沓見)

莫越山神社(なこしやまじんじゃ)は 社伝には神武天皇元年 天富命が 阿波の忌部の諸氏を率いて安房に開拓の為 移り住んだ時 安房の東方の開拓をした 天富命の孫 小民命(おたみのみこと)その御子 御道命(みぢのみこと)が 莫越山に手置帆負命を祀り 彦狭知命を合祀したと伝わります 式内社の論社としては ここ沓見と宮下の2社が挙げられます

莫越山神社(南房総市宮下)

莫越山神社(なこしやまじんじゃ)は ご神体山〈莫越山〉の麓に遥拝所として造営され 往古境内は広大 神殿は壮麗でしたが 中世を経て荒廃したと社伝は云い 古代の祭祀遺跡が周辺に点在し 古くから信仰があることがわかります 式内社の論社としては ここ宮下と沓見の2社が挙げられます

天神社〈下立松原神社の境内〉(南房総市白浜町)

天神社(あまつかみのやしろ)は 下立松原神社の拝殿の向かって右側に鎮座します 高御産巣日神(タカミムスビノカミ)神産巣日神(カミムスビノカミ)を祀る式内社の論社で 本郷 谷(ヤツ)部落から昭和3年に下立松原神社本殿に合祀されました その後 昭和12年(1937)に改めて天神社を祀ったものです

洲宮神社(館山市洲宮)〈延喜式内 大社・安房國一之宮の論社〉

洲宮神社(すのみやじんじゃ)は 元々は南側の魚尾山(とおやま)山上に鎮座しましたが 文永10年(1273)火災により古書などを焼失して現在地へ遷座します 明治5年(1872)教部省が式内社と認定しますが 翌6年(1873)洲崎神社を式内社であると覆し 式内社論争となります 両社とも近代社格制度では縣社に列格されました

安房國の 式内社〈6座(大2座・小4座)〉について

安房國(あわのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載されている当時の官社です 安房國には 6座(大2座・小4座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています

安房神社(館山市大神宮)〈延喜式内社 名神大社・安房国一之宮〉

安房神社(あわじんじゃ)は 日本神話「天の岩戸」では 天太玉命〈忌部氏の氏神〉が 天照大御神の出現を願い 祭祀を執り行いました 故に 古代の大和朝廷では 忌部氏が・祭祀に必要な鏡や玉・神に捧げる幣帛や織物・威儀物の矛や楯など武具・社殿の造営などを司っていました  日本における全ての産業の総祖神としても崇敬されています

玉﨑神社(中原)「玉前神社(一宮町)」の本宮であると云われます

玉﨑神社(たまさきじんじゃ)は 長生郡一宮町の玉前神社(一宮町)の本宮であると云われています 1200年以上前に 西方より渡ってきた物部氏一族が 和泉浦に創建した歴史ある古社で かつては安房神社 香取神社と並び房総の3大神社と称されたと伝わります 現在でも9月13日に行われる十二社祭りの本宮にあたります

玉前神社(一宮町)〈『延喜式』玉前神社(名神大)『三代實録』玉崎神〉

玉前神社(たまさきじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載の名神大社です 上総国一之宮で格式高い由緒を持ちます 永禄年間(1558~1570)大きな戦火にかかり 社殿・宝物・文書の多くを焼失し 創建の由来や年数 又 名称等が不祥で 神武天皇の御代 あるいは 景行天皇の御代の創立と伝えられます

高家神社(南房総市千倉町南朝夷)〈料理の祖神「磐鹿六雁(いわかむつかみの)命」〉

高家神社(たかべじんじゃ)は 料理の神様「磐鹿六雁命(いわかむつかみのみこと)」を祀り 料理関係者や味噌・醤油などの醸造業者からの崇敬が非常に篤い 文政2年(1819)京都の吉田御所に届け出て証を願い 神明社から改称し 高家神社が再興されたものです

洲崎神社(館山市洲崎)〈延喜式内 大社・安房國一之宮〉

洲崎神社(すのさきじんじゃ)は 古代氏族の忌部氏の開拓神「天富命(ameno tomi no mikoto)が 初代天皇 神武天皇の勅命を受けて 肥沃な土地を求めた時に 阿波忌部氏の一部を率いて房総半島に上陸しました そして 開拓を行う時に 忌部族の総祖神「天太玉命」の后神「天比理乃咩命」を祀ったのが当社と伝わります

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