洲崎神社(館山市洲崎)

洲崎神社(すのさきじんじゃ)は 古代氏族の忌部氏の開拓神「天富命(ameno tomi no mikoto)が 初代天皇 神武天皇の勅命を受けて 肥沃な土地を求めた時に 阿波忌部氏の一部を率いて房総半島に上陸しました そして 開拓を行う時に 忌部族の総祖神「天太玉命」の后神「天比理乃咩命」を祀ったのが当社と伝わります

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目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(shrine name)】

 洲崎神社(sunosaki shrine)
(すのさきじんじゃ)

 [通称名(Common name)]

【鎮座地 (location) 】

 千葉県館山市洲崎1697

 [地 図 (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》天比理乃咩命(ameno hirinome no mikoto)(天太玉命の后神)
《合》天太玉命(ameno futodama no mikoto)   (忌部氏・斎部氏の祖神)
   天富命(ameno tomi no mikoto)     (忌部氏 房総の開拓神)

【御神格 (God's great power)】

・安産   Healthy childbirth
・航海安全 Voyage safety
・豊漁 Big catch prayer
・五穀豊穣 Pray for good harvest
・厄除開運 Prayer at an age considered a milestone in life.Bring good luck and happiness.
・交通安全 Traffic safety

(源頼朝公の故事に倣い)
・再起・再興の神様 God wishing for a resurrection
・等 etc

【格 式 (Rules of dignity) 】

・安房國一之宮
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』所載社

【創 建 (Beginning of history)】

社伝によれば 初代天皇「神武天皇の御代」

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式内大社 洲崎神社

祭神 天比理乃咩命 (あめのひりのめのみこと)
当社は延喜式神名帳に「后神天比理乃咩命神社大元洲名神」と記され、天太玉命の后神を祀る式内大社で、元の名を洲神と称した。

由緒
当社は宝暦三年(一七五三)の「洲崎大明神由緒旧記」によると、神武天皇の御宇、天富命が御祖母神天比理乃咩命の奉持された御神鏡を神霊として、洲辺の美多良洲山に祀られたことに始まる。

鎌倉時代の治承四年(一一八〇)安房に逃がれた源頼朝が、戦勝と源氏再興を祈念して神田を寄進、後、妻政子の安産を祈願している。室町時代には江戸城を築いた太田道灌が、江戸の鎮守として明神の分霊を勧請したと伝えている。

房総里見氏も当社を尊崇して、七代義弘が神領五石を寄進し、江戸幕府もこれに倣って朱印状を下した。幕末の文化九年(一八一二)房総沿岸警備を巡視した老中松平定信は「安房国一宮洲崎大明神」の扁額を奉納している。

神位は平安時代に正一位、鎌倉時代に元寇戦勝祈願の功により勲二等に叙せられ、明治六年(一八七三)県社に列せられた。
往時、別当寺は養老寺など五ヶ寺を数えた。洲崎明神は古来伝承されている数々のあたらかな霊験から、安産、航海安全、豊漁、五穀豊穣や厄除開運の守護神として信仰が厚く、現在に及んでいる。

平成元年八月 館山市文化財審議会委員 君塚文雄 誌

境内石碑より抜粋

【由 緒 (history)】

神武天皇の御代、安房忌部一族の祖 天富命が勅命により四国の忌部族を率いて房総半島を開拓され、忌部族の総祖神 天太玉命の后神天比理乃咩命を祀ったのが当社です。

平安時代の延喜式神名帳に式内大社后神天比理刀咩命神社とあり、元の名を洲ノ神(すさきのかみ)と称されていました。

 鎌倉時代の治承4年(1180)石橋山の合戦に敗れ房総半島に逃れてきた源頼朝公は、先ず当社に参詣し源氏の再興を祈願し、寿永元年(1182)には奉幣使を派遣し妻政子の安産を祈願して、広大な神殿を当社に寄進されました。 以降関東武士の崇敬篤く、里見家七代義弘は社領五石を寄進。徳川幕府も朱印状で安堵しています。

 室町時代には、江戸城を築いた太田道灌は、鎮守として当社の御分霊を奉斎したのが神田明神の摂社 八雲神社の前進と伝えられており、東京湾をはさみ湾の西海岸に位置する品川、神奈川にも御分霊を奉斎藤する神社があります。

また、
成田市鎮座の熊野神社境内には、明和2年(1765)建立の「諸国六十六社」があり、四方に一宮の社名が彫られており、安房国一宮として当社の社名が彫られており、広く信仰されていたことがうかがわれます。

江戸時代後期の文化9年(1797)、房総の沿岸警備を巡視した奥州白河藩主松平定信は当社に参詣し「安房國一宮洲崎大明神」の扁額を奉納されました。

洲崎神社公式HPより

【境内社 (Other deities within the precincts)】

本殿向かって左手の境内社

・稲荷神社《主》宇迦之御魂神(ukano mitama no kami)
 安永元年(1772)伏見稲荷大社の分霊を別当の吉祥院が請来

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本殿向かって右手の境内社

・金比羅神社《主》金比羅大神

・山の神

・長宮《主》豊玉彦命(toyotama hiko no mikoto)
      大山津見命(oyamatsumi no mikoto)
      建速須佐之男命(takehaya susanoo no mikoto)
      大物主命(omononushi no mikoto)

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています 

『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』(927年12月編纂)といって 平安時代中期に朝廷が作成した全50巻の律令格式の巻物の中でも重要視されている2巻です 内容は 今から約1100年前の全国の官社(式内社)一覧表で「2861社」の名称とそこに鎮座する神の数 天神地祇=「3132座」が所載されています

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
(Engishiki JimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)安房国 6座(大2座・小4座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)安房郡 2座(並大)
[名神大 大 小] 式内大社

[旧 神社名 ] 后神天比理乃咩命神社(大・元名洲神)

[ふ り が な ](きさきのかみ あめのひりのめのみことの かみのやしろ)
[How to read ](kisakinokami ameno hirinome no kamino yashiro)

https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
国立国会図書館デジタルコレクション 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫

※「后神天比理乃咩命神社」の論社は 他に「洲宮神社(館山市洲宮)」があります

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【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

当社は 中世から江戸時代までは 神仏習合して隣接する「養老寺」の管下にありました

<作成:ミュージアム・サポーター「絵図士」石井道子・井原茂幸・岡田喜代太郎・加藤七午三・中屋勝義>監修 館山市立博物館 

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 養老寺は 神社に隣接する真言宗寺院で、正式には妙法山観音寺といい、江戸時代まで洲崎神社の社僧を勤めていました。養老元年(717年)に役行者{えんのぎょうじゃ}を開祖として創建されたと伝えられ、本尊は洲崎神社の本地仏である十一面観世音菩薩です。

境内にある石窟と独鈷水{どっこすい}は役行者との関係を伝え、曲亭馬琴の長編伝奇小説『南総里見八犬伝』の舞台としても知られています。また洲崎に多い頼朝伝説は当寺にも伝えられています。

たてやまフィールドミュージアムHPより

鎌倉幕府の初代征夷大将軍「源頼朝」公が 伊豆で挙兵し 安房へ逃れて 当社に参拝して坂東武士の結集を祈願されました

源頼朝公の挙兵について 『吾妻鏡』治承4年(1180)9月5日の条によれば 石橋山の合戦に敗れ 真鶴岬から海路で安房国へ逃れたと記しています 

『社伝』では 安房に逃れた源頼朝公は 上総氏及び千葉氏に加勢を要請する使者を送り 洲崎神社へ参拝されて 使者の交渉が成功し無事帰還したならば「神田を寄進」との御願書を奉じ「戦勝祈願」をされたとしています

結果 上総氏・千葉氏の両氏は勢力に合流し 使者は役目を果たしましたので 同年9月12日の条では洲崎神社に神田が寄進されたとしています
『吾妻鏡』寿永元年(1182)8月11日の条では 頼朝公の正妻「政子(嫡男・頼家)の安産祈願」のために 安房国の豪族「安西三郎景益」が奉幣使として洲崎神社へ派遣されたことが記されています

以降も関東武家の崇敬を受け 太田道灌は 当社を勧請して神田神社を創建したとも伝えられていて 江戸幕府からも御朱印状を受領しています

文化9年(1812)房総一帯を視察した江戸幕府の筆頭老中・松平定信が「安房國一宮 洲崎大明神」の扁額を奉納したと伝わり これが江戸時代には安房国一宮とされていた由来となっています

安房の式内社〈6座〉について

安房國の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載されている 安房國6座(大2座・小4座)の神社のことです

一緒に読む
安房國の式内社〈6座〉について

安房國の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載されている 安房國の6座(大2座・小4座)の神社のことです

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神社にお詣り(Pray at the shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

館山駅から 県道257号経由 海岸沿いに東へ約12km 車25分程度
外洋(太平洋)と内海(東京湾)をわける房総半島の先端にある洲崎の標高110mの御手洗山(mitarashiyama)中腹に鎮座しています 

「洲崎神社(sunosaki jinja)」に到着

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東京湾の出入口を見下ろす場所にあり 漁業関係者や船乗りに古くから信仰されてきたと伝わります
参道入り口には 現在の社号標「洲崎神社」

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右手には おそらく江戸期の「一宮 洲崎大明神」とあります

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案内板「洲崎神社の指定文化財」

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案内板「洲崎踊り」があり 目を通します

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コンクリート参道の先には 紀元二千六百年記念(昭和15年(1940)神武天皇即位紀元(皇紀)奉納)と刻された「石灯籠」が建ちます

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その後ろに「明神鳥居」高さ15m程が建ちます ここに太さはあまりないのですが幅13m程の「大注連縄(oshimenawa)」が掛けられています

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一礼して鳥居をくぐると 背後の御手洗山(mitarashiyama)の中腹まで続く石段参道が目に飛び込んできます

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左手に「手水舎」があり 清めます 「随身門」があり その左側にあるキャビネットに「書き置きの御朱印」が備えられていますので 初穂料を納め朱印を拝領します

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「随神門」をくぐると 標高110mの御手洗山の中腹にある社殿まで 148段の長い石段が続きます「厄祓坂(yakubaraizaka)」とも呼ばれるそうで有り難く この石段を上ります

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境内迄上がると 正面に拝殿 その奥に本殿が建ちます 木陰となっている拝殿にあって 鏡だけが海洋からの陽光を反射していて輝いています 思わず我が身を正します

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拝殿にすすみます 扁額には「安房國一宮 洲崎大明神」とあります この扁額は 奥州白河藩主で「寛政の改革」の責任者でもあった江戸幕府老中「松平定信の筆」によるとされ 文化9年(1812)房総の沿岸警備を巡視した際に参詣奉納されたと伝わります

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賽銭をおさめ お祈りです
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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向かって右手より本殿を拝します

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本殿向かって右手の境内社にお詣りです
・金比羅神社《主》金比羅大神

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・山の神

・長宮《主》豊玉彦命(toyotama hiko no mikoto)
      大山津見命(oyamatsumi no mikoto)
      建速須佐之男命(takehaya susanoo no mikoto)
      大物主命(omononushi no mikoto)

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拝殿向かって右より 拝殿越しに 境内社 稲荷神社

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本殿向かって左手の境内社にお詣りです

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・稲荷神社《主》宇迦之御魂神(ukano mitama no kami)
彫刻が素晴らしい

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境内を後にします

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参道石段の上からの見通しは素晴らしいです 

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鳥居の先に海岸へと参道が続いているのが見えます

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隋神門から鳥居をくぐり 振り返り一礼 

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そのまま海岸へ向かう参道を進むと洲崎神社の「浜の鳥居」があり その先に海が広がっています

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空気が澄んでいる季節には 富士山が この鳥居の中央から 水平線上の真正面に見える絶景の時があるようです 当日は 富士山は拝めませんでした

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しかし 海は外海ですから 澄み渡っています 

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海水もとてもきれいで透き通っています 手を清めて 振り返り一礼

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神社の伝承(Old tales handed down to shrines)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『古語拾遺(kogojui)』〈大同2年(807年)〉に記される伝承

神武天皇元年に神武天皇の命を受けた天富命(ameno tomi no mikoto)が 肥沃な土地を求めて阿波国へ上陸して開拓したその後 さらに肥沃な土地を求めて 阿波忌部氏の一部を率い房総半島に上陸したと記されています

古語では 麻を総(フサorヌサ)と言います 現在の上総・下総の2国の名です

【意訳】

天富命(ameno tomi no mikoto)は 更に肥沃な土地を求めて 阿波の斎部(imbe)を分けて 東の国に率いて往き 麻(nusa)・穀(kaji=木綿)を播き殖えました 良い麻(nusa)が生育しました 故に この国を總国(fusa no kuni)と言います

穀穀(kaji=木綿)・木の生育したところは これを結城郡(yufuki no kori)と言います 古語に麻(nusa)を總(fusa)といい 今 上總(kamitsu fusa)・下總(shimotsu fusa)の2国がこれです

阿波の忌部(imbe)が居るところを 安房郡(awa no kori)と言いいます 今の安房の国がこれです
天富命(ameno tomi no mikoto)は その地に「太玉命の社」を建てました 今は安房社(awa no yashiro)と言います それで神戸(kamube)に斎部氏(imbe uji)が在ます

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『訂正古語拾遺』選者:斎部広成 大同2年(807年)編纂/校訂者:猿渡容盛 刊本,明治02年,木村正辞

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『続日本後紀(Shoku nihon koki)』〈貞観11年(869)完成〉に記される伝承

第一の后神 天比理刀咩命神と 第一后と崇敬を込めて 神階の奉授を記しています
神名は「天比理咩命神」と「刀」で 延喜式に記される「乃」ではありません

【意訳】

承和9年(842)10月2日(壬戌)

10辛酉朔 壬戌

(タテマツ)(サズク)
安房国(アワノクニ)

従五位下 安房大神 正五位下
〈無〉 第一(ダイイチ)后神 天比理刀咩命神(アメヒリトメノミコトノカミ)

信濃国 无位 健御名方富命前八坂刀売神
阿波国 无位 葦稲葉神
越後国 无位 伊夜比古神
常陸国 无位 筑波女大神

(ナラビ)に 5位下

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス『続日本後紀』(869)貞観11年完成 選者:藤原良房/校訂者:立野春節 刊本 寛政07年[旧蔵者]内務省

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『日本文徳天皇実録(Nihon MontokuTenno Jitsuroku)』〈元慶3年(879年)完成〉に記される伝承

神名は「天比理咩命神」とで ではありませんが 写本に但し書きでと書き入れられています

【意訳】

仁寿2年(852)8月22日(丙辰)

安房国(アワノクニ)
安房神
天比理〈乃〉咩命神(アメヒリトメノミコトノカミ)

(ナラビ)に (コトニ)(クワ)ふに 3

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス 『日本文徳天皇実録』元慶3年(879年)完成 選者:藤原基経/校訂者:松下見林 刊本 ,寛政08年 10冊[旧蔵者]農商務省

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『日本三代実録(Nihon Sandai Jitsuroku)』〈延喜元年(901年)成立〉に記される伝承

全国 京畿七道の諸神267社とともに神階を進めています

【意訳】

貞観元年(859)正月27日甲申) の

京畿七道諸神に (クライ)をめる (オヨビ)(アラタ)に(ジョス) 267
・・・
・・・
安房国(アワノクニ)従3位 勲八等
安房神
天比々理刀咩命神(アメヒリトメノミコトノカミ)
(ナラビ)に 3位

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫

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『神名帳考証土代(Jimmyocho kosho dodai)』〈文化10年(1813年)成稿〉に記される伝承

洲崎神社(館山市洲崎)について 論社として記しています

【意訳】

后神天比理乃咩命(キサキカミ アメノヒリノメノ ミコトノ)神社(大・元名洲神)

続日本後紀 承和9年(842)10月2日(壬戌)の条・・従5位下
文徳天皇実録 仁寿2年(852)8月22日(丙辰)の条・加(クワフ)従3位
三代実録 貞観元年(859)正月27日(甲申) の条・・正3位

本名 洲神
信友云う 一木作(いちぼくづく)り 洲崎神
〇今在す 洲崎村 与安房社の三里 相隔て 海辺なり

扶桑見聞私記 治承4年(1180)8月29日の条 武衛令着 安房國 平群郡 猟嶋 云々 その夜 当国 洲崎明神の御宝前にて 御念誦有りて「源は 同じながれぞ 石清水せきあげてたべ雲の上まで」この明神は 八幡大菩薩を奉祝」同十云う 治承5年2月 下須宮 神宮寺等可に早令 安房国 須宮 免除萬雑公事 云々
可令 免除の状 如件の在 慶等 宜し
〇信友云う 一宮なり 今 洲崎大明神と云う
永享紀 太田道灌 江戸城を築づきたる時 安房の洲崎明神を勧請して 神田明神と 斎ひたる由見えたり

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『神名帳考証土代』(文化10年(1813年)成稿)選者:伴信友/補訂者:黒川春村 写本 [旧蔵者]元老院

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『神社覈録(Jinja Kakuroku)』〈明治3年(1870年)〉に記される伝承

洲之宮村のある 二宮洲崎明神〈現 洲宮神社(館山市洲宮)〉を論社と記しています

【意訳】

后神天比理乃咩命神社(大・元名洲神)

后神は 岐佐岐賀美 天は阿女と訓ずべし 比理乃咩は仮字なり
〇祭神 明らかなり
〇洲之宮村に在す 地名記  今 二宮洲崎明神と称す

神位
続日本後紀 承和9年(842)10月2日(壬戌)の条・・従5位下
文徳天皇実録 仁寿2年(852)8月22日(丙辰)の条・加(クワフ)従3位
三代実録 貞観元年(859)正月27日(甲申) の条・・正3位

社領 当代 御朱印高7石

雑事
扶桑見聞私記五云う 治承4年(1180)8月29日の条 武衛令着 安房國 平群郡 猟嶋 云々 その夜 当国 洲崎明神の御宝前にて 御念誦有りて「源は 同じながれぞ 石清水せきあげてたべ雲の上まで」この明神は 八幡大菩薩を奉祝」同十云う 治承5年2月 下須宮 神宮寺等可に早令 安房国 須宮 免除萬雑公事 云々
可令 免除の状 如件の在 慶等 宜し」

按るに
当社は八幡宮を祝い祭るにはあらず 然るに 源は同じ流れなどよみ給えるをおもえば 所謂 時勢に従いて かくは沙汰したるなるべし 亦 永享記に 太田道灌 江戸城を築れたるとき 安房の洲崎明神を勧請して 神田明神と斎ひたるよし見えたるも 同日の論なるべし

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015『神社覈録』

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)』〈明治9年(1876)完成〉に記される内容

式内社の論社2社の内(洲宮村の方を正とす)と記しています

【意訳】

后神天比理咩命神社  称 洲崎神社 元名 

祭神 天比理咩命

神位
仁明天皇 承和9年(842)10月2日(壬戌)の条・・従5位下
文徳天皇 仁寿2年(852)8月22日(丙辰)の条・加(クワフ)従3位
清和天皇 貞観元年(859)正月27日(甲申) の条・・正3位

祭日 7月27日
社格 縣社
所在 洲崎村 字 御手洗(洲宮村の方を正とす)(安房郡神戸村大字洲宮)

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155『特選神名牒』

天富命(ameno tomi no mikoto)は 神武天皇の御代に房総半島に上陸して開拓神となります 忌部氏の祖神を御手洗山(mitarashiyama)中腹に祀ります

「洲崎神社(sunosaki jinja)」に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)

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