高家神社(南房総市)

高家神社は 料理の神様磐鹿六雁命(Iwakamutsukari no mikoto)を祀る神社とされ 料理関係者や味噌・醤油などの醸造業者からの崇敬が非常に篤いと云われています 文政2年(1819)京都の吉田御所に届け出て証を願い 神明社から改称し 高家神社が再興されたものです

目次

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1.ご紹介(Introduction)

この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

高家神社 Takabe Shrine)
(たかべじんじゃ)

 [通称名(Common name)]

【鎮座地 (Location) 

千葉県南房総市千倉町南朝夷164

 [  (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》磐鹿六雁命(Iwakamutsukari no mikoto)
   〈 尊称・高倍神takabenokami

   天照皇大神Amaterasu sume okami)
   稲荷大神Inari no okami)

【御神格 (God's great power)】(ご利益)

・日本料理の神 God of Japanese cuisine

【格  (Rules of dignity)

『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)所載社

【創  (Beginning of history)】

『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』(927年12月編纂)所載の高家神社は  後に衰退・廃絶したものと見られています

現在の高家神社の起源は 元和6年(1620)高木吉右衛門が桜の木の下から木像と2面の御神鏡を発見し「神明社」として神社を創建します それから200年余り後 この鏡面に 御食津神 磐鹿六雁命 と記されていたとわかり 当時 所在があきらかではなかった高家神社の御神体であるとして文政2年(1819)京都の吉田御所に届け出て証を願い 神明社から高家神社に改称

高家神社

主祭神 磐鹿六雁命、天照大神、稲荷大神 を併せ祀る

主祭神・磐鹿六雁命について
「日本書紀」の第12代景行天皇53年冬10月の条および延暦8年(789)に磐鹿六雁命の子孫である高橋氏が朝廷に奉ったとされる「高橋氏文」に記述されています。
景行天皇が皇子 日本武尊の東国平定 の事跡を偲び、安房の浮島の宮に行幸された折、
侍臣の磐鹿六雁命が、弓の弦をとり海に入れた所堅魚(かつお)を釣りあげ、また砂浜を歩いている時、足に触れたものを採ると白蛤(しろうむぎ=はまぐりのこと)がとれた。
磐鹿六雁命はこの堅魚(かつお)と白蛤(しろうむぎ)を膾(なます)や焼き物にして差し上げたところ、天皇は大いに賞味され、その料理の技を厚く賞せられ、膳大伴部(かしわでのおおともべ)を賜った

この功により若狭の国、安房の国の長と定められ、以後 代々子孫は膳の職を継ぎ、もし世継ぎの無いときは、天皇の皇子を継がせ、他の氏を交えず、皇室の食事を司るよう賜った。

また、大いなる瓶(かめ=べ)に例え、高倍さまとして宮中 醤院(ひしおつかさ)で醤油醸造・調味料の神として祀られている。醤(ひしお)には、野菜を発酵させた草醤(くさびしお)、穀物を発酵させた穀醤(こくびしお)、魚などを発酵させた肉醤(にくびしお)があった。今でいう漬物・味噌醤油・塩辛の三種だが、これらは日本料理の基礎をなすものであり、磐鹿六雁命が料理の祖神とされる由縁であります。

高家神社は
延喜式神名帳に登載される小社の一つです。現在の所に祀られたのは江戸時代の初期にさかのぼります。

元和6年、現在の宮司の祖先となる高木吉右衛門が桜の木の下から、木像と二面の御神鏡を発見し、社を建てて祀りました。
200年余りの後、この鏡面に 御食津神 磐鹿六雁命 と記されていたことがわかり、当時 所在があきらかではなかった高家神社の御神体であるとして、文政2年に京都吉田御所に証を願い、御幣帛をいただく。神社拝殿内正面の御神号額はこの時のもので、神祇道管領卜部朝臣良長の銘が刻まれています。

江戸時代以降、醤油沿革史の著者・田中直太朗氏(ヒゲタ醤油(株)の始祖)、料理法大全の石井治兵衛氏、さらには日本料理研究会初代理事長・三宅弧軒氏等の労により、祭神の御神徳が発揚され今日に至っています。

境内入口の案内板より

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【由  (history)】

高家(たかべ)神社 由緒

主祭神 磐鹿六雁命(いわかむつかりのみこと)
    (尊称・高倍神 たかべのかみ

天照皇大神・稲荷大神 を合せ祀る

例祭日
5月17日(春季)・毎月17日月次祭
7月第2土曜日(夏季)神幸祭
10月17日(秋季)(旧神嘗祭)庖丁式
11月23日 新穀感謝祭(旧新嘗祭)・庖丁式

第12代 景行天皇(けいこうてんのう)53年記(日本書紀)に
皇子である倭健命(やまとたけるのみこと)の平定した東国巡視を思い立ち安房(あわ)浮島に行宮を設けられ進められた時、覚賀鳥(かっかどり)--〈鴎(かもめ)の土俗言(くにことば)〉-伴信友説-声を便りに舟遊をなされた際に侍臣(じしん)(主君の傍近く仕える臣)の磐鹿六雁命(いわかむつかりのみこと)が白蛤(うむぎ)(蛤(はまぐり)の事だが一説では鮑(あわび)とも云われる)と鰹(かつお)を膾(なます)に調理して天皇に献上された。その料理と味覚の見事さに賞美され 命は後に膳大伴部(かしわでのおおともべ)を賜り 子孫を高橋氏として代々宮中の大膳職(だいぜんしき)に任ぜられ安房と若狭の国の一部を賜ったことも高橋氏文の記録にあると云われている。

功績の大なるところから高倍神として宮中 醤院(ひしおつかさ)の鎮護の神として祀られて居る。安房での大なる命の事績に因み全国唯一料理祖神の社として広く調理師会並びに調味料関係者の尊崇を授る

境内案内板より

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』(927年12月編纂)といって 平安時代中期に朝廷が作成した全50巻の律令格式の巻物の中でも重要視されている2巻です 内容は 今から約1100年前の全国の官社(式内社)一覧表で「2861社」の名称とそこに鎮座する神の数 天神地祇=「3132座」が所載されています

延喜式神名帳】(Engishiki JimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)安房国 6座(大2座・小4座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)朝夷郡 4座(並小)
[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 髙家神社
[ふ り が な ](たかいへの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Takaihe no kamino yashiro) 

国立国会図書館デジタルコレクション 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫

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【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

平安時代からの伝統儀式 庖丁式(ホウチョウシキ)

平安時代の貞観1年(859年)から始まったと伝わる 庖丁師により執り行われる儀式です
庖丁師が 烏帽子・直垂・狩衣を身にまとって 大まな板の前に座り 右手に庖丁 左手にまな箸を持って 食材に素手を触れることなく切り分け並べていきます

庖丁式

今からおおよそ千百年余り昔、時の58代光孝天皇は料理に造詣が深く、光孝天皇の命により様々な料理をまとめて後世に伝えたのが四條流の祖といわれる四條中納言 藤原朝臣 山陰卿でした。
光孝天皇の時代(平安時代)から朝廷を始め、貴族社会の人々により、宮中行事の一つとして行われてきたのが「包丁儀式」です。
烏帽子、直垂をまとい、包丁と、まな箸を用い、一切手を触れることなく、
鯉、真鯛、真魚鰹などを調理します。古式に則った所作とその包丁さばきは、
熟練の技。日本料理の伝統を今に伝える厳粛な儀式です。
毎年、5月17日、10月17日(旧神嘗祭)、11月23日(旧新嘗祭)に高家神社境内で包丁式の奉納が執り行われます。

案内看板より

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髙橋(タカハシ)氏の発祥 高橋朝臣(タカハシアソン)について

当神社の創建は不詳ですが
高家神社の由緒書によれば 磐鹿六雁命(Iwakamutsukari no mikoto)の後裔である高橋氏の子孫の一部の者が 祖神に縁のある安房国に移り住み 氏神として祖神を祀ったのが その起源とされています

大和〈奈良〉にある 髙橋(タカハシ)氏の発祥地と 高橋朝臣(タカハシアソン)について 詳しくは

高橋神社(奈良市八条町)記事をご覧ください

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御祭神として「磐鹿六雁命(Iwakamutsukari no mikoto)」(料理人の神様)を祀る『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)関連の神社

山城國 愛宕郡 高橋神社
  北野天満宮京都市)境内末社 神明 

・【伊豆國 田方郡 高椅神社
  高橋神社(タカハシジンジャ)〈三島市〉

・【下總國結城郡 高椅神社
  高椅神社(タカハシジンジャ)〈小山市〉

・【安房國朝夷郡 高家神社
  高家神社(タカベジンジャ)〈南房総市〉

安房の式内社〈6座〉について

安房國の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載されている 安房國6座(大2座・小4座)の神社のことです

一緒に読む
安房國の式内社〈6座〉について

安房國の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載されている 安房國の6座(大2座・小4座)の神社のことです

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神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

JR内房線千倉駅下車 約2km 車6分程度
境内入り口には 社号標「延喜式内 郷社 高家神社」が立っています

高家神社 Takabe Shrine)に参着

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すぐ横には
料理祖神 高家神社 祭神 磐鹿六雁命」と大きな社号板が掲げられています

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東南方向に真っ直ぐに延びた参道が続いています

ときめくような看板「Lovers Spot」があります

参道の中間あたりに 鳥居が建ち ここから先の参道には 白い砂利が撒かれていて 厳かです
一礼をして 鳥居をくぐります

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鳥居をくぐると 参道の先には 階段があって その上に社殿が建っています

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階段を上がりきると すぐ目の前に拝殿が建ちます

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すぐ右手に手水舎があり 清めます
拝殿の前 左右に包丁塚が祀られています

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拝殿にすすみます 扁額には「料理祖神 高家神社」とあります

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賽銭をおさめ お祈りです
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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向かって左手から 本殿を仰ごうとすると 境内社のような祠が本殿の脇に鎮座する 手前の 新設の覆い屋のような建屋は 包丁奉納殿 こちらよりお詣りをします

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向かって右手から

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社殿のある境内は 高台になっていて 振り返ると遥かに大平洋が見えています

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すぐ右下にあるのが社務所です 白砂利の参道が 植え込みの中を真っ直ぐ延びています

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戻り際に「高家音頭(高家)神社」と歌詞が刻まれた石碑がありましたが 歌のメロディは不明

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鳥居を抜けて 振り返り一礼をします

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神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『日本書紀(nihon shoki)(720年)』景行天皇53年の条に記される伝承

第12代 景行天皇(ケイコウテンノウ)〈即位AD71~121頃〉の御代
ご祭神の磐鹿六鴈命(イワカムツカリノミコト)が 膳臣(カシワデノオミ)の姓(カバネ)の始まりとされる「膳大伴部(カシワデノオオトモベ)」を 天皇より 賜った事が記されています

意訳

即位53年秋8月1日 天皇は群卿(マツノキミタチ)に詔して
「わたしの愛した子を偲ぶ気持ちは いつの日止むことか 願わくば 小碓王(オウスノミコ)〈日本武尊(ヤマトタケルノミコト)〉の平定した国を巡狩(メグリミ)〈巡幸し〉たいと思う」

この月に乗興(スメラミコト)〈天皇の御神輿〉は 伊勢に幸(イデマ)〈お出でになり〉そして東海(ウヘツミチ)に入られました

冬10月
上総国(カズサノクニ)へと 海路(ウミツジ)を渡り 淡水門(アワノミナト)〈館山湾か?〉に到り

このとき 覺賀鳥(カクカノトリ)の声が聞こえました その鳥の形を見たいと思われ(鳥の姿を)求めて海の中にお出になられ そこで白蛤(ウムキ)〈大きなハマグリ〉を得られました

膳臣(カシワデノオミ)の遠祖 名は磐鹿六鴈(イワカムツカリ)という者が蒲(ガマの葉)を手繦(タスキ)〈料理人が着用〉にかけて 白蛤(ウムキ)を膾(ナマス)〈刺身〉に造り奉りました
それで 六鴈臣(ムツカリノオミ)の功績を褒めて 膳大伴部(カシワデノオオトモベ)の役を賜りました

12月 東国から お帰り 伊勢にお住みになられた
これを綺宮(カニハタノミヤ)といいます

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『日本書紀』(720年)選者 舎人親王/刊本 文政13年 [旧蔵者]内務省

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『神名帳考証土代(jimmyocho kosho dodai)』(文化10年(1813年)成稿)に記される伝承

高家神社の御神体である鑑が発見されて 文政2年(1819)京都の吉田御所に届け出て証を願い 神明社から高家神社に改称する 少し前の記述になります

御祭神は 高魂命(タカムスヒノミコト)と記しています

意訳

高家(タカイエノ)神社

 

〇高魂命(タカムスヒノミコト) 又の名を 高木神(タカギノカミ)
按〈考慮〉
太玉命(フトダマノミコト)は 当郡の天神社「天忍日命(アメノオシヒノミコト)」と共に高魂命(タカムスヒノミコト)の子なり

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『神名帳考証土代』(文化10年(1813年)成稿)選者:伴信友/補訂者:黒川春村 写本 [旧蔵者]元老院

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『特選神名牒(Tokusen shimmyo cho)』明治9年(1876年)に記される内容

御祭神の祀り方について 疑問を呈しています

意訳

高家神社

祭神 磐鹿六雁命

今 按〈今考えるのに〉

本殿に 天照皇大神 御饌津神 二座に 磐鹿六雁神を祭ると云るは誤りながら さすがに古伝の遺れるものにて〈古い伝えが置き忘れたもの〉 この三座は 大膳職坐神三座 御食津神社 火雷神社 高倍神社とある神をあやまれるなり
それは まず高家は 高倍にて 寶は磐鹿六雁命に 御食津神 火雷神を配し祭りけんを 御食津神〈これは安房坐大神にて 即ち太玉命なり〉を豊受大神と訛り

火雷命は火神に坐す故に 日神とあやまり 伊勢両大神宮としたるより 主神をば却て よそよそしく相殿の如くなりしものと思わるれば也

さて高倍神の磐鹿六雁命なる由は 年中行事秘抄にのせる髙橋氏文に六雁命 御魂膳職「伊波比奉 天 春秋 永世ノ神 財ト仕奉」とあるにて明らかなるを この社伝の三座なるは 安房大神を祭る由縁に六雁命を祭れるものなること著しければ社伝を正しくして祭神を記せり

祭日11月26日至る12月朔日
社格 郷社
所在 南朝夷村 字 大宮

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』出版 大正14年(1925年)磯部甲陽堂

『特選神名牒』

『明治神社誌料(meiji jinjashiryo)』明治45年(1912)に記される伝承

御祭神に 磐鹿六鴈命(イワカムツカリノミコト)の神名はありません

意訳

郷社  高家(タカイエノ)神社

祭神 天照皇大神(アマテラススメオホミカミ)
御氣津(ミケツノ)神
御道根(ミチネノ)神
阿須波(アスワノ)神
波比岐(ハヒキノ)神

創立年代詳ならず
但し 延喜の制 式内の小社に列せられ 当国六座の一に坐す
御神体は天照皇大神(アマテラススメオホミカミ)木像にあらせらる

明治6年9月 郷社に列す
社殿は 本殿 及び 拝殿
境内は 345坪 官有地第一種たり

因みに記す
祭神中 阿須波(アスワノ)波比岐(ハヒキノ)の両神は 末社の荒神社の祭神にして 明治26年5月 合併に係らせられる

境内神社 山神(ヤマノカミノ)社  八雲(ヤクモノ)神社
琴平(コトヒラノ)神社  大杉(オオスギノ)神社
稲荷(イナリノ)神社

例祭日 9月16日

・・・・

【原文参照】国立国会図書館デジタルコレクション『明治神社誌料』明治45年(1912)著者 明治神社誌料編纂所 編

『明治神社誌料』

高家神社 Takabe Shrine) (hai)」(90度のお辞儀)

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高橋神社(奈良市八条町)記事をご覧ください

高椅神社(タカハシジンジャ)〈小山市〉の記事をご覧ください

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-延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)
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