椎取神社(しいとりじんじゃ)は ジオスポットとして有名です 笠木だけを残して埋まったかつての鳥居が残され 平成12年(2000年)の噴火当時発生した 大量の泥流の凄まじさが判ります 神社の歴史は『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載の由緒(格式ある歴史)を持っています この拝殿から さらに南西に約100m程奥の森の中には 太古から変わらずに残る神秘的な聖域に 聳え立つ溶岩の陰に 御本殿が祀られています
目次
- 1 1.ご紹介(Introduction)
- 2 この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
- 3 【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
- 4 神社にお詣り(Pray at the shrine)
- 5 神社の伝承(Old tales handed down to shrines)
- 6 各々の神社の記事をご覧ください
- 7 伊豆国 式内社 92座(大5座・小87座)について に戻る
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
椎取神社(Shiitori Shrine)
(しいとりじんじゃ)
[通称名(Common name)]
椎取さま(Shiitori sama)
【鎮座地 (Location) 】
東京都三宅島 三宅村 神着
[地 図 (Google Map)]
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》志理太(乎)宜命(Shiritawoki no mikoto)
【御神格 (God's great power)】
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
不詳
しいとりじんじゃ
椎取神社「志理太宣神社」として延喜式内社に数えられ、佐伎多麻比咩命(御笏神社の御祭神)の八王子のうち「したい」とよばれる王子さまをお祀りします。
平成十二年の噴火で拝殿と鳥居が埋まり椎の森が枯れてしまいまいたが、脇に新しく建てられ、森も再生してきています。奥には御本殿が、聳え立つ岩の陰にお祀りされています。
<御祭神> 志理太宣命(しりたきのみこと)
(大明神の御子神)神主・壬生家が運営する
公式HPよりhttps://miyakejima-jinja.jimdofree.com/
【由 緒 (history)】
不詳
椎取(しいとり)神社
この神社には、佐伎多麻此咩命(さはたまひめのみこと)の第八子 志理太宣命(しりたきのみこと)が祀られていて、別名 志理太宣(しりたき)神社とよぶ式内社である。
神社にむかつて左側の熔岩原は、昭和15年7月の噴火で埋没するまでは自然が創りあげた島内唯一の自然の良港があった。
事代主命(ことしろぬしのみこと)が三宅島に渡られた時、上陸の第一歩はこの地とされている。
「三宅記」によれば、
「三女おば神着に浦あり、"シトリ"と名付くなり、これに斎(すま)いまいらすべし。」
「また三女おば、嶋の丑寅(北東)の方に置きまいらせ、一番なこ、二番かね、三番やす、四番てい、五番したい、六番くらひ、七番たかすけ、八番ひんすけ とぞ申しまいらしける。かの王子達生みまいらせ給うところは、嶋の丑寅の方”かまつけ”と申す所にて生みまいらせ給う。七柱と申すところで育てまいらす。」と記されている。そのことから、この地は事代主命と第四妃 佐伎多麻比咩命の愛の巣とも伝えられている。三宅島における神話発祥の地でもある。
平成12年6月の火山活動に伴い発生した泥流によりこの地域一帯が埋没した。
三宅村現地案内板より
【境内 奥の原生林に鎮座する 御本殿 (The main shrine of this shrine, which sits in the forest at the back of the precincts)】
拝殿から 南西に約100m程奥の森の中 聳え立つ溶岩の陰に 御本殿があります
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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』(927年12月編纂)といって 平安時代中期に朝廷が作成した全50巻の律令格式の巻物の中でも重要視されている2巻です 内容は 今から約1100年前の全国の官社(式内社)一覧表で「2861社」の名称とそこに鎮座する神の数 天神地祇=「3132座」が所載されています
【延喜式神名帳】(engishiki jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
2つの式内社の論社となっています
①
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊豆国 92座(大5座・小87座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)賀茂郡 46座(大4座・小44座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社名 ] 志理太(乎)宜神社
[ふ り が な ](しりたをきの かみのやしろ)
[How to read ](Shiritawoki no kaminoyashiro)
➁
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊豆国 92座(大5座・小87座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)賀茂郡 46座(大4座・小44座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社名 ] 佐伎多麻比咩命神社
[ふ り が な ](さきたまひめのみことの かみのやしろ)
[How to read ](Sakitamahime no mikoto no kamino yashiro)
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【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』(927年12月編纂)所載社の論社について
各々の神社の記事をご覧ください
伊豆國(izu no kuni) 賀茂郡(kamo no kori)
志理太(乎)宜神社(Shiritawoki no kaminoyashiro)について
・椎取神社(三宅島神着)〈当社〉
・志理太乎宜神社(片瀬白田)
伊豆國(izu no kuni) 賀茂郡(kamo no kori)
佐伎多麻比咩命神社(Sakitamahime no mikoto no kamino yashiro)について
佐伎多麻比咩命神社(Sakitamahime no mikoto no kamino yashiro)の古社地との説もあり これについては『三宅島式内社に関する歴史地理学的研究 著 森谷ひろみ』に詳しい
この三宅島神着の椎取神社は、従来とも祭神は「志理太乎宜命」であると考えられて来ており、一応 式内社 志理太「乎」宜神社と考えてよいのではないかと思われる。しかし、別の機会に報告したいと思っているが、この神社の立地は、元来 式内社 佐伎多麻比咩命神社そのものであったものが、度重なる噴火により、近くに鎮座していた式内社志理太「乎」宜神社が遷座を余儀なくされて、式内社 佐伎多麻比咩命神社 と共に祀られるようになり、その後いつの間にか志理太「乎」宜神社だけということになってしまったものではないかと考えられるにいたった。
『三宅島式内社に関する歴史地理学的研究 著 森谷ひろみ』より
境内の案内板によれば
三島大明神と佐伎多麻比咩命の暮らした場所とも書かれています
この地は事代主命と第四妃 佐伎多麻比咩命の愛の巣とも伝えられている。三宅島における神話発祥の地でもある
・御笏神社(Oshaku Shrine)
・祖師堂(Soshido)御笏神社の旧鎮座地
・椎取神社(三宅島神着)〈古社地〉〈当社〉
・両神社(下田市須崎)
・波夜多麻和氣神社(下田市相玉)
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神社にお詣り(Pray at the shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
三池港から 三宅一周道路を北上 約4.5km 車7分程度
椎取神社(Shiitori Shrine)に参着
旧社殿は
平成12年(2000年)の噴火で 笠木だけを残して埋まったかつての鳥居が残されて 当時発生した大量の泥流の凄まじさが判ります
鳥居の笠木のアップです
鳥居の扁額は半分埋まっていて「椎取神」までは読み取れます
埋もれた鳥居の先は 立木の跡がない 参道であったのであろうと思われる かつての拝殿は 屋根を残し 埋もれています
埋もれた古い拝殿のトタン屋根だけが 地上に出ています
拝礼をします
その場から振り返ると埋もれた鳥居の先には 土手のように見えるのは 三宅一周道路です
道路から 境内はこのように見えます
ジオスポットの案内板には次のようにあります
ジオスポット 椎取神社 Geo spot Shiitori Shrine
~2000年噴火による災害・泥流に埋まる鳥居~椎取(しいとり)神社を取り囲む原生林は、三宅島の中でも特に深く神々しい森でした。
2000年噴火では、島の北東部に大量の火山灰が降り注ぎ、大雨になると水を含んだ火山灰が斜面を流れくだりました(火山泥流)。さらに、中腹の山肌を削
って土砂を巻き込んだものは土石流となって、山麓を襲いました。
椎取神社の森は、泥流に埋まって根からの呼吸が困難になり、その後の火山ガスの影響もあって、数年後には壊滅状態になりました。
しかしながら、今では、森の再生が着々と進んでいるのが観察できます。
GEO POINT 火山泥流と森の変化
Volcanic mud flow and The change of the forest
写真:青谷知己氏提供2000年7月 2000年 最初の降灰があった
2000年8月 泥流が押し寄せる
2001年3月 埋没してしまった鳥居と社
2003年3月 周囲の森が立ち枯れるルールを守りましょう
○溶岩は持ち帰らないようにしましょう。
○ゴミやタバコの吸い殻などは持ち帰りましょう。
三宅村
この埋もれた鳥居の右側に 新しい鳥居と拝殿があります
鳥居と拝殿の後ろには「雄山」が聳えています
赤鳥居に進み 一礼をしてくぐり抜けます 扁額には「椎取神社」
拝殿にすすみます
賽銭をおさめ お祈りです
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
奥の原生林にある本殿に向かいます
かつては 溶岩流の谷に添って参道があったようですが 現在は 谷は埋没していて 平らな参道になっています
途中 かつての溶岩流の谷から山裾へ上る階段が 埋まりきらずに残っています 5~6m程は埋もれたと云われていますので 本来は長い階段であったと思います
階段の上 どうやら ここからが 奥宮のご神域のようですので 深く一礼をしてから 進みます
溶岩流の谷の痕跡が はっきりと残っていて 神聖な空間とすぐにわかります
正面のひときわ聳え立つ溶岩の陰に 祠が見えます
石畳が敷かれて 祠に続いています まるで古代の祭祀場に祠が置かれているようです
賽銭をおさめ お祈りです
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
溶岩壁に沿ってさらに進めそうですが この ご神域を穢してはならない 参道の他は 足を踏み入れることなどできません
深く一礼をして 参道を戻ります
かつての溶岩流の谷に下りたであろう階段を下ると 平らな参道へと戻ります
拝殿の横に戻ります
鳥居を抜けて 振り返り 一礼をします
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神社の伝承(Old tales handed down to shrines)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『三宅記(miyakeki)』に記される伝承
三島大明神が 箱根の翁の娘3人を三宅島に迎え 后として3人を置きました
長女が 后神社(Kisaki Shrine)
《主》伊賀牟比賣命(Ikamuhime no mikoto)
次女が二宮神社(Ninomiya Shrine)
《主》伊波乃比咩命(Iwanohime no mikoto)
三女が御笏神社(Oshaku Shrine)
《主》佐伎多麻比咩命(Sakitamahime no mikoto)
とされています
この三女が御笏神社(Oshaku Shrine)のご祭神です
三宅島の三女〈三島大明神の第三の后神(佐岐多麻比咩命(sakitamahime no mikoto)〉は かまつけ(神着)という所に置かれ その腹から8人の王子が 一度にお産まれになったと記されています
5番目の王子が「イタヒ」と呼ばれて
当社の御祭神「志理太(乎)宜命(Shiritawoki no mikoto)」とされています
一説には 当社は
佐伎多麻比咩命神社(Sakitamahime no mikoto no kamino yashiro)の論社であり 境内の案内板によれば
三島大明神と三女〈佐伎多麻比咩命〉の暮らした場所とも書かれています
意訳
三女〈三島大明神の第三の后神(佐岐多麻比咩命(sakitamahime no mikoto)〉は 三宅島の丑寅(うしとら)〈北東〉の方に置かれました
かまつけ(神着)という所です
その腹から8人の王子が 一度にお産まれになりました1番は「ナコ」
(南子命)〈南子神社or后神社境内社〉
2番は「カネ」
(加彌命)〈カミイノ宮〉
3番は「ヤス」
(夜須命)〈御嶽神社〉
4番は「テイ」
(氐良命)〈神澤神社or湯船神社〉
5番は「イタヒ」
(志理太宜命)〈椎取神社or志理太乎宜神社(片瀬白田)〉
6番は「クライ」
(久良惠命)〈久良浜神社【出張(でばり)】〉
7番は「カタスケ」
(片菅命)〈片菅神社or若宮神社or片菅神社(片瀬白田)〉
8番は「ヒンスケ」
(波夜志命)〈峯指神社or走湯神社(下田市大賀茂)〉
と申します
又「ななはしら」と言うところでお育てになられました
ところどころに宮々を置かれました
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ 『三宅記』鎌倉時代末期 [書誌事項]写本 ,明治04年[旧蔵者]教部省
椎取神社(Shiitori Shrine)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
各々の神社の記事をご覧ください
母神 三島大明神の第三の后神
(佐岐多麻比咩命(sakitamahime no mikoto)を祀る神社
・御笏神社(Oshaku Shrine)
・祖師堂(Soshido)御笏神社の旧鎮座地
・椎取神社(三宅島神着)〈古社地〉
・両神社(下田市須崎)
・波夜多麻和氣神社(下田市相玉)
1番「ナコ」(南子命)を祀る神社
・南子神社(三宅島 神着)
・御笏神社(Oshaku Shrine)に合祀 三ノ朔幣神社(南子神社の遥拝所)
御笏神社の記事をご覧ください
・三ノ朔幣神社(san no sakuheino Shrine)旧鎮座地(三宅島 神着)
三ノ朔幣神社 旧鎮座地の記事をご覧ください
・后神社(Kisaki Shrine)境内社の南子神社
后神社(境内社の南子神社)の記事をご覧ください
・南子神社(下田市 神子元島)
※式内社調査報告には記されていますが 現在 神子元島には神社や祠は見あたりません
波風が強く 何度も消失したとも伝わります
https://www.google.com/maps/place/%E7%A5%9E%E5%AD%90%E5%85%83%E5%B3%B6/@34.5745212,138.9420112,18z/data=!4m12!1m6!3m5!1s0x0:0x237eb1d45e96afc7!2z5Lih56We56S-!8m2!3d34.6576!4d138.966645!3m4!1s0x60175b74a0a70383:0x2858da0c91ac6c3e!8m2!3d34.5745212!4d138.9420112
2番「カネ」(加彌命)を祀る神社
・カミイノ宮 御笏神社の本殿に合祀
・カミイノ宮 旧鎮座地(三宅島 神着 首山)※原生林の奥の為 未参拝です
・二宮神社【旧地】山ノ神(三宅島 神着 東郷)〈当社〉
・二宮神社(三宅島 坪田)(合祀先)〈論社〉
3番「ヤス」(夜須命)を祀る神社
・御嶽神社跡(三宅島 坪田)〈当社〉
・二宮神社(三宅島 坪田)〈合祀〉
・嶽比良神社(三宅島 伊豆) ※掟により入山禁止の為 未参拝
・子安宮(三宅島 神着)
4番「テイ」(氐良命)を祀る神社
・神澤神社(三宅島 伊豆)
・湯船神社(三宅島 神着)〈論社〉
湯船神社の記事をご覧ください
・八王子社(下田市中)
八王子社の記事をご覧ください
5番「イタヒ」(志理太宜命)を祀る神社
・椎取神社(三宅島神着)
・志理太乎宜神社(片瀬白田)
6番「クライ」(久良惠命)を祀る神社
・久良濱神社【出張(でばり)】
・久良濱神社(三宅島 坪田)
※未参拝 島民は「高山さん」は非常にこわい神様だとして恐れ足を踏み入れない
・二宮神社(三宅島 坪田)〈合祀〉
7番「カタスケ」(片菅命)を祀る神社
・片菅神社(三宅島 神着美茂井)
片菅神社の記事をご覧ください
・御笏神社 に合祀された境内神社の勝祖神社
御笏神社の記事をご覧ください
・若宮神社(三宅島 伊ヶ谷)后神社の境内社 もしくは 后神社の本殿に合祀
后神社(三宅島 伊ヶ谷)の記事をご覧ください
・若宮神社(三宅島 伊豆)后神社の境外社
若宮神社(三宅島 伊豆)の記事をご覧ください
・片菅神社(東伊豆町片瀬)
8番「ヒンスケ」(波夜志命)を祀る神社
・峯指神社(Hoshino kamino yashiro)御笏神社の本殿に合祀
・峯指神社(Hoshino kamino yashiro)旧鎮座地
・走湯神社(下田市大賀茂)