小坂神社(伊豆の国市)

小坂神社(おさかじんじゃ)は 明治6(1873) 各所祀られていた17の神社合祀されました その中の一祠は 古来から葛城山の山頂に鎮座し 合祀当時は 山麓の寺に遷されて小祠として祀られていた「葛城神社」〈式内社「倭文神社しとりの かみのやしろ)」の論社〉です

目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

小坂神社(Osaka Shrine)
おさかじんじゃ

 [通称名(Common name)]

【鎮座地 (Location) 

静岡県伊豆の国市小坂378

 [  (Google Map)]

 

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》大国主命(Okuninushi no mikoto)

合祀17社
別殿一 葛城 天神 琴平 笠石 皇産霊 塞神 駒形 吾嬬 稲荷
別殿二 伊勢 山神 秋葉 大地 厳島 生島 住吉 金桜

【御神格 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity)

『延喜式神名帳Engishiki jimmeicho)所載社を合祀

【創  (Beginning of history)】

創建年代不詳

子之神称していたが 明治5 小坂神社と改称し 6(1873)に 各所祀られていた17の神社移転され合祀されました
その中の一社は 古来から葛城山の山頂に鎮座しち「葛城神社」で 山麓の寺に遷され小祠として祀られていたものを 合祀がなされています
この「葛城神社」が『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載の式内社「倭文神社しとりの かみのやしろ)」の論社でした

現在 葛城山の山頂に祀られている「葛城神社」は 昭和41(1966)ロープウェイ建設の際に 伊豆長岡ロープウエイ株式会社が 旧鎮座地に新たに同名の社を建てたもので ご神体や御魂を遷座したものではないとの事です

【由  (History)】

小坂(おさか)神社

鎮座地 伊豆長岡町小坂378番地
御祭神 大國主尊(おおくにぬしのみこと)
    合祀十七社
例祭日 1017


 
創建の年代不詳なれど天明5年再建の棟札あり。もと、子之神と称す。明治5 小坂神社と改称、同6 村社に列す。古来本区各所にありし神社を、同年移転合祀す。
大正15 現社殿を新築し今日に至る。平成4年氏子数218


合祀十七社
別殿一 葛城 天神 琴平 笠石 皇産霊 塞神 駒形 吾嬬 稲荷
別殿二 伊勢 山神 秋葉 大地 厳島 生島 住吉 金桜

境内案内板より

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【境内社 (Other deities within the precincts)】

【境外社 (Related shrines outside the precincts)】

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
(Engishiki JimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊豆国 92座(大5座・小87座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)田方郡 24座(大1座・小23座)
[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 倭文神社
[ふ り が な ]しとり かみのやしろ)
[Old Shrine name]Shitori no kamino yashiro)

https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫

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【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

「倭文(シトリ)神社」について

「倭文神社」の読みは「しずおり・しとり・しずり・しどり・しとおり」等と呼びます

倭文「シズオリ」の布の別名を倭文織(しずお)り綾布(あやぬの)倭文布(しずぬの)と呼びんで カジノキや麻などを青の色に染めて 縞や乱模様を織古代の織物です 横糸に植物繊維(イラクサ科の多年草であるからむし)を染めて織った布のこと

この機織の神祀るのが「倭文(シトリ)神社」です

機織の神「建葉槌命(タケハヅチノミコト)天羽雷命・天羽槌雄・武羽槌雄などとも記されます」と「棚機姫命(タナバタヒメノミコト)天之八千千比売・天衣織女などとも記されます」を祀る神社です

建葉槌命(タケハヅチノミコト)を祖神とする倭文氏によって祀られたものと云われています

倭文氏は 大和朝廷下渡来の布織技術を持つ氏として 服部(はとりべ)・織部(おりべ)呼ばれる部なっとされています

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『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載の
「倭文神社」は13神社です

それぞれの現在の論社もご紹介します
倭文氏の祖神「天羽雷命(アマハイカヅチノミコト)=建葉槌命」を祀る神社とされます

1.畿内 大和國 葛下郡 葛木倭文坐天羽雷命神社 大
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』所載

葛木倭文座天羽雷命神社(奈良県葛城市)

・博西神社(奈良県葛城市)

2.東海道 伊勢國 鈴鹿郡 倭文神社
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』所載

・加佐登神社(三重県鈴鹿市)〈合祀先〉

3.駿河國 富士郡 倭文神社
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』所載

・倭文神社(静岡県富士宮市)

4.伊豆國 田方郡 倭文神社
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』所載

倭文神社(伊豆市大野)

鍬戸神社(三島市長伏)

小坂神社(伊豆の国市小坂)合祀

聖神社(伊豆市月ヶ瀬)

5.甲斐國 巨麻郡 倭文神社
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』所載

・倭文神社本宮(山梨県韮崎市)

・倭文神社降宮明神(山梨県韮崎市)

・諏訪大神社(山梨県甲斐市)

6.常陸國 久慈郡 靜神社 名神大
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』所載

・靜神社(茨城県那珂市)

7.東山道 上野國 那波郡 倭文神社
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』所載

・倭文神社(群馬県伊勢崎市)

8.山陰道  丹後國 加佐郡 倭文神社
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』所載

・倭文神社(京都府舞鶴市)

9.丹後國 與謝郡 倭文神社
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』所載

・倭文神社(京都府与謝郡与謝野町)

10.但馬國 朝來郡 倭文神社
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』所載

・倭文神社〈鮭の宮〉(兵庫県朝来市)

・妙見宮〈国常神社〉(兵庫県朝来市)

11.因幡國 高草郡 倭文神社
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』所載

・倭文神社(鳥取県鳥取市)

12.伯耆國 川村郡 倭文神社
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』所載

・倭文神社(鳥取県湯梨浜町) 伯耆 一之宮

13.伯耆國 久米郡 倭文神社
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』所載

・倭文神社(鳥取県倉吉市) 伯耆 三之宮

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神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

伊豆箱根鉄道 駿豆線 田京駅から西へR414号経由 約2km 車5分程度

鳥居の扁額には「子神宮」とあり
小坂神社(Osaka Shrine)に参着

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小砂利が敷き詰められた境内の右手には 立派な社務所

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上段境内に通じる階段の下に 二ノ鳥居があり 一礼をしてくぐります

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更に 石垣があり 玉垣が廻されている もう一段高い社地に社殿が建てられています この階段下に手水舎があり 清めます

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拝殿にすすみます

賽銭をおさめ お祈りをします 
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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境内地東を向いていて 狩野川を越えて 伊豆大仁辺りの山並みが 参道の先に見えていて ゆったりと戻りながら 社殿に振り返り 一礼をします

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神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『豆州志稿(zushu shiko)』〈江戸時代 寛政12年(1800)編集〉に記される伝承

子ノ神と呼ばれていて 現在合祀されている笠石明神などの名も記されています

【意訳】

子ノ神  小坂村

山ノ神を配す 
姥ノ神〇天神十二天〇笠石明神〇十二祖〇山ノ神〇第六天〇駒形

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス『豆州志稿』選者:秋山章/校訂者:秋山善政[数量]15冊[書誌事項]写本 弘化04年[旧蔵者]内務省
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000002883&ID=M2018051109165431627&TYPE=&NO=

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式内社「倭文神社しとりの かみのやしろ)」の伝承

『神名帳考証土代(Jimmyocho kosho dodai)』〈文化10年(1813年)成稿〉に記される伝承

神社の名称のみが 記されています

【意訳】

倭文(シトリ)神社

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『神名帳考証土代』(文化10年(1813年)成稿)選者:伴信友/補訂者:黒川春村 写本 [旧蔵者]元老院
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000039328&ID=M2018051416303534854&TYPE=&NO=画像利用

『神社覈録(Jinja Kakuroku)』〈明治3年(1870年)〉に記される伝承

式内社「倭文神社」の所在について 大野村〈現 倭文神社(伊豆市大野)〉と記しています

【意訳】

倭文神社

倭文は 志圓利と訓ずべし
〇祭神 建羽槌男神 歟
〇大野村に在す 国圓

類社 伊勢鈴鹿郡 倭文神社の條見合うべし

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015『神社覈録』

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)』〈明治9年(1876)完成〉に記される内容

式内社「倭文神社」の所在について 諸説あって一定しないと 3つの所在を挙げています ・長伏村〈現 鍬戸神社(三島市長伏)〉・大野村〈現 倭文神社(伊豆市大野)〉・田京村〈現 小坂神社(伊豆の国市小坂)合祀

【意訳】

倭文(シヅリノ)神社

祭神
祭日
社格

所在
今按〈今考えるに〉
この神社 諸説一定ならず
一説に 君澤郡 長伏村 鍬手明神なるべし 豆志未定の部に載せたれど 神名帳に各社を載られたる序次は 父梨 軽野 倭文 高橋 長濱 とあるを神階帳には ちちなし 狩野 長濱と並載せて 倭文 髙橋を列ねず 別所に髙橋の明神 くわとの明神を並び出せるは彼 狩野川 神長濱明神の間より この2社を引抜て出したること知られて この くわとの明神 倭文神社なること疑い無ければなり

又 一説に 國圓に大野村に載せたれど 今然るべき社なし牧郷村天神社ならむ 隣里 柏久保村は旧一村なりし由なるが 彼村に一宮明神あり 一宮と称するは 必式社ならむ 社辺りに今 シントと云う地名ある 牧郷村に岑度(シント)山 東隠寺と云うあるは 倭文の転訛なるべし

又 一説に 田京村 深澤明神ならん 社辺の字に 麻(ヲ)か畑 麻浸(ヲラテ)川あり 近隣の者 夜半に時々 機織の音を聞く事ありと これ機を司り玉う神なるに由あり 田京は建羽槌命の伝ならんと云える

長伏村と云うは 神名帳の順序に由あり 大野村は倭文の語に由ありて聞こえれば この2村の内なるべし 牧郷村なるはその説少しく付会に近し

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155『特選神名牒』1 『特選神名牒』2

『伊豆国式社攷略( Izunokuni shikisha koryaku)』〈明治15年(1882)発行〉に記される伝承

式内社「倭文神社」の所在について 数説あるが ・長伏村〈現 鍬戸神社(三島市長伏)〉であると記しています

【意訳】

倭文(しどりの)神社

君澤郡 長伏村鎮座 くわとの明神 神階帳 旧称 鍬手(くわて)明神なるべし 考証 及び 注進の一説 續攷

この他 数設あれど 皆憶断を遁をざき掲げるを要せり

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『伊豆国式社攷略』萩原正平 著 出版年月日 明15.6  編 出版者 栄樹堂
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/815090『伊豆国式社攷略』

小坂神社(Osaka Shrine) (hai)」(90度のお辞儀)

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