倭文神社(倉吉市志津)伯耆国三之宮

倭文神社は 御祭神の武葉槌神(一説には 経津主神とも)が 出雲の譲りの際 豊原中国を平定せよとの詔勅により 出雲へ出陣をされます この時 御陣営をかためられたのがこの地で 倭文神社はこの神跡であると伝えられています

目次

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1.ご紹介(Introduction)

この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

倭文神社Shitori Shrine)
(しとりじんじゃ)

 [通称名(Common name)]

伯耆三ノ宮(ほうきさんのみや)

【鎮座地 (Location) 

鳥取県倉吉市志津209

 [  (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》経津主神(Futsunushi no kami)
   建葉槌命(Takehazuchi no mikoto)
   下照姫命(Shitateruhime no mikoto)

《合》伊弉諾命(Izanagi no mikoto)
   伊弉冊命(Izanami no mikoto)
   誉田別命(Homutawake no mikoto)

【御神格 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity)

『延喜式神名帳Engishiki jimmeicho)所載社
・ 伯耆之宮Hoki no kuni sannomiya)

【創  (Beginning of history)】

式内社
伯耆三ノ宮 倭文(しどり)神社

主祭神
経津王神(ふつぬしのかみ   武勇の神)
武葉槌神(たけはづちのかみ  機織・織物の神)
下照姫神(したてるひめのかみ 安産の神)

相殿神 伊弉諾命 伊弉冊命 誉田別命

例祭日 4月29日(昭和の日)
創立年代は不詳であるが、当社は延喜式神名帳(西暦927年平安時代)記載の神社(式内社)であって、古くは志津大明神又は三ノ宮志津大明神とも称した。

神階は高く、往古より武門武将の崇敬篤く、庶民の信仰また盛ん、中世には国主 山名氏、吉川氏、南條氏などに崇敬され、社殿の建立、社領の寄進を受けたが、慶長年間、中村伯耆守により社領を没収された。江戸時代に入っては藩主の尊信篤く社殿の建立・修復、社領の寄進が行われ、池田家の祈願所として隆昌を極めた。

鎮座地の志津は 社号の倭文と同じである。

倭文(しどり)とはシヅオリのつまった形で、シヅは「日本古来の文様」、オリは「織り」であると言われる。したがって、倭文は日本古来の織物を意味し、読みはシヅオリがシヅリ・シドリに、さらにシヅへと転じたものであろう。(古くは清音)

往時この一帯は日本古来の織物、即ち倭織(しづおり)が盛んであったという。
このことからして当社は、この地に移り住んだシヅオリを業とする技能集団、「倭文部(しどりべ)」の一族が氏神として機織の祖神「武葉槌神」をお祀りしたのに起因することは明らかである。やがてその里がシヅ(志津)となったものと考えられる。

又、経津主神(一説には武葉槌神とも)が中津国平定の詔勅により 出雲へ進発の時、御陣営を堅められたのがこの地で、当社はその神跡であると伝えている。当社より北200m余の地に「神津井」と称する井がある。往昔、諸神の軍営中飲料に当てられたとされる井で、今も祭事には神水として神前に供している。

往昔より祭礼の際、室町時代の軍神祭の様式に倣った神幸式が行われたが、幾多の変遷を経て江戸時代の末期再興、大名行列の様式になり今日に至っている。

明治4年郷社に列し、大正2年近在の4社を合併、昭和17年県社に昇格、昭和30年福富神社が分離、御祭神は、六柱となる。
境内案内板より

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【由  (History)】

式内社 伯耆三ノ宮 倭文神社 由緒

祭神
経津主神 武葉槌神 下照姫神
伊弉諾命 伊弉冊命 誉田別命

創立年代 不詳なれ共 当社は延喜式神名帳記載の神社(式内社)にして
古くは 志津大明神 又 三ノ宮志津大明神とも称したり
往古より 武門武将の崇敬厚く山名時代 吉川元春 南条宗勝 諸公より 社領の寄進社殿の建立あり祈願所なりしが 慶長年間 中村伯耆守に社領を没収せられ  今は唯 八町四方の御免地に字名のみ残れり

鎮座地 志津は 社号 倭文と同一なり
書記集解に曰く 倭文とは青筋の文布なり 又 古史伝に 倭文は 斯杼理と訓し 斯 豆於理の約したる言にして筋で織りたる物を云うなりとあり 又「シドリ」とは「シヅリ」とも云い「シヅオリ」(筋織、倭織)の義にして倭織の盛なりし地ならん 隋って倭文神として 機織の祖神 武葉槌神を祀れるより起因せる事明かなり 又 経津主神 出雲御出征の時 御陣営に当てられし地にして当社は其の神跡なりと伝う
当社より 北二丁の地に神津井と称する井あり 往昔 諸神の軍営中飲料に当て給いし水にして 如何なる天変地異にも水質変化なく 岩窟の奥深くより滾々と湧出る水に神代ながらの縁起を囁くものの如し

斯く由緒 深遠なるを以って 古くより養蚕の神 機織の神 農業の神 武運の神 学問の神 縁結の神 安産の神として今尚地方の信仰篤くに厚し

明治4年郷社に列し 同40年幣帛料供進神社に指定せられ大正2年福本神社 尾田神社 新宮神社 福富神社を合併す

昭和15年 紀元2600年記念事業として 社殿 並 境内の改修整備をなし
昭和17年5月2日県社に昇格す 昭和21年神社本庁に所属 昭和28年宗教法人として設立する 昭和30年 福富神社分離となり 爾来 志津、藤井谷、尾田、福本、仙隠の氏神として鎮り給う

例祭日 4月19日

社殿掲示板より

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【境内社 (Other deities within the precincts)】

・祭神不詳

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
(Engishiki JimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています

・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)山陰道 560座…大37(うち預月次新嘗1)・小523
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伯耆国 6座(並小)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)久米郡 2座(並小)
[名神大 大 小] 式内

[旧 神社 名称 ] 倭文神社
[ふ り が な ]しとりの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Shitori no kamino yashiro)

https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫

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【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

倭文(シトリ)神社」について

「倭文神社」の読みは「しとり・しずり・しどり・しとおり」等と呼びます

いずれも機織の神「建葉槌命(タケハヅチノミコト)天羽雷命・天羽槌雄・武羽槌雄などとも記されます」と「棚機姫命(タナバタヒメノミコト)天之八千千比売・天衣織女などとも記されます」を祀る神社です

建葉槌命(タケハヅチノミコト)を祖神とする倭文氏によって祀られたものと云われています

 

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『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載の「倭文神社」13神社です

それぞれの現在の論社もご紹介します

倭文氏の祖神「天羽雷命(アマハイカヅチノミコト)=建葉槌命」を祀る神社とされます

畿内

1.和國 葛下郡 葛木倭文坐天羽雷命神社 大
『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)所載

葛木倭文座天羽雷命神社(奈良県葛城市)

・博西神社(奈良県葛城市)

東海道

2.伊勢國 鈴鹿郡 倭文神社
『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)所載

加佐登神社(三重県鈴鹿市)〈合祀先〉

3.駿河國 富士郡 倭文神社
『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)所載

倭文神社(静岡県富士宮市)

4.伊豆國 田方郡 倭文神社
『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)所載

・倭文神社(静岡県伊豆市)

・鍬戸神社(静岡県三島市)

・小坂神社(静岡県伊豆の国市)

・聖神社(静岡県伊豆市)

5.甲斐國 巨麻郡 倭文神社
『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)所載

・倭文神社本宮(山梨県韮崎市)

・倭文神社降宮明神(山梨県韮崎市)

・諏訪大神社(山梨県甲斐市)

6.常陸國 久慈郡 靜神社 名神大
『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)所載

靜神社(茨城県那珂市)

東山道

7.上野國 那波郡 倭文神社
『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)所載

倭文神社(群馬県伊勢崎市)

山陰道

8.丹後國 加佐郡 倭文神社
『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)所載

倭文神社(京都府舞鶴市)

9.丹後國 與謝郡 倭文神社
『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)所載

倭文神社(京都府与謝郡与謝野町)

10.但馬國 朝來郡 倭文神社
『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)所載

倭文神社鮭の宮(兵庫県朝来市)

妙見宮国常神社(兵庫県朝来市)

11.因幡國 高草郡 倭文神社
『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)所載

倭文神社(鳥取県鳥取市)

12.伯耆國 川村郡 倭文神社
『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)所載

倭文神社(鳥取県湯梨浜町) 伯耆 一之宮

13.伯耆國 久米郡 倭文神社
『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)所載

倭文神社(鳥取県倉吉市) 伯耆 三之宮

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神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

JR倉吉駅から 県道312号経由 約14km 車25分程度
県道50号から志津集落へ道に入ると 車道のすぐに脇に神明鳥居が建っています 扁額には「縣社 倭文神社」と浮彫があります

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樹木に囲まれた参道があり
社頭には 狛犬 石灯篭 社号旗「伯耆三ノ宮 倭文神社」とあります
倭文神社Shitori Shrine)に参着

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その先に 木製の両部鳥居が建ち 社号標には「式内 倭文神社」とあり 一礼をしてくぐると 神門があり 立派な社頭です

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神門をくぐり抜けると その先に社殿が見えてきます

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右手に手水舎があり 清めます
玉垣に囲まれた神域の手前には 神木と狛犬が構え 境内へと参道を進んでいきます

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境内の右手には 大きな石碑が2つ建っていて「社殿屋根 銅板葺替え 記念」「倭文神 祠 修造記碑」 どちらも氏子の方々の崇敬の深さを表しています 碑文には かつて 「伯耆三ノ宮 志津大明神とも尊称される由緒深遠なお社」と記されています

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拝殿にすすみます 拝殿は5間×4間 入母屋造平入 3間軒向拝

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奉納された注連縄の下
賽銭をおさめ お祈りをします 
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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本殿は 透き塀〈御垣〉に囲まれ 切妻造平入 正面に大きな千鳥破風 向拝は唐破風の見事な造りです

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参道を戻ると良くわかりますが 本殿から見て 神門に向かい右手が社務所になります 参道を挟むように御神木が生えています

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隋神門を戻る時に気付きましたが すぐ横に「倭文社司 永江君頌徳碑」がりました しかし 碑文を見るのを怠ってしまいました 気になっています

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隋神門 両部鳥居を抜けて 社頭の狛犬まで戻り 振り返り一礼をします

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神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『日本書紀(nihon shoki)』巻 第二 神代下 第九段本文の伝承

『日本書紀』によると
出雲の国譲りで 大役を終えた武甕槌命と経津主神は その後もまつろわぬ神を平定していきます
しかし 天津神(大和)に最後まで屈服しないその国津神の名は「星神加加背尾命(hoshinokami kakaseo no mikoto)」でした

最終的に 武甕槌命と経津主神の2神に代わって 星神を服従させたのが 倭文神(shitori no kami)〈建葉槌命(タケハヅチノミコト)〉です

意訳
『 一説によれば
「二神(經津主神(futsunushi no kami)と武甕槌神(take mikazuchi no kami))は ついに邪神や草木・石の類を誅伐して 皆すでに平定されました

唯一従わぬ者は 星の神・香香背男耳(kagaseo no mimi)だけとなりました
そこで 倭文神(shitori no kami)を派遣して 服従させました

そして 二神(經津主神(futsunushi no kami)と武甕槌神(take mikazuchi no kami))は 天に登っていかれました 倭文神 これを「斯圖梨俄未(shitorikami)」といいます 』

『原文』参照『日本書紀(nihon shoki)』[選者:舎人親王/写本 ,享保03年] 国立公文書館デジタルアーカイブ『日本書紀』写本

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『日本紀略(nihonki ryaku)』〈11世紀後半~12世紀頃 編纂と伝わる〉に記される伝承

神階の奉授が記されています

【意訳】

天慶3年(西暦9409月4日の条

奉り贈る
正2位 稲荷神 従1位
大和国 瀧倉神 正2位
左 京 従3位 太詔戸神

伯耆国の 従3位 倭文神に 正3位を

左 京 正4位上 隼神
大和国 正4位下 高屋安倍神
甲斐国 正4位上 物部神
壱岐国 正4位上 天建金草神 並びに 従3位

大和国 正5位上 河内神
甲斐国 正5位上 大井俣神 並びに 従4位下

伊勢国 従5位上 狭原神 正5位下

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ 『日本紀略』写本 延暦01年 - 長元09年[旧蔵者]太政官正院地志課・地理寮地誌課・内務省地理局

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『神名帳考証土代(Jimmyocho kosho dodai)』(文化10年(1813年)成稿)に記される伝承

【意訳】

天慶3年(西暦9409月4日の条・・ 正3位

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『神名帳考証土代』(文化10年(1813年)成稿)選者:伴信友/補訂者:黒川春村 写本 [旧蔵者]元老院

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『神社覈録(Jinja Kakuroku)』明治3年(1870年)に記される伝承

【意訳】

倭文神社

倭文は 志図利(シズリ)と訓ずべし

〇志津村に在す 今 三宮明神と称す

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015『神社覈録』

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)』明治9年(1876)完成 に記される内容

【意訳】

倭文神社

祭神
今 按〈考えるに〉
本社 祭神 布都主神(フツヌシノカミ) 下照比賣神(シタテルヒメノカミ)建御雷神(タケミカヅチノカミ)とあるが誤れり

倭文神(シトリノカミ)の建羽雷神(タケハヅチノカミ)にます事は 疑いを容れざればなり

さて 思うに建御雷神(タケミカヅチノカミ)は 建羽雷神(タケハヅチノカミ)なるをあやまりしものなるべし

祭日 3月14日 至 16日
社格 郷社
所在 志津村 字 宮ノ前

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155『特選神名牒』

『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)』明治45年(1912)に記される伝承

伯耆には 倭文神社が 一之宮三ノ宮(当神社)の2神社があり 六国史に記されている「倭文神(シトリノカミ)」は 当神社であるとの説を取り上げています

【意訳】

鳥取県 伯耆国東伯郡北谷村大字 志津村宮ノ前

郷社 倭文(シヅノ)神社

祭神
経津王神(フツヌシノカミ)
(タケミカヅチノミコト)
下照姫(シタテルヒメノミコト)

創立年代詳らかならず

文徳天皇 斎衡3年(西暦8568月辛未 乙亥 の条・・従5位上
朱雀天皇 天慶3年(西暦9409月4日の条・・正3位
奉授せられる

元は 当国に 倭文神社は2社あり 国史の授位は何れなのか知らず
当社は 明細帳に依れば 倭文は志津なり 志津は倭文なり 
旧し 国史所載の倭文神は 当社なるべし

醍醐天皇延喜の制 式内小社列せられ 当国6座の1にして 旧と三ノ宮明神称したり
神田は元と 1町8反餘を有したりが 年月不詳 水害の為 荒地となる

中世 米子城主 中村氏の為 社領を悉く没収せらる

社殿は北朝 嘉慶2年 国主 山名時氏 建立し 次いで永享10年同刑部太夫建立 
天正2年 又 南條元續 建立の事伝書あり
降って 寛永5年 天和3年 正徳5年 国主 又は 豪族 建立の事 棟札に見え 近く享保19年 寶歴2年 住民に造費を許さる

これより先 悉く官営たり 明治4年郷社に列す
社殿は 本殿 幣殿 拝殿 神楽殿 隋神門(兼 神輿庫)等を具備し 境内1120坪あり  

【原文参照】国立国会図書館デジタルコレクション『明治神社誌料』明治45年(1912)著者 明治神社誌料編纂所 編
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1088244映像利用 『明治神社誌料』1 『明治神社誌料』2

市指定無形民俗文化財 倭文神社 大名行列について

市指定無形民俗文化財 倭文(しどり)神社 大名行列

   倉吉市志津
指定年月日 平成23年6月7日

倭文神社 大名行列は、倭文神社の春の例大祭に、その氏子によって奉納される神幸式の行列である。起源は不明であるが、毎年春の例祭時に神輿渡し式が行われていたと伝わり、これが転化したものとされる。一説によると、江戸時代の終わりごろ羽熊(はぐま)・槍・鉄砲・弓などの用具を整え、大名行列の様式を取り入れたという。
明治15年(1882)に拝殿建立を記念して御幸式を復活し、昭和13年(1938)の県社昇格の内定決定に合わせ行列道具の充実が図られた。平成の初めから毎年4月29日「昭和の日」に実施される。
行列は、神輿行列の先触れとして神社境内から御旅所(おたびしょ)(御幸地)までの行進である。
その構成は、先払い(鼻高 はなたか)1人.御旗(みはた)(銘旗 めいき)1人.榊(さかき)2人.小旗1人.先箱(さきはこ)2人・槍(やり)2人・弓負(ゆみおい)4人・鉄砲6人・旗負(はたおい)5人・奴(やっこ)10人(立傘 たてかさ2人・台傘 だいがさ2人・小羽熊 こはぐま2人・大羽熊 おおはぐま2人・対槍2人)の順で列を整えて並び、神輿(みこし)を先導する。
行列舞は、先箱の「エーヨイヤナー」の掛け声で始まり、続く子供たちの「オーイ・オーイ」の掛け声とともに足で土を均す所作踊りである。また太鼓・笛の音に合わせ青年の奴の5組10人が向かい合っての受け渡し舞を繰り返す。
倉吉市教育委員会 平成24年3月作成

現地案内板より

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倭文神社Shitori Shrine) (hai)」(90度のお辞儀)

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