大神神社(一宮市花池)〈延喜式内 名神大社・尾張国一之宮〉

大神神社(おおみわじんじゃ)は 社伝によれば 大和の大神神社(奈良県桜井市)同じく 大和系の人々が「三輪の神」を祀ったことに始まるとされ 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載される名神大社です 奈良時代には 尾張国司が赴任すると 国中の神社を代表する総社に 国府宮の尾張大国霊神社を指定しました 次いで 花池の「大神神社真清田神社をまとめての『相殿・対の宮』として『尾張一之宮』に指定したと伝えています

目次

1.ご紹介(Introduction)

この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(shrine name

大神神社Omiwa Shrine)
おおみわじんじゃ

 [通称名(Common name)]

花池大神神社 (hanaike Omiwa Shrine)

【鎮座地 (location) 

愛知県一宮市花池2-15-2

 [  (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》大物主神(omononushi no kami)

【御神格 (God's great power)】(ご利益)

・産業開発 Industrial development
・五穀豊穣 Pray for good harvest
・無病息災 Get rid of disease and hardship
・方除 Pray to God so that there is no calamity due to direction and direction.
・縁結び Deepen connections and intimacy with people

【格  (Rules of dignity)

『延喜式神名帳Engishiki jimmeicho)所載社(名神大)
・ 尾張一之宮Owari no kuni ichinomiya)

【創  (Beginning of history)】

創建は不詳

【由  (history)】

尾張国
一之宮  大神神社の由来

鎮座地   愛知県一宮市花池2-15-2
(旧鎮座地)愛知県一宮市大和町宮地花池字西屋敷

 格 延喜式内社・旧郷社
 神 大物主神

崇神天皇の御代、疫病が流行したときに天皇が祀った神々の一柱。
大和国の一の宮大神神社の祭神で、三輪の神と呼ばれ、大国主神(大黒様)の別名がある。

大和の大神神社と同じく、大和系の人々が三輪の神を祀ったことにはじまるといわれる。
鎮座地の花池は水が美しく、蓮田が多く、毎年 熱田神宮に奉納する蓮が咲く沼であった。

奈良時代に国司が赴任して、国中の神社を代表として 国府宮の尾張大国霊神社を尾張の総社に指定、次いで花池の「大神神社」と「真清田神社」をまとめての『相殿・対の宮』と言うことで『尾張の一の宮』に指定した。

「文徳実録」「尾張国帳」には従一位大明神とあり三宮明神、三明神(神宝として珠・鏡・矢と三種の御証印があった)と称せられ、延長5年延喜式神名帳には式内社とあり、勅祭神社であったことが判る。
尾張の国中には、大明神8座、小123座あって、当時の大明神8座の内の1座である。

例祭日 10月10日
御神徳 産業開発・五穀豊熟・無病息災・方除け・縁結び
境内外攝末社 六所社・三島社・白山社・神明社・招魂社・素盞鳴社
境内地坪数 5,184㎡
主な  新年祭・田打祭・祈年祭・新嘗祭・湯ノ花祭・年越祭
   神馬(9尺)
    木造狛犬(高サ2尺)1対(市文化財指定)神宝刀剣三振(市博物館に保存)

尾張国
一之宮 大神神社 山田宮司

境内案内板より

【境内社 (Other deities within the precincts)】

本殿向かって右
六所社Rokusho Sha)
《主》豊受皇大神・応神天皇・天児屋根神・倉稲魂神・武甕槌神・底筒男神
・三島社Mishima Sha)
《主》大山祇神(oyamazumi no kami)

本殿向かって左
・白山社Hakusan Sha)
《主》伊弉冊神(izanami no kami)
・神明社Shimmei Sha)
《主》天照皇大神(amaterasu sume okami)

本殿向かって右の境内
・招魂社Shokon Sha)
《主》護国の英霊(gokoku no eirei)

境外
・素盞鳴社Susanowo Sha)
《主》素盞鳴命(susanowo no mikoto)

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』(927年12月編纂)といって 平安時代中期に朝廷が作成した全50巻の律令格式の巻物の中でも重要視されている2巻です 内容は 今から約1100年前の全国の官社(式内社)一覧表で「2861社」の名称とそこに鎮座する神の数 天神地祇=「3132座」が所載されています

延喜式神名帳】(engishiki jimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)尾張国 121座(大8座・小113座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)中島郡 30座(大3座・小27座)

[名神大 大 小] 式内名神大社

[旧 神社 ] 大神神社(名神大)
[ふ り が な  ](おおみわの かみのやしろ)
[How to read ]Omiwa no kamino yashiro)(myojintai)

国立国会図書館デジタルコレクション 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫

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【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

木造狛犬(mokuzo komainu)一宮市指定文化財 彫刻について

一宮市指定文化財

 彫刻 木造狛犬 一対

大神神社蔵 昭和五十七年三月一日 指定

阿形はやや口を開け、首を振る。
吽形は固く口を引き締め、頭上に一角を持つ。

共にたて髪、巻き毛を分厚く肉彫りし、耳は垂れているが、目は大きく見開き、胸を張り、前脚を踏ん張っているのは力強さと量感に満ちている。
洗練された技術とは言い難いが、むしろ稚拙な彫り方が、素朴で手造り的味わいがあり、観る者に好感を与える。
彩色は当初より施されていなかったようで、木目の跡が美しい。 台座と本体は一木であるが、尾の部分と胴の部分を継ぎあわせている。かなりの重量で、内刳りはなく、檜の寄木造りである。

阿形台座側面に 「 尾張中島郡 宮地花池 惣 氏子中 」、吽形台座側面に 「 文花十二( 1815 )乙 亥龝 如月堂 毛受良三 刻之 」とあり、文化12年  に毛受良三によって制作され、宮地花池村の氏子によって奉納されたことがわかる。
阿形高さ40センチ、吽形高さ45センチ。
一宮市教育委員会

案内板より

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神社にお詣り(Pray at the shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

名鉄一宮駅から 南西に約1.3km 徒歩17分程度

大神神社Omiwa Shrine)に参着

裏手の古宮公園の敷地に鎮座していたが 戦国時代に焼失して 神宮寺であった「薬師寺」の境内に遷座 明治3年(1870)に現在地に社殿が建てられたとされます

現在 社殿は 西南を向いて建っています
その正面の道路は 三叉路となっていて 入口はありませんが 玉垣に囲まれた境内の中 本殿の正面に 尾張地方の独特の透かし塀 不浄除けの蕃塀(ban pei)が建っています

この蕃塀(ban pei)とは 正殿を直視しない(できない)ようにするとか 不浄なものの侵入を防ぐために造られたとも云われています
一般的には 鳥居・参道・拝殿を結ぶ線上にあって 拝殿の正面参道に設けられています

この神社は 境内の社頭(入口)が 拝殿と蕃塀(ban pei)結ぶ線から 右側にずれています
社頭の 社号標には「式内社 大神神社」とあります

一礼して 鳥居をくぐり抜けます

参道の直ぐ右手に手水舎があり 清めます

正面には 御神馬の像があり 参道が二手に別れています
右手は 招魂社Shokon Sha)《主》護国の英霊(gokoku no eirei)
左手が 社殿です

神馬像の鞍には 社紋が刻まれていて 奈良の大神神社と同じ「三杉」です

神馬の左手には 社殿が建ちます 拝殿前には 大きな石灯篭と狛犬が並んでいます

拝殿にすすみます 拝殿は ピンク色のコンクリート造りです
扁額には 「延喜式内 當国八社之内 大神大明神」
木札には 「尾張一之宮 大神神社」とあります

賽銭をおさめ お祈りです 

ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

拝殿の向かって左手より

本殿瑞垣内向かって左側の境内社にお詣りをします
・白山社Hakusan Sha)
《主》伊弉冊神(izanami no kami)
・神明社Shimmei Sha)
《主》天照皇大神(amaterasu sume okami)

拝殿の向かって右手より

本殿瑞垣内向かって右側の境内社にお詣りをします
六所社Rokusho Sha)
《主》豊受皇大神・応神天皇・天児屋根神・倉稲魂神・武甕槌神・底筒男神
・三島社Mishima Sha)
《主》大山祇神(oyamazumi no kami)

拝殿の正面 左右から境内を眺めます

参道を戻り 社務所にて ご神職から ご朱印を頂き(2度目の参拝の折)境内を後にします

鳥居をくぐり 振り返って 一礼をします

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神社の伝承(Old tales handed down to shrines)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『尾張名所図会(Owari meisho zue)』「中島郡」に記される伝承

「大和の三輪とは別神なり」とされていて
尾張氏 同祖の御神である「天火明命(ameno hoakari no mikoto)」の10世の孫の「大美和都禰命(omiwa tsune no mikoto)」を祭神としている と記されています

意訳

大神神社(Omiwa no kamino yashiro)

同村にあり 今は三明神と称す
延喜式内にて 本国帳に従一位大神名神としるされている

祭神の「大美和都禰命(omiwa tsune no mikoto)」は
「天火明命(ameno hoakari no mikoto)」の10世の孫なので
尾張氏同祖の御神である
当国に祀るのは 故ある事なので 大和の三輪とは別神なり

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『尾張名所図会』選者:岡田啓/選者:野口道直/画家:小田切春江 [書誌事項]刊本 ,明治13年[旧蔵者]太政官正院地志課・地理寮地誌課・内務省地理局

『明治神社誌料(meiji jinjashiryo)』に記される伝承

江戸時代初期の国学者「出口延佳(1615-1690)」の子「度会延昌」 が 確かに延喜式の名神大社に間違いない と語る内容が記されています

意訳

郷社 大神神社Omiwa no kamino yashiro)
祭神 大物主神(omononushi no kami)

創立年代は不詳
延喜式の名神大社に列せられている

熱田社の荘園(熱田庄)にあり 今は「三明神」と呼んでいる

様々な説の中で「度会延昌」が 延喜式の臨時祭式にいう名神祭に預かる神社名にその名がないが 確かに延喜式の名神大社に間違いない と語っています

熱田神宮は 尾張国の三之宮と呼ばれていて
当村は 熱田社の荘園(熱田庄)であった 鷺を白鳥と呼んで当地では食さなかったとも伝えられている

また 毎年の旧暦7月7日に この村は 熱田社に素麺と蓮を奉納していた

【原文参照】国立国会図書館デジタルコレクション『明治神社誌料』平安時代初期 著者 明治神社誌料編纂所 編
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1088244映像利用

大神神社Omiwa Shrine) (hai)」(90度のお辞儀)

尾張一之宮Owari no kuni ichinomiya)は もう一社あります
社伝には 『相殿・対の宮』と言うことで『尾張の一宮』に指定したとされる 真清田神社 の記事をご覧ください

 

尾張の総社とされる
国府宮の尾張大国霊神社の記事もご覧ください

 

「全国 一之宮(Ichi no miya)」について に戻る 

尾張国 式内社 121座(大8座・小113座)について に戻る       

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