沖宮(おきのぐう)は 王府から特別の扱いを受けた゛琉球八社゛の一つで 創建の伝承は〈詳らかではないが〉2説あり 1つは舜天王統・初代 舜天王の父とされる源為朝の時代〈1139~1170年〉とするもの 2つは 第一尚氏王統・第5代 尚金福王の時代〈1450~1453年〉「那覇港の海の中から不思議と光輝く霊木があり 宮社を建て 熊野権現の霊木として祀った」という説です
目次
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
沖宮(Okinogu)
【通称名(Common name)】
・沖山三所大権現〈明治以前の称号〉
【鎮座地 (Location) 】
沖縄県那覇市奥武山町44(奥武山公園内)
【地 図 (Google Map)】
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【御祭神 (God's name to pray)】
《主祭神》御三神のまたの名を天照大御神(あまてらすおほみかみ)と称える
御先 女天神代 天受久女龍宮大御神(てんじゅくめりゅうぐうおうおんかみ)
中 女天神代 天智門女龍宮大御神(あまちじょうめりゅうぐうおうおんかみ)
今 女天神代 天受賀女龍宮大御神(てんじゅかめりゅうぐうおうおんかみ)
《相殿左》
父御神 天龍大御神(てんりゅうおおおんかみ)
母御神 天久臣乙女大御神(あめくしんおとめおうおんかみ)
《相殿右》
天芳子乙女大御神(てんぽうしおとめおうおんかみ)
天仁子乙女大御神(てんじんしおとめおうおんかみ)
天来子乙女大御神(てんらいしおとめおうおんかみ)
《相殿右》熊野三神(くまのさんしん)
伊弉冉尊(いざなみのみこと)
速玉男尊(はやたまをのみこと)
事解男尊(ことさかをのみこと)
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
・国家安穏・五穀豊穣・陸海交通安全の神船玉神として歴代琉球王を始め諸民に尊崇された
【格 式 (Rules of dignity) 】
・琉球八社
【創 建 (Beginning of history)】
沖宮(おきのぐう)御祭神(ごさいじん)
天受久女龍宮王御神(てんじゅくめりゅうぐうおうおんかみ)(天照大御神)
天龍大御神(てんりゅうおおおんかみ)
天久臣乙女王御神(あめくしんおとめおうおんかみ)熊野三神(くまのさんしん)
伊弉冉尊(いざなみのみこと)
速玉男尊(はやたまをのみこと)
事解男尊(ことさかをのみこと)末社(境内地内)
住吉神社 弁財天宮 八坂神社 権現堂 祖霊舎琉球八社の一つ、沖宮の創立は詳かでないが源為朝公時代と琉球史料書にある。
国家安穏、五穀豊穣、陸海交通安全の神、船玉神として歴代琉球王を始め諸民に尊崇された。明治四十一年那覇港築港の為、字安里に遷座。昭和十年国宝に指定されるも第二次大戦で焼失、戦後、沖宮創始の御祭神即ち霊木の根は奥武山天燈山御嶽と神示を受け御神慮により昭和三十六年に通堂町に仮遷座、昭和五十年八月現在地に御遷座
現地案内板より
【由 緒 (History)】
由緒
那覇市奥武山鎮座、
祭神、伊弉冉尊、速玉男命、事解男命、
例大際、旧3月23日由緒
沖宮の創建は詳らかではないが、「琉球国由来記(1736)」の一節に「那覇津に光気あり、国王首里城より御覧ありて奇瑞、奇妙なりと漁夫に命じて得たるは、これ枯木なり。尋常ならざる霊木と知る。次の夜海面を見るに光輝なし、この枯木霊なりと地を卜して霊社を建り」と記されている。
明治41年那覇港築港の為、真和志村字安里へ遷座、昭和10年国宝に指定された社殿も昭和19年戦災により炎上した。戦後、比嘉真忠に御神託があり、昭和32年那覇市通堂町に小祠を祀り、同35年に仮宮を建立し、沖宮復興へのさきがけとした。祖国復帰を記念して開催された若夏国体を期に昭和48年、御神託の地奥武山天燈山へ遷座、翌49年4月より、51年五月迄の三期にわけ、本殿拝殿並境内神社その他諸施設を復興整備した。※「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から参照
沖宮の諸行事
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【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
・沖宮境内図
・沖宮 本殿
・沖宮 拝殿
・住吉神社
《主祭神》神代十二子の子、丑、寅の神
・八坂神社
《主祭神》神代十二子の卯、巳、午、未、申、酉、戌、亥の神
・天燈山御嶽(てんとうざん み(う)たき)
《主祭神》天受久女龍宮王・底臣幸乙女王
・うるま・琉球・沖縄世界平和之島の石碑
・水神
・弁財天宮
《主祭神》神代十二子の辰の神
・権現堂ならびに祖霊舎
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【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
゛沖宮(那覇市奥武山町)゛の先代 宮司゛比嘉真忠(1914-1990)゛によって沖縄各地に創建された神社
いずれも御祭神は 天受久女龍宮王御神(てんじゅくめりゅうぐうおうおんかみ)を祀ります
またの名を 天照大御神(あまてらすおほみかみ)
・恵比須神社(那覇市安謝)
・恵比須神社(那覇市安謝)
・奥武山世持神社(那覇市奥武山町)
・伊計神社(うるま市与那城伊計)
・伊計神社&ヌンドゥンチ(うるま市与那城伊計)
・宜名真神社(国頭村宜名真)
・神着宮(名護市字安部)
・伊平屋天巌戸神社(伊平屋村田名)
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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
沖宮の創建については〈詳らかではないが〉2説あります
①源為朝公の時代〈1139~1170年〉という説
琉球史料書によると源為朝公の時代との記録が残されているので
すなわち 舜天王統・初代 舜天王(しゅんてんおう)の父とされる源為朝(みなもと の ためとも)の時代〈1139~1170年〉に造られたと社伝
②第一尚氏王統・第5代 尚金福王の時代〈1450~1453年〉という説
『琉球国由来記〈1713年〉』には「大昔 那覇港の海の中から不思議と光輝くものが見えた 王が命じてそれを調べさせるとただならぬ霊木であった 引き上げると翌日は光輝くことがなかったので 宮社を建て これを熊野権現の霊木として祀った」と記されている
゛「琉球神道」聖地巡礼+世界遺産全 9 遺産゛に記される内容
沖宮・由緒
琉球八社の一つ・沖宮の創建は詳かでないが源為朝公時代と琉球史料書にある。 国家安穏・五穀豊穣・陸海交通安全の神船玉神として歴代琉球王を始め諸民に尊崇された。明治四十一年那覇港築港の為・字安里に遷座。昭和十年国宝に指定されるも第二次大戦で焼失・戦後・沖宮創始の御祭神、即ち霊木の根は奥武山天燈山御嶽と神示を受け御神慮により昭和三十六年に通堂町に仮遷座。昭和五十年八月現在地に御遷座。
琉球八社の一つ沖宮の創建は、尚金福王の時代である 1451 年という記録があります。江戸城築城が 1457年、コロンブスのアメリカ大陸到達が 1492 年です。同じ世紀の出来事と考えると遥かなる歴史に感慨を覚えます。 1713 年琉球王府発刊の「琉球王国由来記」によると 15 世紀中頃に那覇港内で不思議に輝くものを国王が首里城よりご覧になり、漁夫に命じて探らせると、尋常ならざる古木を得たそうです。翌夜より水面が輝くことがなかったので、この地に宮社を建て古木をお祀りし、以後、国王始め一般の尊崇をあつめ、特に中国往来の進貢船や薩摩往来の貢船、離島航路などの航海安全の祈願に尊信されたということです。
琉球舞踊の話になりますが、旅の無事を祈る琉球舞踊「上り口説(ヌブイクドウチ)」の歌詞の一節「沖ヌ側マディ親子兄弟連リティ別ユル…」とある「沖」は、実は沖宮のことです。琉球の王様をはじめ、江戸方面へ上る多くの人々が、よき旅となるよう沖宮へご参詣された情景に思いを馳せると、歴史とロマンを感じていただけるのではないでしょうか。
沖宮は、創建当時、現在の那覇港にありました。明治 41 年(1908 年)、築港工事の為、琉球八社の一つ安里八幡宮の境内地隣域に遷座されました。その古式ゆかしい本殿は、昭和 13 年(1938 年)伊東忠太(いとうちゅうた)博士の推挙により国宝に指定されますが、第二次世界大戦により残念ながら焼失してしまいました。戦後、昭和 36 年(1961年)に通堂町へ仮遷座し、昭和 50 年(1975 年)に奥武山公園内へ遷座し現在に至ります。
https://www.jinja-net.jp/jinja-shi/siryou/%E7%90%89%E7%90%83.pdfより抜粋
【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
琉球の゛歴代の王統゛と゛琉球八社゛について
沖宮(那覇市奥武山町)は 琉球八社の一つです
・琉球の゛歴代の王統゛と゛琉球八社゛について
【神社にお詣り】(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
那覇市の奥武山公園内に鎮座します
ゆいレールの壷川駅・奥武山公園駅の中間辺り どちらの駅から歩いても7分程度
奥武山公園の駐車場から 沖宮へ向かいます
奥武山運動公園の水泳プールの横にあります
沖宮(那覇市奥武山町)に参着
一礼をして鳥居をくぐり 石段を上がります
素焼きのシーサーの狛犬が座します
正月の参拝でしたので 拝殿の前には テントが張られて
熊手や縁起物が授与されていました
拝殿にすすみます
扁額には゛沖宮゛と記されています
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
ここから参拝順路に従って
拝殿の向かって右手 住吉神社から
拝殿の向かって左手の八坂神社 鳥居をくぐり石段を上がります
石段を上がると 上にも鳥居が建っています
天燈山御嶽(てんとうざんみたき)があり お祈りをします
一礼をして階段を下ります
隣に見えている施設は 奥武山運動公園の公式競技プールです
水神・弁財天・権現堂をお参りします
【神社の伝承】(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『沖縄案内』〈昭和7年〉に記される伝承
那覇港埠頭築港に伴い那覇市安里の安里八幡宮の隣地に遷座していた 昭和初期の沖宮(那覇市奥武山町)の様子が記されています
【抜粋意訳】
第二十一章 名所舊蹟 那覇市 沖宮
八幡宮の西隣に並んでゐる。之は元臨海寺と共に那覇港埠頭 (今の第一桟橋控所附近 )にあったが築港の爲め現在の場所に移建せられたもので伊東忠太博士の鑑定では琉球古社寺中一頭地を拔いて最も興味あり價値ある建築といはれ、向拜頤貫の鼻の彫刻は文樣化した龍で實に面白く本土に見慣れぬ手法で室町以前の気分がするといひ猶ほ桝(ます)の寸法の十對八なるは奈良時代より平安初期迄に慣用されたものといふ。現在では両社共荒廃 其の極に達し最早や数年を出でずして壊滅するにあらざるかを慮る。記して當局の一考を促す。
【原文参照】
迷宮都市・那覇を歩く 第16回 沖宮とシャーマニズム
https://webtaiyo.com/culture/5992/