二宮神社【旧地】山ノ神(にのみやじんじゃ【きゅうちんざち】やまのかみ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の「加弥命神社(かみのみことの かみのやしろ)」の旧鎮座地とされています 当初は神着 首山の「カミイノ宮」に鎮座 その後神着 東郷の「山の神(二宮神社)」〈当社〉に遷座したと伝わり さらに 明治7年(1874)の噴火で この地から 御笏神社の境内西の奥にへ遷座し 現在は 御笏神社の本殿に合祀されています
目次
- 1 1.ご紹介(Introduction)
- 2 この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
- 3 【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
- 4 神社にお詣り(Pray at the shrine)
- 5 神社の伝承(Old tales handed down to shrines)
- 6 各々の神社の記事をご覧ください
- 7 伊豆国 式内社 92座(大5座・小87座)について に戻る
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
二宮神社【旧地】山ノ神(Ninomiya Shrine【Old locachion】Yamanokami)
(にのみやじんじゃ【きゅうちんざち】やまのかみ)
[通称名(Common name)]
二宮神社(Ninomiya Shrine)
【鎮座地 (Location) 】
東京都三宅島 三宅村神着東郷
[地 図 (Google Map)]
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》加弥命(Kami no mikoto)
【御神格 (God's great power)】
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』所載社の旧鎮座地
【創 建 (Beginning of history)】
不詳
【由 緒 (history)】
不詳
※当初は「カミイノ宮」神着 首山に鎮座していて その後〈当社〉「山の神(二宮神社)」神着 東郷に遷座したと伝わります
明治7年(1874)の噴火で この神着 東郷の地から 御笏神社の境内西の奥にへ遷座して 現在は 御笏神社の本殿に合祀しているとされます
スポンサーリンク
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』(927年12月編纂)といって 平安時代中期に朝廷が作成した全50巻の律令格式の巻物の中でも重要視されている2巻です 内容は 今から約1100年前の全国の官社(式内社)一覧表で「2861社」の名称とそこに鎮座する神の数 天神地祇=「3132座」が所載されています
【延喜式神名帳】(engishiki jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊豆国 92座(大5座・小87座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)賀茂郡 46座(大4座・小44座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社名 ] 加弥命神社
[ふ り が な ](かみのみことの かみのやしろ)
[How to read ](Kami no mikoto no kamino yashiro)
スポンサーリンク
【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』(927年12月編纂)所載社の論社について
各々の神社の記事をご覧ください
伊豆国(izu no kuni) 賀茂郡(kamo no kori)
加弥命神社(Kami no mikoto no kamino yashiro)
・カミイノ宮 御笏神社の本殿に合祀
-
御笏神社(三宅島 神着)
御笏神社(おしゃくじんじゃ)は ご神託に基づき永正13年(1516)現社地(三宅島 神着(かみつき)に ご遷座になりました 元々は「神着の東郷(ひがしごう)」三宅島の北東に鎮座していました 旧社地は明治7年(1874)の火山噴火で溶岩流の下になってしまいました 格式は高く『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載される「佐伎多麻比咩命神社(Sakitamahime no mikoto no kamino yashiro)」に比定され その他に4つの式内社の論社を合祀している由緒ある古社です
続きを見る
・カミイノ宮 旧鎮座地(三宅島 神着 首山)※原生林の奥の為 未参拝です
・二宮神社【旧地】山ノ神(三宅島 神着 東郷)〈当社〉
-
二宮神社【旧地】山ノ神(三宅島 神着東郷)
二宮神社【旧地】山ノ神(にのみやじんじゃ【きゅうちんざち】やまのかみ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の「加弥命神社(かみのみことの かみのやしろ)」の旧鎮座地とされています 当初は神着 首山の「カミイノ宮」に鎮座 その後神着 東郷の「山の神(二宮神社)」〈当社〉に遷座したと伝わり さらに 明治7年(1874)の噴火で この地から 御笏神社の境内西の奥にへ遷座し 現在は 御笏神社の本殿に合祀されています
続きを見る
・二宮神社(三宅島 坪田)(合祀先)〈論社〉
-
二宮神社(三宅島 坪田)
二宮神社(にのみやじんじゃ)は 現在の鎮座地には 元は「管原神社」がありました 昭和29年(1954)に「二宮神社跡(伊波乃比咩命神社 旧鎮座地)」を合祀して神社名が「二宮神社」と改称され 同じく 昭和29年(1954)には 坪田集落周辺の「4つの式内社の論社」が合祀され 現在に到っています
続きを見る
スポンサーリンク
神社にお詣り(Pray at the shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
三宅一周道路の 神着にある バス停「土佐」のすぐ近くに 三の宮林道の入り口があり この林道を上がります
舗装されている林道ですが 通行車両は皆無です
峯指神社〔 旧鎮座地 〕(Hoshi Shrine〔 Old location 〕)の場所から
もと来た林道の入口へ下ります
途中の大きな曲がり角の内側 藪の中に鎮座します
事前にグーグルマップで辺りを着けていたので ここであろうと なんとか 藪に入る事ができました
藪の入り口には 何んという種かは判りませんが ヒギガエルのような大きなカエル 島にもカエルがいる?
藪は入り口だけで 下草の駆られている先に小さな祠が見えます
二宮神社【旧地】山ノ神(Ninomiya Shrine【Old locachion】Yamanokami)に参着
石積みの祭壇に 石の祠が建てられていて 祠にすすみます
賽銭をおさめ お祈りです
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
祠も新しいようです 境内というか 敷地は 綺麗にお祀りをされています
林道まで戻り 振り返り一礼をします
スポンサーリンク
神社の伝承(Old tales handed down to shrines)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『三宅記(miyakeki)』に記される伝承
三島大明神が 箱根の翁の娘3人を三宅島に迎え 后として3人を置きました
長女が 后神社(Kisaki Shrine)
《主》伊賀牟比賣命(Ikamuhime no mikoto)
次女が二宮神社(Ninomiya Shrine)
《主》伊波乃比咩命(Iwanohime no mikoto)
三女が御笏神社(Oshaku Shrine)
《主》佐伎多麻比咩命(Sakitamahime no mikoto)
とされています
この三女が御笏神社(Oshaku Shrine)のご祭神です
三宅島の三女〈三島大明神の第三の后神(佐岐多麻比咩命(sakitamahime no mikoto)〉は かまつけ(神着)という所に置かれ
その腹から8人の王子が 一度にお産まれになったと記されています
2番目の王子の名が「カネ」で 御祭神の加彌命(Kami no mikoto)とされています
意訳
三女〈三島大明神の第三の后神(佐岐多麻比咩命(sakitamahime no mikoto)〉は 三宅島の丑寅(うしとら)〈北東〉の方に置かれました
かまつけ(神着)という所です
その腹から8人の王子が 一度にお産まれになりました1番は「ナコ」
(南子命)〈南子神社or后神社境内社〉
2番は「カネ」
(加彌命)〈カミイノ宮〉
3番は「ヤス」
(夜須命)〈御嶽神社〉
4番は「テイ」
(氐良命)〈神澤神社or湯船神社〉
5番は「イタヒ」
(志理太宜命)〈椎取神社or志理太乎宜神社(片瀬白田)〉
6番は「クライ」
(久良惠命)〈久良浜神社【出張(でばり)】〉
7番は「カタスケ」
(片菅命)〈片菅神社or若宮神社or片菅神社(片瀬白田)〉
8番は「ヒンスケ」
(波夜志命)〈峯指神社or走湯神社(下田市大賀茂)〉
と申します又「ななはしら」と言うところでお育てになられました
ところどころに宮々を置かれました
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ 『三宅記』鎌倉時代末期 [書誌事項]写本 ,明治04年[旧蔵者]教部省
二宮神社【旧地】山ノ神(Ninomiya Shrine【Old locachion】Yamanokami)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
各々の神社の記事をご覧ください
母神 三島大明神の第三の后神
(佐岐多麻比咩命(sakitamahime no mikoto)を祀る神社
・御笏神社(Oshaku Shrine)
・祖師堂(Soshido)御笏神社の旧鎮座地
・椎取神社(三宅島神着)〈古社地〉
・両神社(下田市須崎)
・波夜多麻和氣神社(下田市相玉)
1番「ナコ」(南子命)を祀る神社
・南子神社(三宅島 神着)
・御笏神社(Oshaku Shrine)に合祀 三ノ朔幣神社(南子神社の遥拝所)
御笏神社の記事をご覧ください
・三ノ朔幣神社(san no sakuheino Shrine)旧鎮座地(三宅島 神着)
三ノ朔幣神社 旧鎮座地の記事をご覧ください
・后神社(Kisaki Shrine)境内社の南子神社
后神社(境内社の南子神社)の記事をご覧ください
・南子神社(下田市 神子元島)
※式内社調査報告には記されていますが 現在 神子元島には神社や祠は見あたりません
波風が強く 何度も消失したとも伝わります
https://www.google.com/maps/place/%E7%A5%9E%E5%AD%90%E5%85%83%E5%B3%B6/@34.5745212,138.9420112,18z/data=!4m12!1m6!3m5!1s0x0:0x237eb1d45e96afc7!2z5Lih56We56S-!8m2!3d34.6576!4d138.966645!3m4!1s0x60175b74a0a70383:0x2858da0c91ac6c3e!8m2!3d34.5745212!4d138.9420112
2番「カネ」(加彌命)を祀る神社
・カミイノ宮 御笏神社の本殿に合祀
・カミイノ宮 旧鎮座地(三宅島 神着 首山)※原生林の奥の為 未参拝です
・二宮神社【旧地】山ノ神(三宅島 神着 東郷)〈当社〉
・二宮神社(三宅島 坪田)(合祀先)〈論社〉
3番「ヤス」(夜須命)を祀る神社
・御嶽神社跡(三宅島 坪田)〈当社〉
・二宮神社(三宅島 坪田)〈合祀〉
・嶽比良神社(三宅島 伊豆) ※掟により入山禁止の為 未参拝
・子安宮(三宅島 神着)
4番「テイ」(氐良命)を祀る神社
・神澤神社(三宅島 伊豆)
・湯船神社(三宅島 神着)〈論社〉
湯船神社の記事をご覧ください
・八王子社(下田市中)
八王子社の記事をご覧ください
5番「イタヒ」(志理太宜命)を祀る神社
・椎取神社(三宅島神着)
・志理太乎宜神社(片瀬白田)
6番「クライ」(久良惠命)を祀る神社
・久良濱神社【出張(でばり)】
・久良濱神社(三宅島 坪田)
※未参拝 島民は「高山さん」は非常にこわい神様だとして恐れ足を踏み入れない
・二宮神社(三宅島 坪田)〈合祀〉
7番「カタスケ」(片菅命)を祀る神社
・片菅神社(三宅島 神着美茂井)
片菅神社の記事をご覧ください
・御笏神社 に合祀された境内神社の勝祖神社
御笏神社の記事をご覧ください
・若宮神社(三宅島 伊ヶ谷)后神社の境内社 もしくは 后神社の本殿に合祀
后神社(三宅島 伊ヶ谷)の記事をご覧ください
・若宮神社(三宅島 伊豆)后神社の境外社
若宮神社(三宅島 伊豆)の記事をご覧ください
・片菅神社(東伊豆町片瀬)
8番「ヒンスケ」(波夜志命)を祀る神社
・峯指神社(Hoshino kamino yashiro)御笏神社の本殿に合祀
・峯指神社(Hoshino kamino yashiro)旧鎮座地
・走湯神社(下田市大賀茂)