平神社(厳原八幡宮 境内社)

平神社(ひらのじんじゃ)は 厳原八幡宮の境内社です しかし 文献に現れるのは 六国史『続日本後紀(しょくにほんき)』の条文に「承和8年(841)8月・・従5位下」と神階の昇叙が記され 『延喜式神名帳(927年12月編纂)にも所載される由緒ある古社です

目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

平神社Hirano Shrine)
(ひらのじんじゃ)

 [通称名(Common name)]

【鎮座地 (Location) 

長崎県対馬市厳原町中村645-1

 [  (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》天穗日命Ameno Hohi no mikoto)
   仁徳天皇Nintoku tenno)
   日本武尊Yamatotakeru no mikoto)
   莵道皇子Uji no miko)

【御神格 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity)

『延喜式神名帳Engishiki jimmeicho)所載社

【創  (Beginning of history)】

  平神社(ヒラノ) 旧村社
  天穗日命 仁徳天皇 日本武尊 莵道皇子
例祭日 旧暦8月15日

本社は 瓊々杵尊の朝 天日神命 津島県主たりし時に 祖神 天穂日命を祭られしなり 其の後 日本武尊 仁徳天皇 莵道皇子の三神を加祭す。
延喜式神名帳にのる下県郡 平神社 是なり。
明治131012日 社格 村社に列せらる

現地案内板より

Please do not reproduce without prior permission.

【由  (History)】

※参考

平神社(ひらのじんじゃ)

八幡宮神社の境内、拝殿脇に鎮座する式内社です。
由緒にある通り 天穂日命を祀るため、阿麻弖留神社とも深い繋がりがあります。
例祭は 八幡宮神社の旧暦8月15日に併せて行われます。
「平」を称す神社は、ほかに京都に鎮座する平野神社(二十二社、式内社、名神大社)があります。

和多都美神社(対馬)公式HPより2019年9月14日 
https://www.facebook.com/wamiya.nii/posts/2444143705678938

スポンサーリンク

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
(Engishiki JimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)西海道 107座…大38・小69
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)対馬島 29座(大6座・小23座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)県郡 16座(大2座・小14座)
[名神大 大 小] 式内

[旧 神社 名称 ] 平神社
[ふ り が な ]たひらの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Tahira no kamino yashiro)

https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫

Please do not reproduce without prior permission.

スポンサーリンク

【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

当神社は「厳原八幡宮神社」の境内に鎮座します

「厳原八幡宮神社」には 本殿を含めて
『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載の3つの論社が鎮座します

(對馬嶋 下縣郡 和多都美神社 名神大)

・厳原八幡宮神社(対馬 厳原)

(對馬嶋 下縣郡 平神社)

平神社(厳原八幡宮 境内社)

(對馬嶋 上縣郡 宇努刀神社)

・宇努刀神社(厳原八幡宮 境内社)

スポンサーリンク

神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

厳原港フェリーターミナルから 約1.2km 徒歩15分程度

厳原八幡宮神社Izuhara Hachimangu Shrine)神門をくぐり 参道の正面には拝殿 幣殿 本殿とが建ちます
その向かって左側に鎮座します

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

平神社Hirano Shrine)に参着
祠にすすみます 

Please do not reproduce without prior permission.

賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

Please do not reproduce without prior permission.

スポンサーリンク

神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『続日本後紀(shoku nihon koki)』貞観11年(869)に記される伝承

神階の昇叙が記されています

意訳

承和8年(841)8月戊戌朔 戊午の条

奉(タテマツ)り 授(サズ)くに

阿波国(アワノクニ) 正8位上 天石門和氣八倉比

對馬嶋(ツシマノシマ)
無位 胡禄神(コロクノカミ)

无〈無〉位 平神(タイラノカミ)

並びに 従5位下

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス 『続日本後紀』(869)貞観11年完成 選者:藤原良房/校訂者:立野春節 刊本 寛政07年[旧蔵者]内務省
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047680&ID=&TYPE=&NO=

Please do not reproduce without prior permission.

『日本三代実録(Nihon Sandai Jitsuroku)』延喜元年(901年)成立 に記される伝承

對馬嶋(上縣・下縣)の式内社の神々とともに 神階の昇叙が記されています

意訳

貞観12年3月5日 丁巳の条

詔(ミコトノリ)を授(サズク)に

對馬嶋(ツシマノシマ)の

正5位上 多久都神(タクツノカミ)に 従4位下

従5位上
和多都美神(ワタツミノカミ)
胡簶神(コロクノカミ)
御子神(ミコノカミ)
嶋大國魂上(シマオオクニタマノカミ)
高御魂神(タカミタマノカミ)
住吉神(スミヨシノカミ)
和多都美神(ワタツミノカミ)
太祝詞上(フトノリトノカミ)
平神(タイラノカミ)

並びに 正5位下

大吉刀神(オオヨシカタナノカミ)
天諸羽神(アマノモロハノカミ)
天多久都麻神(アマノタクツマノカミ)
宇努神(ウノノカミ)
吉刀神(キトノカミ)
小枚宿祢神(ヲヒラノスクネノカミ)
行相神(ユキアイノカミ)
奈蘇上金子神(ナソカミカネコノカミ)
嶋御子神(シマミコノカミ)
国本神(クニモトノカミ)
銀山神(カナヤマノカミ)
和多都美神(ワタツミノカミ)
敷嶋神(シキシマノカミ)
並びに 従5位上

Please do not reproduce without prior permission.

意訳

元慶元年(877)閏2月17日 己丑

授(サズク)に

対馬嶋(ツシマノシマ)正五位上 平神(タイラノカミ)に 従四位

Please do not reproduce without prior permission.

意訳

元慶3年(879)521 庚戌の

幣〈ヘイ〉を奉〈タテマツ〉る

賀茂御祖(カモミオヤ)別雷(ワケイカヅチ)
松尾(マツオノ)稲荷(イナリ)
貴布祢(キフネ)乙訓(オトクニ)
等の神社(カミノヤシロ)に 雨乞(アマゴイ)の祈りなり

この日 授(サズク)に

對馬嶋(ツシマノシマ)
正5位下 平野(ヒラノ)住吉神(スミヨシノカミ)に 並びに 従4位下

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス
『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=

Please do not reproduce without prior permission.

『日本紀略(nihonki ryaku)』〈11世紀後半~12世紀頃 編纂と伝〉に記される伝承

神階の昇叙が記されています

意訳

寛平6年(894)9月30日 己丑

授(サズク)

対馬嶋(ツシマノシマ)
上県郡 正五位上 和多都美名神(ワタツミノミョウジン)

下県郡 正五位上 平名神(タイラノミョウジン)
並びに 従四位下

正四位下 多久豆名神(タクマノミョウジン) 正四位上
従五位上 小坂宿祢名神(オサカスクネノミョウジン) 正五位下
正六位上 石剣名神(イワツルギノミョウジン) 従五位

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ 『日本紀略』写本 延暦01年 - 長元09年[旧蔵者]太政官正院地志課・地理寮地誌課・内務省地理局
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047774&ID=M2019041909454036553&TYPE=&NO=画像利用

『神名帳考証土代(jimmyocho kosho dodai)』(文化10年(1813年)成稿)に記される伝承

意訳

平(タイラノ)神社

神階・・承和8年(841)8月戊戌朔 戊午の条・貞観12年3月5日 丁巳の条・元慶元年(877)閏2月17日 己丑

古事記 〈天菩比命之子建比良鳥命(タケヒラトリノミコト) 津島縣主直(ツシマノアガタノアタヒ)等の祖(オヤ)なり

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『神名帳考証土代』(文化10年(1813年)成稿)選者:伴信友/補訂者:黒川春村 写本 [旧蔵者]元老院
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000039328&ID=M2018051416303534854&TYPE=&NO=画像利用

Please do not reproduce without prior permission.

『特選神名牒(Tokusen shimmyo cho)』明治9年(1876)に記される内容

意訳

平神社

祭神 
今 按〈考えるに〉

長崎県式内社記に 祭神を
天穗日命Ameno Hohi no mikoto)
仁徳天皇Nintoku tenno)
日本武尊Yamatotakeru no mikoto)
莵道皇子Uji no miko)

とあれど
更にこの国よしなきなれば 信かたし思うに神社云うを以って 平野神に思いよせて かく祭神を定めしなるべし 姑附て後考を俟〈マ〉つ

神位

仁明天皇 承和8年(841)8月戊戌朔 戊午の条・・従5位下
清和天皇 貞観12年3月5日 丁巳の条・・・従5位上
成天皇 元慶3年(879)521 庚戌の・・・従4位下

祭日 2月13
社格 明細帳 中村町八幡宮神社境内 平神社 村社とあり
所在 今屋敷町 和多津美神社境内

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155『特選神名牒』

『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)』明治45年(1912)に記される伝承

厳原八幡宮のページに 一行 境内社として紹介されています

意訳


本社の側に 平(ヒラ)神社あり 俗に軍殿と云う 日本武尊(ヤマトタケルノミコト)を祭る

【原文参照】国立国会図書館デジタルコレクション『明治神社誌料』明治45年(1912)著者 明治神社誌料編纂所 編
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1088244映像利用『明治神社誌料』

平神社Hirano Shrine) (hai)」(90度のお辞儀)

Please do not reproduce without prior permission.

『對馬嶋 式内社 29座(大6座・小23座)について』に戻る

おすすめ記事

1

世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」のクライテリア(iii)として「古代から今日に至るまで山岳信仰の伝統を鼓舞し続けてきた 頂上への登拝と山麓の霊地への巡礼を通じて 巡礼者はそこを居処とする神仏の霊能を我が身に吹き込むことを願った」と記されます

2

出雲國(izumo no kuni)は「神の國」であり 『出雲國風土記〈733年編纂〉』の各郡の条には「〇〇郡 神社」として 神祇官の所在する社〈官社〉と神祇官の不在の社を合計399社について 神社名の記載があります 『出雲國風土記 神名帳』の役割を果たしていて 当時の出雲國の神社の所在を伝えています

3

大国主神(おほくにぬしのかみ)が 坐(ましま)す 古代出雲の神代の舞台へ行ってみたい 降積った時を振り払うように 神話をリアルに感じたい そんな私たちの願いは ”時の架け橋” があれば 叶うでしょう 『古事記(こじき)』〈和銅5年(712)編纂〉に登場する神話の舞台は 現在の神社などに埋もれています それでは ご一緒に 神話を掘り起こしましょう

4

出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)は 律令体制下での大和朝廷に於いて 出雲国造が 新たにその任に就いた時や 遷都など国家の慶事にあたって 朝廷で 奏上する寿詞(ほぎごと・よごと)とされ 天皇(すめらみこと)も行幸されたと伝わっています

5

出雲国造(いつものくにのみやつこ)は その始祖を 天照大御神の御子神〈天穂日命(あめのほひのみこと)〉として 同じく 天照大御神の御子神〈天忍穂耳命(あめのほひのみこと)〉を始祖とする天皇家と同様の始祖ルーツを持ってる神代より続く家柄です 出雲の地で 大国主命(おほくにぬしのみこと)の御魂を代々に渡り 守り続けています

6

宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

7

行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

8

對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています

-延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)
-,

error: Content is protected !!

Copyright© Shrine-heritager , 2024 All Rights Reserved.