射水神社(高岡市古城)越中国一之宮

射水神社(いみずじんじゃ)は もともと霊山である二上山そのものを祀る社で 創祀は太古とされ 二上山の山麓に鎮座していました 明治4年(1871)に「国幣中社」に列格 その4年後 明治8年(1875)二上の地よ高岡城跡の「高岡古城公園」へ遷座して現在に至ります 社伝によれば 創建は天武天皇の3年(675)正月奉幣に與られた伝承を以 鎮座の年と定めたとある古社です

目次

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1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

射水神社(Imizu Shrine)
(いみずじんじゃ) 

 [通称名(Common name)]

【鎮座地 (Location) 

富山県高岡市古城1番1号

 [  (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》瓊瓊杵尊(Ninigi no mikoto)

【御神格 (God's great power)】(ご利益)

五穀豊穣 Pray for good harvest
商業繁栄 Commercial prosperity
家内安全 Living peacefully at home
縁結び God helping to form a very happy relationship
開運厄祓 Prayer at an age considered a milestone in life.Bring good luck and happiness.
みちひらき Opening the way

【格  (Rules of dignity)

『延喜式神名帳Engishiki jimmeicho)所載社
・ 越中国一之宮Etchu no kuni ichinomiya)
・ 別表神社
・ 越中総鎮守一宮Etchu Sochinju ichinomiya)

【創  (Beginning of history)】

由緒

祭神 二上神  例祭日423

 北西5kmの二上山にこの神の降臨は悠久の古代に属し詳らかでないが 天武天皇の3年(皇紀1335 西紀675)正月奉幣に與られた傳承を以て 鎮座の年と定めた 次いで慶雲3 初めて祈年奉幣の例に入り 宝亀11年從5位下の神階に叙せられ 延喜の神名帳には越中唯一の名神大社に挙げられた
 やがて戦国の世 屡ゝ兵火に罹り 頽廃したが 前田利家 利長の保護により輪奐を改め 明治4 國幣中社に列した
 維新の神佛分離規則に從い 且つは 広く県民の崇敬に迎えられ 寺坊所管の二上を離れて明治89月現在地に遷座せられた

境外摂末社
 大山咋神 418
悪王子社   513
 菊理媛神 53
 建御名方神827
高岡市護国神社 殉國諸神101

境内案内板より

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【由  (History)】

由緒

創始は太古のことで、年代は詳かではないが、
延喜式内名神大社であり、越中文化発祥にゆかり深い大守護神として崇敬せられている。

伝によれば、養老年間、僧 行基 二上山麓に養老寺を建て、この神を祀り、二上権現と称した。
当時の領域は、二上荘67カ村、社寺は二上全山に亘り22万余坪に達したと云われ、越中全土の各戸より毎年 初穂米1升奉納の制があり、盛大を極めた。その後、承平ら、天正の両度 兵火により悉く烏有に帰し、一時衰頽したが、慶長年間、前田利家卿 社殿再建の上、社領および一山を付し、国内に命じて初穂米奉納の制を復活し、明治維新まで続いた。

明治4年、国幣中社に列格し、同8年、高岡城本丸跡の現在地に遷座され、同336月、高岡大火の折類焼、同35年復活。
特に昭和の御代、504月には「日本書紀」に天武天皇3年(紀元1335)正月、奉幣に与ったことが見えることより 起算して 鎮座1300 式年大祭を斎行。畏きあたりより奉幣の栄に浴した。
又、昭和59年には新たに「参集殿」が竣工、輪奐に一層の光彩を加えた。
幾歳の春風秋雨ありと云え、我が日本の神々は、徒に腕力や智力を以て 秘と嚇し掠める逆賊を懲らし、朝夕に忠実な國民を援け、まごころ篭めて働く人々を庇い、而して、邪心無き老若男女や、寄る辺無き遺族に啓示垂れ給うなど、皇室を尊崇し、公私を違えず、最も大義名分を明らかにする處に光被し給うのであります。

※「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から参照

【境内社 (Other deities within the precincts)】

【境外社 (Related shrines outside the precincts)】

摂社

日吉社二上山第一峯山頂(奥の御前)
《主》大山咋神(オオヤマクイノミコト)

悪王子社二上山第二峯山頂(前の御前)万葉植物園内
《主》地主神(ジヌシノカミ)

院内社二上山前面北の峯山頂(院内の谷)二上団地に隣接
《主》菊理媛神(ククリヒメノカミ)

末社

諏訪社二上山前面西麓(上二上)覚雄寺隣り
《主》建御名方神(タケミナカタノカミ)

高岡市護国神社古城公園内(椿山)高岡市民会館向かい
《主》殉國の英霊諸神

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
(Engishiki JimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)北陸道 352座…大14(うち預月次新嘗1)・小338

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)越中国 34座(大1座・小33座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)射水郡 13座(大1座・小12座)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 射水神社
[ふ り が な ]いみつの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Imitsu no kamino yashiro) 

https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫

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【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

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越中国には 一之宮と称する 4つの神社の系統があります

天平宝宇元年(757)に越中から 能登国が分立するまでは 能登の羽咋に鎮座する 氣多神社〈現 氣多大社〉が一之宮として機能していました

4系統には 各々に論社や分祀があります

砺波郡 高瀬神社

高瀬神社(南砺市高瀬)

射水郡 射水神社

・射水神社(高岡市古城) 

・二上射水神社(高岡市二上) 

射水郡 氣多神社

・氣多神社(高岡市)越中国一之宮 

新川郡 雄山神社

・雄山神社 峯本社(立山 頂上)

・雄山神社 祈願殿(立山町芦峅寺)

・雄山神社 前立社壇(立山町岩峅寺)

・熊野神社〈前立社壇の元鎮座地〉

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神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

高岡駅から 県道247号経由 高岡城址 北東方向へ約1.5km 車5分程度
高岡城跡の「高岡古城公園〈加賀藩初代藩主の前田利長公が築いた高岡城の城址を明治時代より公園として開放〉」内に鎮座します 城跡なので堀を渡ります

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社頭には 社号標と大鳥居〈銅板巻の神明鳥居〉が建ちます
射水神社(Imizu Shrine)に参着

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社頭の大鳥居一礼をして 参道を進みます 手水舎があり 清めます

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樹齢400年以上云われる 明治8年(1875)二上の地より高岡城本丸跡地への遷座を記念して 地元の高岡市白銀町の人々から奉納された御神木「紅梅」

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外拝殿・拝殿にすすみます 外拝殿正面に掲げられている扁額は 第12代加賀藩主の前田斉泰公の筆

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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すぐ隣に授与所があり 授与受けます

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参道を戻りながら 振り返り一礼をします

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神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『続日本紀(Shoku Nihongi)』〈延暦16年(797)〉に記される伝承

二上神(フタガミノカミ)として 神階の奉授が記されています

【抜粋意訳

宝亀11年(780)12月 甲辰の条

越前国(エチゼンノクニ) 
丹生郡(ニウノコオリ) 大虫神(オオムシノカミ)

越中国(エッチュウノクニ)
射水郡(イミズノコオリ) 二上神(フタガミノカミ)

砺波郡(トナミノコオリ) 高瀬神(タカセノカミ)
並(ナラビ)に 叙(ジョス) 従5位下

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『続日本紀』』延暦16年(797年)選者:菅野真道 写本 慶長19年[旧蔵者]紅葉山文庫
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000045548&ID=M2014100619504988793&TYPE=&NO=画像利用

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『先代旧事本紀(Sendai KujiHongi)』〈平安初期(806)~(906)頃の成立〉に記される伝承

今 越中の国 射水郡(いみずのこおり)の伊弥頭(いみづの)国造(くにのみやつこ)について 記されています

【意訳】

巻第十 国造本紀

伊弥頭(いみづの)国造(くにのみやつこ)

※今 越中の国 射水郡(いみずのこおり)

志賀高穴穂朝〈第13代 成務天皇(即位131~190年頃)〉の御世に
宗我(そが)と同祖・建内足尼(たけしうちのすくね)の孫 大河音足尼(おはをとのすくね)を 国造に定められた

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ 『先代旧事本紀』刊本(跋刊) ,延宝06年 校訂者:出口延佳 [旧蔵者]内務省
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000038380&ID=M2017051017170432508&TYPE=&NO=画像利用

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『日本紀略(nihonki ryaku)』〈11世紀後半~12世紀頃 編纂と伝わる〉に記される伝承

越中国(エッチュウノクニ)の高瀬神社と雄山神社と共に 二上神(フタガミノカミ)として 神階の奉授が記されています

【意訳】

延暦14年(795)8月 壬午の条

越中国(エッチュウノクニ)
高瀬神(タカセノカミ)
雄神(ヲノカミ)
二上神(フタガミノカミ)
叙位(ジョイ) 従5位上

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ 『日本紀略』写本 延暦01年 - 長元09年[旧蔵者]太政官正院地志課・地理寮地誌課・内務省地理局
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047774&ID=M2019041909454036553&TYPE=&NO=画像利用

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『続日本後紀(Shoku nihon koki)』〈貞観11年(869)完成〉に記される伝承

二上神(フタガミノカミ)として 神階の奉授が記されています

【意訳】

承和7(840)9月 辛丑の条

奉(タテマツリ)授(サズク)
越中国(エッチュウノクニ)従4位下 
砺波郡(トナミノコオリ) 高瀬神(タカセノカミ)
射水郡(イミズノコオリ) 二上神(フタガミノカミ)
並(ナラビ)に 従4位上

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス 『続日本後紀』(869)貞観11年完成 選者:藤原良房/校訂者:立野春節 刊本 寛政07年[旧蔵者]内務省
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047680&ID=&TYPE=&NO=

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『日本文徳天皇実録(Nihon MontokuTenno Jitsuroku)』〈元慶3年(879年)完成〉に記される伝承

越中国(エッチュウノクニ)の高瀬神社と共に 二上神(フタガミノカミ)として 神階の奉授と 把笏(ハシャク)の許可があった事が記されています
古代に笏を把る把笏を許されたのは 伊勢神宮と諸大社の神職のみです

【意訳】

斉衡元年(854)3月 辛卯の条

越中国(エッチュウノクニ)従4位下 
高瀬神(タカセノカミ)
二上神(フタガミノカミ)
並(ナラビ)に 加(クワフル)に 従3位

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斉衡元年(854)12月 戊寅の条

越中国(エッチュウノクニ)従4位下 
高瀬神(タカセノカミ)
二上神(フタガミノカミ)
等の 禰宜(ネギ)祝(ホウリ)
並(ナラビ)に預く 把笏(ハシャク)

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス 『日本文徳天皇実録』元慶3年(879年)完成 選者:藤原基経/校訂者:松下見林 刊本,寛政08年 10冊[旧蔵者]農商務省
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047714&ID=M2018040912122716848&TYPE=&NO=

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『日本三代実録(Nihon Sandai Jitsuroku)』〈延喜元年(901年)成立〉に記される伝承

日本の中心的な神々267社に神階を授ける中に 越中の国に高瀬神(タカセノカミ)二上神(フタガミノカミ)に神階の奉授が記されていま

抜粋意訳】

貞観元年(859正月27日(甲申)の条

京畿7道の諸々の神々に進階 及び 新叙す 総267社 奉授く
・・・
越中国(エッチュウノクニ)従3位
高瀬神(タカセノカミ)
二上神(フタガミノカミ)
並(ナラビ)に 正3位 

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抜粋意訳】

仁和2年(886)12月18日(壬戌)の条

越中国 新川郡 擬大領 正7位上 伊祢頭臣(イミズノオミ) 貞益以て 私物助官用代済公仍て授に借外 従5位下を

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=画像利用

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『神名帳考証土代(Jimmyocho kosho dodai)』〈文化10年(1813年)成稿〉に記される伝承

江戸時代であり 遷座前の二上射水神社について 記しています

【意訳】

射水(イミツノ)神社

旧事記 国造本紀 志賀高穴穂朝〈第13代 成務天皇(即位131~190年頃)〉の御世に
宗我(そが)と同祖・建内足尼(たけしうちのすくね)の孫の大河音足尼(おはをとのすくね)を国造に定められた伊弥頭造 志賀高穴穂朝御世 宗我同祖 建内足祢孫 大河音足尼 定賜国造

三代実録 仁和2年(886)12月18日(壬戌)の条・・従5位下
新校(万葉)に 二上山に在り 射水郡 二上神 若射水神社 乎 この郡 大一座 当社 弥不分明可考 今 二上神の位階記すなり

続日本紀
宝亀11年(780)12月 甲辰の条・・従5位下
日本紀略
延暦14年(795)8月 壬午の条・・従5位上
続日本後紀
承和7(840)9月 辛丑の条・従4位上
文徳天皇実録
斉衡元年(854)3月 辛卯の条・従3位
斉衡元年(854)12月 戊寅の条・・把笏の預く

22社注式奥入 射水神社 今 二上宮 宝亀3年12月2日 二上神 従5位上 その後 度々 正1位なり
神祇祭式 古本 名神大 又 一本に在る神なるへし

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『神名帳考証土代』(文化10年(1813年)成稿)選者:伴信友/補訂者:黒川春村 写本 [旧蔵者]元老院
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000039328&ID=M2018051416303534854&TYPE=&NO=画像利用

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『神社覈録(Jinja Kakuroku)』〈明治3年(1870年)〉に記される伝承

高岡城址地に遷座する前年の出版です
祭神は不詳 式内社の名神大と記されています

【意訳】

射水神社 名神大

射水は 郡名に同じ〈伊三豆と訓ずべし〉

〇祭神 詳らかならず
〇二上山麓に在す 土人説 古今 二上明神と称す
〇式三巻 名神祭285座 中略 越中国 射水神社一座

神位
続日本紀
宝亀11年(780)12月 甲辰の条・・従5位下
日本紀略
延暦14年(795)8月 壬午の条・・従5位上
続日本後紀
承和7(840)9月 辛丑の条・従4位上
文徳天皇実録
斉衡元年(854)3月 辛卯の条・従3位
日本三代実録
貞観元年(859正月27日(甲申)の条

社職 把笏
文徳天皇実録
斉衡元年(854)12月 戊寅の条・・把笏の預く

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015『神社覈録』1 『神社覈録』2

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)』〈明治9年(1876)完成〉に記される内容

『延喜式』写本では「出雲本」において 名神大社と記載されています ここでも名神大とされています 祭神は社伝に従い 瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)としていますが 本来は良くわからないとも記されています

【意訳】

射水神社 名神大

祭神 瓊瓊杵尊(二上ノ神)
今 按〈考えるに〉
社伝の祭神は右の如し
一説に射水は忌水の義にて 天二上命の水取の故事に由あり 但し 射水神とも二上神とも云えば 天二上命ならんと云えど確証なければ 社伝に従えり

国人の説を聞くに 射水神社と唱える社と二上神社とは別にありて 射水神は射水川により 二上神は二上山によれるなりと云えば 射水神と二上神は同神と云うも証なくては信じがたいが 今姑く 明細帳 神社覈録に従い記し 以って後考に備ふ

神位
光仁天皇
宝亀11年(780)12月 甲辰の条・・従5位下
桓武天皇
延暦14年(795)8月 壬午の条・・従5位上
仁明天皇
承和7(840)9月 辛丑の条・従4位上
文徳天皇
斉衡元年(854)3月 辛卯の条・従3位
清和天皇
貞観元年(859正月27日(甲申)の条

祭日 今 3月8日 8月23日
社格 國幣中社
所在 二上山麓 二上村 字谷内(高岡市定塚町本丸)

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155『特選神名牒』

射水神社(Imizu Shrine) (hai)」(90度のお辞儀)

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越中国 式内社 34座(大1座・小33座)について に戻る        

 

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