熊野大社(松江市)【後編】

熊野大社(くまのたいしゃ)は 「日本火出初社(hinomoto hidezome no yashiro)」とされていて 火の発祥の神社です 神代から出雲國を守り続ける「出雲國一の宮」です

目次

火の発祥の神社「日本火出初社(hinomoto hidezome no yashiro)」

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「鑽火祭(sanka sai)」について

御祭神の素盞鳴尊(susanoo no mikoto)は この地で初めて「火」を生み出したことから「日本火出初社(hinomoto hidezome no yashiro)」とも呼ばれています

この故事にちなんで 火をおこす神事が「鑽火祭(sanka sai)」として毎年10月15日に行なわれます
この神事は 出雲大社宮司(出雲国造)の祖神「天穂日命(ameno hohi no mikoto)」の時代 遥か神代に端を発するとされています

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鑽火祭(さんかさい)

10月15日午前10時より

熊野大社には多くのお祭がありますが、これらのなかで最も有名で、熊野大社の特色がよく表れているお祭が この「鑽火祭」です。

この日は、出雲大社の宮司が「古伝新嘗祭」に使用する燧臼、燧杵を受け取るために熊野大社を訪れます。この燧臼、燧杵を毎年熊野大社から授けることになっています。

この授け渡す儀を「亀太夫神事」と呼ばれ、出雲大社が納める餅の出来ばえについて苦情を口やかましく言い立てる変わった神事です。

その後出雲大社の宮司によって「百番の舞」が舞われます。このとき伶人によって琴板という楽器を打ち鳴らしながら神楽歌を歌います。
前半半分は「アアアア、ウンウン」ととなえ、後半半分は「皇神を良き日にまつりし明日よりは、あけの衣を褻衣にせん」と歌います。

「百番の舞」が終わると國造が退出し、神事が終わります。

熊野大社公式HPより

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この神事は 萱葺き屋根の「鑽火殿(sanka den)」が舞台となります

出雲大社(izumo no oyashiro)宮司が「古伝新嘗祭(koden shinjo sai)」で火を鑽り出す為には「燧臼(hikiri usu)・燧杵(hikiri gine)」を用います

これを拝戴のために 出雲大社(izumo no oyashiro)の使いの者が 熊野大社を訪れる習わしで 最後は受け取らせて出雲大社へ送りだすのですが そりやり取りが独特なので「亀太夫神事(kamedayu shinji)」として有名です

その際 出雲大社(izumo no oyashiro)の使いの者が持参するのは お供え用の神餅「餅」です 
この神餅「餅」は 長さ約50cm幅約5cmの餅が2段重ねになっている とても立派なものです

これを前にして 熊野大社の亀太夫(kamedayu)と呼ばれる者が 使いの者に対して 口やかましく 餅が去年より「小さい」・「色が悪い」・「角が丸く形が悪い」と言い立て 出雲大社側と押し問答のすえ この餅を受け取ります
そして かわりに臼と杵を渡す 変わった習わしとなっています

一方 出雲大社(izumo no oyashiro)では どうしても欲しい神器です なぜなら「古伝新嘗祭(koden shinjo sai)」は 出雲國造自身にとって最も重要な儀式です

「古伝新嘗祭(koden shinjo sai)」の説明

 ・・・・熊野大社より 拝戴した燧臼(ひきりうす)に「新嘗祭御燧臼」と墨書し、真名井(神聖な井戸)より取り出した小石にて「歯固めの儀」、
そして榊の小枝を両手に捧げ持ち、神歌に合わせて神舞を舞う「百番の舞」をお仕えしました。

この相嘗の儀と神舞によって 國造は 神々の霊力をその身に宿し、歯固めの儀にて 更なる健康長寿を祈ります。

こうして冬の訪れと共に低減した祖神よりの霊力が蘇るのであり、古伝新嘗祭は古くより 國造自身にとって 最も重大な祭事として奉仕されてきました。

出雲大社公式HPより

熊野大社の「亀太夫神事(kamedayu shinji)」では これを知ってか知らずか  持参された餅に色々と文句をつけるのですが

その訳は
「神代 熊野大神の創祀は「熊成峯」・「元宮ケ成」に御鎮座されていました(『出雲国風土記』の熊野山に比定)」が その鎮座地と伝わる天狗山(610m)の源流は 熊野大社の前を流れる意宇川(ou gawa)の上流にあたります
本来 その餅に 文句をつける亀太夫(kamedayu)を演じる人は 意宇川(ou gawa)の一番上にある家の人と決まっていて その家を代々継ぐ人が演じている役とのこと 源流から流れ出る「神聖な水」を常に飲んでいるので その言葉も清らかであるから」と地元では言われています

出雲国造神賀詞(izumono kunino miyatsukono kamuyogoto)の祝詞

さらに 新任の出雲国造が天皇に対して奏上する寿詞(yo goto)として有名な 出雲国造神賀詞(izumono kunino miyatsukono kamuyogoto)の祝詞には

『原文』参照 出雲大社 彰古館(shoko kan)の資料写真より

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ここに言う「熊野大社の御祭神」の名は

 《主》伊邪那伎日真名子 加夫呂伎熊野大神 櫛御気野命
(いざなぎのひまなご かぶろぎのくまののおおかみ くしみけぬのみこと)
(izanaginohimanago kaburogino kumanonookami kushimikenunomikoto)

寿詞(yo goto)には 出雲國をお造りになられた神として 出雲大社(izumo no oyashiro)の神よりも上位に書かれていますので 出雲大社より上位神を祀る神社として 出雲国造が認めておられることになります

櫛御気野命(kushimikenu no mikoto) 

御祭神の本質は 人々の食して生くべき食物に霊威をみちびき 農耕生産の豊穣を約束して 人々の営む万般の生業の発展を保障され 人の世の繁栄と平和 人々の幸福をみちびかれる深厚高大な霊威を発顕具現される神と言われていて 

この「亀太夫神事(kamedayu shinji)」で 出雲大社(izumo no oyashiro)の持参する餅に文句をつけても致し方ないという事になります
熊野大社は この御神事からも窺えるように出雲大社(izumo no oyashiro)以上の古い歴史と格式を有していたと推測されています

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【神社にお詣り】(Pray at the shrine)

松江から国道432号線を南へ⇒県道53号線(大東東出雲線)を大東方面へ⇒熊野大社 14km程度 30分ぐらい
山陰自動車道「東出雲IC」で降りる⇒県道53号線(大東東出雲線)を大東方面へ⇒熊野大社

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熊野大社の鳥居が見えてきます 大きな駐車場もあります

熊野大社(kumano taisha)に到着

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道路に面して「出雲国一宮 熊野大社」社号と「白い石鳥居」が建ちます
「白い石鳥居」に一礼して くぐりますと松並木の参道が続き これを抜けます

すると 意宇川(ou gawa)に掛かる清めの橋「赤色のご神橋」の前に「白い石鳥居」があります

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「熊野大社」と刻まれた石碑と「上の宮(kami no miya)」の案内看板があり ひとしきり読みます

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「赤色のご神橋」と「白い鳥居」に一礼 意宇川(ou gawa)の清らかな流れを渡りますと 木製の鳥居があり 一礼くぐります

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右手に「車の祓い処」 左手に「手水舎」清めます

一段高いところに 苔むした「狛犬」が佇みます 狛犬は前足重心です いつでも飛び掛かれるとばかりに 身をかがめて 参拝者を見つめます 一礼

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その先の「隋神門」をくぐりますと広い境内に出ます

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右手に「舞殿」があります 

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参道の正面に拝殿と本殿が見えます

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そのまま拝殿に進み

賽銭をおさめ お祈りです 
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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左右から 御本殿を仰ぎ見ます

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境内の摂社・末社へお詣りです

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瑞垣内 本殿向かって右の脇宮 にお詣りです

摂社 稲田神社

摂社 稲田神社
《主》奇稲田姫命(kushi inadahime no mikoto)
《主》脚摩乳命(ashinazuchi no mikoto)
《主》手摩乳命(tenazuchi no mikoto)

《配》御崎神社・・・・式内社 出雲國 意宇郡 前神社
  《主》少彦名命(sukunahikona no mikoto)
《配》速玉之男命(hayatama no o no mikoto)
《配》奇八玉命(kushiyatama no mikoto)
《合》火知命(hishiro no mikoto)
《合》武御名方神(takeminakata no kami)
《合》大物主神(omononushi no kami)

詳しくは こちらの記事をご覧ください

一緒に読む
稲田神社(熊野大社・境内摂社)

稲田神社(いなだ じんじゃ)〈熊野大社・境内摂社〉は 素戔嗚尊(susanoo no mikoto)が 結納として櫛(kushi)をお与えになられた御后神「奇稲田姫命(kushi inadahime no mikoto)」を祀ります

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瑞垣内 本殿向かって左の脇宮 にお詣りです

摂社 伊邪那美神社

摂社 伊邪那美神社
    《主》伊邪那美命(izanami no mikoto)

(合祀の式内社6社)

「速玉神社」《配》速玉之男命(hayatama no o no mikoto)
「久米神社」《配》事解男命(kotosaka no o no mikoto)
「楯井神社」《配》大田神(ota no kami)
「田中社」 《配》衢神(kunado no kami)
「布吾弥社」《配》埴山姫命(haniyamahime no mikoto)
「能利刀神社」《配》天児屋根命(ameno koyane no mikoto)

(その他の合祀神)

《合》王子神(oji no kami)
《合》素戔嗚尊(susanoo no mikoto)
《合》大山祇神(oyamatsumi no kami)
《合》戸山祇神(toyamatsumi no kami)
《合》事代主命(kotoshironushi no mikoto)
《合》応神天皇(ojin tenno)
《合》山雷神(yamaikazuchi no kami)
《合》爾保津姫命(nihotsuhime no mikoto)
《合》羽山祇神(hayamatsumi no kami)
《合》岐神(funado no kami)
《合》長道磐神(nagamichiha no kami)
《合》煩神(wazurai no kami)
《合》開囓神(akigui no kami)
《合》千敷神(chishiki no kami)
《合》大雷(o ikazuchi)
《合》火雷(hono ikazuchi)
《合》土雷(tsuchi ikazuchi)
《合》稚雷(waka ikazuchi)
《合》黒雷(kuro ikazuchi)
《合》山雷(yama ikazuchi)
《合》野雷(no ikazuchi)
《合》裂雷(saku ikazuchi)
《合》菊利姫命(kukurihime no mikoto)
《合》泉守道人命(yomotsuchimori no kami)

詳しくは こちらの記事をご覧ください

一緒に読む
伊邪那美神社(熊野大社・摂社)

伊邪那美神社(いざなみじんじゃ)〈熊野大社・摂社〉は 素戔嗚尊(susanoo no mikoto)の御母神「伊邪那美命(izanami no mikoto)」が お祀りされています・式内社6社が合祀されて坐ます

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伊邪那美神社の左手の境内社にお詣りです

・荒神社 《主》荒神(ko jin)
     《合》祭神不詳
・稲荷神社《主》宇迦之御魂神

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萱葺き屋根の 「鑽火殿(sanka den)」があります

詳しくは 【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)の記事をご覧ください

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すぐ横に社務所があります
お守りなどを授与頂きながら 参道を戻り 鳥居をくぐり 振り返り一礼

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ここから「上の宮(kami no miya)」へ向かいます

【神社の伝承】(Old tales handed down to shrines)

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神代 熊野大神の創祀は 意宇川の源流である「熊成峯」・「元宮ケ成」に御鎮座されていました 

出雲國風土記(izumo no kuni fudoki)733 AD.では 熊野山(kumano san)と記しています

現在の天狗山(610m)の頂上(現在地から南南東約4km)にあります それを中世より以前に 現在地(上の宮)に遷座しています
現在でも 5月 第4日曜日 元宮祭(motomiya sai)として天狗山登拝(tengu san tohai)が行われ 神職2~5名にて登拝されています

念のために(Google Map)
https://www.google.com/maps/d/u/0/edit?hl=ja&hl=ja&mid=1a9XjzUK-g0FvSdDZdr9XjDX7ErsMWov3&ll=35.341612228092%2C133.08341299805772&z=18

出雲國風土記(izumo no kuni fudoki)意宇郡条 山 に伝承が記されます 

意訳
『 熊野山(kumano san)郡家の正南一十八里の所にあります
  檜(hi no ki)・檀(mayumi)があります

申し上げるところ 熊野大神の社 が鎮座していらっしゃいます

『原文』参照 国立公文書館デジタルアーカイブ『出雲國風土記』
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000003351&ID=&TYPE=&NO=画像利用

『雲陽志(unyo shi)』意宇郡熊野の条 にある伝承

「中世に至り・上の宮を熊野権現 ・下の宮を伊勢宮 として祀られました」
中世になると「上の宮」 現在地より意宇川(ou gawa)を500m上流
      「下の宮」 現在地
の二社祭祀の形態に造営されたらしく

・速玉男・事解男・伊弉冉三神を「上の社」
・天照大神・素盞嗚尊・五男三女を「下の社」にまつる とあります

意訳

『延喜式 風土記にある熊野大社とは こちらのお社をいいます

・速玉之男命(hayatama no o no mikoto)
・事解男命(kotosaka no o no mikoto)
・伊弉冉命(izanami no mikoto)   の三神をお祀りしているのが「上の社」です

・天照大神(amaterasu okami)
・素盞嗚尊(susanowo no mikoto)
・五男三女神(gonan sannyo shin)  をお祀りしているのが「下の社」です

世話人は
「上の社」を熊野三社といい
「下の社」を伊勢宮といいます
・・・・・・・・・・・・・・・・ 以下略 』

※『雲陽志(unyo shi)』[黒沢長尚著]天保6 [1835]
『原文』参照 国立公文書館デジタルアーカイブ『雲陽志』写本
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000002424&ID=M2017060116035650988&TYPE=&NO=画像利用

「出雲國の一之宮」神代から 出雲國を守り続ける「日本火出初社(hinomoto hidezome no yashiro)」
熊野大社(kumano taisha)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)

一緒に読む
熊野大社(松江市)【前編】

熊野大社(くまのたいしゃ)は 「日本火出初社(hinomoto hidezome no yashiro)」とされていて 火の発祥の神社です 神代から出雲國を守り続ける「出雲國一の宮」です

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『出雲國風土記(Izumo no kuni Fudoki)に所載の神名帳(Jimmeicho)』に戻る

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『出雲国 式内社 187座(大2座・小185座)について』に戻る 

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