坐摩神社(大阪市中央区久太郎町)〈摂津國一之宮〉

坐摩神社(いかすりじんじゃ)は 摂津国一之宮として格式高く 大阪では最も古い神社の一つです 神功皇后が三韓征伐の帰途 淀川の河口に神託により神社を造営されたと伝わります 旧鎮座地は 天満橋南詰の「坐摩神社行宮」にありましたが 太閤秀吉の大阪城築城にともない遷座して 現在地 大阪商人の町「船場」に鎮座します

目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(shrine name)】

  坐摩神社(ikasuri shrine) 
 (いかすりじんじゃ)(ゐかすりじんじゃ)

 [通称名(Common name)]

  坐摩神社(ざまじんじゃ)・ざまさん

【鎮座地 (location) 】

 大阪府大阪市中央区久太郎町4丁目渡辺3号

 [地 図 (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

5柱を総称して 坐摩大神(ikasuri no okami)

《主》生井神(ikui no kami)
   福井神(sakui no kami)
   綱長井神(tsunagai no kami)
   阿須波神(asuha no kami)
   波比岐神(hahiki no kami)

【御神格 (God's great power)】

・住居守護 Safeguard your home
・旅行安全 Travel safety
・安産守護 The wish of a healthy childbirth

【格 式 (Rules of dignity) 】

・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』所載社
・ 摂津国一之宮
・ 別表神社

【創 建 (Beginning of history)】

当社の創祀には諸説がありますが、神功皇后が新羅より御帰還の折、淀川南岸の大江、田蓑島のちの渡辺の地(現在の天満橋の西方、石町附近)に奉祀されたのが始まりとされています。

平安時代の「延喜式」には攝津國西成郡の唯一の大社と記され、産土神として今日に至っています。また朱雀天皇の御代、天慶2年(939)以来祈雨11社中に列し、以後たびたび祈雨〔雨乞い〕のご祈請・奉幣に預かりました。

坐摩神社行宮<坐摩神社行宮>

天正10年(1582)豊臣秀吉の大坂築城に当たり替地を命ぜられ、寛永年間現在地に遷座されました。現在の鎮座地名を渡辺と称するのも、元の地名が移されたもので、全国の渡辺・渡部等の姓の発祥の地でもあります。旧社地と伝えられる石町には現在も当社の行宮(御旅所)が鎮座されています。

明治元年(1868)の明治天皇大阪行幸の際には当社に御親拝なされ、相撲を天覧されました。

昭和11年(1936)官幣中社に列せられた際に御造営された壮麗な御社殿は昭和34年(1959)に鉄筋コンクリート造で戦前の姿のままに復興されたものです。

公式HPより
http://www.ikasuri.or.jp/yuisho.html

【由 緒 (history)】

生井神 福井神 綱長井神 波比岐神 阿須波神 以上五柱の御祭神を総称して、坐摩神と申します。
此の坐摩神は昔から住居守護の神、旅行安全の神、安産の神として一般から篤く信仰せられて居ります。
住居守護とは人の住居に不慮の危害を防ぎ、居住する人々の安全息災をお守りになるのであって、此の意味で皇室に於かせられても、神武天皇以来今日に至る迄引続き皇居の守護神として此の神様を篤くお祭になり、一般の人々も古くは皆其の家庭の守護神としてお祭りしていました。
旅行安全とは、人々の足の踏み立てる所は何処でもお守りなりますので、外出中或は特に遠くへの旅行などに思はぬ災難に遭わない様に守護せらるるのです。
之に就いては萬葉集に旅行中の安全を坐摩神に祈る防人の歌が載っています。
安産の神とは神功皇后が応神天皇をお生みになります時其の安産を当社にお祈りになった故事により、安産の神として古くより知られています。
近くは明治天皇がお生まれになります時にも、皇室から特に御安産の御祈願があり丁度当社の秋祭の日に御安産になったのであります。

当神社は豊臣秀吉時代迄は今の天満橋南詰辺に鎮座せられ、摂津国西成郡(今の大阪城より西方一帯)の唯一の大社であり氏神でした。

此の天満橋付近の地を渡辺と申していましたが、天正11年、豊公の大阪城築城に祭し廓外なる現在の地に御遷座になり、今ここの町名を渡辺町というのも元の地名を移したものであります。

以上の通り当社は大阪に於ける最も古い、由緒ある神社であり、昭和11年に官幣中社に昇格されたが、昭和22年、制令で社格は廃止されました。

しかし皇室の御安泰とともに氏子崇敬者の安全息災と隆昌発展を永久に守護せられています。

「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]

【境内社 (Other deities within the precincts)】

境内の南西に2つの境内社

・火防陶器神社(hibusetoki jinja)
  《主》大陶祇神(osuetsumi no kami)
     迦具突智神(kagutsuchi no kami)

・稲荷神社
  《主》宇賀御魂神(ukanomitama no kami)

境内の北側に5つの境内社が並び鎮座 向かって左から

・大江神社(oe jinja)
  《主》神功皇后(jingu kogo)
     応神天皇(ojin tenno)
     武内宿禰命(takenochi no sukune no mikoto)

・繊維神社(seni jinja)
  《主》天羽槌雄神(ameno hazuchio no kami)
     天棚機姫神(ameno tanabatahime no kami)

・大國主神社(okuninushi jinja)
  《主》大国主大神(okuninushi no okami)
     事代主大神(kotoshironushi no okami)
     少彦名大神(sukunahikona no okami)

・天満宮(temman gu)
  《主》菅原道真公(すがわらのみちざねこう)

・相殿神社(aidono jinja)
  《主》春日大神・住吉大神・大神受美神・猿田彦大神
    ・大宮比売神・多賀大神・天御中主大神・産霊大神
    ・直比大神・諏訪大神・事平大神・大歳大神

境外社

・坐摩神社行宮《主》豊磐間戸神・奇磐間戸神
・浪速神社  《主》天照皇大神・豊受皇大神

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています 

『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』(927年12月編纂)といって 平安時代中期に朝廷が作成した全50巻の律令格式の巻物の中でも重要視されている2巻です 内容は 今から約1100年前の全国の官社(式内社)一覧表で「2861社」の名称とそこに鎮座する神の数 天神地祇=「3132座」が所載されています

【延喜式神名帳】(engishiki jimmeicho)The shrine record was completed in December 927 AD.

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)畿内 658座…大(預月次新嘗)231(うち預相嘗71)・小427

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)摂津国 75座(大26座(並月次新嘗・就中15座相嘗祭)・小49座(並官幣))

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)西成郡 1座(大)

[名神大 大 小] 式内大社

[旧 神社名 ] 坐摩神社(大月次新嘗)

[ふ り が な  ](いかすりの かみのやしろ)
[How to read ](ikasuri no kamino yashiro) 

https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用 国立国会図書館デジタルコレクション 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫

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【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

御神紋の白鷺の「鷺丸(sagi maru)」について

御神紋の白鷺の「鷺丸(sagi maru)」の由来は 
神功皇后(jingu kogo)(第14代 仲哀天皇の皇后)が 坐摩神(ikasuri no kami)の御教「摂津の国・大江の岸の田蓑島(現在の天満橋付近)の松枝に白鷺の群がる所を選びなさい」にならい その地に坐摩神(ikasuri no kami)を奉斎なされたと伝わります

その地は 今でも旧社地「坐摩神社行宮」御旅所として残ります

境内には「神功皇后の鎮座石」と言われる巨石が祀られています

「坐摩神社行宮」御旅所の記事もご覧ください

「渡辺」「渡邉」「渡邊」「渡部」の名字「わたなべ」の発祥の地です  渡辺町 渡辺津の守護神

様々な書体の「わたなべ」姓は 同族と云われ 創建時の社地とされる「坐摩神社行宮」御旅所は「わたなべ」姓の発祥の地とされています

「わたなべ」姓の大元は 天皇別に21の流派がある源氏のひとつ 第52代嵯峨天皇(786~842)から分れた氏族「嵯峨源氏(saga genji)」です

その末裔の渡邊綱(953~1025)が 始祖とされています

当時 この辺りを統括していたのは 摂津源氏の棟梁で 清和源氏の嫡流にあたる「源 頼光(minamoto no yorimitsu)」でした 藤原氏に臣従して官職を得て財力を蓄えて 頼光四天王(渡辺綱・坂田金時・碓井貞光・卜部季武)などの強者の家臣を持っていました

この四天王の筆頭であった渡邊 綱(watanabe no tsuna)は 大いに武勇を轟かせます 美男子として有名であったらしく 大江山の酒呑童子退治や 京都の一条戻橋の上で鬼の腕を源氏の名刀「髭切りの太刀」で切り落とした逸話も有名で人気もあったようです

「源 綱(minamoto no tsuna)=後の渡邊 綱(watanabe no tsuna)」は 現在の大阪市西成区にあった渡辺村に本拠地を定めて渡辺綱と名乗りました

この渡辺津・窪津・大江などと呼ばれたかつての淀川河口は 「坐摩神社行宮」御旅所辺りであると推定されています

綱(tsuna)は 渡辺津に住んでからは 熊野詣の折 京都から淀川を船で下り最初に下船する港「渡辺津」の神社を掌り 渡辺を名字として 渡辺氏を起こします 

渡辺津には 熊野詣で最初にお詣りをする 第一王子とされた「渡辺王子(別名 窪津王子)」や坐摩神社(ikasuri shrine)が鎮座していました

その子孫は渡辺党と呼ばれる武士団に発展し 摂津国の住吉(住之江)の海(大阪湾)を本拠地としながら 瀬戸内海の水軍を統轄(村上水軍)したり 源平の争乱から南北朝時代にかけて活躍します 九州の水軍「松浦党」の祖も渡辺氏の出で 全国へと勢力を広げていきます

これだけの一族になったのは「坐摩神(ikasuri no kami)」の賜物なのでしょう

渡辺の町名について

現在の鎮座地名を渡辺と称するのも 元の地名が移されたもので 全国の渡辺・渡部等の姓の発祥の地でもあります

現在の住所表記は

「大阪市中央区 久太郎町4丁目渡辺3号」とちょっと変則です

これは 昭和63年(1930)地区統合に伴う地名変更で「渡辺町」は統合消滅となった時に 渡辺姓の末裔の集い「全国渡辺会」が 渡辺姓の発祥地「渡辺町」の消滅に反対運動を起こした為 行政の苦肉の策で 丁目の次に街区符号として「渡辺」の名を残したとのことです

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神社にお詣り(Pray at the shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

地下鉄本町駅 出口15から 約140m 徒歩2分程度

坐摩神社(ikasuri shrine)に到着

境内の東側入り口に建つ鳥居は 良く見ると大神神社と同じ「三ツ鳥居」です

一礼して「三ツ鳥居」をくぐります

陶器で造られた茶色の狛犬が左右に座します

南側左手には「手水舎」があり 清めます

境内の右手北側に5つの境内社が並び鎮座します お詣りです

・大江神社(oe jinja)
  《主》神功皇后(jingu kogo)
     応神天皇(ojin tenno)
     武内宿禰命(takenochi no sukune no mikoto)

・繊維神社(seni jinja)
  《主》天羽槌雄神(ameno hazuchio no kami)
     天棚機姫神(ameno tanabatahime no kami)

・大國主神社(okuninushi jinja)
  《主》大国主大神(okuninushi no okami)
     事代主大神(kotoshironushi no okami)
     少彦名大神(sukunahikona no okami)

・天満宮(temman gu)
  《主》菅原道真公(sugawara no michizane ko)

・相殿神社(aidono jinja)
  《主》春日大神・住吉大神・大神受美神・猿田彦大神
    ・大宮比売神・多賀大神・天御中主大神・産霊大神
    ・直比大神・諏訪大神・事平大神・大歳大神

参道正面の拝殿にすすみます
賽銭箱には 御神紋の白鷺の「鷺丸(sagi maru)」があります

賽銭をおさめ お祈りです
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

社殿の横を通るように西側への参道があります

境内の南西に2つの境内社があります お詣りです

・火防陶器神社(hibuse toki jinja)
  《主》大陶祇神(osuetsumi no kami)
     迦具突智神(kagutsuchi no kami)

・稲荷神社
  《主》宇賀御魂神(ukanomitama no kami)

火防陶器神社(hibuse toki jinja)の周囲には様々な陶器製品が置かれています
有田焼の燈籠 絵皿 清水焼の吊燈籠 

信楽焼の燈籠 手水鉢? など

又「陶板の由緒書き」もあり 陶器の神を感じます

扁額には「火防 陶器神社」とあります

稲荷神社には「瀧丸稲荷大明神」と書かれた提灯が下がります

境内の南には 社務所があり ご朱印などを授与して頂きます

境内をあとにします 鳥居をくぐり 振り返り一礼

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神社の伝承(Old tales handed down to shrines)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『古語拾遺(kogojui)』神武天皇の即位時の奉斎 に記される伝承

「坐摩大神(ikasuri no okami)」は 皇居の地を守護する神として 神祇官西院において祀られた5柱の神の総称とされています

『古語拾遺(kogojui)』(斎部広成 大同2年(807年)編纂)に記される「坐摩大神(ikasuri no okami)」は 初代 神武天皇の即位時に 御神勅により宮中に奉斎された「八神殿の神々」「生嶋の神」と同じ起源と記されています

意訳

「 皇天2祖の詔のままに 神籬(himorogi)を建てました 
所謂(iwayuru)
・高皇産霊(takami musuhi)
・神皇産霊(kami musuhi)
・魂留産霊(tamatsume musuhi)
・生産霊(iku musuhi)
・足産霊(taru musuhi)
・大宮賣神(omiyame no kami)
・事代主神(kotoshironushi no kami)
・御膳神(miketsu no kami)
[巳上(ijo)今 御巫(mikamunagi)の斎祭る(祝い祀る)ところです]

・櫛磐間戸神(kushi iwamado no kami)
・豊磐間戸神(toyo iwamado no kami)
[巳上(ijo)今 御門(mikado)の巫(kamunagi)が斎祭る(祝い祀る)ところです]

生嶋(iku shima)
[是は 大八州(oo yashima)の霊(mitama)で 今 生嶋(iku shima)の巫(kamunagi)の斎祭る(祝い祀る)ところです]

坐摩(ikasuri)
[是は 大宮地(omiyadokoro)の霊(mitama)で 今 坐摩(ikasuri)の巫(kamunagi)の斎祭る(祝い祀る)ところです] 」

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ 『訂正古語拾遺』選者:斎部広成 大同2年(807年)編纂/校訂者:猿渡容盛 刊本 ,明治02年 , 木村正辞 https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047473&ID=&TYPE=&NO=画像利用

『万葉集(manyo shu)』20巻 4350 に記される歌

「坐摩大神(ikasuri no okami)」のうちの1柱「阿須波神(asuha no kami)」は旅の神であり 九州への赴く 防人(saki mori)が旅立ちに際して行路の安全を祈願した歌とされています

「 歌題(天平勝寳七歳乙未二月 相替遣筑紫 諸國防人等歌) 

(訓読) 庭中の 阿須波の神に小柴さし 我れは斎はむ帰り来までに

(意訳) 庭で祭る 阿須波神に小さな小柴を立てて 私は祈ります 帰りくるまで 右の一首は主帳丁 若麻續部諸人(wakawomibe no morohito) 」

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『萬葉集』刊本 寛永20年[旧蔵者]紅葉山文庫 https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000045548&ID=M2014100619504988793&TYPE=&NO=画像利用

摂津国一之宮として格式高く 大阪では最も古い神社の一つです 神功皇后が三韓征伐の帰途 淀川の河口に神託により神社を造営されたと伝わります 旧鎮座地は 天満橋南詰の「坐摩神社行宮」にありましたが 太閤秀吉の大阪城築城にともない遷座して 現在地 大阪商人の町「船場」に鎮座します

坐摩神社(ikasuri shrine)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)

「坐摩大神(ikasuri no okami)」は 皇居の地を守護する神として 神祇官西院において祀られた5柱の神ですが 同じく神祇官西院において祀られた[八神殿]の記事もご覧ください

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摂津国 式内社 75座(大26座(並月次新嘗・就中15座相嘗祭)・小49座(並官幣)について に戻る

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宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

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行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

8

對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています

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