八神殿(宮中 神殿に鎮座)

八神殿(hasshin den)は 「天皇守護の神と言われる八神を祀り 古代日本において 国家祭祀の中枢として宮中神祇官 西院」に祀られて  神祇官が 祭祀を司ってきた神殿です
神祇官西院の西北に八神殿として 八社南北に東面して並んでいたと伝わります

現在は 宮中三殿の神殿おいて 祭祀は 継承していると云われています

『延喜式神名帳(engishiki jimmyocho)』
所載社一覧
では 筆頭に記載されています

宮中神の「神祇官西院坐御巫等祭神二十三座」の中に「御巫祭神 8座(並大月次新嘗・中宮東宮御巫亦同)」として挙げられていますので 官社(式内社)の筆頭となっています

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)宮中  36座…大(預月次新嘗)30・小6)

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)神祇官西院坐御巫等祭神 23座(並大) 

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)御巫祭神 8座(並大月次新嘗・中宮東宮御巫亦同)

[名神大 大 小] 式内大社(並大)

・第一殿に鎮座
[旧 神社 ] 神産日神並大月次新嘗・中宮東宮御巫亦同
[ふ り が な ](かむむすひ の かみ)
[How to read ](kamumusuhi no kami) 

・第二殿に鎮座
[旧 神社 ] 高御産日神並大月次新嘗・中宮東宮御巫亦同
[ふ り が な ](たかみむすひ の かみ)
[How to read ](takami musuhi no kami) 

・第三殿に鎮座
[旧 神社 ] 玉積産日神並大月次新嘗・中宮東宮御巫亦同
[ふ り が な ](たまるむすひ の かみ)
[How to read ](tamaru musuhi no kami)

・第四殿に鎮座
[旧 神社 ] 生産日神並大月次新嘗・中宮東宮御巫亦同
[ふ り が な ](いくむすひ の かみ)
[How to read ](iku musuhi no kami)

・第五殿に鎮座
[旧 神社 ] 足産日神並大月次新嘗・中宮東宮御巫亦同
[ふ り が な ](たるむすひ の かみ)
[How to read ](taru musuhi no kami)

・第六殿に鎮座
[旧 神社 ] 大宮売神並大月次新嘗・中宮東宮御巫亦同 
[ふ り が な ](おほみやひめ の かみ)
[How to read ](ohomiya hime no kami)

・第七殿に鎮座
[旧 神社 ] 御食津神並大月次新嘗・中宮東宮御巫亦同 
[ふ り が な ](みけつ の かみ)
[How to read ](miketsu no kami)

・第八殿に鎮座
[旧 神社 ] 事代主神並大月次新嘗・中宮東宮御巫亦同 
[ふ り が な ](ことしろぬし の かみ)
[How to read ](kotoshironushi no kami) 

国立国会図書館デジタルコレクション 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫

スポンサーリンク

かつての宮中 八神殿(hasshin den)の様子

寛政9年(1797)完成『大内裏図考証』の図絵

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ
寛政9年(1797)完成『大内裏図考証』著者:裏松光世 数量65冊 写本

古図(伯家部類)によると各社殿は独立していて
南北十丈 東西三丈 朱(あけ)の玉垣を東南北の三方に囲らし
東面三か所(北第一殿 第五殿 第八殿の前)に鳥居を設けて  各殿内には御体はなく ただ賢木(榊)をおいたと伝わります

寛政9年(1797)完成『大内裏図考証』の図絵

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ
寛政9年(1797)完成『大内裏図考証』著者:裏松光世 数量65冊 写本

 

「八神殿」は神祇官に祭られていましたが 応仁の乱で神祇官の大半が焼失します
天正15年(1582)に取り壊され断絶し 「八神殿」の神々は宮中では祭られなくなります
再び宮中で祭られるようになるのは 神祇官が復興される明治の世を待たなければならなりませんでした
現在は 宮中三殿の内「神殿」に祀られています

スポンサーリンク

祀られる八神について

八神については 史料によって表記・順序が異なります

延喜式
(神名帳)
延喜式
(
四時祭・鎮魂祭)
延喜式
(祈年祭祝詞)
延喜式
(月次祭祝詞)
古語拾遺
神産日神 神魂 神魂 神魂 高皇産霊
高御産日神 高御魂 高御魂 高御魂 神産霊
玉積産日神 生魂 生魂 生魂 魂留産霊
生産日神 足魂 足魂 足魂 生産霊
足産日神 魂留魂 玉留魂 玉留魂 足産霊
大宮売神 大宮女 大宮乃売 大宮売 大宮売神
御食津神 御食魂 大御膳都神 御膳都神 事代主神
事代主神 辞代主 辞代主 辞代主 御膳神

 

スポンサーリンク

『古語拾遺(kogojui)』
神武天皇即位時の奉斎 に記される伝承

『古語拾遺(kogojui)』(斎部広成 大同2年(807年)編纂)に記される「八神殿の神々」は 初代 神武天皇の即位時に 御神勅により宮中に奉斎された「八神殿の神々」「生嶋の神」「坐摩の神」と同じ起源と記されています

意訳
「 皇天2祖の詔のままに 神籬(himorogi)を建てました
所謂(iwayuru)
・高皇産霊(takami musuhi)
・神皇産霊(kami musuhi)
・魂留産霊(tamatsume musuhi)
・生産霊(iku musuhi)
・足産霊(taru musuhi)
・大宮賣神(omiyame no kami)
・事代主神(kotoshironushi no kami)
・御膳神(miketsu no kami)
[巳上(ijo)今 御巫(mikamunagi)の斎祭る(祝い祀る)ところです] 

・櫛磐間戸神(kushi iwamado no kami)
・豊磐間戸神(toyo iwamado no kami)
[巳上(ijo)今 御門(mikado)の巫(kamunagi)が斎祭る(祝い祀る)ところです]

生嶋(iku shima)
[是は 大八州(oo yashima)の霊(mitama)で 今 生嶋(iku shima)の巫(kamunagi)の斎祭る(祝い祀る)ところです]

坐摩(ikasuri)
[是は 大宮地(omiyadokoro)の霊(mitama)で 今 坐摩(ikasuri)の巫(kamunagi)の斎祭る(祝い祀る)ところです] 」

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ 『訂正古語拾遺』選者:斎部広成 大同2年(807年)編纂/校訂者:猿渡容盛 刊本 ,明治02年 , 木村正辞

大宮売神(ohomiya hime no kami)について

幾つかの説があります

・丹後国二宮の「大宮売神社」が本社とされています

・教部省編纂の『特選神名牒』によれば
「八神殿に祭られたまへる大宮売神は此国なるを移し奉れるものなること丹波多紀郡櫛石窓神社(引用注:宮中の櫛石窓神も丹波・櫛石窓神社が本社)の条に云る趣と合せ考て知るべき也」とあります

・大宮姫稲荷神社(上京区竹屋町通主税町)後世 これを遷祀したもと伝わります

・玉姫大明神(二条公園)大宮姫命稲荷神社の古跡と伝わります

スポンサーリンク

「宮中に鎮座せらる 36座『延喜式神名帳』の所載一覧」に戻る

おすすめ記事

1

世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」のクライテリア(iii)として「古代から今日に至るまで山岳信仰の伝統を鼓舞し続けてきた 頂上への登拝と山麓の霊地への巡礼を通じて 巡礼者はそこを居処とする神仏の霊能を我が身に吹き込むことを願った」と記されます

2

出雲國(izumo no kuni)は「神の國」でありますので 各郡の条に「〇〇郡 神社」として 神社名の所載があります
『風土記(fudoki)』が編纂(733年)された 当時の「出雲の神社(399社)」を『出雲國風土記 神名帳(izumo no kuni fudoki jimmeicho)』として伝える役割をしています

3

大国主神(おほくにぬしのかみ)が 坐(ましま)す 古代出雲の神代の舞台へ行ってみたい 降積った時を振り払うように 神話をリアルに感じたい そんな私たちの願いは ”時の架け橋” があれば 叶うでしょう 『古事記(こじき)』〈和銅5年(712)編纂〉に登場する神話の舞台は 現在の神社などに埋もれています それでは ご一緒に 神話を掘り起こしましょう

4

出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)は 律令体制下での大和朝廷で 出雲国造が その任に就いた時や遷都など国家の慶事にあたって朝廷で 奏上する寿詞(ほぎごと・よごと)とされ 天皇(すめらみこと)も行幸されたと伝わっています

5

出雲国造(いつものくにのみやつこ)は その始祖を 天照大御神の御子神〈天穂日命(あめのほひのみこと)〉としていて 同じく 天照大御神の御子神〈天忍穂耳命(あめのほひのみこと)〉を始祖とする天皇家と同様の始祖ルーツを持ってる神代より続く家柄です 出雲の地で 大国主命(おほくにぬしのみこと)の御魂を代々に渡り 守り続けています

6

宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

7

行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

8

對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています

-延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)
-

error: Content is protected !!

Copyright© Shrine-heritager , 2024 All Rights Reserved.