兵主神社(壱岐市芦辺町深江本村触)

兵主神社(ひょうすじんじゃ)は 元々は日吉山王称し奉っていましたが 延宝四年(1676)延寶の調〈平戸藩の国学者橘三喜の式内社調査によって 聖母神社〈現 聖母宮〉を日吉山王権現と査定し 兵主神社を聖母神社査定し式内社 壱岐郡 兵主神社 名神大と比定されました 其の後この処置が誤りであると藩も認め 聖母宮は元に戻りましたが 兵主神社はそのままと据え置かれています

目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

兵主神社(Hyosu shrine

 [通称名(Common name)]

〈旧号〉日吉山王権現

【鎮座地 (Location) 

長崎県壱岐市芦辺町深江本村触1116

 [  (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》素盞嗚命(すさのをのみこと)
   大己貴命(おほなむちのみこと)
   事代主命(ことしろぬしのみこと)

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity)

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

創建年代不詳

【由  (History)】

壱岐國式内名神大社

旧村社 兵主神社 (別名日吉山王権現)

 鎮座地 芦辺町深江川北

 祭 神 素盞嗚尊 大己貴神 事代主神

 例祭日 十月二十日
 境内地 八百八十四坪

〔由緒沿革〕 〔正位兵主神社〕
一、当社は延喜式巻十神名帳に所載ノ壹岐嶋壹岐郡兵主神社名神大社なり。

一、神社帳に曰、河北村京徳ノ辻兵主神社大二十四座ノ内有、宝殿拝殿、定祭九月二十五日神主後藤淡路、宮司大河庄太夫。
一、嵯峨天皇、弘仁二年幸卯冬十月朔日平旦直に日輪の神勅を承け神代の霊璽を写し奉り。眞の神躰に象り移し奉る。
一、文徳天皇、仁壽元年正月、正六位上に叙せらる。以上神階を進められ給ふこと式内大社の例に依れり。
一、社領高二石、社殿再建毎に國主より白銀五枚寄進せらる。

一、明治九年十二月四日 村社に列せらる。
一、大正三年六月 神饌幣帛供進神社に指定せらる。
一、昭和五十三年九月 拝殿改築なる。
一、昭和六十二年五月 神殿上屋、屋根替御改修。
一、平成五年九月 社務所新築なる。

平成五年九月 中尾康

現地案内板より

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【境内社 (Other deities within the precincts)】

・祠

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本殿向かって左に 複数宇の石祠

【境外社 (Related shrines outside the precincts)】

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『日本三代実録(Nihon Sandai Jitsuroku)〈延喜元年(901年)成立〉』に記される伝承

京畿七道諸神267社とともに神階の奉授が記されています

【抜粋意訳】

 貞觀元年(八五九)正月廿七日甲申〉の条

○廿七日甲申
京畿七道諸神 進階及新叙 惣二百六十七社
奉授 淡路國无品勳八等伊佐奈岐命一品 備中國三品吉備都彦命二品
・・・・・
・・・・・

壹岐嶋 從五位下 海神 住吉神 兵主神 月讀神  從五位上

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブス『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=画像利用

『延喜式Engishiki)』巻3「臨時祭」中の「名神祭Meijin sai)」の条 285座

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂

延喜式巻第3は『臨時祭〈・遷宮天皇の即位や行幸国家的危機の時などに実施される祭祀〉です
その中で名神祭Meijin sai)』の条に 国家的事変が起こり またはその発生が予想される際に その解決を祈願するための臨時の国家祭祀「285座」が記されています

名神祭における幣物は 名神一座に対して 量目が定められています

名神ノ祭 二百八十五座

・・・
・・・
兵主神社 一座
月讀神社 一座
中津神社 一座
天手長男(あまのたなかをの)神社 一座
天手長比賣(あまのたなかひめの)神社 一座 巳上 壱岐

・・・
・・・
・・・

座別に
絁(アシギヌ)〈絹織物〉5尺
綿(ワタ)1屯
絲(イト)1絇
五色の薄絁(ウスアシギヌ)〈絹織物〉各1尺
木綿(ユウ)2兩
麻(オ)5兩
嚢(フクロ)料の薦(コモ)20枚若有り(幣物を包むための薦)
大祷(ダイトウ)者〈祈願の内容が重大である場合
加えるに
絁(アシギヌ)〈絹織物〉5丈5尺
絲(イト)1絇を 布1端に代える

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス『延喜式 巻3-4』臨時祭 名神祭 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブス『延喜式 巻3-4』臨時祭 名神祭 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
(Engishiki JimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

兵主神社(壱岐市芦辺町深江本村触)は 二つの式内社の論社です

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)西海道 107座…大38・小69
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)壱岐島 24座(大7座・小17座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)壱伎郡 12座(大4座・小8座)
[名神大 大 小] 式内名神大社

[旧 神社 名称 ] 兵主神社(名神大)
[ふ り が な ](つはものぬしの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Tsuhamononushi no kamino yashiro)

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)西海道 107座…大38・小69
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)壱岐島 24座(大7座・小17座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)石田郡 12座(大3座・小9座)
[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 大國玉神社
[ふ り が な ]おほくにたまの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Ohokunitama no kamino yashiro)

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

兵主神社(壱岐市芦辺町深江本村触)は 二つの式内社の論社です

式内社 壱伎郡 兵主神社(名神大)(つはものぬしの かみのやしろ)の論社について

・兵主神社(壱岐市芦辺町深江本村触)

・本宮八幡神社(壱岐市勝本町本宮西触)

式内社 石田郡 大國玉神社(おほくにたまの かみのやしろ)の論社について

・大國玉神社(壱岐市郷ノ浦町大原触)

・兵主神社(壱岐市芦辺町深江本村触)

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神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

印通寺から 県道23号を北上し 原の辻遺跡を通過して 内海湾の西かつての川北村 約5.4km 車10分程度

兵主神社(壱岐市芦辺町深江本村触)に参着

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鳥居の扁額には 兵主神社 とあり
一礼をして 鳥居をくぐります

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参道を進むと 木立の先に 社殿が見えています

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拝殿にすすみます 向かって左奥には 石祠が祀られています

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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拝殿の奥には 本殿の覆い屋が建てられていて 下側は開いていますので
御本殿を拝することができます

殿の側壁には 彩色の壁画描かれていて 美しいです

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彩色の壁画は 向かって左側獅子と梅

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向かって右側(鶴と人)

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この人は 隣国中国前漢時代の官僚で 薪を担いで歩きながら書を読んでいたとされる朱買臣(しゅばいしん)」の絵だとのことです

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神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『壱岐名勝図誌』〈文久元年(1861)に完成〉に記される伝承

巻3 川北村之部 正一位 兵主神社〈現 兵主神社(壱岐市芦辺町深江本村触)は  もともとは日吉山王権現でしたが 延宝四年(1676)延寶の調〈平戸藩の国学者橘三喜の式内社調査〉で 兵主神社〈現 兵主神社(壱岐市芦辺町深江本村触)を聖母神社査定し 聖母神社の石額を掲げ 聖母神社〈現 聖母宮〉は日吉山王権現と査定し 聖母神社の石額を外して 日吉山王権現に揚げさせました
ところが延宝9 箱崎八幡宮祠官吉野末益は 聖母神社祠官後見として其の措置の非なるを陳べ 旧に復されんことを求め 藩もその非を認め 日吉山王社に掲げた聖母神社の石額を聖母神社に返還し 兵主神社の石額はそのまま日吉山王権現に掲揚されたことを記しています

【抜粋意訳】

巻3 川北村之部 正一位 兵主神社

在 京徳山村中産神之  例祭九月廿五日

祭神 大己貴神
・・・・
・・・・
当社は 元 日吉山王称奉りしを 延宝年中 式に所載壱岐郡 兵主神社 名神大とせり
土人相傳云 むかし日吉大明神 比叡山より村の卯辰の海浜一の瀬に着御ましるを 故時の人 其所を名付けて神崎といふ 大神一の瀬の海 鹿尾といいせ給ひて 御濱に用ひ給ひて 其根と檜置給ふ 故毎年其瀬に 例祭九月廿三日の朝・・・・・・・

〇神社考云
可須御謄本 聖母大明神と兵主神社いりと西間御河北 日吉山王と聖母大明神とす 因りて 聖母社の石鳥居の額を日吉山王に納め 聖母社に兵主神社の石額を掛たり 然るに 延宝九年 又 石額社号を取替たり 勝本 聖母社は神功皇后所祭にして 此の津 三韓退治の御往来 御着岸地なり 此叓 世人の知る所なり 然るに聖母の石額を日吉山王に納むべき故なし 日吉山王大宮は大己貴命にして 兵主神社とするに拠あり 下畧

〇神名記云 川北村 兵主神社 三所 大己貴神 素盞嗚尊 事代主神之 此神山王権現と号 云々

〇秀正云 中葉 日吉山王七社と称するは 近江国 滋賀郡 日枝山に御所の大宮 ・・・・・・

古来 鎮座年歴不知 永禄十年丁卯四月 御殿造営棟札に当社 山王三七社 松浦肥前守源隆信押字松浦源三郎鎮信押字あり・・・・
・・・日吉山王三七社にまします所なり
安政四年の棟札に 始めて兵主神社との事を 時に国主源成朝とあり

神位の事
文徳天皇・・・
清和天皇・・・
・・・・

【原文参照】

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 兵主神社の所在は 河北村〈現 兵主神社(壱岐市芦辺町深江本村触)

式内社 大國玉神社の所在は 志村村〈現 大國玉神社(壱岐市郷ノ浦町大原触)〉と記しています

【抜粋意訳】

兵主神社

兵主は 比夜宇須と訓べし
〇祭神 素戔嗚尊歟 略誌 大己貴命といふ、今は従わず
〇河北村に在す 土俗日吉山王と称す
〇式三 臨時祭 名神祭二百八十五座 中略 壱岐島 兵主神社一座

類社
大和國 城郡上穴師坐兵主神社の條見合べし

神位
三代実録 貞観元年正月廿七日甲申 奉授 壹岐嶋從五位下海神。住吉神。兵主神。月 讀神並從五位上

大國玉神社

大國玉は 於保久爾多麻と訓べし
〇祭神 明らかなり
〇志村村に在す 土俗天神と称す 式社考

類社
伊勢国多氣郡 大國玉神社の條見合うべし

【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015

国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 兵主神社の所在について 延宝四年(1676)延寶の調〈平戸藩の国学者橘三喜の式内社調査〉で 川北邑〈現 兵主神社(壱岐市芦辺町深江本村触)〉とされたが 川北は昔は石田郡ではなかった 旧記は悉く 伊岐郡風早郷 本宮邑 兵主神社〈現 本宮八幡神社(壱岐市勝本町本宮西触)〉としていると記しています

式内社 大國玉神社の所在について 延宝四年(1676)延寶の調〈平戸藩の国学者橘三喜の式内社調査〉以前は 大國玉神社(壱岐市郷ノ浦町大原触)は 田原天神と称されて菅原道真公を祀っていたものである
川北邑の宗社 兵主神社〈現 兵主神社(壱岐市芦辺町深江本村触)〉が 式内社 大國玉神社であると 記しています

【抜粋意訳】

兵主神社

祭神
今按〈今考えるに〉
本宮邑 兵主神社縁起に所祭 底筒男命 中筒男命 表筒男命なり
中昔 祭神 神功皇后 応神天皇為 相殿奉 称八幡宮なりとみえ
延寶の調〈平戸藩の国学者橘三喜の式内社調査〉に川北邑なる社の祭神 素盞嗚尊 大己貴神 事代主神とあるは 兵主神に由縁あるか如くなれど 兵主神と云ひ もと住吉三座とあるによりて この三神を付会せるにはあらざるかされど 兵主神社 住吉三神を祭れるも如何あらん

神位 清和天皇 貞観元年正月廿七日甲申 奉授 壹岐嶋從五位下海神。住吉神。兵主神。月 讀神並從五位上

祭日 九月廿五日
社格 (深江村宇徳山とあり村社)(村社)

所在 長崎縣(壱岐郡田河村大字深江)
今按〈今考えるに〉
式社所名徴に 兵主神社 今在ニ川北村
壱岐廿四座記には 本宮村 とあり
式社沿革考に 神社考云 川北は昔は石田郡にあらず 承慶の頃 壱岐郡内に属す 寺社は昔より石田郡にあらず徴に記すか如く 旧記悉く本宮邑とあり 其の縁起に伊岐郡風早郷 本宮邑 兵主神社戌亥向 云々ともみえたれば兵主神社なる事 炳焉歟とあり然るに 延寶の調〈平戸藩の国学者橘三喜の式内社調査〉に川北邑とせし由なるが 明細帳また長崎縣式内社記には共に深江村と定めたるは如何あらん尚よく考べし

大國玉神社

祭神
今按〈今考えるに〉
祭神 大己貴命とあれど 此神の亦名を大國魂神とも申すによりて云るにて 実は此国の国玉神にますなるべし 其の大國玉神と云を 後に日吉山王に付会し遂に大己貴神の如くなれるにはあらじ歟

祭日 九月廿五日

所在
今按〈今考えるに〉

明細帳 長崎縣式内社記 共に志原村とす 然るに神社考に志原邑田原天神を大原大明神とも書るを以て大國玉神社 祭神 大己貴命とせり 然れども田原天神は菅原道真公にて 川北邑は昔 石田郷の内也とみえ 式社沿革考に承慶の記に川北邑と記し 今 村の宗社 兵主神社と称せるは社号の混乱せしにて 延宝以前は 日吉山王と称し 古今 式内と称す 是即 大國主神社ならんとみえたれば志原村の神社にはあるべからず

【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155

国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155

兵主神社(壱岐市芦辺町深江本村触)に (hai)」(90度のお辞儀)

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壹岐嶋 式内社 24座(大7座・小17座)について に戻る 

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行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

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對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています

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