姫宮神社(ひめみやじんじゃ)は 奥伊豆最古ともいわれ『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の「佐々原比咩命神社(ささはらひめのみことのかみのやしろ)」の比定社です しかし 河津川に面した湿地帯に在って 昔から洪水で流され再建することを繰り返し大社殿になれず 最後の庁屋も洪水で流失したといわれ 代々来宮神社の法印に祭祀されていたと伝わります 平成14年(2002)現在地に再建
目次
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
姫宮神社(Himemiya Shrine)
(ひめみやじんじゃ)
[通称名(Common name)]
笹原明神(ささはらみょうじん)
【鎮座地 (Location) 】
静岡県賀茂郡河津町笹原314
[地 図 (Google Map)]
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》笹原姫命(Sasaharahimeno mikoto)
【御神格 (God's great power)】(ご利益)
・家内安全・良縁祈願
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(Engishiki jimmeicho)』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
創建年代不詳
【由 緒 (History)】
姫宮神社の由緒
姫宮神社の祭神は、地主神で従四位上ササハラの明神である。女性の神で姫宮(比咩宮)と呼んでいる。
来宮杉桙別命神社と同様、延喜式神名帳に登載されている式内社で、河津開闢の神である。明治6年9月に村社に列せられた。社殿はしばしば 洪水で流出して大社殿になれず、最後の庁屋も洪水で流失したといわれ、代々来宮神社の法印に祭祀されていたという。
現在 跡地付近より 弥生時代から奈良、平安時代にかけての祭祀跡、住居跡、生活用具である土器や鉄器等が発掘されており、当時の文化を知る上で重要な遺跡となっている。
奥伊豆最古ともいわれる姫宮神社は、明治44年に笹原ケサガ久保へ遷祀され その後昭和38年3月田中杉桙別命神社に奉祀されていた。
近年、氏子を始め区民から笹原の地で氏神様を祀りたいという熱い思いが実り、ここに姫宮神社の再建がされた。現地案内板より
【境内社 (Other deities within the precincts)】
【境外社 (Related shrines outside the precincts)】
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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載
(Engishiki Jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊豆国 92座(大5座・小87座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)賀茂郡 46座(大4座・小44座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 佐々原比咩命神社
[ふ り が な ](ささはらひめのみことの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Sasaharahimeno mikoto no kamino yashiro)
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫
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【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載の
式内社「佐々原比咩命神社」の変遷について
式内社「佐々原比咩命神社」の比定社は「姫宮神社(河津町笹原)」とされています
旧鎮座地は (姫宮遺蹟)現 河津小学校の敷地あたりで 付近からは4世紀頃の祭祀遺物が出土
しかし 河津川に面した湿地帯に在って 昔から洪水で流され再建することを繰り返したようです
寛文4年(1664)河津全村の人々によって再興
明治以降では
明治44年(1911)に 若宮八幡神社の敷地に鎮座
若宮八幡神社(大鷦鷯尊(おおさざきのみこと))と蔭山(かげやま)神社(蔭山明神)を合祀
昭和38年(1963)に杉桙別命神社に合祀
・川津来宮神社〈杉桙別命神社〉(河津町田中)〈合祀先〉
その後 平成14年(2002)現在地に再建 鎮座
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神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
伊豆急行 河津駅から北西へ約650m 徒歩8分程度
駅前の踊子花街道を北西へ 河津桜観光交流館の所で細い道右折〈北東へ〉
参道の入口となっていて 石柱に「家内安全 良縁祈願 姫宮神社 参道入口」と刻まれています
そのまま細い道を進むと突き当りに 「姫宮神社」と社号標が立ち
姫宮神社(Himemiya Shrine)に参着
再建された社は 河津川から見ると 高い位置にあり 今後は洪水の被害には遭う事はないと村人の想いが伝わります
階段を上がり 一礼をして鳥居をくぐります 鳥居の扁額にも「姫宮神社」とあります
手水舎で清めると 石碑があり「遷宮縁日 五月二十五日」と刻まれていますので 平成14年(2002)現在地に再建された日付が 5月25日なのだと思われます
拝殿にすすみます 扁額には金文字で「姫宮神社」とあります
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
拝殿の奥両側に階段があり奥へと通じていて 更に高い檀に建屋がありますが 人は立ち入れない 恐らく本殿が鎮座していると思います
社務所も整備されていて 祭りの日には村の人々が集っているのだと思います 村人によって再建された「姫宮神社」に一礼
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神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神名帳考証土代(Jimmyocho kosho dodai)』〈文化10年(1813年)成稿〉に記される伝承
篠原村にあって 姫ノ宮と称す と記されています
【意訳】
佐々原比咩(ササハラヒメノ)命神社
〇在 河津村去三嶋南十九里
中臣祓詞 速佐須良比咩
志 郡 篠原村に坐す 今 姫ノ宮と称す
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『神名帳考証土代』(文化10年(1813年)成稿)選者:伴信友/補訂者:黒川春村 写本 [旧蔵者]元老院
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000039328&ID=M2018051416303534854&TYPE=&NO=画像利用
『神社覈録(Jinja Kakuroku)』〈明治3年(1870年)〉に記される伝承
篠原村に所在の姫ノ宮と記しています
【意訳】
佐佐原比咩命神社
佐佐は仮字なり 原は波良と訓ずべし 比咩も仮字なり
〇祭神 明らかなり
〇篠原村に在す 今 姫宮と称す
考証に 河津村に在りと云り神位 国内神階帳 記云 従4位上 ささはら姫のみこ
【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015『神社覈録』
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)』〈明治9年(1876)完成〉に記される内容
所在は 河津村笹原(篠原村)にあると 記しています
【意訳】
佐佐原比咩命(ササハラヒメノミコトノ)神社
祭神 佐々原比咩命
祭日 11月15日
社格 村社
所在 (賀茂郡下河津村 大字 笹原)篠原村 字 ひめ宮地
【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155『特選神名牒』
『伊豆国式社攷略( Izunokuni shikisha koryaku)』〈明治15年(1882)発行〉に記される伝承
笹原村に鎮座している と記しています
【意訳】
佐々原比咩(ささはらひめの)命神社
同郡 笹原(ささはら)村鎮座 ささはら姫のみこ 神階帳
旧称 姫宮明神社これなり 豆志式攷攷証注進特選
当社今は 社域は 湫〈湿地帯〉溢〈あふれる〉祠宇〈ほこらあり〉 瑣〈ちいさな〉と雖〈いえど〉も
笹原の村名 及び 姫宮の社号ある確然として 動くべくも非ず蓋 国内中 官社の或いは 陵遅変替せるに因りて 強ふ疑を容がたき これを以って類推すべきのみ
【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『伊豆国式社攷略』萩原正平 著 出版年月日 明15.6 編 出版者 栄樹堂
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/815090『伊豆国式社攷略』1 『伊豆国式社攷略』2
姫宮神社(Himemiya Shrine)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)