延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)

走田神社(亀岡市余部町)〈『延喜式』走田神社〉

走田神社(はせだじんじゃ)は 天正の兵亂(1573~92)に古文書 悉く焼け島有に帰して記録はありませんが 口伝によれば 奈良時代の元明天皇 和銅4年(711)創建と云う 走田大明神と呼ばれ厚い尊崇を受けてきた 延喜式内社 山城國 乙訓郡 走田神社(はしりたの かみのやしろ)とされます

走田神社(長岡京市奥海印寺走田)〈『延喜式』走田神社〉

走田神社(はしりたじんじゃ)は 創建年代不詳ですが 社号「走田」は゛初穂(走り穂)を作る田んぼ゛早稲田(わせだ)の守護神と云う意味 神仏習合期に寂照院(じゃくしょういん)の鎮守として「妙見社(みょうけんしゃ)」と呼称 明治期「走田神社」に改称 延喜式内社 山城國 乙訓郡 走田神社(はしりたの かみのやしろ)の論社です

出雲路の森(京都市南区久世築山町)〈『延喜式』茨田神社 旧鎮座地〉

出雲路の森(いずもじのもり)は 古くは「出雲路」という小字のあった場所からくる名称です 現地は小高い丘〔古墳(小墳)説あり〕となっていて 現在は祠はありませんが 樫と椿の木立に注連縄が張られ「鎮守の森」の形を残しています 延喜式内社 山城國 乙訓郡 茨田神社(まむたの かみのやしろ)の旧鎮座地と伝えられています

菱妻神社(京都市伏見区久我石原町)〈『延喜式』簀原神社〉

菱妻神社(ひしづまじんじゃ)は 永久元年(1113)久我家の祖 右大臣 源雅実公が奈良の春日大社から天児屋根命を勧請「火止津目(ひしづめ)大明神」と崇奉った 御遷宮の時は具仁親王・源氏(久我家)・藤原氏の一族が牛車三両などを連ねた大社であり 延喜式内社 山城國 乙訓郡 簀原神社(すはらの かみのやしろ)との学説あり

菱妻神社(久世築山町)〈『延喜式』乙訓坐火雷神社 名神大・走田・茨田・簀原神社〉

菱妻神社(ひしづまじんじゃ)は 簀原大明神が前身とされるが 詳細は明らかではありません 13世紀頃社名を乙訓坐火雷神社 16世紀頃 菱妻神社に変更と云う 延喜式内社 山城國乙訓郡 乙訓坐大雷神社〔名神大月次新嘗〕・走田神社・茨田神社・簀原神社と4つの式内論社となっています

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