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田々神社(出雲市美保町)

田田神社(たたじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』所載の楯縫郡 不在神祇官社「田田社(ただ)のやしろ」2社の論社とされます 旧鎮座地は「東の海辺の山本に 本宮といひて古来社地あり 幣をさして祭る」ところがあったと伝わります

田中神社(出雲市多久谷町)&西多久神社〈田中神社に合祀〉

田中神社(たなかじんじゃ)は 由緒不詳ですが 古くは「宇土権現」「別所権現」と言われたと云う 〈田中神社に合祀〉西多久神社は『出雲國風土記(izumo no kuni fudoki)』所載の楯縫郡 神祇官社「多久社 (たく)のやしろ」・延喜式内社 出雲國 楯縫郡 多久神社(たくのかみのやしろ)の論社とされます

多久神社(出雲市多久町)&拝田神社〈多久神社に合祀〉

多久神社(たくじんじゃ)は 神名樋山「大船山」の南麓に鎮座 大船山嶺の西に 阿遅鉏高日子根命と天御梶姫命の御子神「多伎都彦命(たきつひこのみこと)の魂」と伝える「石神」が旧鎮座地 神名の通りタキ〈水の神〉で 雨乞いをすれば必ず雨を降らすと『出雲国風土記』楯縫郡に記される「多久社」で〈合祀〉拝田神社は「山口社」の論社です

大野津神社(松江市大野町)

大野津神社(おおのつじんじゃ)は 『出雲国風土記』に「大野津社」・『延喜式神名帳』に「大野津神社」とあり 江戸時代には「角森(つのもり)大明神」とも称されます 宍道湖北岸の大野灘に鎮座して 津ノ森は 重要な津〈港〉であり 海陸交通の神 また地域の農耕・厄除の神として信仰を集めています

許曽志神社 元宮阯(松江市古曽志町)

許曽志神社 元宮阯(松江市古曽志町)は 「出雲国風土記」「延喜式」に記載がある由緒ある古社「許曽志神社(松江市古曽志町)」の 本宮阯〈旧鎮座地〉です 貞享元年(1684年)4月 現社地 松尾山へ奉遷までこの地に御鎮座 址地の地名を『元宮』と称すとあり 旧社地は寛大 古木繁茂 馬場の左右に松の並木在りと伝わります

許曽志神社(松江市古曽志町)

許曾志神社(こそしじんじゃ)は 「出雲国風土記」「延喜式」に記載がある由緒ある古社です 祭神の猿田毘古命(さるたひこのみこと)で 猿田は狭田に通じ 五穀の守り神として国土を開拓した当地の開拓神と伝わり 狭田の国にあって産業の振興に尽くされた神として信仰されてきました

杢屋神社(松江市古志町)& 七社神社〈杢屋神社に合祀〉

杢屋神社(もくやじんじゃ)は 蛭子命を祭神とし 〈杢屋神社に合祀〉七社神社は 風土記の「毛之社」とされていて 天御中主尊 外四神を祭神とし もと三笠山に鎮座し 永禄年間(1558~1570)に字 西の谷に移転し 大正元年(1912)杢屋神社に合祀されました

伊努神社(出雲市美野町)

伊努神社(いぬじんじゃ)は 『出雲國風土記』所載の秋鹿郡 不在神祇官社「伊努社(いぬ)のやしろ」とされ 御祭神の天甕津姫命(あめのみかつひめのみこと)は「風土記の国引き神話」に登場する八束水臣津野命(やつかみずおみつぬのみこと)の御子神・赤衾伊農意保須美比古佐和気能命(あかふすまいぬおほすみひこさわけのみこと)の后神です

細見神社(松江市大野町)

細見神社〈細身神社〉(ほそみじんじゃ)は 『出雲國風土記』所載の秋鹿郡 不在神祇官社「細身社(ほそみ)のやしろ」とされています かつて上名(かみみょう)の牛鞍大明神(うしくらだいみょうじん)と呼ばれていました

彌多仁神社(松江市荘成町)

弥多仁神社(みたにじんじゃ)は 『出雲國風土記』所載の秋鹿郡 不在神祇官社「彌多仁社(みたに)のやしろ」です 古くは社地より西方200mに潮が湧き出る所があり これを汲んで神前に供える祭りが催されたが 地勢の変化で潮が止まり 地名の塩谷にその名残を留めると伝わります

出島神社(松江市西浜佐陀町)

出島神社(でじまじんじゃ)は 『出雲國風土記』所載の秋鹿郡 不在神祇官社「出島社(いでしま)のやしろ」とされます かつて釜代(かましろ)という所に鎮座しましたが 宍道湖の波浪の浸食で崩れ 現在地に遷座したと伝わります

艫田神社〈多太神社の境外摂社〉(松江市岡本町)

艫田神社〈多太神社の境外摂社〉(ともだじんじゃ)は 『出雲國風土記(izumo no kuni fudoki)』所載の秋鹿郡 不在神祇官社「同多太社(おなじきただ)のやしろ」とされています 御祭神の猿田彦命が 諸手船に乗り その御船の艫(とも)取りて この所に着いたので 故にこの地を艫田(ともた)というと伝わります

多太神社(松江市岡本町)

多太神社(ただじんじゃ)は 『出雲國風土記』所載社の秋鹿郡「多太社(ただ)のやしろ」です 御祭神は須佐能乎命(スサノオノミコト)と櫛稲田姫の五番目の御子 衝桙等乎而留比古命(ツキホコトオルヒコノミコト)・命が国を巡りこの土地を訪れ「我が心は明るく汚れのない正しい心持ちになった 我はこの土地に鎮まろう」と言われた故に「多太」郷と名がつけられたと伝わります

奴多之神社(松江市大垣町)

奴多之神社(ぬたしじんじゃ)は 『出雲國風土記』所載の秋鹿郡 不在神祇官社「奴多之社(ぬたし)のやしろ」とされています 高姫命が女嵩野山に降臨なされた際 猿田彦命はみずから船の艫をとり大神をお導きになられ のち高姫命は嵩野山に 猿田彦命はこの地に鎮座されることとなり 故に この社を古人は艫取大明神と呼び崇敬していると伝わります

森清神社(松江市大垣町)

森清神社(もりきよじんじゃ)は『出雲國風土記』所載の秋鹿郡 不在神祇官社「阿之牟社(あしむ)のやしろ」の里宮とされます 明和4年(1767)に里宮として創建され 地区の名にちなみ呼称されるようになった 阿之牟社は 本来山一帯をご神体とする神社で 山中の中腹に本宮とされる巨岩が鎮座します

内神社(松江市大垣町)

内神社(うちじんじゃ)は 『出雲國風土記』の「宇智社」・『延喜式神名帳』の「内神社」に比定され 出雲国二大社(出雲大社・佐太神社)の支配を受けない「一社一例社」の特例を中世から継続して来た格別の神社で 江戸時代は松江藩四所祈願所(杵築、日御碕、佐陀、当社)のひとつでした 創建は霊亀元年(715)高野山の頂に光輪を見て神垣を結んだとされ 養老元年(717)今の宮地に移し宮殿を再興したと伝わる

五十田神社(松江市古志町)

五十田神社(いそだじんじゃ)は 『出雲國風土記』所載の秋鹿郡 大井社です もとの鎮座地は現在地の東方にあった佐太水海の沖の大井の輪と言われる浜にあったが 洪水により社殿が西の丘麓の大井垣の輪に漂着し大井神社と称した 更に現在地の磯田に遷座し磯田神社となり 『日本書記』にある武甕槌命・経津主命が「出雲の国護りの舞台」五十田狭の小汀に天降ったのは ここなりとしての両神を祀り 五十田神社と改称した

『出雲國風土記』島根郡【不在神祇官社(fuzai jingikan no yashiro)】35社

出典近畿中国森林管理局Webサイト(httpswww.rinya.maff.go.jpkinkisimanemori-enjoyizumonokunihudoki.html) 目次1 島根郡【不在神祇 ...

『出雲國風土記』島根郡【神祇官社(jingikan no yashiro )】14社

島根郡【神祇官社(jingikan no yashiro )】14社は 写本の順番で並んでいます " Shrines are arranged in order of manuscripts "

『出雲國風土記』島根郡(shimane no kori)条 49社

出典近畿中国森林管理局Webサイト(httpswww.rinya.maff.go.jpkinkisimanemori-enjoyizumonokunihudoki.html) 島根郡の神社は 写本の順 ...

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