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捧羽山神社 & 伊後神社(隠岐の島町伊後)

捧羽山神社(ぼうばさんじんじゃ) は 水若酢神社(隠岐の島後 一之宮)の元宮が鎮座していた所で 水若酢神社神社の由緒によれば「御祭神 水若酢命は 海中より伊後の磯島に上られ 山を越えてこの里に入られ・・」とあり
ここに記される 山(田畑の中の小丘)を捧羽山(hoba san)と呼び 現在ここに 捧羽山神社が鎮座します

水若酢神社(隠岐の島後 隠岐の島)

水若酢神社(みずわかすじんじゃ)は 創建は 第10代崇神天皇の時代と云われ 隠岐国の一之宮 隠岐の島町(島後)の五箇地区に鎮座し 老いた黒松の生える境内が美しい古社です 御祭神の水若酢命(mizuwakasu no mikoto)は 隠岐国の国土開発と日本海鎮護の神であったと伝承されています

由良比女神社(隠岐の島前 西ノ島)〈隠岐国一之宮〉

由良比女神社(ゆらひめじんじゃ)は 伝説では由良比女命が海を渡る時 海に手をひたすと 美しき姿を見て「いか」が噛みついた その非礼をわびて 毎年 由良の浜に「いか」が群れで押し寄せると伝わります 当社が〈西ノ島の由良の浜に神社が遷座後〉もとの鎮座地 知夫里島の「いか浜」には「いか」は寄らなくなったと伝えられます

廣峯神社(姫路市広嶺山)〈全国にある牛頭天王の総本宮〉

廣峯神社(ひろみねじんじゃ)は 奈良時代 天平5年(733)遣唐使として中国から帰国した「吉備真備 公」は 国家の為に陰陽道(天文・暦・気象を司り、国の吉凶を見定める)を習得され 奈良へ帰途の折 広峯山系の白幣山に登臨「牛頭天王の信託を感受」する この旨を第45代聖武天皇に奏上し 翌年に廣峯神社の大社殿が造営されました

素盞嗚神社(福山市新市町)

素盞嗚神社(すさのおじんじゃ)は 『備後国風土記(bingo no kuni fudoki)』逸文の「蘇民将来(somin shorai)」の説話の舞台となる伝説の地と伝えられています 説話に登場する「疫隈國社(eno kumano kunitsu yashiro)」が当社とされ もしくは 摂社の「蘇民神社・疱瘡神社」とされています 全国の「祇園社の始りの地」とされ 京都の八坂神社の源流もこの地と云われています『延喜式神名帳』所載社であり 「備後国一之宮」ともされる由緒ある格式の高い神社です

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