宮倉神社(阿南市羽ノ浦町西春日野)〈式内社 和耶神社の参考論社〉

宮倉神社みやくらじんじゃは 創立年代不詳なれど この地宮倉は古くより開け 中央政権に送る穀物を一時保管するところの倉を設けてあるところから宮倉地名の起こりのようです 此地の山中腹羽ノ浦町宮倉に鎮座していましたが 宅地開発にともない移転せざるを選なくなり 平成十年1998五月二十一日の現在地に再建されています

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目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

宮倉神社Miyakura shrine

通称名(Common name)

【鎮座地 (Location) 

徳島県阿南市羽ノ浦町西春日野 西春日野住宅団地

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》男神 淡夜別命(あわやわけのみこと)または女神 伊弉冉

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社〈参考論社〉

【創  (Beginning of history)】

平成十年1998五月二十一日の再建

和耶(わや)神社

男神 淡夜別、または女神 伊弉冉命)、羽ノ浦町中庄の羽浦神社に合祀されている。もとは同町宮倉の和耶神社(異説がある)

和耶神社は羽ノ浦町が有力だが、美波町日和佐の八幡神社説がある。
羽ノ浦説では宮倉能路寺山の西麓にあった説が有力。

広報あなん 3月号〈平成26年(2014年)3月1日〉より抜粋
https://www.city.anan.tokushima.jp/docs/2014022400036/file_contents/ANAN668_14-15.pdf

【由  (History)】

宮倉神社 御由緒

 名 宮倉神社

 日 九月十三日

鎮座地 那賀郡羽浦町西春日野

創立年代不詳なれど この地宮倉は古くより開け 中央政権に送る穀物を一時保管するところの倉を設けてあるところから宮倉地名の起こりのようです。

此地の山中腹に鎮座しましたこの社は 芝家の奉仕と立江八幡神社により 永年お守りしてまいりましたが 宅地開発にともない移転せざるを選なくなり 社のいく末を大変心配奔走する芝家のお爺ちゃんも志なかばで亡くなるも 宅地開発に携わる方々がその意志を受け継ぎ 熱きおもい一つとなり元の所在地に近いこの場所を新たに設け 宮倉の土地の守り神  住み行く人々の生活をお守りしていただく神様で有るようにとの願いをこめまして
平成 十年五月二十一日落成致しました。

ここに由緒と経緯記し 新たに住む人々がこの心を受け継ぎふるさとのまちとして幸福に生活されることを祈念致します。

寄付者御芳名 日本勤労者住宅協会 五洋建設株式会社

現地銅版文より

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神社の境内 (Precincts of the shrine)】

神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称

〇『延喜式(えんぎしき)』
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)

〇『風土記(ふどき)』
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本

『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)南海道 163座…大29(うち預月次新嘗10・さらにこのうち預相嘗4)・小134

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)阿波國 50座(大3座・小47座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)那賀郡 7座(並小)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 和耶神社
[ふ り が な ]わやの かみのやしろ
[Old Shrine name]Waya no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

延喜式内社 阿波國 那賀郡 和耶神社(わやの かみのやしろ)の論社について

阿南市の文化財

 阿南市文化財保護審議会 会長 湯浅良幸

阿南市の式内社 (三) 和耶(わや)神社

阿南市内には 延喜式内社 (小社)が五社あった。和耶神社、室比売神社、建比売神社、賀志波比売神社、八鉾神社である。五社のうち延長年間から継続しているのは八鉾神社のみである。社名に「比売」の付いているのは祭神が女神 (姫・媛 )であるからだ。

 さて、和耶神社については 阿南市羽ノ浦町中庄説 と 海部郡美波町日和佐の八幡神社説の二つがあり、現在では確定出来ない。

 以下、代表的な説を紹介 (原文は文語体であったり表現が学術的過ぎるので筆者が分かりやすく書き改めた)しよう。

 『徳島県史』では「羽ノ浦町宮倉の能路寺(のろじ)山西麓にある熊野権現を充てている。この社では、毎年立春の前一日に゛ワヤワヤ神事゛を行っている。これには村民こぞって参拝し、ワヤワヤと三回唱えて鬼払いをした。また、倭名抄に見える和射郷(わさごう)に注目し、和射 (日和佐)辺りでないかとしている。和那佐には和奈佐富意曽(わなさふいそ)神社がある。

 つまり、県史は羽ノ浦説と日和佐説を紹介し地 (郷)名から日和佐説をとっている。

 倭名抄には 那賀郡に山代、大野、島根、坂野、幡羅(はら)、和泉、和射(わさ)、海部の八郷があったと記している。郷名についてはいずれ詳しく紹介したい。

 『徳島県神社誌』では、明治四十三年、羽ノ浦町宮倉及び中庄にあった和耶神社と二十二社を共に八幡神社に合祀し、羽浦神社と改称した。和耶神社はもともと羽ノ浦町宮倉背戸田にあった」としている。

 『阿波式内神社考』 (長谷川定彦 )では、和耶神社は宮倉村能野寺山の西麓にあり今、熊野大明神、一説には熊野権現と称している。三尺四面の小社である。

 毎年正月七日の夕方、能路寺の坊さんと所の山伏が社前で読経し法螺(ほら)を吹いた。この行事を待って家々では豆を打ち追儺(ついな)をしたとある。追儺は鬼やらいといわれ、節分行事である。大豆を煎って「鬼は外、福は内」の豆まき行事である。
 坊さんの読経が終わると、村の老若男女こぞって゛ワヤワヤ゛と三回繰り返して唱えた。そのため゛ワヤワヤ神事゛といわれた。ワヤは和耶神社にかけたものとしている。

 『阿波志』にも「『延喜式内社』である。宮倉村にある。今、熊 (野)権現という、毎歳正月七日村人集まって鬼やらいをし神名を三回唱える」とある。

 『阿府志』にも「宮倉村にあり、今熊野権現と称している。別当は能呂寺である。当社毎年節分の黄昏村人豆を煎って持参し修験 (山伏)に渡す。神前でお参りがすむと、ワヤワヤと大声で三回唱えてわが家へ帰った」とある。

 これらは宮倉説をとっている。

(続く )

広報あなん 5月号〈平成26年(2014年)5月1日〉より抜粋

広報あなん 5月号〈平成26年(2014年)5月1日〉より抜粋
https://www.city.anan.tokushima.jp/docs/2014042400061/file_contents/all.pdf

・羽浦神社(阿南市羽ノ浦町)
〈式内社 論社 和耶神社(宮倉村字背戸田)を合祀〉

・日和佐八幡神社(美波町日和佐浦)

・宮倉神社(阿南市羽ノ浦町西春日野)〈元は隣接地の 羽ノ浦町宮倉にあり〉

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【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

JR牟岐線 羽ノ浦駅から南西に約1.7km 車で約6分程度

現在の鎮座地は 羽ノ浦町西春日野の新興住宅街の東開発公園の傍らに祀られています
しかし「元の所在地に近いこの場所を新たに設け」とあり 数メートル道を隔てた場所は 阿南市羽ノ浦町宮倉鵜ノ首もしくは 阿南市羽ノ浦町宮倉橋ノ本であって 羽ノ浦町宮倉です

延喜式内社 阿波國 那賀郡 和耶神社(わやの かみのやしろ)は 羽ノ浦町宮倉にあったされますので この宮倉神社が 式内論社との説があります

正面の山は 昔日の土佐街道 阿千田越えにあたり 往古は人の往来があった所です 現在この左手には 西春日野住宅団地があり 宮倉神社が鎮座しています 式内社があっても不思議ではない場所ではあります

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宮倉神社阿南市羽ノ浦町西春日野に参着

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拝殿にすすみます

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『阿波志(awashi)』〈文化12年(1815)全12巻〉に記される伝承

式内社 和耶神社について 所在は゛在宮倉村 林木欝然 今稱に今熊権現゛〈現 明治43年 羽浦神社合祀された 元〈和耶神社(宮倉村字背戸田)の相殿 今熊野神社〉と記しています

【抜粋意訳】

阿波志 巻之十一 那賀郡 祠廟 和耶

延喜式爲小祀 在宮倉村 林木欝然 今稱に今熊権現 每歳孟春七日 民聚為儺名三唱神名 赤堀良亮嘗取以為證 舊事紀云 饒速日尊十世之孫 孫淡夜別尊 大海部直等祖 弟彦命之子

【原文参照】

藤原憲『阿波志』[11],写. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2595903

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 和耶神社について 所在は゛祭神 在所等詳ならず゛祭神 所在は不明であると記しています

式内社 和奈佐意富神社と同じ所にあるのではないかと推測しています

【抜粋意訳】

和耶神社

和耶は假字也、和名鈔〔郷部〕

〇祭神 在所等詳ならず

〇播磨國風土記云、美囊郡 志深里の下伊射報和氣命〈履中天皇〉が この井戸で御食(みをし)をされた時 信深貝(しじみがい)が 御食の筥(はこ)の縁(ふち)に遊び上がった時に  勅して云う「この貝は 阿波国の和那散(わなさ)で 我が食した貝である」、下略

 伴信友云、秘釋和那とある誤也、此下 和奈佐神社とあるも同じ處ならば、和射もワナサなるべし、然らばこの和邪もワナサなるべし、和那邪の三字なるか、一字脱たるにやといへり

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 和耶神社について 所在は゛今 宮倉村にあり、今 熊野権現といふ、゛〈現 明治43年 羽浦神社合祀された 元〈和耶神社(宮倉村字背戸田)の相殿 今熊野神社〉と記しています

【抜粋意訳】

和耶神社

今 宮倉村にあり、今熊野権現といふ、
凡 毎年正月七日 村民豆を擲て追儺す、名て和也々々の神事といふ、〔阿波式社略考〕

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第1巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815490

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 和耶神社について 所在は゛宮倉村 (那賀郡羽ノ浦村大字宮倉)

今熊野權現と云ふ゛〈現 明治43年 羽浦神社合祀された 元〈和耶神社(宮倉村字背戸田)の相殿 今熊野神社〉と記しています

又 節分の日村民相集まり 各自「わや わや わや」と三唱しての豆をまき その神事を゛わやわやの神事と云゛とあり これは和耶(ワヤ)神社に違いないと記しています

【抜粋意訳】

和耶(ワヤ)神社

祭神
 今按 阿波志に舊事記を引て淡夜別命 大海部直等祖とあり 又 三代實錄元慶二年二月十九日 從五位下 山脊忌寸大海全子 以奉幣 氏神向 阿波國云々と見え 此郡 中山代郷の所在も此あたりなれば 卽本社祭神 此命なるべしと國人は云へり

祭日
社格 (無格社)

所在 宮倉村 (那賀郡羽ノ浦村大字宮倉)

 今按 阿府志 阿波志 式社略考に宮倉村にあり 俗 今熊野權現と云ふ 是社 例年節分に邑人豆を持て家々誘引し 和耶々々に行よし云て 此社に打群れ往き 事終れば 諸人同音に三度わあと云て 各家歸る 之をわやわやの神事と云とみゆ されば此祭事あるによりて 和耶神社の當地なる事明かなり

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

宮倉神社阿南市羽ノ浦町西春日野 (hai)」(90度のお辞儀)

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