小野神社(おのじんじゃ)は 伝承によれば 小野氏の先祖神で祭神 天足彦国押人命の子孫が縁あって当地に来住し 城山を本拠に発展し 一族の守護神 また土地の産土神として祀ったものと云う 延喜式内社 南海道 土佐國 長岡郡 小野神社(をのの かみのやしろ)です

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目次
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
小野神社(Ono shrine)
【通称名(Common name)】
・豊岡様(とよかさま)
・岡豊大明神(おこうだいみょうじん)
【鎮座地 (Location) 】
高知県南国市岡豊町小蓮1189
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
〈『日本書紀』での神名〉
《主》天足彦國押人命(あめのたらしひこくにおしひとのみこと)
〈和珥臣(和珥氏)の祖・小野臣の祖〉
〈『古事記』での神名は〉
《主》天押帶日子命(あめのおしたらしひこのみこと)
〈第5代 孝昭天皇の皇子 ・春日臣・大宅臣・粟田臣・小野臣・柿本臣・壱比韋臣・大坂臣・阿那臣(吉備穴国造)・多紀臣・羽栗臣・知多臣・牟邪臣(武社国造)・都怒山臣・伊勢飯高君(飯高県造)・壱師君(壱師県造)・近淡海国造ら諸氏族の祖〉
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
『高知県誌』に記される内容
【抜粋意訳】
長岡郡 岡豐村 史蹟名勝
小野神社
小野字宮の前に鎭座、社格郷社、祭神は小野氏の祖 天足彦押人命、神體木像、
昔は社領八反を有してゐたと云ふ。
境内に若宮、佐波爲両神社がある。
【原文参照】

高知県誌刊行会 編『高知県誌』,高知県誌刊行会,昭和8. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1241880
【由 緒 (History)】
勧請年月や由来など不明だが、小野村の産土神として信仰された。
ところで当社鎮座の場所は中世 小野城のあったところで、長宗我部元親の二男親和が讃岐の香川家をついだが、香川家の衰退により帰国し、元親から小野の古城を与えられ小野村に住んだといふ。
『南路志』に小野神社について「豊岡大明神麻小野古城山」と記されたのもそのためである。小野神社と豊岡大明神を合祀したため混乱がおこったことについては前記したが、時期は不明だが小野神社と並列して建てられた豊岡大明神(豊岡神社)が有名になったため、小野神社といへば豊岡大明神のことと思うようになり、中には両社を同一の神社と考える者もあらわれたようである。
『南路志』には小野神社を「若宮本社脇」と記し、脇宮・若宮としてあつかっている。
ところで小野神社の神体について『皆山集』に「式社記云、此社、小野村古城址豊岡社東側に小社あり。是なり。束帯せる男体の木像を以て神体とす。今其神像豊岡社に蔵む。古、何時 豊岡社に合するを知らす。」と記されてあり、神体すら豊岡神社におさめられては混乱するのもうなづけるのである。式内社の小社で、明治五年社格制定にあたり村社となった。
『長宗我部地検帳』によれば、長宗我部氏の有力家臣小野民部承は一反三三代の土居屋敷に住み、約二五町の給地をもっているが、小野氏は中世において伝統的に小野村での豪族としての地位を保っていたのであらう。
小野神社のある南には山麓に善楽寺があったが、検地の段階では阿弥陀堂が残っている。豊岡大明神は社領八反四十八代四歩があったが、長宗我部時代に取り上げられたと伝えられている(高知県神社明細帳)。
山内藩政時代は御山方の支配をうけ、棟札に寛文四年(一六六四)三月、元緑十五年(一七○二)九月、元文三年(一七三八)十一月のものがあり、修造されたが豊岡大明神と記されている。『式内社調査報告』より抜粋
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【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
・小野神社 本殿

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・小野神社 拝殿・〈本殿の両脇 境内社〉若宮神社・佐婆為神社

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・三の鳥居

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・参道石段・〈参道に祀られる境内社〉祠一宇

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・二の鳥居

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・社頭・一の鳥居

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・【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
・〈合祀されている〉豊岡大明神について
豊岡大明神の社が小野神社と並立して建てられていた伝わります
すると 小野神社と並列して建てられた豊岡大明神(豊岡神社)が有名になったため 小野神社といへば豊岡大明神のことと思うようになり 中には両社を同一の神社と考える者もあらわれたようで ついに小野神社の神体すら豊岡神社におさめられては混乱を極め 式内社の豊岡上天神社(南国市岡豊町常通寺島鎮座)との間に争いまで生じたとあります
延喜式内社 土佐國 長岡郡 豊岡上天神社(とよをかのかみあまつかみのやしろ)について
・豊岡上天神社(南国市岡豊町常通寺島)の記事を参照
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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています
〇『六国史(りっこくし)』
奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称
〇『延喜式(えんぎしき)』
平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)
〇『風土記(ふどき)』
『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉
現存するものは全て写本
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)南海道 163座…大29(うち預月次新嘗10・さらにこのうち預相嘗4)・小134[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)土佐國 21座(大1座・小20座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)長岡郡 5座(並小)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ]小野神社
[ふ り が な ](をのの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Wono no kaminoyashiro)
【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
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【オタッキーポイント】(This is the point that Otaku conveys.)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
小野ノ神の名を冠する 各地の『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載の関連神社について
延喜式内社 山城國 愛宕郡 小野神社二座(鍬靫)(をのの かみのやしろ ふたくら)
・小野神社(京都市左京区上高野西明寺山)〈崇道神社 境内社〉
・御蔭神社(京都市左京区上高野東山)
・由岐神社(京都市左京区鞍馬本町)
延喜式内社 相模國 愛甲郡 小野神社(をのの かみのやしろ)
・小野神社〈閑香明神社〉(厚木市小野)
・秋葉社〈小野神社古社地〉(厚木市小野)
延喜式内社 武蔵國 多磨郡 小野神社(をの かみのやしろ)
・小野神社(府中市)
・小野神社(多摩市)
延喜式内社 近江國 滋賀郡 小野神社二座(名神大)(をのの かみのやしろ ふたくら)の論社
・天皇神社(大津市和邇中)
・小野神社(大津市小野)
・小野道風神社(大津市小野)
延喜式内社 近江國 高嶋郡 小野神社(をのの かみのやしろ)
・小野神社〈海津天神社の境内〉(高島市マキノ町海津)
・市杵島神社(高島市朽木大野)
〈境内の三つの式内社・小野神社・大野神社・大川神社〉
延喜式内社 但馬國 出石郡 小野神社(をの かみのやしろ)
・小野神社(豊岡市出石町口小野字砂入)
延喜式内社 石見國 美濃郡 小野天大神之多初阿豆委居命神社(貞)(をのの あめおほみみわのたそあつわけのみことの かみのやしろ)
・小野神社(益田市戸田町)
延喜式内社 土佐國 長岡郡 小野神社(をのの かみのやしろ)
・小野神社(南国市岡豊町小蓮)
【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
JR土讃線 土佐一宮駅からR195号・県道249号を経由して北東方面へ約5.3km 車で13分程度
中世に小野城が築かれていたと伝わる 小野神社が鎮座する独立丘陵 その東南の麓に社頭はあります
小野神社(南国市岡豊町小蓮)に参着

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一礼をして鳥居をくぐり抜けて 丘陵へ上る 参道の石段を上がります

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途中に踊り場のような場所があり 二の鳥居が南を向いて建てられています

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二の鳥居をくぐると 社殿から木立の中を 南方向へと一直線に伸びた石段があり 上の方に 三の鳥居が建ちます

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拝殿にすすみます

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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社殿の両脇には 境内社が祀られています
資料によれば・若宮神社・佐婆為神社の両社となっており 左右どちらがどちらかはわかりません

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社殿に一礼をして 南へ向かう石段を下ります

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二の鳥居を過ぎると 参道は東南方向の社頭へと折れて 緩やかな石段が続いています

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【神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 小野神社について 所在は゛小野村に在す、今 豊岡明神と称す、゛〈現 小野神社(南国市岡豊町小蓮)〉と記しています
【抜粋意訳】
小野神社
小野は乎乃と訓べし
〇祭神 詳ならず
〇小野村に在す、〔式社考、神社記、〕今 豊岡明神と称す、
類社
山城國 愛宕郡 小野神社の條見合すべし
【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 小野神社について 所在は゛今 小野村に在り、小野豊岡大明神と云ふ、゛〈現 小野神社(南国市岡豊町小蓮)〉と記しています
本社は 祭神 天足彦國押人命の母方 葛木直に関わって祀られたものであろうと推測しています
【抜粋意訳】
小野(ヲヌノ)神社
今 小野村に在り、小野豊岡大明神と云ふ、〔土佐國式社考、神名帳考証、神名帳打聞、〕
盖 小野臣の祖 天足彦國押人命を祭る、〔参酌新撰姓氏録、舊事本紀、古事記大意、〕
此は孝昭天皇 天忍男命の女 世襲足姫命に娶て生坐る皇子也、〔古事記、舊事本紀、〕
〔〇按 彦國押人命の御母 尾張連の母は、葛木直祖 劔根命の女なれば、劔根命は皇子の外曾祖父にあたれり、さて本國に天忍穂別神社、葛木男神社、葛木咩神社などあるを以て思ふに、本社は盖 其母家の由縁に依りて祭る所也、〕凡 八月九日祭を行ふ、〔明細帳〕
【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第18−21巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815498
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 小野神社について 所在は゛小野村(長岡郡岡豐村大字小蓮)゛〈現 小野神社(南国市岡豊町小蓮)〉と記しています
【抜粋意訳】
小野神社
祭神 足彦國押人命
祭日 八月九日
社格 村社所在 小野村(長岡郡岡豐村大字小蓮)
【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019
小野神社(南国市岡豊町小蓮)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)

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