種貸社(たねかししゃ)は 「はったつさん」と呼ばれる゛初辰まいり゛の一社です 元々は多禰加志宮(たねかしのみや)と呼ばれて 住吉大社から東へ2キロ離れた場所にありましたが 16世紀に火災に遭い 現在地に移されたと伝わります 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載 摂津国 住吉郡 多米神社(貞)(ための かみのやしろ)の論社です
目次
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
種貸社(Tanekashi-sha)
〈Shrine located on the grounds of Sumiyoshi Taisha Shrine〉
【通称名(Common name)】
【鎮座地 (Location) 】
大阪府大阪市住吉区住吉2-9-89〈住吉大社 境内〉
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》倉稲魂命(うがのみたまのみこと)
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
・元種守護・子宝・知恵
・一粒万倍・資本金調達
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
種貸社(たねかし しゃ)
祭神:倉稲魂命(うがのみたまのみこと)
元種を授ける神様
資金調達・子宝・知恵を授ける神として信仰されます。古く『延喜式』の神名帳に「多米神社」と記載され、歴史のある古社です。元は稲種を授かって豊穣を祈る信仰であったものが、時代とともに商売の元手、元本、また子宝祈願の信仰に発展しました。住吉大社の「初辰まいり」では1番目にお参りする神社です。
初辰まいりでは「願いの種」を授かります。また、ご祈祷した「お種銭(おたねせん)」を授かり、これを商売などの元手に加えて、資本充実の祈願をします。子宝祈願で奉納された「種貸人形(たねかしにんぎょう)」が並んでいます。
例年3月17日の祈年祭(住吉大社の大祭)に先立ち、種貸社では五穀の種をお祓いして農業関係者にお分かちする「神種頒賜祭(かんざねはんしさい)」という神事が行われています。
住吉大社HPより
http://www.sumiyoshitaisha.net/kankou_jp/tanekashisha.html
【由 緒 (History)】
Shrine One: Tanekashi-sha
Tanekashi-sha is the first stop on the Hattatsu Mairi. It is the oldest of the four subsidiary shrines. During the early Heian period (794–1185), it was recorded on a list of shrines that received financial support from the emperor’s court. It was originally located 2 kilometers away from Sumiyoshi Taisha but was moved after a fire in the sixteenth century.
This shrine is devoted to Uka no Mitama no Mikoto, believed to be one of the many manifestations of Inari, a major Shinto deity associated with grain, agriculture, and business. Uka no Mitama no Mikoto is specifically associated with grain, and the shrine’s strong connection with sowing and fertility—tane means “seed”—has made it popular with people starting businesses or hoping to conceive children. As part of the Hattatsu Mairi, a visit to Tanekashi-sha represents the investment and effort needed in the early stages of setting up a successful business.
Tanekashi-sha offers small clay figurines depicting a mother cradling a child, which serve as charms for conception and childbearing. Visitors performing the Minori Mairi can also acquire a single rice seed at the shrine. Tanekashi-sha is open to Hattatsu Mairi practitioners from 6:00 a.m. to 3:30 p.m. on “dragon days.” The minimum offering for the rite is 1,100 yen.
種貸社
種貸社は、初辰まいりの最初の場所にあり、4つの神社の中で最も古い神社である。平安時代(794-1185)初期には、朝廷から資金援助を受けた神社のリストに記録されている。元々は住吉大社から2キロ離れた場所にあったが、16世紀に火災に遭い、移されたという。
この神社には、稲作、農業、商売に関係する神道の主要な神である稲荷の様々な姿の一つであると信じられている倉稲魂命(うかのみたまのみこと)が祀られている。倉稲魂命は特に穀物に関連しており、「種」と言う意味からも種まきや豊穣との強い結びつきがあることから、事業を始める人や子宝を願う人に人気がある。種貸社への参拝は、「初辰まいり」の一環として、事業を成功させるために必要な初期の投資や努力を意味している。
種貸社では、受胎や出産のお守りとして、子供を抱く母親の姿を描いた小さな土偶を販売している。みのり参りを行う参拝者は一粒の籾種を手に入れることができる。種貸社は、初辰まいりの参拝者を対象に「辰の日」の午前6時から午後3時30分まで開いている。お布施は1,100円からとなっている。
【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
詳しくは 住吉大社の記事をご覧ください
・住吉大社(大阪市住吉区)摂津国一之宮
詳しくは 住吉大社の摂社末社の記事をご覧ください
住吉大社(すみよしたいしゃ)の・境内・境外・摂社・末社と要所について 続きを見る
住吉大社(大阪市住吉区住吉)・境内外・摂社・末社について
【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
・〈旧鎮座地〉多米神社之址(大阪市住吉区長居)
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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載
(Engishiki Jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)畿内 658座…大(預月次新嘗)231(うち預相嘗71)・小427
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)摂津国 75座(大26座(並月次新嘗・就中15座相嘗祭)・小49座(並官幣))
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)住吉郡 22座(大10座・小12座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 多米神社(貞)
[ふ り が な ](ための かみのやしろ)
[Old Shrine name](Tame no kamino yashiro)
【原文参照】
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【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
式内社 摂津国 住吉郡 多米神社(貞)(ための かみのやしろ)の論社について
・〈旧鎮座地〉多米神社之址(大阪市住吉区長居)
・〈遷座先〉種貸社〈住吉大社境内 末社〉(大阪市住吉区)
・〈合祀先〉神須牟地神社(大阪市住吉区長居西)
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一寸法師(いっすんぼうし)発祥の地 住吉大社境内の種貸社(たねかししゃ)
住吉大社の境内にある 種貸社(たねかししゃ)は 有名な昔話 ”一寸法師” の発祥の地とされています
室町時代後期から江戸時代初期にかけて成立したといわれている物語集『御伽草子』に出てくるで有名な]昔話『一寸法師』は住吉様の申し子だったとされています
『御伽草子』の挿絵には 住吉大社の社頭〈反橋〉に お椀に乗っている一寸法師が描かれています
昔話『一寸法師』のでだしは「あるところに老夫婦がいました。子どものない夫婦は子どもを恵んで下さるよう、住吉神社の総本宮である住吉大社に願いをかけ、背丈が一寸(3センチメートル)程の子どもを授かります。子どもは「一寸法師」と名付けられ、背が伸びることはありませんでしたがたいそう可愛がられすくすくと育ちます」
その後 鬼退治を成し遂げて 鬼が残した「打ち出の小槌」で 一寸法師の背はぐんぐん伸びて立派な若者に変身し お姫様と結婚 老夫婦も京へと呼び寄せ 打ち出の小槌を使って金銀財宝を打ち出し 末代までも栄えたという話
一寸法師発祥の地(いっすんぼうし はっしょうのち) 住吉大社(すみよしたいしゃ)
昔話(むかしばなし)で有名(ゆうめい)な一寸法師(いっすんぼうし)は、室町時代(むろまちじだい)から江戸時代(えどじだい)にかけて成立(せいりつ)したとされる物語集(ものがたりしゅう)の『御伽草子(おとぎぞうし)』に出てくるお話で、その冒頭(ぼうとう)では住吉大明神(すみよしだいみょうじん)にお祈(いの)りし、そのお陰(かげ)で子供(こども)を授(さず)かるところから始(はじ)まります。
この背景(はいけい)には、住吉大神(すみよしのおおかみ)の御加護(ごかご)を得(え)て、無事(ぶじ)に応神天皇(おうじんてんのう)をご出産(しゅっさん)になられた神功皇后様(じんぐうこうごうさま)(第四本宮(だいよんほんぐう)御祭神(ごさいじん))や、薩摩藩主(さつまはんしゅ)島津氏(しまづし)の祖(そ)となった島津忠久公(しまづただひさこう)が生(う)まれた誕生石(たんじょうせき)などの安産(あんざん)や子宝(こだから)に関(かん)する説話(せつわ)が広(ひろ)く知(し)れ渡(わた)っていたことが伺(うかが)え、現在(げんざい)でも、ここ住吉大社境内(すみよしたいしゃけいだい)の種貸社(たねかししゃ)は、神種(かんだね)を授(さず)ける神様(かみさま)として、各種(かくしゅ)農業の種(のうぎょうのたね)、子授(こさず)けや商売(しょうばい)の元手(もとで)となる資本金(しほんきん)、良(よ)い知恵(ちえ)を授(さず)けて下(くだ)さる神様(かみさま)として篤(あつ)く信仰(しんこう)されております。
子宝(こだから)資本(しほん)知恵(ちえ)
元種の神(もとだねのかみ) 住吉種貸社(すみよしたねかししゃ)
住吉(すみよし)の御誓(おんちかい)に、末繁盛(すえはんじょう)に栄(さか)え給(たま)ふ、世(よ)のめでたきためし、これに過(す)ぎたることはよもあらじとぞ申(もう)し侍(はべ)りける。
(「御伽草子(おとぎぞうし)」)
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【神社にお詣り】(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
種貸社は 元々は住吉大社から2キロ離れた場所〈〈旧鎮座地〉多米神社之址(大阪市住吉区長居)〉にあったが 16世紀に火災に遭い 移されたという
現在は 住吉大社の境内 北側に鎮座します
住吉大社境内の北駐車場に面して 南向きに社殿 境内があり 鳥居が建ちます
種貸社〈住吉大社境内末社〉(大阪市住吉区)に参着
鳥居の扁額には 種貸社 と記されています
一礼をして 鳥居をくぐります
すぐ左手に手水舎があり 手水鉢へと 一寸法師の浮かぶ水出し口から 清めの水が注がれています 清めます
石灯篭の間を石畳の参道があり 参道の正中には 子授かりor商売繁盛のお百度参りの為だろうか 大きな百度石が置かれています
拝殿にすすみます
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
社殿の向かって右側には 境内社 児安社(兒安社) 海士子社が祀られています
住吉大社には「はったつさん」と呼ばれる゛初辰まいり゛〈商売や家庭の発達繁栄を祈るお参り〉があり ここ種貸社、楠珺社、浅澤社、大歳社の四社をそれぞれにお参りするのが慣わしとなっています
詳しくは 住吉大社の摂社末社の記事をご覧ください
住吉大社(すみよしたいしゃ)の・境内・境外・摂社・末社と要所について 続きを見る
住吉大社(大阪市住吉区住吉)・境内外・摂社・末社について
【神社の伝承】(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 多米神社の鎮座地と名称について 寺岡村西苗見社「多禰加志宮(たねかしのみや)」【現〈旧鎮座地〉多米神社之址(大阪市住吉区長居)】と称していたが 廃絶したと記されています
【抜粋意訳】
多米神社
多米は假字也
〇祭神 多米連租神歟
〇寺岡村西苗見社に在す、多禰加志宮と称す、今廃亡せり、(摂津志)
○姓氏録、(摂津国神別)多女連、神魂命五也孫天比和志命之後也、」
同、(右京神別上)多女宿禰、神御魂命五世孫天日鷲命之後也、成務天皇御世、仕奉大炊寮御飯香美特賜嘉名、」
同、(左京神別中)多米連、多米宿禰同祖、神魂命五世孫天日和志命之後也、成務天皇御世、仕奉炊職賜多米連也、
考証に、姓氏録、(摂津國神別)多米連、神魂命児天石都倭居命之後也、とある方をのみ引用ひて、所祭石都倭居命としたるは杜撰なるべし、其証いまだ考へ得ず、
氏人
続日本紀、延暦七年六月辛丑、外正八位上多米連福雄授外從五位下、以貢献也、
【原文参照】
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 多米神社の鎮座地と名称について 寺岡村 苗見社【現〈旧鎮座地〉多米神社之址(大阪市住吉区長居)】と記しています
【抜粋意訳】
多米(タメノ)神社
今 寺岡村にあり、苗見社といふ、摂津志、式社考証 盖 多米連祖神を祭る、新撰姓氏録
〇按 式社考証云、神殿内に三座あり、中は多米連の祖、左右は稚魂神 保食神也と云る、亦證とすへし、
【原文参照】
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 多米神社の鎮座地について 寺岡村【現〈旧鎮座地〉多米神社之址(大阪市住吉区長居)】から 村社 神須牟地神社【現〈合祀先〉神須牟地神社(大阪市住吉区長居西)】に合祀と 記しています
【抜粋意訳】
多米(タメノ)神社
祭神 多米連祖神
今按 新撰姓氏録 摂津神別 多米連神魂命五世孫 天比和志命之後也
また 多米連神魂命兒、天石部倭居命之後也とみえ
又 多米宿禰の條に成務天皇御世 大炊寮御飯を作りて香美なりし故に 多米連を玉ふことみえ
明細帳に二月卯月 十月辰日 住吉社より米を土器にもり 社地に埋むる由記せるは 多米連の氏人 昔 住吉社の神饌に預りしことの古例などありて さる儀式もあるにや 是等を合せ考るに多米氏祖神を祭れるなるべし祭日 九月十六日
社格
所在 寺岡村(東成郡長居村大字寺岡)(同村 村社神須牟地神社へ合併)
【原文参照】
種貸社〈住吉大社境内末社〉(大阪市住吉区)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
住吉大社の記事をご覧ください
・住吉大社(大阪市住吉区)摂津国一之宮
住吉大社の摂社末社の記事をご覧ください
住吉大社(すみよしたいしゃ)の・境内・境外・摂社・末社と要所について 続きを見る
住吉大社(大阪市住吉区住吉)・境内外・摂社・末社について