国吉神社(くによしじんじゃ)は 今から1500年前の昔 この地を治めていた伊甚国造(いじみのくにのみやつこ)が 春日皇后に屯倉(御料地)を献上し 勅使を迎える為の仮屋を設けた跡地に 伊甚国造の祖である天穂日命(出雲国造の祖)と建比良鳥命が仕えた大国主命の御子神である健御名方命をまつり鎮守神としたものです
目次
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
國吉神社(Kuniyoshi shrine)
[通称名(Common name)]
【鎮座地 (Location) 】
〒298-0023 千葉県いすみ市苅谷630
[地 図 (Google Map)]
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》建御名方命(たけみなかたのみこと)
《合》27柱
天御中主命,伊邪那岐命,伊邪那美命,健速須佐之男命,木之花咲耶比売命
石凝姥命,素佐男命,日本武命,月夜見命,大山咋命
大山祇命,誉田別命,神皇産霊命,高皇産霊命,天底立命
宇麻志阿斯訶備比古遅神,水波能売命,宇気母智命,伊豆母姫命
天之狭土神,天之狭霧神,天之闇戸神,大戸惑子神
国之狭土神,国之狭霧神,国之闇戸神,大戸惑女神
【御神格 (God's great power)】(ご利益)
・厄除・八方除・交通安全・家内安全の神
【格 式 (Rules of dignity) 】
伊甚国造ゆかりの宮
【創 建 (Beginning of history)】
伊甚国造ゆかりの宮
國吉神社(くによしじんじゃ)
二十八柱の神々をまつる神社
御祭神 建御名方命(たけみなかたのみこと)他二十七柱
御由緒
國吉神社の鎮まる苅谷幸野の地は、今から約千五百年前の昔、この地を治めていた伊甚国造が春日皇后に屯倉(御料地)を献上し、勅使を迎える為の仮屋が設けられた地である。
後にこの仮屋跡に伊甚国造の祖である天穂日命(出雲国造の祖)と建比良鳥命が仕えた大国主命の御子神である健御名方命をまつり鎮守神とした。
明治時代には周辺の神社が合祀され國吉神社と称した。御祭神は二十八柱の神々がまつられており、御神徳は家内安全、交通安全、厄除、八方除など多岐にわたる。
朱印帳の但し書きより
【由 緒 (History)】
国吉神社
国吉神社 御祭神 建御名方命(たけみなかたのみこと)他二十七柱
境内社 出雲大社(上総教会) 大国主命(おおくにぬしのみこと)
御由緒
千葉県中央部がまだ上総国となる千五百年昔までこの地域はいくつもの小国に分かれており、長生郡夷隅地域を伊甚国造(いじみのくにのみやつこ)が治めていた。
その国造の祖である天穂日命(あめのほひのみこと)(出雲國造の祖)と建比良鳥命(たけひらとりのみこと)が仕えた大国主命の御子神である建御名方命がまつられ諏訪神社と称しされていた。
後に各地の神々が合祀され当時の町名から国吉神社と称し、厄除・八方除・交通安全・家内安全の神社として崇敬されている。
隣には諏訪神社の親神にあたる島根県の出雲大社から分祀された出雲大社上総教会が鎮座し、縁結び・福徳の神として崇敬されている境内の案内より
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【境内社 (Other deities within the precincts)】
・出雲大社(上総教会)《主》大国主命(おおくにぬしのみこと)
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【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
伊甚国造(いじみのくにのみやつこ いじみこくぞう)について
伊甚国造(いじみのくにのみやつこ)は 律令国(りつりょうこく)の上総国埴生郡〈現 千葉県茂原市・長生郡長南町・睦沢町の一部〉を支配した国造です
『先代旧事本紀』「国造本紀」・『日本書紀』は「伊甚(いじみ)国造」
『古事記』は「伊自牟(いじむ)国造」
『先代旧事本紀』「国造本紀」では 第13代 成務天皇の御代(131~181)に安房(阿波)国造の祖・伊許保止命(いこほとのみこと)の孫 伊己侶止直(いころとのあたい)を国造に定めたとされます
『延喜式神名帳927 AD.』所載の出雲国 出雲郡 伊甚神社と関係があります
伊甚氏(いじむうじ)〈姓は直(あたい)〉は 『古事記』などでは 出雲臣の同族とされています
・伊甚神社(松江市宍道町伊志見)
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神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
いすみ鉄道「風そよぐ谷国吉駅」から西へ徒歩10分程度
夷隅川が湾曲する台地の中に鎮座します 社頭には社号標「國吉神社」と刻まれ 朱色の両部鳥居が建ちます
國吉神社(いすみ市苅谷)に参着
参道の右手には 金比羅社 出雲大社上総教会 出雲日御碕神社 が鎮座します
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
國吉神社の参道に戻り 二の鳥居をくぐります
瓦屋根の拝殿の扁額には「御大典記念 國吉神社」と記されています
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
拝殿の奥には やはり瓦屋根の本殿が鎮座します
社殿に一礼をして 参道を戻ります
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神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『日本書紀(Nihon Shoki)〈養老4年(720)編纂〉』に記される伝承
第27代 安閑天皇元年(534年)4月1日条に 伊甚国造・伊甚直稚子(いじみのわくご)について記しています
伊甚直稚子は 内膳卿膳臣大麻呂に珠(真珠)を求められたが 京に詣でるのが遅れ 期日までに珠(真珠)を献上できなかった このため膳臣大麻呂に捕らえられ尋問され 恐れて春日皇后の寝所に逃げ込んだが 皇后を驚かし気絶させてしまい みだりに後宮に入った闌入罪も加わり罪科は重大であった 稚子らは贖罪を請い 春日皇后に伊甚屯倉(いじみのみやけ)を献上したと記されています
【意訳】
第十八巻 廣国押武金日天皇(ヒロクニオシタケカナヒノスメラミコト)
第27代 安閑天皇 元年夏四月朔日 の条
内膳卿膳臣大麻呂(カシワデノツカサノキミカシワデノオミオオマロ)は 勅(ミコトノリ)を承り 使者を遣わし 珠(タマ)〈真珠〉を伊甚(イジミ)で探し求めさせました
伊甚国造(イジミノクニノミヤツコ)らは 京(ミヤコ)〈大和〉に出てくるのが遅く 長らく珠(タマ)を奉ることがなかった膳臣大麻呂は おおいに怒り 国造たちを捕らえて縛って ことの次第を問い責めました 国造稚子直(クニノミヤツコ ワクゴノアタイ)たちは 恐れかしこまり 後宮(キサキノミヤ)の内寝(オオトノ)に逃げ隠れた 春日皇后(カスガノキサキ)は 知らぬものが入ったので驚き あわてて倒れてしまいました 恥ずかしい思いは止まりませんでした
稚子直(ワクゴノアタイ)たちは 闌入罪(ミダレガワシクマイレルツミ)を加えて 科(トガ)は重くなりました
慎み 皇后のために伊甚屯倉(イジミノミヤケ)を献上して 闌入之罪(ミダレガワシクマイレルツミ)をあがなおうと請願しました
それで伊甚屯倉(クニノミヤツコ ワクゴノアタイ)が定められた
今は これを分けて郡〈コオリ〉として 上総国(カミツフサノクニ)に属しています
【原文参照】
國吉神社(いすみ市苅谷)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)