八幡神社(下田市吉佐美)

八幡神社(はちまんじんじゃ)は『平家物語』の鵺(ぬえ)退治の説話でも有名な源 頼政公〈1104~1180〉が知行国の伊豆国に石清水八幡宮を勧請して 地名を朝日里から吉佐美に改めたのが当社 合わせて配祀の若宮〈八幡若宮ではなく 三島神の若宮〉をこの地に遷座と伝わります 3つの式内社の論社で 本殿・相殿・右殿にそれぞれ① 加彌命神社〈本殿〉➁ 竹麻神社 三座〈相殿 三島神社〉➂ 多祁美加々命神社〈右殿 若宮〉が祀られています

目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

八幡神社(Hachiman Shrine)
(はちまんじんじゃ)

 [通称名(Common name)]

【鎮座地 (Location) 

静岡県下田市吉佐美1722ー1

 [  (Google Map)]

 

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》誉田別命(Homutawake no mikoto)

【御神格 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity)

『延喜式神名帳Engishiki jimmeicho)所載社

【創  (Beginning of history)】

創建年代不詳

【由  (History)】

『平家物語』鵺(ぬえ)と呼ばれる怪物退治の説話でも有名な源 頼政〈1104~1180〉
知行国であった伊豆の国に石清水八幡宮を勧請して 地名を朝日里から吉佐美改めたのが当社 合わせて配祀の若宮〈八幡若宮ではなく 三島神の若宮〉をこの地に遷座されたのだと伝わります

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【境内社 (Other deities within the precincts)】

神社

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【境外社 (Related shrines outside the precincts)】

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
(Engishiki JimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

八幡神社(下田市吉佐美)は 3つの式内社の論社で 本殿・相殿・右殿にそれぞれ祀られています
加彌命神社本殿
竹麻神社 三座相殿 三島神社〉
多祁美加々命神社右殿 若宮〉

加彌命神社本殿

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊豆国 92座(大5座・小87座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)賀茂郡 46座(大4座・小44座)
[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 加彌命神社
[ふ り が な ]かみのみことの かみのやしろ
[Old Shrine name]Kamino mikoto no kamino yashiro)

https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
【原文参照】
国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫

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竹麻神社 三座相殿 三島神社〉

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊豆国 92座(大5座・小87座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)賀茂郡 46座(大4座・小44座)
[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 竹麻神社 三座
[ふ り が な ]たかま かみのやしろ みくら
[Old Shrine name]Takama no kamino yashiro Mikura

https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
【原文参照】
国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫

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多祁美加々命神社右殿 若宮〉

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊豆国 92座(大5座・小87座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)賀茂郡 46座(大4座・小44座)
[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 多祁美加々命神社
[ふ り が な ]たけみかかのみことの かみのやしろ
[Old Shrine name]Takemikakano mikoto no kamino yashiro)

https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
【原文参照】
国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫

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【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
3つの式内社の論社について
加彌命神社
竹麻神社 三座
多祁美加々命神社

加彌命神社の論社

・【当初】カミイノ宮 旧鎮座地(三宅島 神着 首山)
     ※原生林の奥の為 未参拝です

・【次に】二宮神社【旧地】山ノ神(三宅島 神着 東郷)

・【合祀】カミイノ宮 御笏神社の本殿に合祀

・【論社】二宮神社(三宅島 坪田)(合祀先)

・八幡神社(下田市吉佐美)

竹麻神社 三座の論社

・月間神社(南伊豆町手石)

・八幡神社(下田市吉佐美)〈合祀 三島神社〉

・若宮神社(南伊豆町湊)

・竹麻神社(下田市高馬)

・本郷富士浅間神社(下田市)

・三島神社(南伊豆町青市)

・三島神社〈柿崎神社〉(下田市柿崎)〈合祀 武峰神社〉

多祁美加々命神社の論社

・大三王子神社(新島村大三山)

・八幡神社(下田市吉佐美)〈境内 若宮〉

・八幡神社(下田市河内)

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神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

伊豆急下田駅から R136号を南西に4.5km 車11分程度
下田市立 朝日小学校の辺りから田牛へ向かう道入り 大賀茂川に沿って下ると曲がり角に直ぐに鎮座しています

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白木の両部鳥居の扁額には「八幡宮」とあります
八幡神社(Hachiman Shrine)に参着

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一礼をして 鳥居をくぐります 

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石畳み参道を進むと 兎に角 巨木に圧倒されます 拝殿の向かって左前には 楠木(クスノキ)と銀杏(イチョウ)の巨木

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拝殿の向かって右横には 国指定の天然記念物のイスノキの巨木

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国指定天然記念物

八幡神社のイスノキ
昭和16228日指定

 伊豆半島以西に自生しているマンサク科の常緑高木です。九州などの暖かい地域ではよく育ちますが、分布の北限にあたるこの辺りでは非常に稀な大木で、虫えい(虫こぶ)ができることが特徴です。虫えいは、モンゼンイスアブラムシなどが葉芽に寄生することによって、まるで木の実のように葉が異常発育するもので、木から落下した虫えいを手に取ると、中は空洞で、アブラムシが出た後の小さな穴が開いています。子どもたちが笛の代わりに吹くとヒョウヒョウと鳴るので、ヒョンノキとも呼ばれています。
 目通り幹囲約3.8m、樹高約17m   平成25年 下田市教育委員会

現地説明板より

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拝殿にすすみます 扁額には「正八幡宮」と銘文字が埋め込まれています

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賽銭をおさめ お祈りをします 
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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拝殿の奥には幣殿 少し離れて本殿の覆い屋があり 覆い屋の中には「本殿・相殿・右殿」が鎮座しています

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境内社の津嶋神社お詣りをします

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参道を戻り 鳥居を抜けて 振り返り一礼をします

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神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『豆州志稿(zushu shiko)』〈江戸時代 寛政12年(1800)編集〉に記される伝承

『平家物語』鵺(ぬえ)と呼ばれる怪物退治の説話でも有名な源頼政公が 知行国であった伊豆の国に石清水八幡宮を勧請して 地名を朝日里から吉佐美改めたのが当社 配祀の若宮は 八幡若宮ではなく 三島神の若宮で ここに遷座して祀られている 源頼政公が信仰した社で和歌も詠んでいると 記しています

【意訳】

三島明神  吉佐美村 清水谷

若宮を配祀す
この社は 源頼政 石清水八幡宮を勧請し地名を改める事は 村里の部に出つ 若宮は旧 多田美川の上 三島の林中にありしを 源三位源頼政〉ここに移すこれ固より 若宮八幡に非ず 三島神に従う若宮なるべし
両神 遷座等の事は 祠中に 頼政の記あり
寛永6年の札に 吉佐美郷 清水谷村 金鼓刻に曰く 奉る吉佐美八幡 源頼政のとこの内に 小鈴と二寸許りの金古を垂れる その舌に前の中宮 菖蒲と鎧す 

又 久壽元年8月 頼政奉納の和歌とて

神代より光をとめて 朝日なる鏡ノ宮にうつる月影
神さひてあはれ 幾世に成ぬらん 浪に馴れたる朝日ノ宮
角てのみ止むべき物かち早振土生ノ社の萬代をみん
さりてとは頼そ掛る木綿襁我は朝日ノ神と思へは

石清水流れ末をうけつきて今は吉佐美ノ神に仕ふる

第二章の下句脱字あり

末社12各々石積みなり 又 祠域の経蔵に大般若経などの残本あり
禰宜 進士氏

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス『豆州志稿』選者:秋山章/校訂者:秋山善政[数量]15冊[書誌事項]写本 弘化04年[旧蔵者]内務省
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000002883&ID=M2018051109165431627&TYPE=&NO=

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式内社 加彌命神社かみのみことの かみのやしろ の伝承について

『神名帳考証土代(Jimmyocho kosho dodai)』〈文化10年(1813年)成稿〉に記される伝承

神社名称のみ記されています

【意訳】

(カミノ)命神社

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『神名帳考証土代』(文化10年(1813年)成稿)選者:伴信友/補訂者:黒川春村 写本 [旧蔵者]元老院
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000039328&ID=M2018051416303534854&TYPE=&NO=画像利用

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『神社覈録(Jinja Kakuroku)』〈明治3年(1870年)〉に記される伝承

所在は 不明だと記しています

【意訳】

加彌命神社

加彌は 仮字なり
〇祭神 明らかなり
〇在所 詳らかならず

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015『神社覈録』①

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)』〈明治9年(1876)完成〉に記される内容

所在は 三宅島の二宮神社記しています

【意訳】

加彌命(カヤノミコトノ)神社

祭神 加彌命
今按〈今考えるに〉
この神も佐岐多麻咩命の生まれ玉へる八王子の内にして 三宅記に二をばカネとみえたれば 三島神の御子神に坐こと著し
式社考證に 今 三宅島神着村の東方20許町 二宮と云うありて加彌命祀れる由云う伝えたるね 第二の御子なる故 二宮と唱え来れるものなるべし 神名の彌は 加彌の誤写ならむも知るべからずと云えるが如く 三宅記と今称とによるに加彌命なるべし

祭日
社格 (村社)

所在 (三宅島坪田村大字小倉山)三宅間神着村

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155『特選神名牒』①

式内社 竹麻神社 三座(たかまの かみのやしろ さんざ) の伝承について

『続日本後紀(Shoku nihon koki)』〈貞観11年(869)完成〉に記される伝承

式内社 竹麻神社 三座創建について 

三島大明神の本后「阿波」は 神津島に鎮座しているが 三宅島に鎮座する後后の「伊古奈比咩命」が 先に叙位を受けたことに嫉妬 怒り狂い 神津島を噴火させたと『続日本後紀』承和七年九月記述があり
伊豆国の報告を受け 大和朝廷は 伊豆半島から対馬〈神津島を遥拝するように創建されたのが竹麻神社三座れています

【意訳】

承和7年(840)9月23日(乙未)

伊豆国(役人が使いを遣わし)申上するには
『(伊豆国)賀茂郡に造作の島がある 本の名を「上津嶋」という この島に鎮座する「阿波神」 は「三嶋大社」の本后である また同様に鎮座する「物忌奈乃命」は 即ち前の社(三嶋大社)の御子神である 云々〈中略〉
「上津嶋」の島全体は 草木が繁茂し 東・南・北方は山や崖が険しく高く 人や船がはいることはできない ただわずかに島の西だけ(船が)停泊することができる浜があ(草木が)焼れ(険しく高かった山崖が)崩された(からで)海に陸地をなす砂浜は およそ二千町ばかり 島の東北の角には新しく造られた神院がある(島の東北には)丘があり(その丘の)高さは五百丈ばかり 周囲は八百丈ほど 丘の形は鉢を伏せたかのようである 云々〈中略〉

さる承和五年七月五日の夜に噴火し 上津嶋の左右の海中を焼く 炎は野火のごとく 十二の童子(分裂した炎)が互いに接してするどく光り 海に入って火をつけ 諸童子(炎)が海を席巻する姿は 地面のように広がり 陸地にいたって地上に進入する姿は水のよう(変幻自在)である
大きな石は 雲にまで達するがごとく持ちあがり 火は辺りを焼きくだく 炎は盛んで天にまで達し その形はおぼろげで定まらない ところどころに炎が飛びかう こうしている間にも十日がたち 灰の混じった雨は部内に降り覆った

 そこで諸々の祝(はふり)刀祢(村の主者)を召集し その祟りの原因を占って求めた
『「阿波神」は「三嶋大社」の本后であり 三嶋との間に五子をもうけた後后「伊古奈比命」には冠位(神階)を授けたのに  本后にはいまだに(神階が与えられる)兆しに預からない そこで私はことのほか怪異を示して冠位(神階)に預かろうと思う もし祢宜や祝等で この祟りについて申上しない者がいたならば 麁火(あらあらしい火)を起こして祢宜等を亡ぼすだろう 国司や郡司で(神階授与に)労を尽くさない者がいたならば, その国司郡司を亡ぼすだろう もし私が望むことを成就するならば 天下(全国)の国・郡は平安し 産業は栄え豊かになるであろう』と

今年(承和七年(840))の七月十二日 遠めにかの島(上津嶋)を望むと
もやが四而(四面)を覆って 全く状態が窺えなかったが 漸して元の状態に近いほどに戻って 雲霧がはれ明るくひらけた 神作院・岳等の類がはっきりとそのすがたをみることができた これも我々の努力に神(阿波神)が感じるところであろう』と

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス『続日本後紀』(869)貞観11年完成 選者:藤原良房/校訂者:立野春節 刊本 寛政07年[旧蔵者]内務省
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047680&ID=&TYPE=&NO=

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『神名帳考証土代(Jimmyocho kosho dodai)』〈文化10年(1813年)成稿〉に記される伝承

竹麻神社 三座は 各々に座していて・本郷村高馬〈現 竹麻神社(下田市高馬)〉・本郷土濱〈現 本郷富士浅間神社(下田市)〉・柿崎村 武峯山の半腹〈現 三島神社〈柿崎神社〉(下田市柿崎)〈合祀 武峰神社〉〉と記しています

【意訳】

竹麻(ツクマ)神社 三座

和鈔 月間

一坐は 当郡 本郷村高馬に坐す 今は八幡と申す
一坐は 本郷土濱の一岩山の上に坐す 元禄6年の文に御年漏竹彦明神と この山 富士に似たり因て 又 富士山とよび遂に その具神し浅間とす
一坐は 柿崎村 武峯山の半腹に坐す 今 武峯権現とす古き棟札に伊豆国賀茂郡武山大権現 当初 役行者勧請 熊野山三所大権現
永正18年の札に 稲沢本郷 崩之山 爰(ここ)第1に社檀号 熊野権現云々 再興

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『神名帳考証土代』(文化10年(1813年)成稿)選者:伴信友/補訂者:黒川春村 写本 [旧蔵者]元老院
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000039328&ID=M2018051416303534854&TYPE=&NO=画像利用

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『神社覈録(Jinja Kakuroku)』〈明治3年(1870年)〉に記される伝承

竹麻神社 三座は 各々に座していて・本郷村高馬〈現 竹麻神社(下田市高馬)〉・本郷土濱〈現 本郷富士浅間神社(下田市)〉・柿崎村 武峯山の半腹〈現 三島神社〈柿崎神社〉(下田市柿崎)〈合祀 武峰神社〉〉と記しています

【意訳】

竹麻神社 三座

竹麻は 都久末と訓ずべし 和名鈔 郡名部 月間
〇祭神 詳らかならず
〇三座各々に在す
一座は 月間郷 本郷村 高馬に在す 今 八幡と称す
一座は 本郷土濱一岩山上に在す 今 浅間と称す
一座は 柿崎村 武峰山半腹に在す 今 武峰権現と称す 志

神位 国内神名帳云 従4位上 月まの明神

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015『神社覈録』①

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)』〈明治9年(1876)完成〉に記される内容

古くは海湾であったところに鎮座したが この海口が ことごとく陸地と成り 人々が異動し 村里が分かれて 竹麻神社 三座分祀されていった
式内社として有力なのは

一座は 手石村鎮座 月間明神〈現 月間神社(南伊豆町手石)
一座は 吉佐美村鎮座 三島明神〈現 八幡神社 合祀 三島神社(下田市吉佐美)
一座は 湊村鎮座 若宮八幡〈現 三島神社(南伊豆町青市)

と記しています

【意訳】

竹麻神社 三座

祭神
三島大神 称 月間明神(明細帳に手石 月間神社あり)
阿波命 称 三島神社
物忌奈命 称 若宮八幡

祭日 9月17日 11月中酉日
社格 郷社 手石村 雑社 吉佐美村 湊村(郷社)

所在(賀茂郡 竹麻村 大字 手石)手石村 吉佐美村 湊村

今按〈今考えるに〉
式社攷證 湊村 月間の地鎮座 今は各所に分祀す
竹間は 和名抄に所載 賀茂郡 月間郷 神階帳に所謂 月間 同じ地の称なるが 湊 手石2村の北20許町 吉佐美 青市田牛王村の境界に接したる所に有りて 古くは海湾 この辺り迄至り 湾内甚だ広く船舶 輻輳(ふくそう)の所と聞こえたるを 後にこの海口ことごとく陸地と成り 人居を東南の岸に遷し 村里の区分起こりしより総鎮守とある竹麻神社三座を各所に遷祀ることと成りて今の如く髣髴(ホウフツ)しく成りたるなれば 社地の沿革とに留意せずば有可らず

その一座 手石村鎮座 月間明神と称す 神階帳に所載 月間の明神これなり 豆志 未定の部に云 月間明神 手石湊青市 旧一村なり 今の三村の鎮守なり 湊村に月間の地名存す 古額に正一位 参島大明神と刻す 社伝に往古 神津島より遷座と伝へたるは既く 竹麻神社三座は 三島大神と阿波物忌奈命なるべく思想せるに符合ひ 当社は古額に参島大明神とみえ打任せて月間明神と云う称あるを思うに三座の第一の神にして三島大神なる事論ひ無し 

その一座は 吉佐美村鎮座 三島明神と称す この村 月間の地に接して同郷中なりしが 村里の分かれたる時 遷祀たるなり 村称の吉佐美は后宮の省略にて 竹麻神社三座の内 第二座に当り給う后神を遷祀たるより起きた

呼称なること云うまでもあらず 旧記に豆州17番の御神云々と有るも 神階帳に所載 賀茂郡内地21座の内 月間明神と有を三座と数えるに この神 則17番目に当れるは彼在庁の奉幣の第17に当る神なりと云伝のありしを その儘記されたると聞こえて所縁あるを思うべし

第三座は 諸説あれど湊村にある若宮八幡と云 社ここにて若宮は 三島神の后神 阿波命の御子とます 物忌奈命ならんい云るによ因りて

県の注進にも 月間明神
三島大神は 手石村三島神
后神 阿波命は 吉佐美村
若宮八幡 物忌奈命は 湊村と定めたるに従えり

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155『特選神名牒』①1 『特選神名牒』①2

『伊豆国式社攷略( Izunokuni shikisha koryaku)』〈明治15年(1882)発行〉に記される伝承

式内社 竹麻(つくまの)神社 三座として有力なのは

一座は 手石村鎮座 月間神社〈現 月間神社(南伊豆町手石)
二座は 吉佐美村鎮座 三島神社〈現 八幡神社 合祀 三島神社(下田市吉佐美)
三座は 湊村鎮座 若宮神社〈現 三島神社(南伊豆町青市)

と記しています

【意訳】

竹麻(つくまの)神社 三座

月(つき)まの明神 神階帳

各所に分祀す
その一座は 同郡 手石(ていし)村鎮座 月間神社 これなり 式攷攷證注進特選

その二座は 吉佐美(きさみ)村 三島神社なりとす 攷證注進特選

その三座は 湊(みなと)村 若宮神社なるべし 攷證の一説注進特選

今云う この三座を豆志に 本郷村八幡神社 同村一岩山 竹彦(たけひこ)神社 柿崎村 武峯(たけぶ)山神社に当らせて適はず 攷續攷等に弁明をるを見て知るべし

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『伊豆国式社攷略』 萩原正平 著 出版年月日 明15.6  編 出版者 栄樹堂
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/815090『伊豆国式社攷略』

式内社 ➂ 多祁美加々命神社たけみかかのみことの かみのやしろ の伝承について

『日本三代実録(Nihon Sandai Jitsuroku)』〈延喜元年(901年)成立〉に記される伝承

多都美加賀ヒ神」として 神階の奉授が記されています

【意訳】

仁和2年(886)1125日 庚子 の条

授くに
伊豆
 
正5位下 楊原神に 正5位上

正6位上 多都美加賀ヒ神に 正5位下を

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=画像利用

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『神名帳考証土代(Jimmyocho kosho dodai)』〈文化10年(1813年)成稿〉に記される伝承

所在は 吉佐美村であり 三嶋神社と 三嶋神に従いし若宮の事であると記しています

【意訳】

多祁美加々命(タケミカカノミコト)神社

三代実録 仁和2年(886)1125日 庚子 の条 正6位上 多都美加賀ヒ神に 正5位下

旧事 天忍男命子建額赤命
志  吉佐美村に 三嶋明神坐す 白鬚を配祀す 源三位頼政の記あり 
その客曰く
豆州17番の御神 神尾山 御蔵山の麓 多田美河の河上に坐ますは 当郷 朝日の里 月吉村のうぶすな大明神 人皇6代に当ら興津彦 興津姫と云い この神 必ず式社なるへけれ 氏祠典 何れの命なるか 或いは曰これ 多祁美加々命神社 多田美河と語 相類しを訛誤あるか
又 三嶋明神とするは 昔 祠域に若宮祠あり これ三嶋神に従いし若宮なること 三嶋と称せしならむ 伊豆峯記

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『神名帳考証土代』(文化10年(1813年)成稿)選者:伴信友/補訂者:黒川春村 写本 [旧蔵者]元老院
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000039328&ID=M2018051416303534854&TYPE=&NO=画像利用

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『神社覈録(Jinja Kakuroku)』〈明治3年(1870年)〉に記される伝承

所在は 吉佐美村であり 三嶋神社と 三嶋神に従いし若宮祠があると記しています

【意訳】

多祁美加命神社

多祁美加々は 仮字なり
〇祭神 明らかなり
〇在所 詳らかならず

考証に 旧事紀 天忍男命子建額赤命
〇伊豆志に 吉佐美村に 三嶋明神坐す 白鬚を配祀す 源三位頼政の記あり 
その略曰く
豆州17番の御神 神尾山 御蔵山の麓 多田美河の河上に坐ますは 当郷 朝日の里 月吉村のうぶすな大明神 人皇6代に当ら興津彦 興津姫 云々
この神 必ず式社なるへけれ 氏祠典 何れの命なるか 或いは曰これ 多祁美加々命神社 多田美河と語 相類しを訛誤あるか と云えり」
伊豆峯記云う 三嶋明神とするは 昔 祠域に若宮祠あり これ三嶋神に従いし若宮なるゆえ 三嶋と称せしならむ

神位 三代実録 仁和2年(886)1125日 庚子 の条 正6位上 多都美加賀ヒ神に 正5位下

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015『神社覈録』➂

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)』〈明治9年(1876)完成〉に記される内容

所在は 吉佐美村であり 三嶋神社と 三嶋神に従いし若宮祠があると記しています 

【意訳】

多祁美加(タケミカカノミコトノ)神社

祭神 多祁美加
今按〈今考えるに〉
三宅記に三島神の御子神のことを新島に置きたまう后を云々 この御腹に たいさむの王子とあるは 古伝によりて云えるものとみゆれば この神は三島神の御子なることを知るべし

神位 光孝天皇 仁和2年(886)1125日 庚子 の条 正6位上 多都美加賀ヒ神に 正5位下

祭日
社格

所在
今按〈今考えるに〉
豆州志に 吉佐美村に 三嶋明神坐す 白鬚を配祀す 源三位頼政の記あり 
その略曰く
豆州17番の御神 神尾山 御蔵山の麓 多田美河の河上に坐ますは 当郷 朝日の里 月吉村のうぶすな大明神 人皇6代に当ら興津彦 興津姫 云々
この神 必ず式社なるへけれ 氏祠典 何れの命なるか 或いは曰これ 多祁美加々命神社 多田美河と語 相類しを訛誤あるか と云えり

而るに
攷證に 新島鎮座 大三明神なるべし 三宅記に 新島に置きたまう后を はみちのくちのみとの大后と申しける この御腹に王子二人おはします 1人をたいさむの王子とみえ 古老遺説に たいさむ王子は この島の地主神にして 島を開きたる神なりと云いて 尊信するを思うべし
今称の だいさむは多祁美の転訛にて タケタキ訛りたるを 音便タイ唱えしを三度転じてタイサム申しならむも 知るべからず云えるありて聞こえれば 今 これに従う

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155『特選神名牒』➂

八幡神社(Hachiman Shrine) (hai)」(90度のお辞儀)

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