八幡神社(敦賀市三島)〈『延喜式』石田神社〉

八幡神社(はちまんじんじゃ)は 社伝に「第15代応神天皇が皇太子の時に武内宿祢を従えて 気比神宮に参拝されました折に 浦人が この地に砂を盛り 地を清めて 行宮を建立した」と伝わり 延喜式内社 越前國敦賀郡 石田神社(いはたの かみのやしろ)の論社で「石田君之祖 即ち 石田大神」を大宝4年(704)に奉祀された社です

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目次

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1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介しま

【神社名(Shrine name

八幡神社(Hachiman shrine

通称名(Common name)

【鎮座地 (Location) 

福井県敦賀市三島6

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》譽田別尊(ほむたわけのみこと)

《配》〈石田大神〉五十日足彦命(いかたらしひこのみこと)

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

由 緒

 創立年代不詳。

社伝に「第15代応神天皇が皇太子の時に武内宿祢を従えて、気比神宮に参拝されました折に、浦人が、この地に砂を盛り、地を清めて、行宮を建立いたしました。その後、築地八幡宮、正八幡宮と尊称申し上げた」といいます。

延喜式神名帳の越前国敦賀郡石田神社は「石田君之祖、即ち、石田大神」を大宝4年(704)2月に奉祀された社で、氏人の祖神であり、亦社家石井家の祖神であります。

宝亀11年(780)2月8日に第48代光仁天皇の勅を奉じた藤原永手が神殿を造営して、主祭神に譽田別尊、配祀神に石田大神(五十日足彦命)を奉斎されました。

貞観元年(859)7月14日に神祇大副の大中臣豊雄が勅使として奉幣された。

亦、弘安4年(1281)の元寇の国難と正応年中(1288~93)の異国降伏を御祈願に際して帝の勅を奉じて、奉幣の神事がありました。

弘治2年(1556)に朝倉義景が本殿を造営し、疋田城主の疋田景継が、同3年5月28日に阿弥陀仏像を奉納し、年々御供米50石を寄進されました。

元亀元年(1570)に織田信長と朝倉義景とが戦った時に罹災したが、天正12年(1584)に敦賀城主大谷刑部少輔吉隆が石燈籠一基を献納。

天正16年(1588)8月羽柴出羽守勝俊が幣帛を奉り、翌17年に大谷吉隆が太刀一口を奉納。

慶長3年(1598)に京極忠高が神殿を修造した。

寛永元年(1624)4月に福井城主松平秀康の代参多賀越中守が奉幣百疋を奉り、毎年御供米10石を寄進した。

慶安元年(1648)に後光明天皇から御紋章幕、提灯の御下賜があり、文政9年(1826)4月に青蓮院宮から御紋章提灯の下賜がありました。

その他に歴代の藩主や武将、庶民の崇敬が篤く、各種の奉納・奉祀がなされて来ました。

明治元年に、北越総督仁和寺宮、北陸鎮撫使高倉永祐、同副使四条降謌等の参拝がありました。

明治11年10月10日に明治天皇兵火が敦賀に車駕を駐められた時に、宮内卿徳大寺實則が幣帛料を奉って御代拝なさいました。

 明治4年に小浜藩庁から藩社に列せられ、明治8年10月10日に敦賀県から郷社に列せられた。

明治41年4月26日に神饌幣帛料を供進される神社に指定された。

昭和12年8月18日に、県社に列せられた。

 境内には杉・松・タモ・楓などが繁り、社殿壮麗に、神域は清浄に、氏子・崇敬者の尊敬奉賛の誠を捧げています。

 昭和3年に昭和天皇の御大典記念事業として、本殿・末殿の屋根葺替。昭和4年に拝殿を改修し、昭和5年に雑庫を新築した。

 今上陛下の御大典記念に拝殿・手水舎・社務所の改修工事を行った。

福井県神社庁HPより
https://www.jinja-fukui.jp/detail/index.php?ID=20160830_085034

【由  (History)】

『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)〈明治45年(1912)〉』に記される伝承

【抜粋意訳】

○福井縣 越前國 敦賀郡敦賀町大字三島

鄉社 八幡(ハチマン)神社

祭神 譽田別(ホムダワケノ)

配祀 石田(イシダノ)大神(社記に據る)

社の創立は社記に依るに、
光仁天皇の御宇 寶龜十一甲中年卯月八日に係ると、神功皇后 十三年春二月應神天皇の皇太子にましましし時、大臣 武内宿禰を率て行啓し玉ひ、今の官幣大社 氣比大神を拜し奉り玉ふ、時に浦人沙を以て岡を作り行宮を建て坐せ奉る、今に築地八幡宮あるは其緣なり、
光仁天皇の時 神託ありて藤原永手 勅を奉じて社殿を創立し、四月八日譽田別尊を鎮座し奉る、八幡神社是也、或は八幡宮とも正八幡宮とも、又は正八幡大神とも號すとなり、

 舊記に依るに、神功皇后 攝政の後 近江を經、若狭に抵りて身楔を行ひ、敦賀の氣比大神を拝み玉ふ時に御杖を衝かせ玉ふ、其御杖 社に保存すとふ、

配神 石田大神は大寶四年二月 によって請したものと云ふ舊社にして、所謂 式内の神社なりと、
神祇志料に「丹生郡石田村にあり、蓋 春日部君石田君の 五十日足命を祀る、〔日本書紀 日本後紀〕」とあり、

も本社は古來 皇室を始め奉り、武門武將の尊 崇殊に篤かりしと云ふ、 聖武天皇 天平十六年本社に於て放生會を行はれ、
 貞觀元年七月神祇大副、正六位上 大中臣豐雄 勅使として参向あり、
又會
美尾谷國俊の末孫 美尾谷嘉右衛門といふ者、源義の尊 奉せし甲冑乗馬の神像を奉祭す、
 後宇多天皇の御宇 弘安四年蒙古肥前を襲 伏見天皇 正應年中 異賊九州へ來寇の時等、に勅宣を蒙りて宮司等祈願する事あり、

次いで、弘仁二年 大守 朝倉義景 社殿を造し、
 天正八年 疋田安藝守景繼 疋田村の内一百二十石の地を寄附せられ、同十二年敦賀の城主 大谷刑部少輔吉隆 石燈籠を寄附す、同十六年 羽柴出羽守勝俊 幣帛を奉り祭を行はる、同十七年 大谷吉隆 太刀を奉納、
後陽成天皇の慶長二年
 京極忠高 社殿を修營す、
寛永元年
 松平秀康 参向して祭祀を行ふ、爾来 每年 米十石を寄進し 以て式例とす、
 正保元年 領主酒井讃岐守忠勝 社殿を造し、新田高之内四石の地を寄附し、
 神輿  扁額等を奉納す、慶安元年 朝廷御紋章の御戶代  提灯等を進奉せらる、同六年 領主 酒井若狭守家宰三浦 帯刀 太田道灌作の人麻呂像を奉納す、萬治三年 酒井修理大夫忠直 社殿を修造し、寛文二年再ひ修營し、又 弓矢を奉納せらる、
安永六年
 酒井忠貫 享和二年 酒井忠為 共に社殿の修營あり、文化八年 酒井直為 千百歲祭配料 金十を奉納し、仁孝天皇の文政九年 青運院宮御紋章提灯を寄進せらる、
天保十三年
 酒井忠義 幕及提灯等を奉納す、嘉永五年 正三位千種有功卿「八幡山さか行くかみのもれはこそつぬかはことににきはひにけれ」と詠みて上らる。

 文久三年 小濱城主 酒井忠義 社殿を修營し幣帛料を奉る、明治十一年車駕の供奉中宮内夥徳大寺實則 勅使とし参拜玉串を奉られし等 皇室武門の崇敬篤かりき、かくて明治八年郷社に列す。

社殿は本殿、拜殿、神門、手洗舍、廻廊、社務所等にして、

末社 住吉神、氣比常宮神社は正殿の左右にありて、賓龜十一年の創立なりと云ひ、金刀比羅、神社は天明五年、稲荷神社、出雲神社は天和二年、春日神社は寛文十二年、粟島宮は明治八年、高津神社は同二十年等の再建に係るものなりと云ふ、
境内五百五十坪(民有地第二種)を有し若狭街道に面し、往古 松原濱の白砂を以て埋め立てたる區域にして清潔なり、且つ古松老杉枝を交へて神寂極りなく、千歳の下尙神威日に新にして遠近上下の尊敬篤し、華表の南にの大樹ありて幾星霜を経たるを知ら、嘗て、四條

謌卿 北陸巡檢の節詠みて獻れる歌、
「神垣の久しき世々のみてぐらと なほ仰べきもみなりけり」

寶物は譽田別尊の御杖、神鏡、甲冑乗馬の神像、重藤の弓〔酒井家より奉納〕武田伊賀守の弓矢〔武田耕雲斎携帯の弓矢なるを小濱藩より寄附せらる〕

境内神社
 金刀比羅宮 氣比 常宮神社 高津神社 住吉神社
 稻荷神社 春日 良神社 出雲 西宮神社 粟島宮
 神明 石清水社

例祭日 五月十五日

神饌幣帛料供進指定年月日 明治四十一年十月二十六日 告示第八十七號

【原文参照】

明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』中,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088278

明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』中,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088278

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神社の境内 (Precincts of the shrine)】

八幡神社 幣殿 本殿覆屋

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八幡神社 〈中門〉割拝殿

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・〈割拝殿の向かって左側〉敦賀郷土博物館

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・〈本殿覆屋向って右〉境内社3祠

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向って右から順に

・〈境内社〉

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・〈境内社〉

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・〈境内社〉

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・〈本殿覆屋向って左〉境内社4祠

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向って右から順に

・石灯籠〈大谷刑部吉嗣 奉納

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・〈境内社〉稲荷神社

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・〈境内社〉金比羅社

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・〈境内社〉日吉社

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・〈境内社〉石清水八幡宮・天照皇大神宮の合殿

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八幡神社 拝殿〈神楽殿〉

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・有形文化財 日本刀外装

有形文化財 八幡神社

日本刀外装

昭和三十三年三月十二日 指定

外装全長105センチ・サヤおよびツカにアゲハの蝶模様をタカネ木彫りで表裏に合わせ六個散らしている。刀は太刀造り、則長の銘あり室町時代の作、天正元年 (一五七三 )織田信長が敦賀に立ち寄ったとき寄進したものと伝えられる。

福井県

現地立札より

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・神馬像

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・手水舎

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・撫で牛

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・〈東側〉社頭

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・〈北側〉入口

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神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称

・『日本書紀』養老4年(720)完成
『續日本紀』延暦16年(797)完成
『日本後紀』承和7年(840)完成
『續日本後紀』貞観11年(869)完成
『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
『日本三代實録』延喜元年(901)完成

〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)北陸道 352座…大14(うち預月次新嘗1)・小338

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)越前國 126座(大8座・小118座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)敦賀郡 43座(大7座・小36座)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 石田神社
[ふ り が な ](いはたの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Ihata no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

『延喜式神名帳(927年12月編纂)』に所載の「いはたのかみのやしろ」の類社は 6か所あります

①延喜式内社 山城國久世郡 石田神社〔大 月次 新嘗〕
②延喜式内社 河内國若江郡 石田神社三座
③延喜式内社 伊勢國多気郡 石田神社
④延喜式内社 越前國敦賀郡 石田神社
⑤延喜式内社 越前國坂井郡 石田神社
⑥延喜式内社 大和国吉野郡 伊波多神社

①延喜式内社 山城國久世郡 石田神社〔大 月次 新嘗〕(いはたの かみのやしろ)の論社について

・天穂日命神社(伏見区石田森西)

・石田神社(八幡市岩田里)

・石田神社(八幡市岩田茶屋ノ前)

②延喜式内社 河内國若江郡 石田神社三座(いはたの かみのやしろ みくら)の論社について

・石田神社(東大阪市岩田町)

③延喜式内社 伊勢國多気郡 石田神社(いはたの かみのやしろ)の論社について

・石田神社 舊跡(明和町養川)
〈畠田神社に合祀 石田神社(明和町養川)〈石田神社の論社〉の舊跡〉

・畠田神社(明和町中村)
〈畠田神社に合祀 石田神社(明和町養川)〈石田神社の論社〉〉

・神垣神社(松阪市高木町)

④延喜式内社 越前國敦賀郡 石田神社(いはたの かみのやしろ)〈廃絶とも云〉の論社について

・廃絶とされる 所在など不明

〈参考論社〉・石田神社(鯖江市石田上町)

・八幡神社(敦賀市三島町)

⑤延喜式内社 越前國坂井郡 石田神社(いはたの かみのやしろ)の論社について

・石田神社(鯖江市石田上町)

・春日神社(福井市石畠町)

⑥延喜式内社 大和国吉野郡 伊波多神社(いはたの かみのやしろ)の論社について

・伊波多神社(吉野郡天川村和田)

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【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

ハピラインふくい線 鶴賀駅から北西方向へ約1.3km 車での所要時間は5~6分程度

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社頭は 東向きです

参道には「若狭街道」の表石

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八幡神社(敦賀市三島)に参着

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車は 北側の入口から入ります ここの社号標は「正八幡神社」

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表参道に戻り 参拝を開始

参道の右手に 撫で牛 手水舎
参道の正面には 拝殿〈舞殿〉があり

拝殿にすすみます

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拝殿の扁額には「正八幡大神」とあります

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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拝殿の奥には 本殿 社殿の廻りに透塀があり 正面は中門のような割拝殿があります

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割拝殿の向かって左側には 敦賀郷土博物館

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割拝殿には掲げられている扁額には「八幡宮」とあります

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割拝殿を抜けて 本殿前に設けられている拝所にて

賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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拝所の奥には 社殿があり 向かって右手には〈境内社〉の祠が3宇

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向かって左手には〈境内社〉の祠が4宇

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社殿に一礼をして 境内を北入口へ戻ります

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

①延喜式内社 越前國敦賀郡 石田神社について 所在は゛在所詳ならず゛〈所在は不明〉と記しています

【抜粋意訳】

石田神社

石田は伊波多と訓べし

○祭神 五十日足彥命歟

○在所詳ならず〔官社考に、疋田驛に坐すべし、疋と石田を疋田に改めしかといへり、今従はず、〕

〇日本紀、垂仁天皇三十四年條、五十日足彦命、石田君之始祖也、

〇當國坂井郡石田神社あり

 官社考に、古事記云、五十日足彥命者、春日部君、高志池君之祖とありて、續日本後紀、承和十四年八月丁未、越前國丹生郡人 大學助数外從五位下春日部雄繼等二人、刑ニ 部字爲二 春日臣志かれば この五十日足彦命後胤、當國にある事 炳焉たり、其氏人たちの祭られしならむと云へるは然るべし、

類社
 山城國久世郡 石田神社の條見合すべし

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

①延喜式内社 越前國敦賀郡 石田神社について 所在は゛生郡石田村にあり、〈現 石田神社(鯖江市石田上町)〉と記されています

【抜粋意訳】

石田(イハタノ)神社

生郡石田村にあり、大野大社取調書 春日部君石田の祖 五十日足彦命を祀る、〔日本書紀、續日本紀 〇按 土人傳へて足仲彦命を祀ると云は、五十日足彦命と御名の似たるを以て誤れるものなる事著し〕

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第15−17巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815497

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

①延喜式内社 越前國敦賀郡 石田神社について 不祥であるとした上で 二説を挙げています
丹生郡石田村の社か゛〈現 石田神社(鯖江市石田上町)〉
石田村の八幡宮なりと云り゛〈現 石田神社(鯖江市石田上町)

【抜粋意訳】

石田神社

祭神 五十日足彥命

 今 福井藩取調書に祭神 足仲彦 譽田別 息長比賣命とあれど 足仲彦命は五十日彦命と御名のたるより誤り 又 足仲命と云より 二座を祭りて八幡宮とする事となりしものとみえたり さて五十足命なりと云 日本紀〔垂仁紀〕に五十日足彦命 石田君之古事記に五十日足彦命者 春日部君 高志君之とありて 高志は今の三越の地なれば 此國り 且 續日本後紀に承和十年八月丁未 越前國丹生郡人從五位下 春日部雄等二人刊部爲春日臣とあるは 五十日足彦命のと聞ゆれば 此氏人 當國に住る者の此命と祖神と祭られし事 炳焉をみるべし 故今之を訂す

祭日
社格

所在

 今按 註進狀に不詳とあれども 越前古名考 丹生郡石田村の社か されど土隔れるのみならず 坂井郡より遷奉りし社なリと云へば如何あらんとみえ
福井藩神社取凋書には猶 石田村の八幡宮なりと云り考へし

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

八幡神社(敦賀市三島) (hai)」(90度のお辞儀)

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越前国 式内社 126座(大8座・小118座)について に戻る

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8

對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています

-延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)
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