那須加美乃金子神社(対馬 志多賀)

那須加美乃金子神社は 上対馬町 小鹿にも 同一名称の 那須加美乃金子神社があります どちらも『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載論社ですが 当社 峰町 志多賀では 祭祀用の大形の勾玉や 祭祀に使用したと思われる弥生時代の祭祀器として 青銅矛が13保存されていました さらに弥生時代の遺蹟や古墳があり これらが決め手となり 式内社として有力比定社なっています

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

那須加美乃金子神社Nasukaminokaneko Shrine)
(なすかみのかねこじんじゃ)

 [通称名(Common name)]

【鎮座地 (Location) 

長崎県対馬市峰町志多賀290

 [  (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》須佐之男命Susanowo no mikoto)
   大屋彦神Oyahiko no kami)=〈五十猛神

【御神格 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity)

『延喜式神名帳Engishiki jimmeicho)所載社

【創  (Beginning of history)】

不詳

【由  (History)】

不詳

【境内社 (Other deities within the precincts)】

拝殿脇に・罔象女神大神《主》罔象女神Mitsuhanome no kami)

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【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載の
對馬嶋 上縣郡 那須加美乃金子神社」の論社は2つです

① 那須加美乃金子神社(対馬 小鹿)

② 那須加美乃金子神社(対馬 志多賀)

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神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

対馬空港から R382号経由 県道39号を北上 約35km 車45分程度
志多賀漁港を過ぎて 志多賀川沿いに走りながら 対岸の山の麓に鎮座します

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那須加美乃金子神社Nasukaminokaneko Shrine)に参着
一礼をして 一の鳥居をくぐります 扁額には「金子神社」と彫られています

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鳥居は3連で建っていて の鳥居の前には 古い狛犬が座します 鳥居の扁額には「那須加美乃金子神社」と彫られています 一礼をしてをくぐり抜けます 

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右手の手水舎で清め 拝殿にすすみます
拝殿前には 愛嬌のある狛犬が座しています

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拝殿の内部は畳敷きで 壁一面に 7月24日の大祭の時の「巫女踊」の写真が飾られています

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賽銭をおさめ お祈りをします 
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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拝殿の奥は 急斜面の山裾に幣殿というか 渡り廊下が急な山地を上がりその先の高地に本殿が建っています

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拝殿の脇には罔象女神大神《主》罔象女神Mitsuhanome no kami)祀られていて 賽銭を納めお祈りをします

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参道を戻り 振り返り一礼をします

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神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『日本書紀(nihon shoki)』養老4年(720)編纂に記される伝承

一般に 曾尸茂梨(ソシモリ)は 古代に朝鮮半島にあった新羅(シラギ)の地名とされています

那須加美乃金子神社Nasukaminokaneko Shrine)の由緒によれば
素戔嗚尊(スサノヲノミコト)が 曽尸茂利(ソシモリ)から 五十猛神(イタケルノカミ)を連れて戻り この地の神山に 持ち帰った木々の種を植えたと伝承されています
『日本書紀(nihon shoki)』第一 第八段 一書第四の序盤と終盤が 由緒とよく似ています〉 

第一 第八段 一書第四意訳  

ある(第四)によると

素戔嗚尊(スサノヲノミコト)の行(オコナイ)は いので
そこで 神々は 千座置戸(チクラノオキド)〈千の台座に乗るほどの宝を出させ〉にて追放いたしました

このとき
素戔嗚尊(スサノヲノミコト) その子 五十猛神(イタケルノカミ)を率いて 新羅国(シラギノクニ)に降り 曾尸茂梨(ソシモリ)の所着かれた

そこで素戔嗚尊(スサノヲノミコト)が云われました
「この地に 私は居たくない」

そして (ハニツチ)〈粘土〉で舟を造り それに乗って東の方に渡り 出雲国(イズモノクニ)の簸川(ヒノカワ)川上にある鳥上之峯(トリカミノミネ)に辿り着きました

そこには 人を吞む大蛇(オロチ)がいまし
素戔嗚尊(スサノヲノミコト) 天蠅斫之劒(アメノハハキリノツルギ)その大蛇(オロチ)を斬られました

このときに その蛇(オロチ)の尾を裂いて見ると刃が欠けた
そこで 尾の中に一本の神剣がありました

素戔嗚尊(スサノヲノミコト) 言われました
「これは私の物とすることはできない」

そこで 五世孫の天之葺根神(アメノフキネノカミ)を遣わして 天に奉られた これが今の 草薙剣(クサナギノツルギ)といわれるもので

はじめ
五十猛神(イタケルノカミ) 天降られるときに 多くの樹の種をもって下られました
しかし 韓地(カラクニ)には植えないで すべて持ち帰りました
筑紫(チクシ)からはじめて 大八洲国(オオヤシマクニ)の国の中に播きふやして 青々としていない山は無いのです

このため五十猛命(イタケルノミコト) 有功神(イサシオノカミ)と称し 
紀伊国(キイノクニ)所に坐ます大神です

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『日本書紀』(720年)選者 舎人親王/刊本 文政13年 [旧蔵者]内務省
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047528&ID=M2017042515415226619&TYPE=&NO=画像利用

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『日本三代実録(Nihon Sandai Jitsuroku)』延喜元年(901年)成立 に記される伝承

對馬嶋(上縣・下縣)の式内社の神々とともに 神階の昇叙が記されています
奈蘇上金子神(ナソカミカネコノカミ)と記されます

意訳

貞観12年(870)3月5日 丁巳の条

詔(ミコトノリ)を授(サズ)くに

對馬嶋(ツシマノシマ)の

正5位上 多久都神(タクツノカミ)に 従4位下

従5位上 
和多都美神(ワタツミノカミ)
胡簶神(コロクノカミ)
御子神(ミコノカミ)
嶋大國魂上(シマオオクニタマノカミ)
高御魂神(タカミタマノカミ)
住吉神(スミヨシノカミ)
和多都美神(ワタツミノカミ)
太祝詞上(フトノリトノカミ)
平神(タイラノカミ)
並びに 正5位下

大吉刀神(オオヨシカタナノカミ)
天諸羽神(アマノモロハノカミ)
天多久都麻神(アマノタクツマノカミ)
宇努神(ウノノカミ)
吉刀神(キトノカミ)
小枚宿祢神(ヲヒラノスクネノカミ)
行相神(ユキアイノカミ)
奈蘇上金子神(ナソカミカネコノカミ)
嶋御子神(シマミコノカミ)
国本神(クニモトノカミ)
銀山神(カナヤマノカミ)
和多都美神(ワタツミノカミ)
敷嶋神(シキシマノカミ)
並びに 従5位上

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス
『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=

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『神名帳考証土代(Jimmyocho kosho dodai)』(文化10年(1813年)成稿)に記される伝承

所在は 男鹿村〈現 小鹿〉 志多賀村〈現 志多賀〉の双方であるとしています

意訳

那須加美乃金子(ナスカミノカネノミコノ)神社

神位 貞観12年(870)3月5日 丁巳の条・・奈蘇上金子神・・従5位上

〇按〈考えるに〉
 下野国 那須郡 健武山神(續後記)
 武茂神坐沙金之山 三実〈日本三代実録〉奈蘓上那須与尒志音通

〇在〈所在〉は 男鹿村 志多賀村

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『神名帳考証土代』(文化10年(1813年)成稿)選者:伴信友/補訂者:黒川春村 写本 [旧蔵者]元老院
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000039328&ID=M2018051416303534854&TYPE=&NO=画像利用

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『神社覈録(Jinja Kakuroku)』明治3年(1870年)に記される伝承

式内社は 現 那須加美乃金子神社(対馬 小鹿)をこれとしています

意訳

那須加美乃金子神社

那須加美乃は仮字なり 金子は加禰古と訓ずべし

〇祭神 詳〈ツマビラ〉か ならず
伊奈郷 小鹿村に在す 古蹟集 今 那祖師明神と称す 玉勝間

神階 三代実録 貞観12年(870)3月5日丁巳の条・奈蘇上金子神・従5位上

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015『神社覈録』

『特選神名牒(Tokusen shimmyo cho)』明治9年(1876)に記される内容

式内社は 現 那須加美乃金子神社(対馬 小鹿)をこれとしています

意訳

那須加美乃金子神社

祭神

今 按〈考えるに〉
長崎県式内社記に 祭神 須佐之男命 大屋彦命とありて
由緒書きに 素戔嗚尊 五十猛命を卒い〈引き連れて〉八十木種〈沢山の木の種〉を持ち 韓国 曽尸茂利(ソシモリ)の地に往(ユ)き その地には植えさせたまはずに この山に植えたまう
とある時は この祭神よしなきにあらねど 
那須加美乃金子神と云う神は この2神に あるべからず〈あるはずがない〉 姑附て考に備ふ 

神階 清和天皇 貞観12年(870)3月5日丁巳の条・奈蘇上金子神・従5位上祭日 6月15日
社格 村社
所在 小鹿村 字 那須加美山

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155『特選神名牒』

「文化財指定に係る文化財保護審議会への諮問について」対馬市議事録記される内容

式内社として 比定する 有力な要素となっている「那須加美乃金子神社に伝来する広形銅矛13本」について 詳しく語られています

「文化財指定に係る文化財保護審議会への諮問について」
 第4回会議録(平成29年4月28日) - 対馬市

抜粋

新たに市指定文化財として調査したものの、文化財指定の可否を、対馬市教育委員会の付属機関であります対馬市文化財保護審議会へ諮問することについて承認を求めるものであります

名称は「那須加美乃金子神社銅矛」13本、時代は弥生時代になります。
神社の所在地は峰町志多賀であります。所有者管理者は、那須加美乃金子神社ということです。

概要についてはそこに書いてある通りですが、一応読み上げてまいります。
「那須加美乃金子神社に伝来する広形銅矛13本である。2本だけ中折れしているが、それ以外の11本はわずかな欠損があるだけの完品の状態である。

記録には
1780年(安永9年)の対馬市の『対馬州神社大帳』には 那祖師神社の宝物として「銅矛12本」として、
また、1823年(文政6年)の『津島紀事』には、那祖師神社の神体として「矛12柄」という記録が残っている。

1891年(明治24年)の『社寺宝物帳』には 那須加美乃金子神社の宝物として「銅矛13本」が記録されていることから、本銅矛群が長く本神社の宝物として伝来してきていることが分かる。

本銅矛群は 発掘調査による出土事例ではないものの、対馬市内における広型銅矛の一括事例としては最大のものである。また11本がほぼ完品、中折れの2本も完品に近いという、考古資料の状態としても、市内随一の資料群であるといえる」というふうな資料の状況から今回指定にしようというところです。

「文化財指定に係る文化財保護審議会への諮問について」
http://www.city.tsushima.nagasaki.jp/policy/images/kyouiku/h29_4kaikaigiroku.pdf 第4回会議録(平成29年4月28日) - 対馬市

那須加美乃金子神社Nasukaminokaneko Shrine) (hai)」(90度のお辞儀)

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