綱敷天満神社(つなしきてんまんじんじゃ)は 菅原家の祖神・天穂日命をお祀りするお社です 又 背後の丘陵地帯を御影山〈凡河内氏(凡河内国造)の祖神 天津彦根命 その御子 天御影命を祀る〉と云い この理由から 延喜式内社 攝津國 莵原郡 河内國魂神社(寛大延・鍬靫)(かわちくにたまの かみのやしろ)の論社とする説があります

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目次
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
綱敷天満神社(Tsunashiki tenman shrine)
【通称名(Common name)】
御影の天神さま
【鎮座地 (Location) 】
兵庫県神戸市東灘区御影1丁目22-25〈神戸市東灘区御影町石屋字八色〉
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》菅原道眞大神(すかがわらのみちざねのおほかみ)
《配》別雷大神(わけいかづちのおほかみ)
蒼稲魂大神(うかのみたまのおほかみ)
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
・必勝合格・厄除・方除・幸せ祈願・夢祈願
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
神社由緒
必勝合格・厄除・方除・幸せ祈願・夢祈願でのお参りの方は、神戸市東灘区の『御影の天神様・綱敷天満神社』へお越しください。
その昔、天神山に天穂日命(アメノホヒノミコト)と別雷神(ワケイカヅチノカミ)をお祀りしたことに始まり、聖徳太子が良き御影石を採掘できたことに感謝し、倉稲魂神(ウカノミタマノカミ)をお祀りされました。
菅原道真公が、菅原家の祖神・天穂日命をお祀りするお社として二度参拝された御縁で道真公をお祀りしております。
綱敷天満神社公式HPより
https://www.mikage-tenjinsama.com/
綱敷天神御神像
綱敷天神の綱敷きの由来は、九〇一年、菅原道真公が太宰府に御左遷の途中、石屋村の祖・山背王(やましろのきみ)にお別れのために立ち寄られ時、菅公が御左遷の御身なるを痛み休息していただくのに山背王が、石の上に綱を円座の様に敷き、お迎えしたことによるものです。
その昔八八六年、讃岐の国に就任される時に立ち寄られ、雷神社に参拝されたこともあり、菅公九世の孫、当地を訪れ、菅原善輝公が太宰府の神官として筑紫に赴く途中、当地を訪れ、菅原道真公の特にゆかり深き地として、菅公を雷神社の相殿に崇め祀られ、石の上に綱を敷く由緒をもって「綱敷天満宮」と社名を定められました。
明治時代に綱敷天満神社と改名し「御影の天神さま」として現在に至っております。
当神社のお旅所には、菅公が上陸された時に船を繋いだとされる「菅公船繋の松」(二代目)が残っております。
現地立札より

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【由 緒 (History)】
由 緒
太古は、天神山(現・御影山手)の荘厳な祭壇地に祭祀され、中世に現世の鎮座地(菟原郡覚美郷石屋村八色岡・うはらぐんかがみのさといしやむらぐさおか)に遷された。
社伝によると、『茨城国造の天道根命が、天神山に別雷神を祀るに始まり、天津彦根命に伝えられ子孫代々鎮祭す。』とある。
次に『用明天皇の御代、聖徳太子が四天王寺建立の時、大和の兵衛、山城の太兵衛を伴われよき石を求めて当地を訪れた。石屋村の祖・山背王を石匠となし、石を切り出させたところ、見事な鉱石が出たので御影石と名付け、自ら「蒼稲魂」と刻み、雷神の御社に合せ祠る。』とある。この地に留まった「大和の兵衛」は「長谷姓」を、「山城の太兵衛」は「時枝姓」を名乗ったので、かつて石屋村は長谷・時枝の姓が多かった。
そして、『後掘河天皇の御代、菅公九世の孫、菅原善輝公が太宰府の神官に任ぜられ筑紫に赴く途次に当社を訪れ、その昔、道真公が讃岐へ下向された時や、太宰府へ左遷された時に参拝された特にゆかり深き地として社殿を建立し、配流の身の道真公を案じ石の上に綱を敷いてお迎えした由緒を以て「綱敷天満宮」と社名を定め、雷神の御社の相殿に合わせ祀る。』とある。
2008 兵庫県神社庁HPより
https://www.hyogo-jinjacho.com/data/6301003.html
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【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
・綱敷天満神社 社殿

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・綱敷天満神社 拝殿

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・天神社《主》別雷神

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・草壁稲荷社《主》蒼稲魂神

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・白龍社《主》白龍大連神・撫で牛

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・栄倉稲荷社《主》蒼稲魂神
・松尾社《主》大山咋命,金山彦命,住吉神
・綱打祭(つなうちまつり)
特殊神事 八色雷光(やぐさのらいこう)綱打祭(つなうちまつり)
この神事は、別雷大神縁起(わけいかづちのおおかみえんぎ)に伝わる全国的にも珍しい特殊神事で、綱打祭(つなうちまつり)と呼ばれております。社伝によりますと、天道根命(あめのみちねのみこと)の旧記に基づき、人皇八十二代後鳥羽院文治二年(一ー八六)より始められております。
一月八日に氏子の代表者が、小綱三十六本(閏年(うるうどし)は三十七本)を十二本ずつ三束にして練り合わせ太く逞しい大綱を作り、注連柱(しめばしら)に三巻半に巻くように張り渡し、八本の白矢を突き刺し、多くの榊葉(ビシャゴ)を束ねて下に吊し、御幣と麻緒を付けます。『大綱は龍を表し、八本の白矢は八色雷公(やぐさのらいこう)〔黄泉の国で伊弉冉尊(いざなみのみこと)(伊邪那美命)の御身よりお生まれになった神。大雷(頭)、火雷(胸)黒雷(腹)、折雷(陰)若雷(左手)、土雷(右手)、鳴雷(左足)、伏雷(右足)の八雷神〕を意味し諸々の災いを除き、榊葉等は罪穢を祓い清め、この注連柱(しめばしら)全体が祓具であり、ここを潜り抜けることによって一年間無病息災に暮らせる。』と言い伝えられております。
現在でも、氏子・崇敬者並びに参拝者等の厄除・無病息災を祈念して、氏子総代・世話人達の手でこの神事は毎年続けられており、多くのご参詣の方々で賑っております。
現地案内板より

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・〈石碑〉御影の天神さまとその子孫の事跡
御影の天神さまとその子孫の事跡
ここ御影の天神さまのご祭神菅原道真公(845~903)は、彼の曾祖父古人、古人の子清公、清公の子是善、是善の子道真公とつづく四代の学者の出身である。菅原という姓は古人が桓武天皇即位の肇め、天応元年(781)にその一族十五人とともに土師の姓を菅原の姓に変えたいという願文を奉って許された。
その経緯は、『続日本記』によれば土師氏はアマテラスとスサノオが誓約(うけひ)をして生まれた五男神のうち一柱であるアメノホヒの子孫であるが、その十四世の孫、野見宿祢は垂仁天皇の御世、埴輪をつくって殉死の風習を変えた。
以後吉凶をもとに儀式を司ってきたが、凶来ばかり司るようになった。それでは祖業に反すると、居住地の名をとって菅原への改姓の願文を奉った。とある。御影の綱敷天満神社には、「後堀川院の御宇、菅原道真公九世の孫 菅原善輝が太宰府の神官に任ぜられ、筑紫に赴せ道すがらこの地にを訪れた際、菅公が讃岐に下向された時や、太宰府に左遷された時に立ち寄ったゆかりの地として社を建立し、綱敷天満宮と社名を定めた。という社伝が残されている。
また菅公の子孫で時の東宮侍従長従二位子爵 菅原修長の漢詩が石碑して残されている。これは明治三十五年(1902)三月、菅公一千年祭に当り奉納されたものである。
傲骨凌寒不染塵 傲骨寒を凌き塵にも染まず
旧居守節毎季新 旧居して節を守ることを季毎に新たなり
東風遠送暗香到 東風遠くより送り暗香致る
一片氷心万里春 一片の氷心万里春更に神前石造の鳥居の神額は、この社が昭和十一年に社頭整備された砌、時の従三位勲三等子爵 菅原長言が揮毫したもので「網敷天満宮」と筆太で雄渾な書体の見事なものであり、昭和十一年(1936)八月の銘がある。
平成七年(1965)一月十七日の阪神淡路大震災で鳥居は倒壊するも神額は無事で、現在も社の参道入口に屹立する。鳴呼菅公の神威嚇々たり。
菅公御神忌壱千百年記念 奉納 間鳥吉延 久子
現地石碑文より

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・社頭の鳥居・阪神淡路大震災で倒壊した石造の鳥居の神額

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【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています
〇『六国史(りっこくし)』
奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称
〇『延喜式(えんぎしき)』
平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)
〇『風土記(ふどき)』
『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉
現存するものは全て写本
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)畿内 658座…大(預月次新嘗)231(うち預相嘗71)・小427[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)摂津國 75座(大26座(並月次新嘗・就中15座相嘗祭)・小49座(並官幣))
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)莵原郡 3座(並小)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 河内國魂神社(寛大延・鍬靫)
[ふ り が な ](かわちくにたまの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Kawachi kunitama no kaminoyashiro)
【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
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【オタッキーポイント】(This is the point that Otaku conveys.)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
゛國魂〈国玉〉神(くにたまのかみ)゛を祀ると想われる゛延喜式内社゛について
・國魂神・国靈神・国玉神とも書く
古代の日本人は 国土には それぞれ神威〈靈威〉が内在していて その神威〈靈威〉の盛衰が国の興亡をも左右する 國を治める神靈゛国魂(くにたま)゛であると考えており 国魂の霊威は 国土そのものの神霊を云う爲 国の支配権にも結び付いた信仰の形態となっていったと云う
延喜式内社 山城國 久世郡 水主神社十座(並 大 月次 新嘗・就中同 水主坐天照御魂神 水主坐山背大国魂命神 二座預相嘗祭)(みぬしの かみのやしろ)
・水主神社(城陽市水主宮馬場)
延喜式内社 大和國 山邊郡 大和坐大國魂神社 三座(並 名神大 月次 相嘗 新嘗)(おほやまとにます おほくにたまの かみのやしろ みくら)
・大和神社(天理市新泉町)
延喜式内社 和泉國 日根郡 國玉神社(くにたまの かみのやしろ)
・國玉神社(泉南郡岬町深日)
延喜式内社 攝津國 東生郡 難破坐生國咲國魂神社二座(並 名神大 月次 相嘗 新嘗)(なにはにいます いくくにさき くにたまの かみのやしろ ふたくら)
・生國魂神社(大阪市天王寺区生玉町)
延喜式内社 攝津國 莵原郡 河内國魂神社(寛大延・鍬靫)(かわちくたまの かみのやしろ)
・河内國魂神社(神戸市灘区国玉通)
・綱敷天満神社(神戸市東灘区御影)
延喜式内社 伊勢國 度會郡 大國玉比賣神社(おほくにたまひめの かみのやしろ)
・堅田神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉
・宇治山田神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉
延喜式内社 伊勢國 度會郡 度會國御神社(わたらひの くにみかみの やしろ)
・度會國御神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉
延喜式内社 伊勢國 度會郡 度會乃大國玉比賣神社(わたらひの をほくにたまひめの かみのやしろ)
・度會乃大國玉比賣神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉
延喜式内社 伊勢國 多氣郡 大國玉神社(おほくにたまの かみのやしろ)
・大国玉神社(松阪市六根町)
延喜式内社 尾張國 海部郡 國玉神社(くにたまの かみのやしろ)
・国玉神社・八剱社合殿(名古屋市中川区富田町大字万場字郷中)
・津島神社(津島市神明)〈全国天王総本社〉
・居森社(津島市神明)
〈津島神社の境内 弥五郎殿の旧鎮座地〉
・彌五郎社(津島市神明)
〈津島神社の境内〉
延喜式内社 尾張國 中嶋郡 尾張大國霊神社(貞)(をはりおほくにたまの かみのやしろ)
・尾張大國霊神社(国府宮)
延喜式内社 遠江國 磐田郡 淡海国玉神社(あはうみの くにたまの かみのやしろ)
・淡海國玉神社(磐田市見付)〈遠江總社〉
延喜式内社 常陸國 眞壁郡 大國玉神社(おほくにたまの かみのやしろ)
・大國玉神社(桜川市大国玉)
延喜式内社 上野國 佐位郡 大國神社(おほくに かみのやしろ)
・大國神社(伊勢崎市境下渕名)
延喜式内社 陸奥國 磐城郡 大國魂神社(をほくにたま かみのやしろ)
・大國魂神社(いわき市平菅波宮前)
延喜式内社 能登國 能登郡 能登生國玉比古神社(のといくくにたまひこの かみのやしろ)
・能登生国玉比古神社〈気多本宮〉(七尾市)
・能登生國玉比古神社(中能登町)
・能登部神社(中能登町)
延喜式内社 出雲國 出雲郡 杵築大社〈名神大〉(きつきの おおやしろ)
・出雲大社〈大国主神を祀る〉
延喜式内社 淡路国 三原郡 大和大國魂神社(貞・名神大)(やまとのおほくにたまの かみのやしろ)
・大和大國魂神社(南あわじ市榎列上幡多)
延喜式内社 阿波國 美馬郡 倭大國玉神 大國敷神社二座(やまとおほくにたまのかみ おほくにしきかみの やしろ ふたくら)
・医家神社(三好市池田町)
・磐坂神社(三好市池田町シンヤマ)
〈医家神社 旧鎮座地〉
・倭大國魂神社(美馬市美馬町字東宮ノ上)
・倭大國敷神社(美馬市脇町拝原)
延喜式内社 壹岐嶋 石田郡 大國玉神社(おほくにたまの かみのやしろ)
・大國玉神社(壱岐市郷ノ浦町大原触)
・兵主神社(壱岐市芦辺町深江本村触)
延喜式内社 對馬嶋 上縣郡 島大國魂神社(しまおおくにたまの かみのやしろ)
・嶋大國魂御子神社(対馬 佐須奈)
・島大國魂神社(対馬 豊)
・那祖師神社・島大國魂神社・若宮神社(三社合祀)
・島大國魂神社(対馬 御岳)
延喜式内社 對馬嶋 上縣郡 島大国魂神御子神社(貞)(しまおほくにたまのかみの みこの かみの やしろ)
・嶋大國魂御子神社(対馬 佐須奈)
・島御子神社(対馬 曽)
・国本神社(対馬 瀬田)
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【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
阪急神戸線 御影駅から南西方向へ約900m 徒歩で12分程度
参道は 東西南北があるようで 南側が表参道になっています
何故か 北側の裏参道からのお詣りとなりました

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綱敷天満神社(神戸市東灘区御影)に参着

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拝殿にすすみます

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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【神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 河内國魂神社 鍬靫について 所在は゛都賀荘五毛村に在す、今天神と称す、゛〈現 河内國魂神社〈五毛天神〉(神戸市灘区国玉通)〉と記しています
【抜粋意訳】
河内國魂神社 鍬靫
河内国魂は加不知久爾多麻と訓べし
〇祭神明か也
○都賀荘五毛村に在す、今天神と称す、〔摂津志〕
【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 河内國魂神社 鍬靫について 所在は゛今 五毛村に在り、゛〈現 河内國魂神社〈五毛天神〉(神戸市灘区国玉通)〉と記しています
【抜粋意訳】
河内國魂(カハチノクニタマノ)神社
今 五毛村に在り、〔攝津志、神名帳考証、〕
盖 凡河内國造の祖 天津彦根命の子 明立天御影命を祀る、〔参酌古事記、舊事本紀、續日本後記、朝野群載等大意〕
【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第10,11巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815495
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 河内國魂神社 鍬靫について 所在は゛五毛村(武庫郡西灘村大字五毛)゛〈現 河内國魂神社〈五毛天神〉(神戸市灘区国玉通)〉と記しています
【抜粋意訳】
河内國魂(カハチノ クニタマノ)神社
祭神
祭日 八月十八日
社格 郷社所在 五毛村(武庫郡西灘村大字五毛)
【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019
綱敷天満神社(神戸市東灘区御影)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)

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