榎本神社〈春日大社境内社〉(奈良市春日野町)

榎本神社(えのもとじんじゃ)は 春日大社の境内社で 本社廻廊の南西の角に鎮座します 式内社 春日神社かすかの かみのやしろ)論社です 春日大社が 現在地(春日野に創建される以前からの 当地の地主神で 一時安倍山(現奈良県桜井市)にお遷りになったが 承平5年(935)再びこの場所へ御帰座になった伝えられています

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目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

榎本神社(Enomoto shrine)
〈春日大社境内社〉

 [通称名(Common name)]

【鎮座地 (Location) 

奈良県奈良市春日野町160 春日大社境内

 [  (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》猿田彦命(さるたひこのみこと)

※室町時代以前の御祭神は 地主神の巨勢姫明神(こせひめみょうじん)

【御神格 (God's great power)】(ご利益)

導きの神道開きの神

【格  (Rules of dignity)

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社
・ 春日大社境内社

【創  (Beginning of history)】

創建年代不詳
春日大社が 現在地(春日野に創建される以前からの 当地の地主神
延喜式神名帳927 AD.』所載の「春日神社」の論社とされ 江戸時代には榎本社と呼ばれ 明治9年(1876)には「式内春日神社」と改称しました

【由  (History)】

摂社 榎本神社(えのもとじんじゃ)

一、御祭神 猿田彦命(さるたひこのみこと)
一、御例祭 十一月一日
一、御由緒 春日の地主の神として尊崇され、本社御鎮座後一時安倍山(現奈良県桜井市)にお遷りになったが承平5年(935年)再びこの場所へ御帰座になった。
一、御神徳 寿命を守り給う神として信仰され安永四年には宮中より御祈祷を願い出られた。
同時に導きの神、道開きの神として人生の岐路に御守護を願う人が多い。

現地立札より

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【境内社 (Other deities within the precincts)】

榎本神社(えのもとじんじゃ)は春日大社の境内社

・春日大社(奈良市春日野町)

【境外社 (Related shrines outside the precincts)】

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
(Engishiki JimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)畿内 658座…大(預月次新嘗)231(うち預相嘗71)・小427
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)大和国 286座(大128座(並月次新嘗・就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣))
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)添上郡 37座(大9座・小28座)
[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 春日神社
[ふ り が な ]かすかの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Kasuka no kamino yashiro)

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

延喜式神名帳927 AD.所載 春日神社(かすかの かみのやしろ)の論社

春日に坐ます神とされます
大きく四説に別れます

①春日大社の創建以前から 春日山に坐ます地主神との説

・榎本神社〈春日大社境内社〉(奈良市春日野町) 

 

・浮雲神社〈春日大社境内社〉(奈良市春日野町)〈参考〉 

➁〈建御雷〉が鹿島神宮から春日大社へ遷座の途 滞在した坐ました所

・春日神社(山添村春日) 

 

➂〈天児屋根命比賣神〉が枚岡神社から春日大社へ遷座の途 滞在した坐ました所

・宅春日神社(奈良市白毫寺町) 

 

櫟井臣同族なる春日朝臣の祖神なるを以て神社も櫟本(いちのもと)村に坐ます所

・春日神社〈奈良山の春日社〉・神明神社〈楢神社 上の宮〉〈参考〉 

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神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

春日大社の二の鳥居をくぐり 石燈籠の立ち並ぶ参道を進みます

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着到殿の左先に 本殿の回廊内上がる階段があり
春日大社本殿の回廊内 西南の位置に南向きに鎮座します

榎本神社〈春日大社境内社〉(奈良市春日野町)に参着

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廻廊内に祀られている社の前には かつて春日大社の参詣者は まず榎本神社参拝して榎本の神は耳が遠いので柱を握り拳で何度も叩きながら「春日さん 参りました」と言ってから春日大社へと参拝したと云う 朱色の鳥居が建ちます

拝殿にすすみます 

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賽銭をおさめ お祈りをします 
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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榎本神社の鎮座しているのは 春日大社の廻廊の南西の角に辺り 廻廊を右〈東〉へ進めば 南門になります

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一礼をして 参道を戻り春日大社へと向かいます

・春日大社(奈良市春日野町)

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神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神名帳考証土代(Jimmyocho kosho dodai)』〈文化10年(1813年)成稿〉に記される伝承

式内社 春日神社について 春日地主 榎本社〈現 春日大社境内社 榎本神社〉であると記しています

【抜粋意訳】

春日(カスカノ)神社

姓氏 大春日朝臣出自 天帯彦国押人命 春日地主 今 榎本社

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブ『神名帳考証土代』(文化10年(1813年)成稿)選者:伴信友/補訂者:黒川春村 写本 [旧蔵者]元老院https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000039328&ID=M2018051416303534854&TYPE=&NO=画像利用

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 春日神社について 祭神は 春日地主神 所在は不明と記しています

【抜粋意訳】

春日神社

春日は加須加と訓べし、和名鈔、(郷名部)春日、假字上の如し
○祭神 春日地主神(考証)
○在所詳ならず
〇姓氏録(左京皇別下)大春日朝臣、出自孝昭天皇皇子 天足彦國押人命也、仲臣令家重千金、委糟為堵、于時大鷦鷯天皇、(諡仁徳)臨幸其家、詔號糟垣臣、後改為春日臣、桓武天皇延暦二十年、賜大春日朝臣姓、

考証云、今榎本社、春日記、依託宜景雲元年十一九日御鎮坐云々、
○大和志云、春日村、今属山辺郡、

【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 春日神社について 所在は櫟本(いちのもと)村〈現 天理市櫟本町〉にある楢神社 上の宮〈神明神社〉と並列して鎮座する・春日神社〈奈良山の春日社〉と記しています

【抜粋意訳】

春日(カスカノ)神社

祭神
今按〈今考えるに〉
土人の説に当社を大和日向神社と云へれど他に證なければ信じがたし 又 祭神 天照大御神 春日大神い云るもいかが こは櫟井臣同族なる春日朝臣の祖神なるを以て神社も櫟本(いちのもと)村にますならん

祭日 九月十四日
所在 櫟本村字奈良山

【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155

 『大和志料(Yamato shiryo)』〈大正3年(1914)〉に記される伝承

式内社 春日神社について 野田四恩院〈現在の奈良春日野国際フォーラムのあたりにあったとされる興福寺四恩院(こうふくじ・しおんいん)大和国にあった興福寺の子院で 若草山の南西麓〉の境内 浮雲宮〈春日大社末社 浮雲神社〉という説があるが 據なし と記しています

【抜粋意訳】

春日神社

延喜式神名帳に添上郡 春日神社と見ゆ
但し官幣大社の春日社にあらず

或いは云ふ 野田四恩院境内なる浮雲宮なりと 據なし

【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『大和志料』著者 奈良県 編 出版年月日 大正3年 出版者 奈良県教育会https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/950813

『大和志料(Yamato shiryo)』〈大正3年(1914)〉に記される伝承

榎本神社について 祭神は巨勢津姫神 地主神として土地交換説話も記しています

【抜粋意訳】

榎本神社

長承注進状に「外院寶殿之坤ノ角ニ坐ス字榎本明神 所謂 巨勢津姫神 是成」と見え 巨勢津姫を祭る
一に猿田彦命なりとも云ふ 創始詳ならず
先規録には「注進状云 此 榎本神 当山守護神幸ヲ待チ則御山ヲ渡シ申シ 安倍山にニ坐ス 其後 又 当所還座也 春夜神記曰 爰ニ榎本神号移ニ居 安倍山無ニ参詣之人 希 祭祀之輩也・・・而還ニ躊三笠山往ニ榎本給云々 愚按 今 榎本明神社 後之廻廊古昔者 水垣而 四門皆華表也 此社辺樹木森々為因號 神垣森(カミカキノモリ)社邊有ニ 榎大木宮ニ座 其樹下因號ニ 榎本明神也 楢梅本社 杉本社 椿本社之類矣」とあり 是非を知らず

春日大社の土地交換説話が記されています この説話の詳細は

藤原京であったの話
武甕槌命は 藤原京の東方の阿倍山に鎮座されていた
春日野一帯の土地の地主神〈榎本の神 阿倍山の武甕槌命を訪ねて「私が住んでいる春日野と あなたが住んでいる阿倍山を交換してほしい」と相談したので 武甕槌命はそれに応じた
ところが 間もなく藤原京から平城京への遷都が行われると 阿倍山に移られた榎本の神の元には参拝者が減って 榎本の神は祭祀をする者も無くなった
榎本の神は 武甕槌命に助けを求めると 武甕槌命は 我が社(春日大社)のそばに社を建ててそこに住むように言われた これが今日の榎本神社であるという

【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『大和志料』著者 奈良県 編 出版年月日 大正3年 出版者 奈良県教育会https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/950813

土地交換説話 民間伝承「つんぼ春日に土地三尺借りる」について

かつて春日大社の参詣者は まず榎本神社参拝して榎本の神は耳が遠いので柱を握り拳で何度も叩きながら「春日さん 参りました」と言ってから春日大社へと参拝したと云う
当時は 榎本神社の祠の周りを廻った後 本殿に参るという習慣があったそうです

【民間伝承の意訳】

武甕槌命は、御蓋山の西麓春日野一帯に広大な神地を構えようと一計を案じ その土地の地主神である榎本の神に「地主頼みがある この土地を地下三尺(約1m程)だけ譲って貰えないか」と頼みに行かれた
榎本の神は耳が遠かったために「地下」という言葉が聞き取れず「三尺位なら」と承知してしまわれた
ところが 武甕槌命はすぐさま 榎本の神が所有する広大な土地に囲いをした榎本の神は「話が違うではありませんか」と申し入れると 武甕槌命は「私は 地下三尺と言ったのに あなたはよく聞えなかったのでしょう 約束通り境内の樹木は地下三尺より下へは延ばしません あなた住む所がなくては困るでしょうから 私の近く住んでください」と言ったので 榎本の神は 春日大社本殿のすぐそばに住むようになった これが今日の榎本神社であるという

『奈良県史 第五巻 神社〈平成元年 奈良県史編集委員会 編集〉』に記される伝承

式内社 春日神社について 春日大社の境内社 榎本神社充てているが 一説として 山辺郡山添村春日の春日神社の説も記している

【抜粋意訳】

神社解説 一、奈良市 鼓阪地区

春日神社(榎本神社)

春日大社境内摂社で、廻廊内西南隅に鎮座する。「皇代記断簡」(『奈良市』書籍編)の元年(一○八四榎本明神とみえるが、明治九年八月式内春日神社と改称、同十年三月摂社春日神社となる。文録二年(一六九三)の『春日御社記録』に「榎本、巨勢姫明神 猿田彦ト云説アリ」と記されているが、寛文三年(一六〇三)の「春日神社記」には猿田彦大神とある。一説にはまた山辺郡山添村春日の春日神社をあてる説もある。

榎本神社〈春日大社境内社〉(奈良市春日野町)に (hai)」(90度のお辞儀)

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大和国 式内社 286座(大128座(並月次新嘗 就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣)について に戻る

春日大社(奈良市春日野町)の・摂社・末社 の記事を見る

春日大社(奈良市春日野町)の・摂社・末社

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對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています

-延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)
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