伊奈久比神社(対馬 伊奈)

伊奈久比神社は 由緒書きには 白鶴が 伊奈の原に 稲穂を落とし その所を穂流川と云う 里人がその穂を取り 榎田に植えて 御食(ミケ)として神田(カンダ)としたのが 対馬の稲作りで それで「伊奈(イナ)」という地名となった「穂落し神」として「大歳神」を祀ると伝わります

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1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

伊奈久比神社Inakuhi Shrine
(いなくひじんじゃ)

 [通称名(Common name)]

【鎮座地 (Location) 

長崎県対馬市上県町伊奈330

 [  (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》大歳神Ohotoshi no kami)

【御神格 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity)

『延喜式神名帳Engishiki jimmeicho)所載社

【創  (Beginning of history)】

※由緒書きに 海神神社を伊豆山に祭祀の時 とあります
〈神功皇后が三韓征伐より凱旋の時 伊豆山に祭祀 AD200年頃〉

【由  (History)】

本社の由緒書きに 
上古 海神神社を伊豆山に祭祀の時 白鶴が 稲穂を含み空より来て 榎田に落とす 里人が その穂を取りて 榎田に植えて 御食(ミケ)とし 榎田を以って神田(カンダ)とす 故に 伊奈と云う
榎田は 志多留村にあり 鶴の稲を落とした所は 伊奈の原なり その所を穂流川と云う 古跡は今も存す
古は 大伊奈村と云い 大歳神を齋い奉る(イワイタテマツル)云々

『特選神名牒』大正14年(1925)出版より

【境外社 (Related shrines outside the precincts)】

式内社の「志多留能理刀神社(対馬 伊奈)」が この山〈姫嶽〉の麓に鎮座しています 中古には どちらかが末社だったとの説もあります
志多留能理刀神社(対馬 伊奈)

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
(Engishiki JimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)西海道 107座…大38・小69
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)対馬島 29座(大6座・小23座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)上県郡 16座(大2座・小14座)
[名神大 大 小] 式内

[旧 神社 名称 ] 伊奈久比神社
[ふ り が な ]いなくひ かみのやしろ)
[Old Shrine name]Inakuhi no kamino yashiro)

https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫

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【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

鎮座する「伊奈(イナ)」について

伊奈(イナ)には 縄文期の遺蹟や貝塚も存在していて その歴史の古さを認識できる地域です
又 中古には 郡の役所である在庁がおかれ 
元禄の頃〈1688~1704〉対馬の8〈・豊崎郷佐護郷伊奈郷三根郷仁位郷与良郷佐須郷豆酘郷〉の中に伊奈郷があり
その郷内には〈・志多留伊奈越高御園犬ヶ浦樫滝瀬田飼所鹿見久原女連中原葦見一重小鹿〉と16ヶもある大きな郷の筆頭主邑で在ったと伝わります

その証の一つとして かつて伊奈にった神社の内 現在までに廃社となっ神社が 11社もあると伝わります 祭祀が栄えていた頃に 豊かに民が暮らした証です

こうした中で式内社の論社2社もあって いまだに鎮座していることに納得がいく訳です
『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載の
對馬嶋 上縣郡 伊奈久比神社」の論社は 現 伊奈久比神社だけです

更に對馬嶋 上縣郡 行相神社」の論社 志多留能理刀神社(対馬 伊奈)が 伊奈久比神社の鎮座する山〈姫嶽〉の麓に鎮座しています
この2つの式内社の論社が 山の頂きとにあり神域を接している両神社には関係があると推測されます

・伊奈久比神社Inakuhi Shrine

志多留能理刀神社ShitaruNorito Shrine)

白鶴稲穂落とし」対馬での稲作発祥の伝承について

伊奈郷の郷内16ヶ村の筆頭主邑として栄えた 伊奈の原点は白鶴が 伊奈の原に 稲穂を落とし」と云う 対馬での稲作発祥の地としての伝承から始まっています この神話は あちこちにあるような作られた話として片付けられない深いものがあります

「ツルの渡来数日本一」を謳う鹿児島県出水市役所「出水市ツル博物館」のHPに興味深い ツルの渡りルートが記されています 

写真のみ参照 「渡りのルート  資料提供 日本野鳥の会・山階鳥類研究所」

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詳細は「出水市ツル博物館」のHPを 
https://www.city.kagoshima-izumi.lg.jp/page/page_80086.html

ちょうど対馬上空を飛来する様子が判り易く出ています

ここで白鶴が伊奈の原に稲穂を落とし」と云う対馬での稲作発祥の伝承を再考すれば 
かつて縄文期~弥生初期に 大陸から 毎年秋になると 伊奈の上空を鶴の群が渡り〈現在とは比較にならない程の数〉 この山〈姫嶽〉の麓にある湿地帯に降りてきた鶴がいたことも容易に想像できます

そこには既に 人々が生活を営むとなっていた伊奈の地区であったならば
里人が その穂を取りて 榎田に植えて 御食(ミケ)とし 榎田を以って神田(カンダ)とす 故に 伊奈と云う」は 見事に真実味を持ってくるのであります 

郷土史家によれ「伊奈久比」も「稲喰い」に通じるとされていて 
・「稲魂大歳神Ohotoshi no kami)
「収穫の吉凶を掌る雷大臣Ikatsuchioomi no mikoto)
この2社が 山の頂と麓に鎮座して 伊奈の地を守り育てて来たことを実感します

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神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

対馬空港からR382号を北上 約46km 車60分程度
仁田川の河口で道を折れ 仁田湾に沿って 伊南方面に向かいます
伊奈の手前 道路沿いに鳥居が建ちます

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伊奈久比神社Inakuhi Shrineに参着
一礼をして 鳥居をくぐります 扁額には「伊奈久比神社」と彫られています

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鳥居の先は いきなり急な石段を 右へ左へ折れながら上ります 
この山は「姫嶽」と呼ぶようです

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途中から 石段が土に埋もれた参道を更に上がります

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上がりきると 木立の先に社殿が見えます

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拝殿にすすみます 

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拝殿の扉を開くと拝所があり 賽銭をおさめ お祈りをします 
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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拝殿内には 社殿修復の棟札があり 現在に至るまで 氏子が維持管理をしている様がわかります 拝殿の奥に瓦屋根の本殿が建ちます

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参道を戻ります 上から見るとかなりの急斜面であることがわかります 鳥居を抜けて 振り返り一礼をします

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神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神名帳考証土代(Jimmyocho kosho dodai)』(文化10年(1813年)成稿)に記される伝承

伊奈久比神社の項には 『続日本紀(shoku nihongi)797年』「延暦7年(788)8月戊子の条 穴咋呰麻呂(アナクイノアザマロ)」と「神護景雲2年の条 波自采女(ハジノウネメ)」の伝承が記されていますが どうして記されているのかはわかりませんが 秦氏は稲魂を祀り「稲荷神」を信仰しています 髙橋連(タカハシノムラジ)は御食(ミケ)に関連する氏族だからでしょうか

念のため波自采女の碑(対馬 豊玉町田)をご覧ください

意訳

伊奈久比(イナクヒノ)神社

延暦7年(788)8月戊子の条

對馬島守 正六位上 穴咋呰麻呂(アナクイノアザマロ) 賜姓 秦忌寸(ハタノイミキ) 以誤從母姓也

神護景雲2年(768)2月の条

対馬島 上県郡の人 高橋連(タカハシノムラジ)の 波自采女(ハジノウネメ)は 夫を亡くして後も 誓って志を改めず その父もまた死す (草庵)を墓の側に結んで 毎日斎食す 孝義の至り 路行く人を感ぜしむることあり よってこれを其の門閭(里の入口)に表彰し 租(年貢)を免じて一生を終わらしむ

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『神名帳考証土代』(文化10年(1813年)成稿)選者:伴信友/補訂者:黒川春村 写本 [旧蔵者]元老院
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000039328&ID=M2018051416303534854&TYPE=&NO=画像利用

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『神社覈録(Jinja Kakuroku)』明治3年(1870年)に記される伝承

白鶴が 稲穂を落として稲作が起こったという「穂落し神」の伝説を載せていますが 祭神は稲穂を落とした「白鶴の霊」と記しています

意訳

伊奈久比神社

伊奈久比は仮字なり

〇祭神 白鶴霊 古蹟集

〇伊奈郷伊奈村に在す 玉勝間

古蹟集に 上古 白鶴 稲穂を含みて 空より地に堕(オト)す 得て これを植えゆ この州〈対馬〉の 稲作の始めにして 植える所は 榎田これなり と云

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015『神社覈録』

『特選神名牒(Tokusen shimmyo cho)』明治9年(1876)に記される内容

本社の由緒書きとして
白鶴が 伊奈の原に稲穂を落とし その所を穂流川と云う 里人がその穂を取り 榎田に植えて 御食(ミケ)として 神田(カンダ)としたのが 稲作りで それで「伊奈」という地名となった「穂落し神」として「大歳神」を祀ると記しています 

意訳

伊奈久比神社

祭神 大歳神
今 按〈考えるに〉
本社の由緒書きに 
上古 海神神社を伊豆山に祭祀の時 白鶴が 稲穂を含み空より来て 榎田に落とす 里人が その穂を取りて 榎田に植えて 御食(ミケ)とし 榎田を以って神田(カンダ)とす 故に 伊奈と云う
榎田は 志多留村にあり 鶴の稲を落とした所は 伊奈の原なり その所を穂流川と云う 古跡は今も存す
古は 大伊奈村と云い 大歳神を齋い奉る(イワイタテマツル)云々とあるのは 倭姫命世紀にみえている保於止志神の古事に似ているので大歳神と云うならんととも思われると 土人の伝説も弃(ステ)がたく 姑く 社説に従う

祭日 6月朔日
社格 村社
所在 伊奈村 字 姫嶽 

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155『特選神名牒』

角川日本地名大辞典地名編角川書店に記される伝承

伊奈(いな) 長崎県対馬市上県町伊奈

・対馬の北部西海岸、伊奈川流域に位置する。
伊奈崎の内側に、南向きに開いた良港で、式内社 伊奈久比神社があり、古来 伊奈郷の主邑であったことは疑いない。

地名の由来については、
「津島紀事」に「藤仲郷云、郷名伊奈、稲之国字〈仮名〉也、上古白鶴銜稲穂、自半空来落榎田、里人取其穂、稙榎田、以為神供、以榎田為神田、因名伊奈」とあるが、
これは 伊奈久比神社の由緒として 穂落し神の伝承があったもので、この所伝は 単なる地名説話として退けられないものがある。同社の祭神 大歳神は 稲より化生したものといわれ、本来 神話的伝説があったに違いない。

伊奈久比神社Inakuhi Shrine (hai)」(90度のお辞儀)

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対馬の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載されている 對馬嶋の29座(大6座・小23座)の神社のことです もちろん九州では最多の所載数になります 現在 この式内社29座の論社は 67神社となります

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