倭姫命

田村神社(甲賀市土山町北土山)〈征夷大将軍・坂上田村磨呂公を祀る神社〉

田村神社(たむらじんじゃ)は 垂仁天皇45年(西暦16年)甲可翁(こうかのおきな)と云う人が 倭姫命を崇敬し その生霊を鎮祭し 鈴鹿社〈高座大明神〉と云われた 弘仁三年(812)嵯峨天皇の勅により坂上田村麻呂を神社程近き二子峰に鎮祭し 同十三年(822)現地に遷し 鈴鹿社に合祀し 高座田村大明神〈田村神社〉と稱しました

片山神社〈鈴鹿権現〉(亀山市関町坂下)〈延喜式内社 片山神社の論社〉

片山神社(かたやまじんじゃ)は 元は三つ子山(鈴鹿嶽・武名嶽・高幡嶽)に三宮が鎮座し その後 火災により奉遷を繰り返します やがて鈴鹿社〈祭神 倭姫命〉を合せて1社となり 坂上田村麻呂以下5柱が加わり 永仁2年(1294)現在の多津加美坂の地へと遷座しました 平成11年(1999)放火により本殿を焼失しています

大井神社の遺跡(亀山市関町古厩)〈大井神社の旧鎮座地(明治42年 関神社に合祀)〉

大井神社の遺跡(おおいじんじゃのいせき)は 史跡 鈴鹿駅跡(すずかのうまやあと)にあった延喜式内社 伊勢國 鈴鹿郡 大井神社二座(をほゐの かみのやしろ ふたくら)とされ ここから北40m程の所には゛都追美井(つつみい)゛〈神社の御神体とされる井戸〉もあります 明治42年(1909)関神社(亀山市関町)に合祀されました

神館飯野高市本多神社〈神戸宗社〉(鈴鹿市神戸)

神館飯野高市本多神社(こうたつ いいの たかいち ほんだじんじゃ)は 第十一代垂仁天皇の御代 皇女倭姫命が皇大神宮〈内宮〉を伊勢の五十鈴川の川上にお定めになられる時 神戸にしばらく滞留せられて御宮所としたのが 神社創建と伝えられ その後 神館神明神社に飯野神社・高市神社・本多神社が合祀され 俗に神戸宗社と呼ばれます

江神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉& 栄野神社(伊勢市二見町江)

江神社(えじんじゃ) 〈皇大神宮(内宮)摂社〉は 皇大神〈天照大神〉を倭姫命(やまとひめのみこと)が奉遷され 当地の海岸に着船 出迎えた゛佐見都比古命(さみつひこのみこと)゛に土地の名前を尋ねたのちに江社を定められたと伝わります 栄野神社(えいのじんじゃ)にも同様の言い伝えがあります

大水神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉〈御同座 川相神社・熊淵神社〉

大水神社(おおみずじんじゃ)は 皇大神宮(内宮)の摂社で 皇大神宮(内宮)末社の2社〈・細川水神〈川相神社(かわあいじんじゃ)・多支大刀自神〈熊淵神社(くまぶちじんじゃ)〉が御同座します 3社ともに垂仁天皇の御代 倭姫命によって御鎭祭されたと伝わります

津長神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉〈御同座 新川神社・石井神社〉

津長神社(つながじんじゃ)〉は 皇大神宮(内宮)の摂社です 鎮座地の古地名を「津長原止」と云い 倭姫命が上陸したと伝えらる 五十鈴川を遡上した船の留場〈津〉でした 水神の栖長比賣命を祀る津長神社には 皇大神宮(内宮)の末社〈新川神社〉新川比賣命・〈石井神社〉高水上命が御同座しています

磯神社(伊勢市磯町)

磯神社(いそじんじゃ)は 倭姫命(やまとひめのみこと)の巡幸地の一つ゛伊蘇宮 或は磯宮゛とされ 旧地は宮川の氾濫によって崩壊 水没した爲 現在地に遷座したと伝わります 旧地は延喜式内社 伊勢国 度會郡 磯神社(いその かみのやしろ)とされますが 皇大神宮・豊受宮の管攝する社にはその名が見えず ゛磯宮・伊蘇宮゛と゛磯神社゛との関連性にも諸説があります

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