皇大神宮(内宮)摂社
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園相神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉
園相神社(そないじんじゃ)は ゛園作神〈曽奈比比古命〉゛が皇大神に御園を奉り これを祝い 倭姫命が社を定めたと伝わる古社 皇大神宮(内宮)摂社の27社中 第3位と格式高い神社ですが 中世には頽廃して社地も不明となり 寛文3年(1663)河邊精長が度会郡積良村に再興 この再興地に疑義があり 元禄七年(1694)大中臣長春が津村を旧社地と定め 現在地へ遷座しました
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湯田神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉
湯田神社(ゆたじんじゃ)は 雄略天皇朝の創立 造宮使造替六社中の一で格式も高かったが 中世に廃絶し 社地は明らかになりませんでした 産土社の境内社 湯田社に再興したもので 祭神についても大歳御祖命(おほとしみをやのみこと)御前神(みまへのかみ)とされますが 鳴宸電(なるいかつち)を祀る説があり 式内社・湯田神社 ・雷電神社の二つの論社となっています
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多岐原神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉
多岐原神社(たきはらじんじゃ)〈皇大神宮(内宮)摂社〉は 内宮別宮の瀧原宮から宮川を約6km下ったところに鎮座します ここは倭姫命が 皇大神(天照大神)を奉じて巡幸中 宮川を渡ろうとしたが 砂も流れる早瀬があり 渡河難渋であった時 真奈胡神(まなごのかみ)があらわれ その案内で渡ることができた 故に多岐原神社が定め祀られたと伝わります
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田乃家神社〈御同座 田乃家御前神社〉〈皇大神宮(内宮)摂社〉
田乃家神社(たのえじんじゃ)〈御同座 田乃家御前神社(たのえみまえじんじゃ)〉は 創建は 第21代 雄略天皇の御代(457~479年)と伝わる皇大神宮(内宮)の摂社 かつて造宮使造替六社の一つで高い格式がありましたが ここも中世に頽廃し 寬文三年(1663)に再興されました その際 御前神は正殿に御同座し〈昔は二殿あり〉 現在に至ります
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蚊野神社〈御同座 蚊野御前神社〉〈皇大神宮(内宮)摂社〉
蚊野神社(かのじんじゃ)御同座する 蚊野御前神社(かのみまえじんじゃ)は 第21代 雄略天皇(457~479年)が定めたと伝え 皇大神宮(内宮)の27摂社の第7位と格式があります 規定では 造替使がその任に当り 20年に1度正宮と並び正殿を造替える神社でしたが 中世には頽廃してしまいます 寬文三年(1663)大宮司 河邊精長により 現社地に再興され 現在に至ります
